深説 桶狭間の戦い

日野照歩

文字の大きさ
6 / 30
本編

恩賞②

しおりを挟む
「ご苦労だった。おかげで良い視察になった」

 簗田の屋敷に戻った信長は、政綱の前で改めて広正を労った。

「見事な地図だった。ただ詳細なだけではない。戦に必要な情報が書かれている」

「お褒めにあずかり、ありがたき幸せ」

「後で褒美を取らす」

 信長の言葉は有難かったが、広正は頭を下げて、丁寧に固辞した。

「恩賞は戦で勝ってから頂とうございます」

 すると、信長は軽く顔をしかめて答えた。

「恩賞はな、気分でやってる訳ではない。賞罰によって、儂が何を好み、何を嫌っているのかを家臣に示しているのだ。これ以上、分かりやすいものはあるまい」

 信長は、一転笑顔になって付け加えた。

「それにな、貰えるものは病気以外、黙って貰っておけ!」

 広正は、さらに頭を下げるしか無かった。

「は! 頂戴いたします」

 信長は、真剣な表情に戻ると、政綱の方を向いた。

「さて、弥次右衛門の弟。お前は、織田と今川、どっちにつく気だ?」

 唐突の質問に、一瞬戸惑ったが、政綱は声を大きくして答えた。

「無論! 織田家にござります。兄は織田家に大恩もございます」

「兄とお前は違うだろう」

 土豪と言うのは、半分農民である。主君のために命をかける臣下とは違っていた。戦の優劣によって、日和見を決めたり、優勢な方になびくのは、よくあることだった。
 信長は、腹の内を見透かしたように続けた。

「まあ良い。この儂につけ! さすれば、この戦、勝った暁には沓掛城をやる」

「はあ。やると申しますと…?」

「2度も言わせるな。お前を沓掛の城主にしてやる」

 あまりのことに最初、政綱は信長の言葉が理解できなかった。ようやく意味を把握すると、元々大きな目が飛び出んばかりになった。
 無理もない。政綱のような土豪は、武士としては最下層の位にあたる。それがいきなり一城の主になるのは、考えられないことだった。「恩賞は黙って貰え」と言われたばかりだが、聞かずにはいられなかった。

「なぜ、そのような…」

「儂はな、ここ桶狭間を決戦の地と考えている」

 信長は、怒るわけでもなく淡々と説明した。

「清州城は頑強なれど、今の儂に他国からの援軍は期待できん。籠城しても駄目だ。かといって相手は大軍。平地で、まともにやりあっては勝ち目がない。乱戦に持ち込むには、山の多いこの地しかないのだ」

 確かに、籠城戦は援軍が期待できてこその戦法である。ただ籠城するだけで、敵を撃退できる例は非常に稀であった。この少し前、懇意にしていた隣国、美濃の斎藤道三は、息子の斎藤龍興に討たれていた。信長は、道三が攻められたとき援軍を出したため、龍興とは険悪な関係にあり、援軍は望めなかった。

 信長は、政綱だけでなく、広正にも伝えるように話を続ける。

「桶狭間に全戦力をつぎ込む。ここで負ければ織田は滅ぶだろう。勝つためには、土地に明るく、他の土豪にも影響力を持つ人材が不可欠なのだ。お前のようにな」

 そう言い終わると、信長は突如、大笑いした。

「それにしても、お前の驚いた顔も見事だったな!」

 あっけに取られた政綱の横で、広正も笑いをこらえていた。

「今日は帰る。この地には、いくつも砦を作るつもりだ。お前たちも手伝え。これから忙しくなるぞ!」

 そう言い残すと、信長は早々に帰っていった。

 呆然と信長を見送った政綱は、誰に言うのでもなく、ぽつりと呟いた。

「あの方も、あんな風に笑うのだな…」


 確かに、信長は上機嫌だった。今日の視察では、得るものが多かった。作戦に一筋の光明が見えたのである。それにも増して、機嫌よくさせたのは、広正の存在であった。

 信長が、政綱に対し、破格の恩賞を前もって約束した理由は、広正の才能を確信したからだった。
 もちろん、土地勘のある土豪を、確実に味方にしておきたかったのはあるが、それ以上に若く才能のある人材は喉から手が出るほど欲していた。是が非でも敵に渡すわけにはいかなかったのである。

 信長のもっとも優れた能力は、人の才能を見抜く能力と言える。そして、優れた人材に機会を与え、結果を出せば、現在の身分に縛られることなく相応の恩賞を与えた。

 事実、後に簗田広正は、別喜右近と名を変え、羽柴秀吉、明智光秀らと並び称される程の武将にまで出世するのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...