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138 モルモットの最後
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暗闇の中では通路はより迷路のように感じられる。手前のドアから順にあけていくと、施錠された部屋に行き当たった。スマホのライトで照らす。ただのスライドドアだが、目線の高さがアクリル板のため室内の様子がわかる。ライトで室内を確かめたが、ここも空振りかと思ったその時、咳き込む声が聞こえた。
いる。
しかしドアがあかない。冬次は室内にもう一つドアがあるのに気づき、急いで隣の部屋に移動した。繋がっているかもしれないという冬次の予想は大当たりだ。スマホと拳銃を放りなげて床に倒れた谷峨に駆けよった。
「谷峨先輩⋯⋯!」
谷峨が気怠そうに瞼を持ちあげる。
「冬次くん。君が来てしまったか」
手遅れにならず良かったが、谷峨の顔色はすでにすこぶる悪い。唇はガサガサで異常に白く蝋人形を思わせた。一刻も早く救急車を手配しなければ死んでしまう。
「病院に行きますよ」
「ごほっ、俺の努力を台無しにしないでほしいね」
「死ぬ努力なんてしないでください」
体の下に手を入れて谷峨を抱きおこす。
「座間に死ぬ手伝いなんてさせないでください」
冬次がそう言うと、谷峨は体をひねって助けを拒否した。しかし弱った体で受け身を取ることができず、頭を床に打ちつけながら転がった。
「はぁ、はぁ、俺と、啓の話だろう」
「二人とも助けたいんです」
冬次は死んでしまいそうな谷峨を見ていられずお節介をやいて近づく。
「傲慢だな、君は。調子にのるなよ」
谷峨は肘でズリズリと壁まで這って上半身を持ちあげたが、壁に背中をもたれないと座れないくらいに消耗しており、その動作だけで呼吸が苦しそうに顔を歪めた。
冬次は谷峨と距離を詰めるのをやめる。可哀想な獲物を追い詰めているようで冬次の意思に反した。
それと同時に説得もやんだので、谷峨が歪めた顔を冬次に向けた。
「自分の力でなんでもできると思って乗りこんで来たくせに、罵られたくらいで自信を失ったのかい?」
冬次は肩をすくめる。
「実はそうなんです。先輩には自分の意思でバース性を捨ててほしいので」
視線を廊下へやる。ドアの陰に隠れて座間がいた。谷峨は気づいていない。
「俺にバース性抹消薬を使えと?」
「うん。そうすれば万事解決しませんか?」
すると谷峨が嘲笑する。
「無理なんだよ」
「使いたくないからですか」
「ふっ、俺の体の欠点をもう知ってるよね。俺は骨の髄までバース性因子に支配されてる。狂犬病患者が水を恐れるように、俺の体はバース性抹消薬を恐れてしまうから。バース性の本能に逆らおうと考えるだけで自分が自分でいられなくなる⋯⋯から、使えないんだ」
そう口にしただけで谷峨はおもむろにブルブルと震えだし、腕を掻きむしり、爪を噛みはじめた。
「はぁ、はぁ、はぁ、これだけでこのザマだよ。呪縛から解放されるには死ぬしかない」
「あのツーショット写真から逃げたのはそのせいっすか」
「俺はあれを直視できない。俺の体はオメガしか受けつけない」
「とても幸せそうに笑ってたのに」
「はぁ⋯⋯もうやめてくれ」
笑顔で写った彼と座間を思い出したのか、谷峨が怯えだし頭を抱える。
冬次は部屋の外を気にしながら言った。
「死んであなたが解放されても残された人はずっと苦しいままです。それでも逃げる選択肢を選ぶんですか。自分だけが解放されて喜べるなら、そんなのはただのオナニーと同じじゃん。座間が好きで苦しいみたいな顔しないでほしいですけど」
ひどいことを言ったという自覚はあったが、座間がそこにいると思うと谷峨を責める言葉が喉から引きずり出されていた。
「・・・・・・啓は納得してくれたさ」
「好きな人がいなくなってもいいって本気で思うやつがこの世にいると思いますか。どんな思いで先輩の望みを尊重したかわかりますか。どんな思いであなたとの約束を守ろうとしたか。俺は、好きな人に会えなくなることがどれだけ苦しいかを知ってます」
冬次は体の横でグッと拳をにぎった。
「先輩はそんな俺を見てきたんですよね・・・・・・、んな簡単に割り切れないんすよ」
南雲の亡霊に取り憑かれてきた冬次だからこそ説得に力が入る。
谷峨は全てを諦めた目をした。
「俺はここで死にたい」
そう言って、谷峨の虚ろな目が床をさまよう。
「考えなおしてくれませんか」
「もうこの場所で終わりにしたいんだよ」
谷峨は壁に頭を預けて目を閉じた。その顔は穏やかな表情だった。
直後、激しく咳きこみだすと、糸が切れたように口元にあてていた手が床へ落ちる。
「マジかよっ」
冬次が駆け寄ろうとしたよりも先に飛びこんできたのは座間だ。
やっぱり受け入れることなんてできないのだ。座間は血走った目で谷峨を抱きあげて名前を呼ぶ。冬次は我を忘れて谷峨を揺さぶり起こそうとする座間にしばし呆気に取られてしまったが、彼をなだめるために肩をつかんだ。
「落ち着け。まだ息はあるか?」
座間は血走った目を冬次に向けたあと、谷峨を優しく床に寝かせる。
谷峨の胸はかすかだが上下に動いていた。まだ息があるようだ。
冬次は座間と共に名前を呼びかけた。
うっすらと、瞼がもちあがる。
「啓・・・・・・」
うん、と座間が谷峨の手を握った。冬次の目の前で谷峨はその手に小さな動作のそぶりを見せると力尽きて瞼を閉じた。
谷峨が座間の手を握り返そうとしたのか振り払おうとしたのか、迷うような一瞬の動きが冬次の心と目に焼きついた。
いる。
しかしドアがあかない。冬次は室内にもう一つドアがあるのに気づき、急いで隣の部屋に移動した。繋がっているかもしれないという冬次の予想は大当たりだ。スマホと拳銃を放りなげて床に倒れた谷峨に駆けよった。
「谷峨先輩⋯⋯!」
谷峨が気怠そうに瞼を持ちあげる。
「冬次くん。君が来てしまったか」
手遅れにならず良かったが、谷峨の顔色はすでにすこぶる悪い。唇はガサガサで異常に白く蝋人形を思わせた。一刻も早く救急車を手配しなければ死んでしまう。
「病院に行きますよ」
「ごほっ、俺の努力を台無しにしないでほしいね」
「死ぬ努力なんてしないでください」
体の下に手を入れて谷峨を抱きおこす。
「座間に死ぬ手伝いなんてさせないでください」
冬次がそう言うと、谷峨は体をひねって助けを拒否した。しかし弱った体で受け身を取ることができず、頭を床に打ちつけながら転がった。
「はぁ、はぁ、俺と、啓の話だろう」
「二人とも助けたいんです」
冬次は死んでしまいそうな谷峨を見ていられずお節介をやいて近づく。
「傲慢だな、君は。調子にのるなよ」
谷峨は肘でズリズリと壁まで這って上半身を持ちあげたが、壁に背中をもたれないと座れないくらいに消耗しており、その動作だけで呼吸が苦しそうに顔を歪めた。
冬次は谷峨と距離を詰めるのをやめる。可哀想な獲物を追い詰めているようで冬次の意思に反した。
それと同時に説得もやんだので、谷峨が歪めた顔を冬次に向けた。
「自分の力でなんでもできると思って乗りこんで来たくせに、罵られたくらいで自信を失ったのかい?」
冬次は肩をすくめる。
「実はそうなんです。先輩には自分の意思でバース性を捨ててほしいので」
視線を廊下へやる。ドアの陰に隠れて座間がいた。谷峨は気づいていない。
「俺にバース性抹消薬を使えと?」
「うん。そうすれば万事解決しませんか?」
すると谷峨が嘲笑する。
「無理なんだよ」
「使いたくないからですか」
「ふっ、俺の体の欠点をもう知ってるよね。俺は骨の髄までバース性因子に支配されてる。狂犬病患者が水を恐れるように、俺の体はバース性抹消薬を恐れてしまうから。バース性の本能に逆らおうと考えるだけで自分が自分でいられなくなる⋯⋯から、使えないんだ」
そう口にしただけで谷峨はおもむろにブルブルと震えだし、腕を掻きむしり、爪を噛みはじめた。
「はぁ、はぁ、はぁ、これだけでこのザマだよ。呪縛から解放されるには死ぬしかない」
「あのツーショット写真から逃げたのはそのせいっすか」
「俺はあれを直視できない。俺の体はオメガしか受けつけない」
「とても幸せそうに笑ってたのに」
「はぁ⋯⋯もうやめてくれ」
笑顔で写った彼と座間を思い出したのか、谷峨が怯えだし頭を抱える。
冬次は部屋の外を気にしながら言った。
「死んであなたが解放されても残された人はずっと苦しいままです。それでも逃げる選択肢を選ぶんですか。自分だけが解放されて喜べるなら、そんなのはただのオナニーと同じじゃん。座間が好きで苦しいみたいな顔しないでほしいですけど」
ひどいことを言ったという自覚はあったが、座間がそこにいると思うと谷峨を責める言葉が喉から引きずり出されていた。
「・・・・・・啓は納得してくれたさ」
「好きな人がいなくなってもいいって本気で思うやつがこの世にいると思いますか。どんな思いで先輩の望みを尊重したかわかりますか。どんな思いであなたとの約束を守ろうとしたか。俺は、好きな人に会えなくなることがどれだけ苦しいかを知ってます」
冬次は体の横でグッと拳をにぎった。
「先輩はそんな俺を見てきたんですよね・・・・・・、んな簡単に割り切れないんすよ」
南雲の亡霊に取り憑かれてきた冬次だからこそ説得に力が入る。
谷峨は全てを諦めた目をした。
「俺はここで死にたい」
そう言って、谷峨の虚ろな目が床をさまよう。
「考えなおしてくれませんか」
「もうこの場所で終わりにしたいんだよ」
谷峨は壁に頭を預けて目を閉じた。その顔は穏やかな表情だった。
直後、激しく咳きこみだすと、糸が切れたように口元にあてていた手が床へ落ちる。
「マジかよっ」
冬次が駆け寄ろうとしたよりも先に飛びこんできたのは座間だ。
やっぱり受け入れることなんてできないのだ。座間は血走った目で谷峨を抱きあげて名前を呼ぶ。冬次は我を忘れて谷峨を揺さぶり起こそうとする座間にしばし呆気に取られてしまったが、彼をなだめるために肩をつかんだ。
「落ち着け。まだ息はあるか?」
座間は血走った目を冬次に向けたあと、谷峨を優しく床に寝かせる。
谷峨の胸はかすかだが上下に動いていた。まだ息があるようだ。
冬次は座間と共に名前を呼びかけた。
うっすらと、瞼がもちあがる。
「啓・・・・・・」
うん、と座間が谷峨の手を握った。冬次の目の前で谷峨はその手に小さな動作のそぶりを見せると力尽きて瞼を閉じた。
谷峨が座間の手を握り返そうとしたのか振り払おうとしたのか、迷うような一瞬の動きが冬次の心と目に焼きついた。
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