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◇第一部◇ 第六章 崩壊の日

正義の裏切り【1】

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 アランテアトロンの広場からほど近くの地点に馬が三頭用意されていた。徒歩でもじゅうぶん帰れる距離にいるというのに、よほど火急かきゅうを要するらしい。

 ジャレッドは片足をかけ、くらに跨った。

 幼い頃から乗馬は好きな遊びの一つ、馬の扱いは手慣れている。剣をふるおうと思えばそう難しくなくできるが、無意識にベルトを触り、ちっと舌打ちをした。

「近衛兵は先に帰しました、僕たちも急ぎましょう」
 
 メーリンの合図で三人は馬を走らせる。

 街中で大きな軍馬は随分と目立った。カラカラとのんびり馬を走らせている馬車の横を駆け抜け、ジャレッドらは王宮まで疾走した。

 王宮の門扉は馬上の三人を見とめると同時に開き、止まることなくエントランスまで抜けることができた。手早く使用人に馬を任せ、大広間に向かう。

「講堂じゃないの?」
「ええ、あの場に座る椅子は自分にはもうないからと。陛下が」

 ジャレッドはぎくりとした。思い悩んでいるのが自分だけで、自分の知らぬところでは着実にジャレッドの戴冠にむけ準備が進められていると思うと、胸に冷たいものが走る。

 そこにジャレッドらの横を「失礼致します」と追い越し、先に大広間に駆け込んでゆく姿があった。

「あの腕章は伝令係ですね・・・・・・」

 ギルの声が険しくなる。

「俺たちも行こう」

 とジャレッドが先導し、三人は大広間に入った。

 大広間はすでに人でいっぱいだった。

 豪勢なテーブルセットにアンデレ国王とマルティーナ王妃、王弟で叔父のルーベン、その息子でイーノクの侍従であったフィンが座り、暖炉を囲うソファにはブリュム公クライノートが執事パトロ、オズニエル、スティーヴィーを従えている。

 アンデレは身内総員に召集をかけたようだ。この部屋にいない顔ぶれは、持ち場を離れられない者たちだろう。

 だが大広間の殆どを占めているのは数十はいると思われる伝令兵だった。我れ先にと国王に群がり、室内はごった返している。

 彼らを案内する使用人も忙しそうだ。ギルがうち一人を捕まえる。

「何が起きてる?」
「ああ、ギル殿、おかえりなさいませ。私どもも状況を把握しきれておりません。一刻ほど前から伝令が止まらないのです」
「なに? 何処からの伝令だ?」
「それが一箇所ではなく、各要所からひっきりなしでして」

 そうか、とギルは使用人を解放した。

 誰に聞いても収穫はなしだった。しかし皆で首を捻っていても何も得ない。ジャレッドは「では直接聞いてくる」父と母の元へ足を向けた。
 
「父上、母上も、今戻りました」

 ジャレッドが先頭を押し退けて顔を出すと、周囲の伝令兵らはどよめき、慌てて場所を開けた。

「・・・・・・ジャレッドか、大変なことになった」

 答えるアンデレの表情は落ち着き払っているものの、いつになく顔色が悪い。アンデレ以上に青ざめているマルティーナが気丈に夫の背中をさすっている。

「レヴェネザ王国の軍が今現在、我が国を取り囲んでいる」
「な・・・・・・」

 その時、伝令兵から話を聞きまとめていたルーベンが血相を変え、叫び声を上げた。

「レヴェネザ王国の軍旗が王都に迫っているだとっ?!」

 すかさずアンデレは息を呑んだ。

「なぜ、そんなに早く・・・・・・ゲーニウスは何をして」

 ハッと息を詰め、苦々しく握り込んだ拳で膝を叩く。

「なんてことだ・・・・・・ゲーニウスは敵軍を素通りさせているのか」

 ヴィエボ国内に組織されている軍は国境付近の守備を担うゲーニウス、王都を護る王都軍——近衛兵は王都軍に含まれる——、各領地ごとに置いている警備隊の三つから成っていた。

 ゲーニウスのみが王宮の管轄かんかつから独立しており、そのトップが全責任と指揮権を持つ。前代クライノートまではオウグスティン家が手綱を握っていたため、二つは太い信頼のパイプで繋がれていた。だが今は、それがない。完全に独立し、密かに反王族の巣窟そうくつと化していても王宮からの監視の目は届かない。

 実質、他国との戦のすべてをゲーニウスが担っており、ヴィエボ国軍といえばゲーニウスと称される場合が多い。
 そのゲーニウスが他国軍を素通りさせているならば、軟弱な地方の警備隊は太刀打ちできないだろう。

 けれどもゲーニウスが魔力持ちの王族に良い印象を持っていないことなど知れた事実だった・・・・・・。

 アンデレはジャレッドの疑念を感じ取り、無念の色を滲ませてうつむいた。

「できなかったのだ・・・・・・、ゲーニウスのトップに全指揮権を持たせているのは戦地での早急な対応を可能にするため。互いの信頼関係に見えない亀裂が入っていたとしても、問題を起こさず国境守護に務めているあいだは口出しできん。無理に手を入れれば、オウグスティン家は特別扱いだったのだと言い示しているものであろう」

「いかにも。うまくやられましたね。剣の存在は伏せていたはずですが、こちらの秘匿事項を嗅ぎつけるのが早い」

 どう致しますかとルーベンに指示を仰がれ、アンデレは口を閉ざし、ぐるりと集まった人間を見回した。

 ———と、口を開けた瞬間に声を張り上げる。

「国民の被害を知る者はいるか、出来るだけ直近の情報を」

 すぐさま反応があった。「はっ」と声を上げたのはジャレッドらを廊下で追い越していったあの伝令係だ。
 
「今のところは無しと聞いております。国民は敵軍と同行するゲーニウスを目にして混乱している模様、しかし、敵軍から一般民を攻撃する様子は見られないとのこと!」
「そうか、ご苦労だった」

 アンデレは全伝令係に「戻って良い」と、ふたたび声を張り上げた。

 敵軍が王都に一歩でも入れば、王都軍が動く。

 王都の街は戦場と化し、一般民の被害は今度こそ免れなくなる。ジャレッドは王都の街並みが踏み潰される様に悪寒が走った。

 敵軍は高い軍事力を誇るレヴェネザ王国、裏にはゲーニウスが着いており、勝敗は目に見えている。衝突すれば、王都軍など呆気なく蹴散けちらされてお終いだ。

 ・・・・・・伝令係の群れを吐き出した大広間は広く静まり返る。アンデレはジャレッド、そして残った顔ぶれを眺め、意を決したように身体の力をふっと抜くと、人前では決して見せることのないラフな姿勢をとり腰を沈めた。

「さてマルティーナよ、久しぶりにお前の淹れた紅茶を楽しむとするか。隠し味に少しばかりウィスキーを混ぜておくれ」
「父上?!」

 こんな時に何をと、ジャレッドは父を見詰めた。

 しかし抗議の声を上げたジャレッドを尻目に、マルティーナは「はいはい」と立ち上がる。

「いつまでも怖がりさんね、全く貴方ったら」
「母上?!」

 ジャレッドは足取り軽く扉の方へと向かう母の背中を呆然と見詰めた。

 すると今度はルーベンが口を開く。

「お妃殿、私と息子にも同じやつを淹れてもらえるかな」
「うふふ、よろしくってよ。焼き菓子も一緒にお持ちしますわね。クッキーでもつまみながら気長に待ちましょう」

 そう言い、マルティーナは微笑む。

「ルーベンまで、何をしている?!」

 これはなんの茶番なのか。

 一刻も早く王都軍と共に敵軍を退ける策を打ち、我々はいつでも脱出ができるよう算段をつけなければならない時に。

 とそこへ、それまで黙り込んでいたクライノートが口を挟む。

「剣の調べは済んでおいでですか? 国王陛下」

 問われたアンデレは、首を横に振る。

「まだ。ハニーら五人に剣の仕組みを調べさせておったが、何をしても反応を見せないそうだ。彼らによると不特定に扱えなくするために難しい細工がしてあるのではないかという見解だ」
「・・・・・・御意、では剣と彼ら五人、それからジャレッド殿下とギルは逃さねばなりませんな」
「ちょっと待て、父や母は、他の者はどうなる?」

 ジャレッドはクライノートに詰め寄った。

 拳を握りしめ、思い詰めたジャレッドの肩にギルが手を置く。

「ジャレッド様、落ち着いて。国王陛下は時間を稼いでくださるとおっしゃっているのです」

 ギルの言葉に、アンデレは頷いた。

「さよう、ヨハネス王国の力は公に漏れている。レヴェネザにとっては脅威となり得る存在、ヨハネスとコソコソ繋がっていたヴィエボ国は次なる脅威の芽になる可能性がある。レヴェネザ王国がイーノクを殺し、次いで我が国に来たのは、人間国に離反した報復とその強大な力の芽を摘むため。王宮がもぬけの殻では、追ってがすぐに放たれて皆が捕らえられてしまう。名目上の国王はまだ私だ、私がこの場に留まれば足止めくらいにはなろう」

 ヨハネス王国は単独でもやり合える軍事力をもっており、国王は可愛い妻娘を全勢力をかけて護る。そちらには容易に手出しはできず、レヴェネザは早々に見切りをつけ、ヴィエボ国に向かってきたのだ。

「しかし、王都軍が闘えるでしょう?」

 ジャレッドは風見鶏かざみどりのように、くるくると向きを変え、その場の当事者らに訴えかける。

「王都軍は動きませんよ。民を巻き込む戦闘はできる限り避けたいと、国王陛下が下された決断です」

 とクライノートが言う。

「諦めるのですか?」

 ジャレッドが問うと、今度はアンデレが口を開く。

「諦めてなどおらぬよ、国王としての役割を果たそうと思っているのだ。民を護るためにレヴェネザ王国と交渉をする」

 ジャレッドはたまらず奥歯を噛んだ。

「属国にくだると・・・・・・?」

 その道を拒んだから、兄は殺されたのに? それはあんまりだろう。これまでの足掻あがきは何だったのだと思わないのだろうか。

「ジャレッド、お前が居るではないか」
「父上・・・・・・それでは、答えになっておりませんッ!」

 ジャレッドは苛立ちに、足を踏み鳴らす。

「そんなことはない、お前はわかっているはずだよ。いや、お前の中に流れる血がと言うべきだろうね。さあ、もう行け。必ずや力を使いこなし、ヴィエボ国を取り戻しておくれ。クライノート、ギル、ジャレッドを頼むぞ。オウグスティン家はこれよりジャレッドに仕え従うように」

 そうだ———とアンデレは最後に告げた。

「マルティーナには顔を見せてやるな、送りだすのが辛くなるからと申しておった。別れは心の中でだけ言ってやれ」
「そんな・・・・・・」

 それでもジャレッドは心を決められなかった。背後に立ったギルが、そっと耳打ちをする。

「ジャレッド様、お支度を整えましょう。です」
「ギル・・・・・・くそっ、わかったよ、もうそうする他ないんだな・・・・・・?」
「はい」
 
 ジャレッドの心はどうあれ、道は一つに決められてしまったとギルは言っているのだ。

「父上、ルーベンもフィンも、どうかお達者で」

 その願いは願いのままで終わるのだろう。しかし意味のない言葉だとわかっていても、かすかな希望を残しておきたかった。

 残る三人はジャレッドに頷き返し、まるでいつも通りの日常を演じるように世間話を始める。

 ジャレッドはオウグスティン家を連れてその場を去った。

 だが厨房の横を通り過ぎる手前、思わず足を止めて唇を噛む。

「・・・・・・母上・・・ッ」

 中からは啜り泣く母の声が聞こえてくる。

 この痛みと苦しみは決して忘れぬと、ジャレッドは心にかたく誓ったのだった。
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