『あの日の処方箋』 ~婚約破棄から始まる、不器用な医師たちとの恋の治療法(リトライ)~

デルまりん

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第五章 秋風のロジックと、古びた記憶の鍵

第41話 ダークホースの襲来と、面白い余興

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その日の夜。

雷久保、美雲、桐也の画策により、皮膚科と形成外科の合同歓迎会がサプライズ開催された。

場所は、大学近くにある個室焼肉店。

予約した部屋には、すでに香ばしい肉の焼ける匂いと、脂の甘い香りが充満していた。

「はーい!皆さん注目!今夜はサプライズだよ!」

上座に陣取った美雲が、ビールジョッキを掲げて高らかに宣言した。

「今日の新巻くん&晴瑠ちゃんの歓迎会は、なんと合同でーす!」

「……おい。聞いてないぞ」

一番奥の席で、雨宮が低い声で唸った。

彼の隣には、仕掛け人の雷久保がニヤニヤしながら座っている。

「いいじゃん潤一。どうせ奢るなら賑やかな方がさ」

「私の金だぞ」

「俺も出すって。……ほら、肉焼けたぞ」

文句を言いながらも、雨宮は雷久保に皿へ肉を放り込まれ、渋々箸を動かした。

一方、下座のテーブルでは、若手たちが七輪を囲んでいた。

「……ねえ、新巻くん」

霜田が話しかけると、新巻はトングを動かす手を止めずに「はい」と答えた。

「君って、立花先生とは研修医の同期よね?大学時代も仲良かったの?」

同じ研修医なら、大学も同じかと思ったのだろう。

しかし、新巻は淡々と答えた。

「あ、いえ。俺、出身は他大なんで。研修でここに来て初めて会いました」

「あ、そうなんだ。じゃあ地元がこっちだから、研修で戻ってきたの?」

「そっすね」

新巻は興味なさそうに短く答える。

霜田はターゲットを変え、晴瑠に向いた。

「立花先生も地元はこっち?」

「あ、私は都内です!」

晴瑠は愛想よく答えた。

「え、都内なの?なんでまた、こんな田舎で研修しようと思ったのよ?」

「えっと……」

晴瑠は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに完璧な笑顔を作った。

「大学時代の友達が多くて、離れるのが名残惜しくなっちゃったんです。こっちの方が住みやすいですし!」

もっともらしい理由だ。
周囲は「なるほどね」と納得した。

しかし、少し離れた席で聞いていた雷久保だけは、グラスを傾けながら口の端を歪めていた。

(……名残惜しい、ねぇ。「五十嵐がいるから」離れられなかった、の間違いじゃないの?)

不穏な空気は、すぐに肉の焼ける音にかき消された。

新巻は完璧に焼き上がった希少部位(ザブトン)を、自分の皿ではなく、対面にいる皐月の皿にポンと置いた。

「先輩、どうぞ。タンパク質です」

「えっ、あ、ありがとう……」

皐月が恐縮して受け取る。

すると、隣に座っていた五十嵐が動いた。

「……おい」

五十嵐は不機嫌そうに呟くと、自分のトングで網の上のハラミを掴み、強引に皐月の皿へ乗せた。

「こっちも食え。お前、脂っこいのばっかだと胃もたれするだろ」

「あ……うん、ありがとう五十嵐」

皐月が苦笑しながら礼を言う。

五十嵐なりの、不器用なマウントであり、牽制だった。

「あれあれー?なにその熟年夫婦みたいなやり取り!」

その様子を見ていた美雲が、楽しそうに茶々を入れた。

隣の桐也もニコニコしながら乗っかる。

「そういえば二人って高校の同級生なんだっけ?当時はどんな感じだったの?やっぱ仲良かったの?」

「え、い、いや……」

五十嵐が言葉に詰まり、視線を泳がせる。

皐月も顔を赤くして、慌てて手を振った。

「た、ただの普通の友達で……クラスが一緒だったから、よく話してただけで……」

「へぇー、普通の友達ねぇ?」

美雲がニヤニヤしながら二人を冷やかす。

五十嵐は「うるせぇな」とビールを煽って誤魔化しているが、その耳は少し赤い。

彼はチラリと隣の皐月を見て、彼女が笑っているのを確認すると、安堵したように口元を緩めた。

一方、雨宮の眉間には、これ以上ないほど深い皺が刻まれている。

モヤモヤとした黒い感情が渦巻き、持っていた割り箸にピキリと亀裂が入る。

「……見すぎだぞ、潤一」

耳元で、雷久保が囁いた。

「すごい顔してんぞ。……そんなに気になるなら、混ざってくりゃいいじゃん。『俺も昔、皐月ちゃんに会ったことあるぞ』ってさ」

「……黙れ。肉の焼け具合を見ていただけだ」

「嘘つけ。皐月ちゃんしか見てなかったくせに」

雷久保はからかうように雨宮の肩を叩き、五十嵐をちらりと見た。

今の五十嵐は、「もしかしたら、やり直せるかもしれない」という甘い希望に酔いしれている。

4月の頃、皐月から逃げ回っていた怯えた目はもうない。

雷久保は、網の上で焼かれる肉を見つめながら、嗜虐的な笑みを深めた。

(……焦るなよ、五十嵐。お前の焼き加減は、俺が決めてやる)

一方、五十嵐や皐月たちが盛り上がる輪の外で、晴瑠はじっと二人を見つめていた。

照れたり、ムキになったり……。
彼女には一度も見せてくれなかった顔。 

「諦めた」はずの恋心が、古傷のように疼くのを止めることはできなかった。



「そういえば新巻くん。あなた、彼女いるの?」

酔った霜田が直球を投げた。
新巻は新しい肉を網に乗せながら、平然と答える。

「いませんよ。管理コストかかるし、今の生活が気に入ってるんで」

「うわー、ドライ!」

霜田が呆れて笑う。

しかし、新巻はトングをカチカチと鳴らし、肉を裏返しながら言葉を続けた。

「でも、立候補はしてます」

霜田が瞬きをする。

「え?立候補?」

「はい。天野先輩に」

新巻は、トングの先でこともなげに皐月を指差した。

五十嵐への当てつけか、それとも純粋な合理性か。
彼の表情からは読み取れない。

「『俺と付き合った方が効率いいですよ』って申請出したんで、今、決済待ちっすね」

飲み会の空気が凍りついた。

「ぶっ!!」

皐月は激しく咳き込む。

五十嵐は、思考が追いつかないのか固まっている。

さらに奥の席では、雨宮が目を見開いていた。

「くくっ……やるねえ新巻くん!」

沈黙を破ったのは、雷久保の大爆笑だった。

霜田は、ポカンと口を開けていたが、次の瞬間、悲鳴のような声を上げた。

「嘘でしょ!?」

彼女はガシッと皐月の肩を掴み、揺さぶった。

「ちょっと天野先生!聞いた!?こんなビッグチャンス、ありえないわよ!」

「え、ええっ……?」

皐月が目を白黒させる。 

「新巻くん、あんた見所あるわ!私、五十嵐くんじゃなくてあんた推しよ!推してあげる!」

すると、今まで五十嵐をからかっていた美雲が、対抗するように声を上げた。

「えーっ!私は五十嵐くん推しだからね!桐也くんもだよね?」

「うん、僕もかな。お似合いだと思うし」

夫婦揃っての援護射撃。

突然始まった「皐月の相手は誰だ・代理戦争」

「え、いや、ちょっと……」

五十嵐と皐月は、顔を赤くしたり青くしたりしながら、口をパクパクさせている。
怒るタイミングすら逃し、公開処刑のように弄ばれている。

「……どーも」

渦中の新巻は、特に気にすることなく肉を焼き続けていた。

その喧騒の中、少し離れた席にいた雪村は、持っていたグラスを静かにテーブルに置いた。 

胸の奥が、チクリと痛む。

(……バカな奴だ)

新巻の行動は、雪村の美学からすればあまりに無謀で、非効率だ。

だが、同時に眩しくもあった。

かつて自分が「勝算なし」と判断して切り捨て、蓋をした感情。 

それを、この新人は「効率」という謎の理屈をつけて、堂々とぶつけている。

(……俺には、できなかったことだ) 

雪村は苦い酒を飲み下し、視線を逸らした。

かつて、自分もあのように愚直にぶつかっていれば、何かが変わったのだろうか。
……いや、無意味な仮定だ。終わったことだ。何もかも。



雷久保は、周りを見回し、愉悦に浸りながら酒を煽る。

(新巻、だっけ?とんだダークホースが現れたもんだ)

ーーこいつは、停滞したこの盤面を引っ掻き回すのに使えそうだ。

そう思いながら、ふと視線をずらした時だった。 雷久保の目が、一点で止まる。

輪から外れ、静かに俯いている雪村慧。
グラスを見つめるその瞳には、隠しきれない「痛み」と「後悔」が滲んでいる。

想定外の発見だった。

(こいつまで、皐月ちゃん狙いだったのか?)

これは驚きだ。
合理的で冷徹な彼が、まさかこの恋愛レースに参戦していたとは。

……いや、参戦はしてないか。
あの様子だと、戦う前に逃げ出した敗者ってところか。

(雪村。……お前は賢いな)

勝てない戦いには挑まない。傷つく前に降りる。
合理的でスマートだ。

全員がそれぞれの思惑を抱え、すれ違い、空回りしている。

こんなに面白い余興はそうそうない。

宴は、カオスな熱気を帯びたまま更けていった。



宴の終わり。

新巻のマイペースな求愛宣言に振り回された雨宮と五十嵐は、精神的に疲労困憊の体で店を出た。

皐月もまた、霜田と美雲夫婦の代理戦争に困惑し、どっと疲れが出ていた。

霜田と美雲夫婦は、まだ代理戦争をしている。

唯一元気なのは、高い肉をたらふく食べた新巻だけだ。

「ご馳走様でした。タダ飯最高っすね」

彼は満足げに腹をさすり、スマホを取り出した。

「じゃ、俺帰ってゲームするんで。ログインボーナス回収しないといけないんすよ」

空気も読まず、余韻も残さず。

彼は「お疲れしたー」と言い残し、夜の街へと颯爽と帰っていった。
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