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◇第一部◇ 第一章 王子と騎士

王子と騎士【1】

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 ジャレッドが高らかに産ぶ声を上げたのは、ヴィエボに悲劇が訪れる十九年前。柑橘かんきつの蕾が白い花を咲かせる初夏の頃だ。

 漆黒の髪に、翠がかった碧眼。ヴィエボ王家の血を濃く受け継いでこの世に生を受けた赤子は、それはそれは可愛らしかった。

 ジャレッドが生まれた当初、国王アンデレ・ブルー・ヴィエボと、王妃マルティーナの間にはすでに、六歳上のイーノクがもうけられていた。

 第二王子であったジャレッドは、王位を継ぐ者として厳しい教育を受けていた兄とは異なり、欲しがるものは何でも買い与えられ、オモチャで溢れた専用の遊び部屋が用意されるなど、多少の我儘わがままとわんぱく具合には目をつぶって育てられた。

 しかし部屋の中でじっとしているのが苦手な子どもで、世話係の目を盗んでは窓から外へ抜け出し、街を散策さんさくして回るのが大好きだった。

 一人で外へ出ては危険だと、いくら言い聞かせても聞かず、大人たちはついに諦め、監視を兼ねた護衛ごえいの騎士を一人つける事にした。

 白羽の矢が立ったのは国境守護部隊こっきょうしゅごぶたい『ゲーニウス』、元小隊長、ギルという名の男。

 ギルの実家はしがない食事処であったが、食事をしにきたゲーニウスの騎士に、恵まれた体躯たいくを見初められて入隊を果たしていた。

 ゲーニウスは、ヴィエボ国軍の中でも別格に優秀な部隊だ。

 この当時、周辺には大小合わせて十四の国がひしめき、隣接する国々の領地争いは絶えず、国境付近は常に騒がしかった。

 そんな中ヴィエボは、「自らは他をおかさず、護りをくずすな」との方針を徹底的に貫いていた。それは欲を出せば必ずその隙を突かれるという先代からの教えであり、教えに従い、小国ながら強国に助けを乞うことも吸収されることもなく国土を維持してきた。

 ゲーニウスは護りのかなめ

 選りすぐりの精鋭が集められ、本来は平民がどう努力しても入れる部隊ではない。毎年、幼少期より特別訓練を受けてきた騎士家系の子どもから、もしくは位の高い貴族から厳しい審査を得て選ばれる。

 国の紋章入りの軍旗とは別に双頭竜そうとうりゅうが描かれた隊旗が与えられ、ヴィエボ国内での地位価値はすこぶる高いと言えた。さらに小隊といえども、ゲーニウス内で自身の部隊を持てるのは士官クラスからが普通。まさに異例中の異例の大出世であった。

 大柄で見事な身体付きのギルの代名詞は

 彼が愛用していた大剣は、柄の部分も合わせると二メートルをゆうに越す長さがあり、刃幅は成人男性の頭ほど。岩を振り回しているかのような重さの大剣を軽々とふるい、敵をぎ倒すギルの勇姿は、大地に降り立った破壊神さながらの迫力があった。

 しかしながら戦闘時に重傷を負い、岩のような重さの大剣は二度と持てぬ身体になった。とは言え、五体満足で日常生活に支障はなく、一般的な大きさの剣であれば扱える。

 後ろに控えているだけで圧倒され、ひとにらみされれば、大人でもちびりそうになるような大男。用心棒にはうってつけだった。

 かくしてゲーニウスを引退した彼とジャレッドは出逢い、二人は思いがけず良い主従関係を築く。

 平民からの叩き上げである彼には高い教養はない。けれども見た目さながらの豪胆ごうたんさと、生まれ持っての忍耐力を持ち合わせていた。

 殆ど子守と同意なこの任務にも嫌な顔ひとつせず、それだけでなく幼な子の無邪気な悪戯にも辛抱強く付き合ってくれた。

 その甲斐あってか、最初こそ不平を垂れていたジャレッドもしだいに懐き、ギルの言うことであれば・・・・・と素直に聞き入れる場面も増えた。

 片時も離れず、幼いジャレッドを肩に乗せて歩くギルの姿は微笑ましく、王宮で暮らす皆が目を細めて彼らを見守った。

 出逢いから数年、ジャレッドはギルに護られながら幼少期少年期と過ごし、外見の幼さは蝶が羽化するように滑らかに抜け落ちていった。

 しなやかで中世的だった少年の身体は筋肉がついて雄々しさを増した。これはギルとの修練の賜物たまものである。
 
 内面の成長もいちじるしく、十二歳を迎えたあたりから自身の身の振り方を模索するようになっていた。
 
 ジャレッドは非常に純粋で心優しく育ち、ヴィエボ国の民を心から愛している。

 昼間は王宮内に家庭教師を呼び、作法、言語等の基礎教育に加え、軍事、政治等の専門教育を受け、第二王子として国のために何が出来るのかを真剣に思い悩んだ。

 空いた時間にはギルに剣技の稽古をつけてもらい、騎乗での戦闘訓練も行ってきた。

 ギルへの尊敬の念は大きい。

 ひいては騎士となって軍を率い、国を支えていきたいという理想が、ジャレッドの胸の内に薄らと出来あがっていた。
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