12 / 30
本編
真意③
しおりを挟む
その2年後(1558年)、義元は突然、家督を息子氏真に譲る。自身が継承争いに苦労した経験から、早くから家督を譲っておきたかったのはあるが、尾張での戦いで万一のことが起こるかも知れないと考えたのである。
その翌年(1559年)、尾張侵攻の大号令を発した。雑多な政務は、息子に任せ、自身は本格的な戦準備に取り掛かかった。これまでにない大規模な徴兵を行い、それを完璧に統率する事を目指した。また、敵地視察を入念に行わせ情報を集めては、尾張への侵攻作戦をいくつも検討するのだった。
そんな折、信長が桶狭間に砦を造っているとの報が入り、義元は軍議を開いた。
「もう一度確認するが、砦は大高、鳴海周辺だけで、沓掛にはないのだな?」
義元は念を押すと、家臣の1人が答えた。
「織田側も相次ぐ謀反で、国内制圧に手一杯。そこまで手が回らなかったのでしょう」
「……いや、違うな」
独り言のように義元は呟いた。信長は、明らかに自分を沓掛城へ誘っている。
義元は、すでに信長の策略を看破していた。
『桶狭間は山が多く入り組んだ土地。そこへ誘い込み乱戦に持ち込む腹だ。砦を多く造り、こちらの兵を分散させ、手薄になった本陣へ奇襲をかけるつもりだろう。圧倒的な劣勢を覆すには、余の首を獲るしかあるまい』
ならば、敢えてその策に乗ろうと義元は考えた。
「砦は好きに造らせておくがよい。今は戦支度に集中せよ」
そして、1560年旧暦5月(現代では6月)。
大高城は信長の造った砦の影響により周囲と孤立し、深刻な兵糧不足に陥っていた。今川から派遣された城主、鵜殿長照自ら食料を確保しに城外へ出て、草木の実を採取する始末であった。
その報を受けると、義元は直ちに軍議を開き、尾張侵攻作戦の全貌を確認した。
まず、沓掛城へ入城する。そして先方隊を派遣し、大高城を救済、周辺の砦を撃破する。その後、本隊も大高へ入り、鳴海城周辺の砦も撃破。同時に、尾張で信長に反抗する土豪、服部党の服部左京助に伊勢湾から侵攻させ、熱田を制圧させる。熱田で今川軍と合流すると、そのまま北上し、居城である清州城を奪取。一気に、尾張を制圧する作戦を立てていた。
義元は、居並ぶ重臣の前で、珍しく声を張り上げた。
「時は来た! 戦の準備は万全である」
「は!!」
義元が出陣の号令を発すると、重臣達は一斉に頭を下げた。皆、この戦が尋常ではないことを察していた。
家臣に対し表向きは、悲願の尾張奪還を掲げていたが、義元の本当の狙いは違っていた。
『桶狭間で必ず、信長の首を獲る!』
奇しくも、義元と信長、真の狙いは同じく、お互いの首一つであった。
その翌年(1559年)、尾張侵攻の大号令を発した。雑多な政務は、息子に任せ、自身は本格的な戦準備に取り掛かかった。これまでにない大規模な徴兵を行い、それを完璧に統率する事を目指した。また、敵地視察を入念に行わせ情報を集めては、尾張への侵攻作戦をいくつも検討するのだった。
そんな折、信長が桶狭間に砦を造っているとの報が入り、義元は軍議を開いた。
「もう一度確認するが、砦は大高、鳴海周辺だけで、沓掛にはないのだな?」
義元は念を押すと、家臣の1人が答えた。
「織田側も相次ぐ謀反で、国内制圧に手一杯。そこまで手が回らなかったのでしょう」
「……いや、違うな」
独り言のように義元は呟いた。信長は、明らかに自分を沓掛城へ誘っている。
義元は、すでに信長の策略を看破していた。
『桶狭間は山が多く入り組んだ土地。そこへ誘い込み乱戦に持ち込む腹だ。砦を多く造り、こちらの兵を分散させ、手薄になった本陣へ奇襲をかけるつもりだろう。圧倒的な劣勢を覆すには、余の首を獲るしかあるまい』
ならば、敢えてその策に乗ろうと義元は考えた。
「砦は好きに造らせておくがよい。今は戦支度に集中せよ」
そして、1560年旧暦5月(現代では6月)。
大高城は信長の造った砦の影響により周囲と孤立し、深刻な兵糧不足に陥っていた。今川から派遣された城主、鵜殿長照自ら食料を確保しに城外へ出て、草木の実を採取する始末であった。
その報を受けると、義元は直ちに軍議を開き、尾張侵攻作戦の全貌を確認した。
まず、沓掛城へ入城する。そして先方隊を派遣し、大高城を救済、周辺の砦を撃破する。その後、本隊も大高へ入り、鳴海城周辺の砦も撃破。同時に、尾張で信長に反抗する土豪、服部党の服部左京助に伊勢湾から侵攻させ、熱田を制圧させる。熱田で今川軍と合流すると、そのまま北上し、居城である清州城を奪取。一気に、尾張を制圧する作戦を立てていた。
義元は、居並ぶ重臣の前で、珍しく声を張り上げた。
「時は来た! 戦の準備は万全である」
「は!!」
義元が出陣の号令を発すると、重臣達は一斉に頭を下げた。皆、この戦が尋常ではないことを察していた。
家臣に対し表向きは、悲願の尾張奪還を掲げていたが、義元の本当の狙いは違っていた。
『桶狭間で必ず、信長の首を獲る!』
奇しくも、義元と信長、真の狙いは同じく、お互いの首一つであった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
九州のイチモツ 立花宗茂
三井 寿
歴史・時代
豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。
義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。
下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。
大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。
女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。
だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。
その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。
島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。
その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる