未来から来た天才オメガ研究者に恋したアルファ高校生の話

豆ぱんダ

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33 十七年来の

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 定時過ぎに事務所を閉めると、頂き物のキャベツと日本酒を持ち、藤井家に向かう。車だと五分とかからない。

「克己さん、来たよ。俺」

 ただいまと言っていた時と変わらない、リラックスした態度で玄関にあがった。冬次が藤井家を出たのは大学を卒業してからだが、決して藤井と仲たがいしたせいでなく今でも冬次の帰る場所でいてくれる。

「おーい、生きてますかー?」

 居間を覗くと、食卓テーブルで仕事中の藤井がいた。

「年寄り扱いするな。忙しいだろう、毎日のように来ないでくれ」
「そんなこと言って嬉しいくせに」

 はいこれ、と頂き物を置く。

「金子さんのおじいちゃんがくれた酒とセキさんの畑で取れたキャベツ」
「毎度悪いな。飲もうか」

 藤井は台所に立ち、戸棚からグラスを四つ取り出した。

「俺は車だから遠慮しとく」
「泊まっていけばいい」

 酒を注いだグラスを二つ、おじさんおばさんの写真の前に供える。

「寂しい中年男のために付き合ってくれよ」
「俺にひとり暮らしさせたの克己さんじゃん」
「いい歳したアルファの未婚男性が一緒に暮らしてたら世間体が悪いんだよ」
「またその話」
「耳にタコがいくつできようと言うぞ」
「あっそ。この時間まで仕事してたみたいだけど邪魔したんじゃない?」

 冬次は一杯付き合うことにして、話題を変えた。

「いや。今日の講義は終わっていたから」
「ならいーけど」

 グラスに注がれた酒を、くいっとやる。雑味の少ない飲み口が喉を焼いた。美味しいものなら他にいくらでもあるのに、これが旨いと思える時が大人になったと感じる瞬間だ。
 藤井と酒を嗜めているのも、しみじみ心にくるものがある。酔いがまわると感情の一つひとつがオーバーになって駄目だ。楽しい思い出も悲しい思い出もぐにゃぐにゃのクリームみたいに脆くなって混ざり合い、最後にはもう一度あの頃に戻りたいなと感傷的な気分になって終わる。

「・・・・・・ねぇ、克己さん、まだ教師に戻ろうとは思えないの?」
「生徒に勉強を教えてるって意味じゃ今も教師だよ」
「あんたにとって教師がそういう意味を指していないことを自分が一番わかってるくせに」
「どうしてこの話するたび冬次が不貞腐れるんだよ。変なやつだな」

 どうして? どうしたって不貞腐れるよ。

「変なやつじゃなくっていいやつだなって言ってよ」

 南雲が去った年に、藤井は教師を辞めた。その後は個別学習の講師を始めて、オンライン講義や家庭教師も行っている。受け持つ生徒の年齢を問わず、幅広い層に門戸を開く藤井は、特に外出を怖がり学校に行けないオメガの子供には重宝されているようで、やりがいはあるのだろう。
 でも教えるということに固執しているうちは前職に心残りがないわけない。
 南雲に浴びせてしまった暴言が跳ね返って藤井を苦しめて、教師でいられなくした。未熟な生徒を教え導く資格がもはや自分にないと責めているのが、口に出して言わないけれどわかる。
 風呂から上がると、藤井が食卓に突っ伏して寝ていた。軟弱な背中じゃないが、こうして酔って眠っているのを見れば時の流れは間違いなくあるのだ。冬次は押入れから毛布を取ってきて藤井の肩にかけてやった。
 定休日は谷峨と会う予定が入っていた。十七年前と変わらない高級マンションに住んでいて、親友というほどでもないが、つかず離れず交流を続けている冬次はインターホンを鳴らすと用件を聞かれずとも自動ドアが解除される。
 迎えたのは寝巻き姿の谷峨。前ボタンタイプのダサいやつ。有名ブランドのルームウェアならまだしもイメージとかけ離れすぎてファンが見たら泣くんじゃないか。
 客が来たので着替えてくるということもしない。寝巻きの上にニットカーディガンだけ羽織ってコーヒーカップを冬次に差し出した。しかし、マネキンの顔形がいいとどんな格好もさまになる。

「シャンパンがよかった?」
「昼間っから飲みません。先輩は今日も家から出ないつもりですね」
「仕事は家でできちゃうし。お腹空いたらデリバリー頼めば持ってきてもらえるし、外出る必要ないからさ。今日は冬次くんいるし?」
「やめてください。使いっ走りは行かないっすよ、俺は」

 マンションの部屋はシアタールームのドアが開いており、スクリーンがつけっぱなしだ。エンドロールで静止している。

「何観てたんですか」
「次回作の参考に泣ける恋愛映画を数本」
「面白かった?」
「まぁね」

 会話が続かず途切れた。沈黙を苦痛に感じる間柄じゃないけど、今日は別のことに気を取られていたため落ち着かない。

「それより今日はどうしたの。冬次くんから急に会いたいなんて珍しい」

 谷峨から切り出してくれてホッとした。

「はい。先輩に訊きたいことがあって。最近、座間っちと連絡を取り合ってますか」

 互いに成長し、渾名で呼称することはほぼなくなった。こうしてたまに呼ぶと高校時代を思い出す。

「いいや。最後に話したのはいつだったかね。覚えてないや」
「そうですか」

 座間と谷峨の関係がよそよそしくなった理由は高校を卒業した年にさかのぼる。きっかけはもっと以前から、例えば高校二年のクリスマス直前頃になるのだろうが、決定打になったのは高校卒業後に座間があのオネェ店長と同棲を始めたこと。
 谷峨と座間と、それからソノちゃんと、腐れ縁の三人に冬次の知らない亀裂が入ったらしい。
 冬次がいくら鈍くても予想はつく、でも谷峨から打ち明けられない限り詮索しない。片想い同盟は想い人不在で停戦状態だ。

「わざわざそんなこと訊きたかったの?」
「違いますよ。だったら座間が同棲やめて引っ越したこと知らないんじゃないかって思いまして」

 停滞していた何かが動き出すきっかけになるだろうかと淡い期待を抱いたが、谷峨の反応は思ったほどじゃなかった。嬉しくないのか。

「へぇ、ついに愛想つかしたんだ」
「どっちがどっちにですか?」
「啓がソノちゃんに。ソノちゃん、同棲は許したけど啓からの告白には返事保留を叩きつけて曖昧にして逃げてたんだよ。本気で相手にされないのに寂しい時だけそばにいてって求められることに嫌気が差したんだろうな。冬次くんは啓から直接聞いてると思ってたけど」
「同棲した経緯やルールなんかはよく聞かされてましたね。愚痴ものろけも色々でしたけど、でも同棲やめたって話はめちゃくちゃ突然。それも引っ越してから事後報告って感じで」
「そう」
「薄情だなぁ。気にならないんですか」
「俺には関係ない話だよ」

 さらりと答え、谷峨は唇に弧を描く。

「話が終わりなら仕事するから帰ってよ」

 谷峨が開けた部屋の中に、執筆用のデスクが見えた。開いたままのパソコンとペン立て、彼の作品が卓上の本棚に並んでいる。

「暇だって言ってたじゃないですか」
「急に忙しくなったんだ」
「ひどい言いわけ。したくない話ならもうしないです」

 呆れながらドアに手をかけた。谷峨は肩をすくめ、冬次に入室を許可した。

「これ。事務所の女の子が話題にしてました」

 冬次は例の小説の表紙を指で撫でた。

「太古の運命論・・・・・・だっけな? 若い子のあいだで流行ってるって」
「ああ。アルファが、オメガが、って強調した恋愛は今どきの子にはむしろ物珍しくて新鮮なのかもね。冬次くんはこういうの嫌いかな?」
「特に意識しないので嫌いとも好きとも言えません」
「意識しないんじゃなくて心に決めた人がいるからでしょ。君はひたすら一途だね」

 隠す必要がないので頷いておく。

「そういえば、流行りの発端は俺の小説じゃないかも」

 谷峨が棚から資料の束とみられるファイルを引っ張り出した。

「テーマはあらかじめ用意されていたんだよね。社長の意向だったのかな。大人の事情で詳しく教えられなかったけど雑誌で特集組まれたり、俺以外の作家も題材にしてたり、業界全体で推してるテーマなんだと思う」

 冬次は放られた資料に目をやる。

「大きな力が働いてるのかと勘繰っちゃいそうですよ。ありえないっすよね」
「あははははっ、考えすぎ」
「あんたは笑いすぎですよ!」
「だって普通に考えて金の匂いがしたからでしょう」
「言い方っ!」

 帰り際、マンション下まで見送ってくれた谷峨がふと黙り込んだ。
 考えてることはなんとなく察せられる。

「・・・・・・啓は元気そうなんだな」
「気になるなら自分から連絡してくださいよ」

 谷峨が、いい顔で無理やり笑おうとする。——カッコつけてる場合じゃないですよね。ま、言わないけど。

「座間に伝えておきたいことありますか」

 冬次は来るたびにお決まりになった台詞を口にした。
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