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第16都市の街を、初夏らしい爽やかな風が通り抜けていく。
見上げた視線の先は、抜けるような青空。
眩しい太陽の光にミツルは少し目を細めた。
また気持ちのいい風が吹き、ミツルの額を優しく撫でた。
その感触が少しくすぐったいような、落ち着かないような気持になり、思わず額を押さえようとしたが、両脇に酒の入った大きな樽を抱えているため、押さえることはできなかった。
空はこんなに広かったんだな。
そう思いながら、ミツルは歩き出した。
トウコと再会を果たしたあの日から半年以上が経ったが、あれから結局トウコとは会っていなかった。
今日は、アレックスたちとある場所へ出かける用事があり、皆と向かっていたのだが、その途中でミツルは唐突にとある約束を思い出した。
「悪い。先に行っててくれ」
足を止め、そう言ったミツルにアレックスをはじめ皆が「なんだよミツル。怖気づいたのか?」と言ってきたが、「そうじゃない。ちょっと約束を思い出したんだ。ちゃんと後から行くから」と苦笑しながら返し、来た道を戻った。
そして、その約束を終えたミツルは、皆と合流するために再びその場所へ向かっている途中だった。
3区の商業エリアの中でも、酒を出す店が多く立ち並ぶ区画。
店の性質上、昼間のこの時間帯は多くの店が開店前で閉まっている中、1軒だけぽつんと開いている店があった。
店の中から賑やかで楽しそうな声に紛れて、アレックスの豪快な笑い声が聞こえてきた。
少し早くなった鼓動を無視して、ミツルはその店に近づいた。
店に近づくにつれて大きくなる賑やかな声と、自分の鼓動。
扉が開け放たれた店の入り口から、少し緊張した面持ちで店内を覗き込んだミツルだったが、店の中央で騒いでいる人物が目に入った途端、思わず吹き出してしまった。
すっかり肩の力が抜けたミツルは店に入ると、こちらも賑やかに騒いでいたアレックスたちに声をかけた。
「お!やっと来たかミ…ツル…?」
振り返ったアレックスが、途中で言葉を途切れさせて唖然とした表情で絶句した。
他の仲間たちも同様にミツルを見て固まっている。
皆のその様子に少し気恥ずかしくなったミツルが、頭を掻きながら苦笑を浮かべると、アレックスがいつものように豪快に笑った。
「いいじゃねーか!おい!」
ばしばしと背中を叩きながらアレックスがそう言い、仲間たちも笑顔でミツルの体のあちこちを叩きながら誉めてくれた。
「酒の樽は適当にその辺に置いとけ!みんなガンガン飲んでいくから減りがはええんだよ。まあ、一番飲んでるのはあいつらだけどな!」
アレックスがそう言いながら、店の中央で騒いでいる2人の人物を指さす。
そちらに目をやったミツルが小さく笑うと、アレックスも笑いながら言葉を続けた。
「ひでえよなあ、あいつら。まあ、あの馬鹿2人らしいけどな」
アレックスの楽しそうな言葉に、仲間も皆笑顔で頷いている。
視線の先には、真っ白なドレスを着たトウコ。
綺麗に結い上げられた髪に紫の花飾り。
大きく開いた胸元の空色の石、耳元では同じ色の石が揺れていた。
着飾ったトウコは、これまでミツルが見た中で一番美しかったが、しかしそのトウコは今、酒を片手に何故か茶色がかった金髪を刈り込んだ大柄な男と腕相撲をしていた。
組んだ2人の手は中央でぴくりともしないが、大柄な男が苦しそうに顔を歪めているのに対して、トウコは余裕の顔でもう片方の手に握ったグラスを傾けている。
トウコの隣では、白いシャツの襟元をだらしなく開け、袖を腕までまくったあの金髪の男が、こちらも酒を片手にげらげらと笑い声を上げていた。
テーブルの片隅に雑に丸められたシルバーのタキシードの上着と、紫のネクタイが放置されており、良く見ると足を組んで座っているトウコの片足は裸足で、白いヒールの高い靴がころんと足元に転がっていた。
酒を喉に流し込んだトウコがにやりとした瞬間、男の手がテーブルに叩き付けられ、2人の周りを取り囲んでいた者たちが歓声を上げた。
その中には、トウコたちの荷物持ちをしていた男と、ドライバーの少女がおり、楽しそうに声を上げて笑っていた。
2人を取り囲んでいた人々の中から、金髪の男にどことなく雰囲気が似ている褐色の肌の男が出て来て、金髪の男の前に座る。
金髪の男が不敵な笑みを浮かべ、2人が手を組むと更に歓声が大きくなった。金髪の男に勝負を挑んだ男の後ろには、プラチナブロンドの髪を結い上げ、瑠璃色の瞳をした綺麗な女が少しハラハラした顔で立っていた。
「最初はマリーが、トウコもリョウもちゃんとしろって怒ってたんだけどな。特にトウコには、その恰好で煙草吸うなって怒鳴ってたけど、あいつらげらげら笑うだけで聞きやしねえ」
アレックスが笑いながら言うと、仲間の1人が後を引き継いだ。
「結局、散々怒鳴ってたマリーもあれだしな。やっぱ破壊屋は馬鹿だな」
トウコと金髪の男の隣のテーブルでも、スキンヘッドの大男が腕相撲をしており、そちらも盛り上がっていた。
そこにはあの神殿で護衛をしていたデニスとその仲間2人、更に護衛対象だった研究員の小太りの男がおり、小太りの男の隣には大きな眼鏡を掛けた、少女のようなまだ若い女がいた。デニス以外の4人は楽しそうにしているが、何故かデニスは少し恐怖に引き攣った顔で、トウコたちの方を窺っていた。
「アレックスたちは参加しなくていいの?」
笑いながらミツルがそう言うと、「俺はもうトウコに挑んで負けて来たぞ!こいつらも全員挑んで完敗だ!」とアレックスが即答し、ミツルはまた噴き出した。
その時、腕相撲の勝負がついたようで、スキンヘッドの大男が両腕を上げて野太い雄叫びを上げ、何故か端正な顔立ちをした色無しの男が歓声を上げて抱き付いていた。
「よっしゃ。俺たちもマリーに挑むとするか。お前はトウコにぶちのめされて来いよ」
ミツルは笑いながら頷き、トウコたちのテーブルへ向かった。
金髪の男が咥えた煙草を、すかさず奪い取って口に咥えたトウコに向かってミツルは声をかけた。
「トウコ、おめでとう。」
スキンヘッドの男の方を見ていたトウコが笑顔のままミツルの顔を見上げると、少し不思議そうな顔をして小首を傾げた。
金髪の男もこちらを振り返り、あからさまに「誰だこいつ」という表情を浮かべてミツルを見ていた。
まじまじとミツルの顔を見上げていたトウコが、目を見開く。
その口からぽろりと煙草が落ち、真っ白なドレスの膝の上に落ちた。
「うお!トウコ!お前なに煙草落としてんだよ!ドレス焦がしたらマリーにマジでぶっ殺されるぞ!」
慌てて煙草を拾った金髪の男が怒鳴ったが、トウコはぽかんとしたままミツルの顔を見上げ続けていた。
「…お前、まさかミツルか?」
ミツルは笑いながら頷いた。
「今日は気づくのが早かったね」
「驚いた」
相変わらずぽかんとした顔をしたまま呟いたトウコだったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「髪、切ったんだな」
「約束しただろ?…この間が一緒にした初めての仕事だったから」
今朝、アレックスたちとここへ向かう途中、ミツルが思い出した約束。
―ミツルが初めて荷物持ちとして仕事することになったら。その時に切ろうよ。
トウコとクリフの2人と初めて仕事することになったら切ろうと言っていた前髪。
果たせなかった8年前の約束。
8年前と変わらず、人に目を見られることが嫌で今でも長く伸ばしていた前髪。
頭を撫でながらミツルが笑うと、金髪の男が声を上げた。
「ミツルって、あいつか!神殿でいちゃもんつけてきた、お前がガキの頃にいたクソ護衛団の!」
トウコが笑いながら頷くと、男がげらげら笑い声を上げた。
「髪切ったってレベルじゃねーな!別人だろ!」
「リョウ、お前はミツルが髪切ってなくても絶対分からなかっただろう?」
呆れたように言ったトウコが再びミツルを見て苦笑を浮かべた。
「約束したな。悪い、それもすっかり忘れてた」
トウコがどこか遠いところを見ているような目をして続けた。
「でも…確か、前髪を切ろうって言ったんじゃなかったか?」
今日という日に、トウコが新しい人生の一歩を始めるこの日に、自分も生まれ変わろう。
そう思ったミツルは、こげ茶の髪を刈り上げて坊主にした。
明るく開けた視界と、スースーする頭がなんだか落ち着かないが、気分は晴れやかだった。
「せっかくだから、前髪だけじゃなくて全部短くしようと思って。…変かな?」
「よく似合ってる」
「…やっと一緒に仕事ができたのに、あの時は悪かった」
「こっちこそ。すっかりミツルのことを忘れちまってた。悪いね」
ミツルが小さく首を振り、「座っても?」と聞くと、微笑んだトウコが頷いた。
トウコに沢山謝らなければと思っていたはずなのに、トウコがそれを望んでいないような気がして、ミツルもまた、もう謝る必要がない気がしてしまい、座ったはいいものの何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
どうしようかと口を開きあぐねていたミツルだったが、ふと思い出したことが1つ。
「その…トウコに1つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「お守り。お守りはどうした?」
トウコがきょとんとした顔をし、すぐに苦笑を浮かべると「懐かしいな」と呟いた。
「ミツル、よくそんなこと覚えてたな。まだある」
「まだ残してるのか?」
「ああ。でも、もうお守りじゃないけどな」
「なんだよ、トウコ。お守りって」
2人が話すのを黙って聞いていた金髪の男が口を挟むと、「背中の傷のことだ」とトウコが笑いながら答えた。
それだけで意味が分かったのか、金髪の男が笑い声を上げた。
「馬鹿だな、お前。あんなもんお守りになんねーだろ。逆にエロいぐらいだ」
「お守りが役立つ前に、私が男どもをぶちのめせるようになるのが早かった」
「お前とヤるのに俺も散々ぶん殴られたからなあ」
金髪の男が大笑いしながらトウコの肩を抱き寄せ耳元に唇を落とすのを、少しだけ胸の痛みを覚えながら見ていたミツルだったが、やがて微笑んで言った。
「トウコ、俺とも腕相撲してくれよ」
楽しそうに笑うトウコと手を組んだ。
トウコのほっそりとした指を見ながら、そういえば子供の頃からこの手で石を握りつぶしていたなと、そう思った時にはテーブルに手がついていた。
ミツルは朗らかな笑い声を上げた。
「トウコ、生きていてくれてよかった。幸せで本当によかった」
心の底からそう言うと、トウコが綻ぶような笑顔を見せた。
「ありがとう。ミツルも、生きていてよかった」
少し名残惜しむようにトウコの手を放してミツルが立ち上がった時、少し鼻にかかった甘い声で「トウコー!」という声がし、露出過多のドレスを着た可愛らしい顔立ちの色無しの女がトウコの胸に飛び込むようにして抱き付いた。
「トウコ!結婚しちゃうなんて!しかもリョウと!なんで!」
「キャス!この野郎!トウコの胸を揉むな!ぶち殺すぞ!」
「なによ!リョウの馬鹿!ずっとトウコを独り占めしてた分際で、更に結婚なんて!馬鹿!でもトウコとっても綺麗!なんでリョウなのー!」
色無しの女と金髪の男がぎゃあぎゃあと言い合うのを、苦笑しながら止めるトウコに軽く手を上げてミツルはその場を離れた。
スキンヘッドの大男に全員負けたらしいアレックスたちの元へ向かっていると、プラチナブロンドの髪をオールバックに撫でつけた、ターコイズブルーの冷ややかな目をした40代半ばの微笑を浮かべた男と、茶に近い金髪をきっちりと結い上げ、緑がかった青の目に細いフレームの眼鏡をかけた無表情の女が店に入って来た。
「…こっちまで馬鹿が移りそうな惨状だね。あんな馬鹿な新郎と新婦は初めてだ」
「折角なので、トウコさんと腕相撲されては?」
「僕はあの脳筋共とは違うからね。腕が破壊されてしまう」
「いい勝負をされると思いますが」
「ミラ、やめてくれたまえ」
男と女は平坦な声で言い合いながら、トウコたちの元へ向かって行った。
しばらくアレックスたちと飲んでいると、賑やかだった店内がこれまでと少し異なる騒めきに変わり、不思議に思ったミツルが店内を見渡すと、切れ長の黒の目の下に泣きぼくろがある妖艶で浮世離れした美しい色無しの女と、同じく色無しの清楚なのだが、どこか不思議な色気のある綺麗な女が店に入ってくるところだった。
アレックスが小さく口笛を吹きながら「アイシャか」と呟くのを聞きながら、ミツルが2人の色無しの女を目で追っていると、清楚な雰囲気のある女が少し涙ぐみながらトウコに抱き着き、トウコは嬉しそうにその女の頭を撫でていた。
色の無い者、色のある者、綺麗な色の者、そうでない者。
皆一様にトウコを取り囲み楽しそうにしている。
この街に来たときは何の感慨もなかったが、ここへ最後に流れ着いて本当に良かったと思う。
トウコがここで自由に生き、そして幸せになったように、自分も過去を捨て幸せになろう。
店の奥からのっそりと出てきた、大柄な体にエプロンを付けた、顔に大きな傷のある男とトウコが腕相撲をするのを、この日トウコたちを祝福するために集まった人々と一緒にミツルは歓声を上げた。
この日初めて、色無しと呼ばれた元少年は、色無しの元少女のように前を向いた。
見上げた視線の先は、抜けるような青空。
眩しい太陽の光にミツルは少し目を細めた。
また気持ちのいい風が吹き、ミツルの額を優しく撫でた。
その感触が少しくすぐったいような、落ち着かないような気持になり、思わず額を押さえようとしたが、両脇に酒の入った大きな樽を抱えているため、押さえることはできなかった。
空はこんなに広かったんだな。
そう思いながら、ミツルは歩き出した。
トウコと再会を果たしたあの日から半年以上が経ったが、あれから結局トウコとは会っていなかった。
今日は、アレックスたちとある場所へ出かける用事があり、皆と向かっていたのだが、その途中でミツルは唐突にとある約束を思い出した。
「悪い。先に行っててくれ」
足を止め、そう言ったミツルにアレックスをはじめ皆が「なんだよミツル。怖気づいたのか?」と言ってきたが、「そうじゃない。ちょっと約束を思い出したんだ。ちゃんと後から行くから」と苦笑しながら返し、来た道を戻った。
そして、その約束を終えたミツルは、皆と合流するために再びその場所へ向かっている途中だった。
3区の商業エリアの中でも、酒を出す店が多く立ち並ぶ区画。
店の性質上、昼間のこの時間帯は多くの店が開店前で閉まっている中、1軒だけぽつんと開いている店があった。
店の中から賑やかで楽しそうな声に紛れて、アレックスの豪快な笑い声が聞こえてきた。
少し早くなった鼓動を無視して、ミツルはその店に近づいた。
店に近づくにつれて大きくなる賑やかな声と、自分の鼓動。
扉が開け放たれた店の入り口から、少し緊張した面持ちで店内を覗き込んだミツルだったが、店の中央で騒いでいる人物が目に入った途端、思わず吹き出してしまった。
すっかり肩の力が抜けたミツルは店に入ると、こちらも賑やかに騒いでいたアレックスたちに声をかけた。
「お!やっと来たかミ…ツル…?」
振り返ったアレックスが、途中で言葉を途切れさせて唖然とした表情で絶句した。
他の仲間たちも同様にミツルを見て固まっている。
皆のその様子に少し気恥ずかしくなったミツルが、頭を掻きながら苦笑を浮かべると、アレックスがいつものように豪快に笑った。
「いいじゃねーか!おい!」
ばしばしと背中を叩きながらアレックスがそう言い、仲間たちも笑顔でミツルの体のあちこちを叩きながら誉めてくれた。
「酒の樽は適当にその辺に置いとけ!みんなガンガン飲んでいくから減りがはええんだよ。まあ、一番飲んでるのはあいつらだけどな!」
アレックスがそう言いながら、店の中央で騒いでいる2人の人物を指さす。
そちらに目をやったミツルが小さく笑うと、アレックスも笑いながら言葉を続けた。
「ひでえよなあ、あいつら。まあ、あの馬鹿2人らしいけどな」
アレックスの楽しそうな言葉に、仲間も皆笑顔で頷いている。
視線の先には、真っ白なドレスを着たトウコ。
綺麗に結い上げられた髪に紫の花飾り。
大きく開いた胸元の空色の石、耳元では同じ色の石が揺れていた。
着飾ったトウコは、これまでミツルが見た中で一番美しかったが、しかしそのトウコは今、酒を片手に何故か茶色がかった金髪を刈り込んだ大柄な男と腕相撲をしていた。
組んだ2人の手は中央でぴくりともしないが、大柄な男が苦しそうに顔を歪めているのに対して、トウコは余裕の顔でもう片方の手に握ったグラスを傾けている。
トウコの隣では、白いシャツの襟元をだらしなく開け、袖を腕までまくったあの金髪の男が、こちらも酒を片手にげらげらと笑い声を上げていた。
テーブルの片隅に雑に丸められたシルバーのタキシードの上着と、紫のネクタイが放置されており、良く見ると足を組んで座っているトウコの片足は裸足で、白いヒールの高い靴がころんと足元に転がっていた。
酒を喉に流し込んだトウコがにやりとした瞬間、男の手がテーブルに叩き付けられ、2人の周りを取り囲んでいた者たちが歓声を上げた。
その中には、トウコたちの荷物持ちをしていた男と、ドライバーの少女がおり、楽しそうに声を上げて笑っていた。
2人を取り囲んでいた人々の中から、金髪の男にどことなく雰囲気が似ている褐色の肌の男が出て来て、金髪の男の前に座る。
金髪の男が不敵な笑みを浮かべ、2人が手を組むと更に歓声が大きくなった。金髪の男に勝負を挑んだ男の後ろには、プラチナブロンドの髪を結い上げ、瑠璃色の瞳をした綺麗な女が少しハラハラした顔で立っていた。
「最初はマリーが、トウコもリョウもちゃんとしろって怒ってたんだけどな。特にトウコには、その恰好で煙草吸うなって怒鳴ってたけど、あいつらげらげら笑うだけで聞きやしねえ」
アレックスが笑いながら言うと、仲間の1人が後を引き継いだ。
「結局、散々怒鳴ってたマリーもあれだしな。やっぱ破壊屋は馬鹿だな」
トウコと金髪の男の隣のテーブルでも、スキンヘッドの大男が腕相撲をしており、そちらも盛り上がっていた。
そこにはあの神殿で護衛をしていたデニスとその仲間2人、更に護衛対象だった研究員の小太りの男がおり、小太りの男の隣には大きな眼鏡を掛けた、少女のようなまだ若い女がいた。デニス以外の4人は楽しそうにしているが、何故かデニスは少し恐怖に引き攣った顔で、トウコたちの方を窺っていた。
「アレックスたちは参加しなくていいの?」
笑いながらミツルがそう言うと、「俺はもうトウコに挑んで負けて来たぞ!こいつらも全員挑んで完敗だ!」とアレックスが即答し、ミツルはまた噴き出した。
その時、腕相撲の勝負がついたようで、スキンヘッドの大男が両腕を上げて野太い雄叫びを上げ、何故か端正な顔立ちをした色無しの男が歓声を上げて抱き付いていた。
「よっしゃ。俺たちもマリーに挑むとするか。お前はトウコにぶちのめされて来いよ」
ミツルは笑いながら頷き、トウコたちのテーブルへ向かった。
金髪の男が咥えた煙草を、すかさず奪い取って口に咥えたトウコに向かってミツルは声をかけた。
「トウコ、おめでとう。」
スキンヘッドの男の方を見ていたトウコが笑顔のままミツルの顔を見上げると、少し不思議そうな顔をして小首を傾げた。
金髪の男もこちらを振り返り、あからさまに「誰だこいつ」という表情を浮かべてミツルを見ていた。
まじまじとミツルの顔を見上げていたトウコが、目を見開く。
その口からぽろりと煙草が落ち、真っ白なドレスの膝の上に落ちた。
「うお!トウコ!お前なに煙草落としてんだよ!ドレス焦がしたらマリーにマジでぶっ殺されるぞ!」
慌てて煙草を拾った金髪の男が怒鳴ったが、トウコはぽかんとしたままミツルの顔を見上げ続けていた。
「…お前、まさかミツルか?」
ミツルは笑いながら頷いた。
「今日は気づくのが早かったね」
「驚いた」
相変わらずぽかんとした顔をしたまま呟いたトウコだったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「髪、切ったんだな」
「約束しただろ?…この間が一緒にした初めての仕事だったから」
今朝、アレックスたちとここへ向かう途中、ミツルが思い出した約束。
―ミツルが初めて荷物持ちとして仕事することになったら。その時に切ろうよ。
トウコとクリフの2人と初めて仕事することになったら切ろうと言っていた前髪。
果たせなかった8年前の約束。
8年前と変わらず、人に目を見られることが嫌で今でも長く伸ばしていた前髪。
頭を撫でながらミツルが笑うと、金髪の男が声を上げた。
「ミツルって、あいつか!神殿でいちゃもんつけてきた、お前がガキの頃にいたクソ護衛団の!」
トウコが笑いながら頷くと、男がげらげら笑い声を上げた。
「髪切ったってレベルじゃねーな!別人だろ!」
「リョウ、お前はミツルが髪切ってなくても絶対分からなかっただろう?」
呆れたように言ったトウコが再びミツルを見て苦笑を浮かべた。
「約束したな。悪い、それもすっかり忘れてた」
トウコがどこか遠いところを見ているような目をして続けた。
「でも…確か、前髪を切ろうって言ったんじゃなかったか?」
今日という日に、トウコが新しい人生の一歩を始めるこの日に、自分も生まれ変わろう。
そう思ったミツルは、こげ茶の髪を刈り上げて坊主にした。
明るく開けた視界と、スースーする頭がなんだか落ち着かないが、気分は晴れやかだった。
「せっかくだから、前髪だけじゃなくて全部短くしようと思って。…変かな?」
「よく似合ってる」
「…やっと一緒に仕事ができたのに、あの時は悪かった」
「こっちこそ。すっかりミツルのことを忘れちまってた。悪いね」
ミツルが小さく首を振り、「座っても?」と聞くと、微笑んだトウコが頷いた。
トウコに沢山謝らなければと思っていたはずなのに、トウコがそれを望んでいないような気がして、ミツルもまた、もう謝る必要がない気がしてしまい、座ったはいいものの何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
どうしようかと口を開きあぐねていたミツルだったが、ふと思い出したことが1つ。
「その…トウコに1つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「お守り。お守りはどうした?」
トウコがきょとんとした顔をし、すぐに苦笑を浮かべると「懐かしいな」と呟いた。
「ミツル、よくそんなこと覚えてたな。まだある」
「まだ残してるのか?」
「ああ。でも、もうお守りじゃないけどな」
「なんだよ、トウコ。お守りって」
2人が話すのを黙って聞いていた金髪の男が口を挟むと、「背中の傷のことだ」とトウコが笑いながら答えた。
それだけで意味が分かったのか、金髪の男が笑い声を上げた。
「馬鹿だな、お前。あんなもんお守りになんねーだろ。逆にエロいぐらいだ」
「お守りが役立つ前に、私が男どもをぶちのめせるようになるのが早かった」
「お前とヤるのに俺も散々ぶん殴られたからなあ」
金髪の男が大笑いしながらトウコの肩を抱き寄せ耳元に唇を落とすのを、少しだけ胸の痛みを覚えながら見ていたミツルだったが、やがて微笑んで言った。
「トウコ、俺とも腕相撲してくれよ」
楽しそうに笑うトウコと手を組んだ。
トウコのほっそりとした指を見ながら、そういえば子供の頃からこの手で石を握りつぶしていたなと、そう思った時にはテーブルに手がついていた。
ミツルは朗らかな笑い声を上げた。
「トウコ、生きていてくれてよかった。幸せで本当によかった」
心の底からそう言うと、トウコが綻ぶような笑顔を見せた。
「ありがとう。ミツルも、生きていてよかった」
少し名残惜しむようにトウコの手を放してミツルが立ち上がった時、少し鼻にかかった甘い声で「トウコー!」という声がし、露出過多のドレスを着た可愛らしい顔立ちの色無しの女がトウコの胸に飛び込むようにして抱き付いた。
「トウコ!結婚しちゃうなんて!しかもリョウと!なんで!」
「キャス!この野郎!トウコの胸を揉むな!ぶち殺すぞ!」
「なによ!リョウの馬鹿!ずっとトウコを独り占めしてた分際で、更に結婚なんて!馬鹿!でもトウコとっても綺麗!なんでリョウなのー!」
色無しの女と金髪の男がぎゃあぎゃあと言い合うのを、苦笑しながら止めるトウコに軽く手を上げてミツルはその場を離れた。
スキンヘッドの大男に全員負けたらしいアレックスたちの元へ向かっていると、プラチナブロンドの髪をオールバックに撫でつけた、ターコイズブルーの冷ややかな目をした40代半ばの微笑を浮かべた男と、茶に近い金髪をきっちりと結い上げ、緑がかった青の目に細いフレームの眼鏡をかけた無表情の女が店に入って来た。
「…こっちまで馬鹿が移りそうな惨状だね。あんな馬鹿な新郎と新婦は初めてだ」
「折角なので、トウコさんと腕相撲されては?」
「僕はあの脳筋共とは違うからね。腕が破壊されてしまう」
「いい勝負をされると思いますが」
「ミラ、やめてくれたまえ」
男と女は平坦な声で言い合いながら、トウコたちの元へ向かって行った。
しばらくアレックスたちと飲んでいると、賑やかだった店内がこれまでと少し異なる騒めきに変わり、不思議に思ったミツルが店内を見渡すと、切れ長の黒の目の下に泣きぼくろがある妖艶で浮世離れした美しい色無しの女と、同じく色無しの清楚なのだが、どこか不思議な色気のある綺麗な女が店に入ってくるところだった。
アレックスが小さく口笛を吹きながら「アイシャか」と呟くのを聞きながら、ミツルが2人の色無しの女を目で追っていると、清楚な雰囲気のある女が少し涙ぐみながらトウコに抱き着き、トウコは嬉しそうにその女の頭を撫でていた。
色の無い者、色のある者、綺麗な色の者、そうでない者。
皆一様にトウコを取り囲み楽しそうにしている。
この街に来たときは何の感慨もなかったが、ここへ最後に流れ着いて本当に良かったと思う。
トウコがここで自由に生き、そして幸せになったように、自分も過去を捨て幸せになろう。
店の奥からのっそりと出てきた、大柄な体にエプロンを付けた、顔に大きな傷のある男とトウコが腕相撲をするのを、この日トウコたちを祝福するために集まった人々と一緒にミツルは歓声を上げた。
この日初めて、色無しと呼ばれた元少年は、色無しの元少女のように前を向いた。
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