32 / 139
32 あれから
しおりを挟む
十七年後。
うららかな春の訪れ。今年は雪が降らずに終わった。季節は幾度も巡り、冬次の心の寒空をよそにこの街には必ず春がやってくる。
南雲が出て行ったあの日から当然なんの音沙汰もない。南雲涼という人間がこの世に誕生したのかどうか冬次が探せる範囲で調べているけれど、手がかりは掴めず、もし生まれていれば今年であの頃の冬次の年齢を越えている。
一般的な教育システムに則って生活しているならの話だが、早生まれの南雲が来年の春に高校を卒業してしまうと、居場所を追う手立てが少なくなり、より探し出すのは難しくなるだろう。保育所からこれまで教育機関を中心に探し続けて見つけられない時点で、すでに詰んでいるのかもしれないが。学校に通ったことがないという南雲のあの言葉を、掘り下げて訊いておくんだったと後悔しない日はなかった。
あなたは今、どこにいますか。
あなたがいない間に俺はすっかりオッサンになっちゃったよ。
大人になり、相棒だったチャリは乗用車に乗りかえた。ハンドルを握り、アクセルを踏みこむ。汗をかきながらペダルを漕いで何度も通った道を走った。運転席の窓から見える景色は毎日のように通っていても懐かしさをもたらしてくれる。不動産事務所の駐車場に車を停めると、降りた直後に弾むようなヒールの音を鳴らして事務員の金子が駆け寄ってくる。
「おはようございます社長。今日は藤井さんのお宅行かれますか?」
「行くけど」
「これを。祖父から酒を持ってけと言われまして」
渡された紙袋には有名どころの酒造所の日本酒が入っていた。彼女の実家と事務所の付き合いは長い。
「ありがとう。預かるよ。いつも申しわけないね」
「いえいえ。祖父は前社長にはお世話になりっぱなしだったって言ってますから。そうだ。それと、キャベツ」
「キャベツ?」
「はい。近所のおばあちゃんの畑からたくさんキャベツいただいたので、ついでにお裾分けお願いできますか?」
「あー、ははっ、三丁目のセキさんでしょ」
「そうですそうです。ついさっき柴犬ちゃんの散歩の途中で寄ってくださって。こーんなに袋いっぱいに」
「ははは、ありがたいね」
おじさんとおばさんが亡くなり冬次が社長を継いでからも、事務所を贔屓してくれる地元の人たちの温情に感謝は計りしれない。
できる限りおじさんがいた頃のままに、気兼ねなく気軽に立ち寄っていける店作りをしていくことが今の冬次の仕事だ。
「俺コンビニでコーヒー買ってくけど、どうする? お礼にお菓子買ってあげるよ」
「じゃあ高いやつにしまーす」
「いいよ」
半年前に斜め向かいのビルに新しくできたコンビニに入り、まっすぐレジでコーヒー用の紙カップを買う。淹れたてのコーヒーを冷ましつつ、マシンの横で待っていると、レジ台の空いたスペースにチョコレートの箱がスッと滑るように置かれた。
「えっ?」
自分に向けられたものだと初めは思わず、首を傾げ左右に目線をやる。
「新商品なんです。よかったらどうぞ」
「俺に言ってる?」
コンビニ店員が冬次に対して頷いた。前髪で目が隠れた小柄な青年は店員と客として初対面じゃないはずだけど印象が薄い。躊躇っていると、箱を再度差し出される。
「いやぁ、でも」
驚いたのと明らかな下心がダダ漏れしていたため、受け取るには少々勇気がいった。しかし他の客が見ている前で断るのは、もっと勇気がいる。この店員に恥をかかせてしまうのと、下心を受け取った後のいざこざを考え、どちらが面倒か判断がつきかねた。
「ごめんなさい。お待たせしてしまいました」
「ああ、決まった?」
いいところに金子が来てくれた。彼女はチョコレートの箱に気づき、店員と冬次を順番に見る。そんな彼女にだけ見えるように、冬次は手を合わせお願いのポーズを取った。
「そのチョコレート美味しいですよね、私がもらってもいいですか?」
「構わないよ」
冬次はホッと息を吐き、店員に「ありがとう」と囁く。店員は微妙な表情から頬を赤らめた。
「——助かった。変な頼みしてごめん」
コンビニを出た途端、肩の力が抜ける。目線よりわずかに下の方で新商品だというチョコレートの赤いパッケージがチラチラ揺れた。
「気にしないでください。本当に食べてみたいって思ってたのでラッキーでした。それより完全に狙われてますね、社長。あの子オメガで、常連のお客さんから職場前で待ち伏せられて告白されたりしてるって。どうするんです?」
「俺は性別にこだわりはないんだよ」
というか、未だに南雲以外に恋愛感情を抱いた経験がない。
「社長アルファですよね。アルファはオメガと結ばれるのがいいってみんな言ってますよ?」
「今どきの若い子は昔の人みたいなこと言うんだね」
「太古の運命論が再燃してるんですよ。ブームなんです。ほら、今話題の谷峨くらげ先生の恋愛小説の影響らしいです」
「太古・・・・・・ねぇ。谷峨先輩が・・・・・・」
「もしかして谷峨くらげ先生とお知り合いですか?」
「ちょっとね」
見かけたことがあるくらいだと、嘘をつく。興味津々に訊ねてくる金子を笑顔で交わした。
うららかな春の訪れ。今年は雪が降らずに終わった。季節は幾度も巡り、冬次の心の寒空をよそにこの街には必ず春がやってくる。
南雲が出て行ったあの日から当然なんの音沙汰もない。南雲涼という人間がこの世に誕生したのかどうか冬次が探せる範囲で調べているけれど、手がかりは掴めず、もし生まれていれば今年であの頃の冬次の年齢を越えている。
一般的な教育システムに則って生活しているならの話だが、早生まれの南雲が来年の春に高校を卒業してしまうと、居場所を追う手立てが少なくなり、より探し出すのは難しくなるだろう。保育所からこれまで教育機関を中心に探し続けて見つけられない時点で、すでに詰んでいるのかもしれないが。学校に通ったことがないという南雲のあの言葉を、掘り下げて訊いておくんだったと後悔しない日はなかった。
あなたは今、どこにいますか。
あなたがいない間に俺はすっかりオッサンになっちゃったよ。
大人になり、相棒だったチャリは乗用車に乗りかえた。ハンドルを握り、アクセルを踏みこむ。汗をかきながらペダルを漕いで何度も通った道を走った。運転席の窓から見える景色は毎日のように通っていても懐かしさをもたらしてくれる。不動産事務所の駐車場に車を停めると、降りた直後に弾むようなヒールの音を鳴らして事務員の金子が駆け寄ってくる。
「おはようございます社長。今日は藤井さんのお宅行かれますか?」
「行くけど」
「これを。祖父から酒を持ってけと言われまして」
渡された紙袋には有名どころの酒造所の日本酒が入っていた。彼女の実家と事務所の付き合いは長い。
「ありがとう。預かるよ。いつも申しわけないね」
「いえいえ。祖父は前社長にはお世話になりっぱなしだったって言ってますから。そうだ。それと、キャベツ」
「キャベツ?」
「はい。近所のおばあちゃんの畑からたくさんキャベツいただいたので、ついでにお裾分けお願いできますか?」
「あー、ははっ、三丁目のセキさんでしょ」
「そうですそうです。ついさっき柴犬ちゃんの散歩の途中で寄ってくださって。こーんなに袋いっぱいに」
「ははは、ありがたいね」
おじさんとおばさんが亡くなり冬次が社長を継いでからも、事務所を贔屓してくれる地元の人たちの温情に感謝は計りしれない。
できる限りおじさんがいた頃のままに、気兼ねなく気軽に立ち寄っていける店作りをしていくことが今の冬次の仕事だ。
「俺コンビニでコーヒー買ってくけど、どうする? お礼にお菓子買ってあげるよ」
「じゃあ高いやつにしまーす」
「いいよ」
半年前に斜め向かいのビルに新しくできたコンビニに入り、まっすぐレジでコーヒー用の紙カップを買う。淹れたてのコーヒーを冷ましつつ、マシンの横で待っていると、レジ台の空いたスペースにチョコレートの箱がスッと滑るように置かれた。
「えっ?」
自分に向けられたものだと初めは思わず、首を傾げ左右に目線をやる。
「新商品なんです。よかったらどうぞ」
「俺に言ってる?」
コンビニ店員が冬次に対して頷いた。前髪で目が隠れた小柄な青年は店員と客として初対面じゃないはずだけど印象が薄い。躊躇っていると、箱を再度差し出される。
「いやぁ、でも」
驚いたのと明らかな下心がダダ漏れしていたため、受け取るには少々勇気がいった。しかし他の客が見ている前で断るのは、もっと勇気がいる。この店員に恥をかかせてしまうのと、下心を受け取った後のいざこざを考え、どちらが面倒か判断がつきかねた。
「ごめんなさい。お待たせしてしまいました」
「ああ、決まった?」
いいところに金子が来てくれた。彼女はチョコレートの箱に気づき、店員と冬次を順番に見る。そんな彼女にだけ見えるように、冬次は手を合わせお願いのポーズを取った。
「そのチョコレート美味しいですよね、私がもらってもいいですか?」
「構わないよ」
冬次はホッと息を吐き、店員に「ありがとう」と囁く。店員は微妙な表情から頬を赤らめた。
「——助かった。変な頼みしてごめん」
コンビニを出た途端、肩の力が抜ける。目線よりわずかに下の方で新商品だというチョコレートの赤いパッケージがチラチラ揺れた。
「気にしないでください。本当に食べてみたいって思ってたのでラッキーでした。それより完全に狙われてますね、社長。あの子オメガで、常連のお客さんから職場前で待ち伏せられて告白されたりしてるって。どうするんです?」
「俺は性別にこだわりはないんだよ」
というか、未だに南雲以外に恋愛感情を抱いた経験がない。
「社長アルファですよね。アルファはオメガと結ばれるのがいいってみんな言ってますよ?」
「今どきの若い子は昔の人みたいなこと言うんだね」
「太古の運命論が再燃してるんですよ。ブームなんです。ほら、今話題の谷峨くらげ先生の恋愛小説の影響らしいです」
「太古・・・・・・ねぇ。谷峨先輩が・・・・・・」
「もしかして谷峨くらげ先生とお知り合いですか?」
「ちょっとね」
見かけたことがあるくらいだと、嘘をつく。興味津々に訊ねてくる金子を笑顔で交わした。
0
あなたにおすすめの小説
久しぶりの発情期に大好きな番と一緒にいるΩ
いち
BL
Ωの丞(たすく)は、自分の番であるαの かじとのことが大好き。
いつものように晩御飯を作りながら、かじとを待っていたある日、丞にヒートの症状が…周期をかじとに把握されているため、万全の用意をされるが恥ずかしさから否定的にな。しかし丞の症状は止まらなくなってしまう。Ωがよしよしされる短編です。
※pixivにも同様の作品を掲載しています
とろけてまざる
ゆなな
BL
綾川雪也(ユキ)はオメガであるが発情抑制剤が良く効くタイプであったため上手に隠して帝都大学附属病院に小児科医として勤務していた。そこでアメリカからやってきた天才外科医だという永瀬和真と出会う。永瀬の前では今まで完全に効いていた抑制剤が全く効かなくて、ユキは初めてアルファを求めるオメガの熱を感じて狂おしく身を焦がす…一方どんなオメガにも心動かされることがなかった永瀬を狂わせるのもユキだけで──
表紙素材http://touch.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=55856941
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
氷の支配者と偽りのベータ。過労で倒れたら冷徹上司(銀狼)に拾われ、極上の溺愛生活が始まりました。
水凪しおん
BL
※この作品には、性的描写の表現が含まれています。18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。
オメガであることを隠し、メガバンクで身を粉にして働く、水瀬湊。
過労と理不尽な扱いで、心身ともに限界を迎えた夜、彼を救ったのは、冷徹で知られる超エリートα、橘蓮だった。
「君はもう、頑張らなくていい」
――それは、運命の番との出会い。
圧倒的な庇護と、独占欲に戸惑いながらも、湊の凍てついた心は、次第に溶かされていく。
理不尽な会社への華麗なる逆転劇と、極上に甘いオメガバース・オフィスラブ!
再会した男は、彼女と結婚したと言った
拓海のり
BL
高校時代、森と園部は部活も一緒で仲が良かったが、副部長の菜南子と園部の噂が立ち、森は二人から遠ざかった。大学を卒業して森は園部と再会するが、その指には結婚指輪があった。
昔書いたお話です。ほとんど直していません。お読みになる際はタグをご確認の上ご覧ください。一万五千字くらいの短編です。
君と運命になっていく
やらぎはら響
BL
母親から冷遇されている町田伊織(まちだいおり)は病気だから薬を欠かさず飲むことを厳命されていた。
ある日倒れて伊織はオメガであり今まで飲むように言われていたのは強い抑制剤だと教えられる。
体調を整えるためにも世界バース保護機関にアルファとのマッチングをするよう言われてしまった。
マッチング相手は外国人のリルトで、大きくて大人の男なのに何だか子犬のように可愛く見えてしまい絆されていく。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
巣作りΩと優しいα
伊達きよ
BL
αとΩの結婚が国によって推奨されている時代。Ωの進は自分の夢を叶えるために、流行りの「愛なしお見合い結婚」をする事にした。相手は、穏やかで優しい杵崎というαの男。好きになるつもりなんてなかったのに、気が付けば杵崎に惹かれていた進。しかし「愛なし結婚」ゆえにその気持ちを伝えられない。
そんなある日、Ωの本能行為である「巣作り」を杵崎に見られてしまい……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる