ラブドール

倉藤

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最終章 ハッピーエンドとは、ただひとりに捧げるために作られた悲喜劇だ

98 違和感

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「取引だって?」
「ああ、逐一連絡を寄越してくるのは孤島に残してきた私の仲間なのだ。貴様らのボスの安否が気になるだろう?」

 そう問われたトーマスが馬鹿にするように笑う。

「甘く見ないで頂きたい。ボスの名前を出せば私が簡単に信じるとお思いですか。ボスは公爵閣下に殺されたではありませんか? 冗談は休み休み仰って欲しいものですよ」
「冗談ではない、虫の息だが生きている。断言しようか、私は彼を殺していない。お前は死体を目にしたか? ムーア氏には聞き出さねばならないことがたくさんあるので生かしておいた」

 じわじわとトーマスの顔色が変わる。

「今言った内容を踏まえて、ぜひ取引の意味を履き違えないで貰いたい。・・・貴様如きと同じだと思われては至極不愉快だ。大事な者を人質に捕えられているからといって我々は全くもって同等ではない」

 ヴィクトルの声が港に響き渡った。銃を突きつけられているのはヴィクトルの方だが、ヴィクトルはあえて大人しく懐の中にいるのだ。今や危険なのはむしろトーマスの方かもしれないと思うような場面だった。

アゴール公爵・・・・・・は決してお前のような者の言いなりになってはならないのだ。即刻、貴様が銃を下ろし、爆発の解除を行わなければ、大切なムーア氏の首を刎ねよとこの場で命じる」

 絶体絶命に陥ったトーマスは青い顔をしている。
 しかし、だが予想外にヴィクトルに突きつけた銃を下さなかった。
 弱々しくも、強い口調で要求を拒否する。

「断る。私はボスのみならず公爵閣下までもを超越した神にも等しい存在になるのだ! 私は誰にも従わない!」

 激昂したトーマスの甲高い声に鳥肌が立つ。
 譲は瞬きを忘れて甲板上を見守った。
 ヴィクトルが目を細める。

「そうか、残念だよ。譲歩してやったつもりだったが、では処刑するしかない」

 トーマスが狂気じみて笑い出す。

「ひゃは、はっはっは、いいのですかね。間もなく爆発が起きるぞ。閣下の大事なものが木っ端微塵に吹き飛ぶぞ」
「公衆の面前で、でたらめを言うべきじゃないな」
「ぅ・・・嘘ではないっ」

 譲はどういうことかと思ったが、ヴィクトルは狼狽えず強調するよう声を大にした。

「はっ、間抜けなザマもここまでくると愉快だな。もう調べはついているのだ。爆発はしない。お前が吹聴していたのはでまかせだろう? 爆弾なんてものを身につけた人間が身近でうろうろしていたら、万が一の時に自らに危険が及ぶ。そのような機能をムーア氏は許さない。あの男は己が一番可愛い」

 トーマスが固まった。その隙を見て、ヴィクトルは銃身を掴んで取り上げる。

「当たりだったようだな」

 反対に銃を向けられる形になったトーマスは笑う余裕をなくし崩れ落ちた。
 これで終わったのか。譲は瞬きを一回する。そうした後に張り詰めていた糸が少しずつ弛んでいく。

(爆発はダミーだった。良かった)

 それから譲の側で見守っていたナガトと深く頷き合った。
 けれど、譲の胸に嫌な予感が残ったままだった。
 なんだろう。違和感があるのだ。
 譲が考え込んでいると、ナガトが「おい」と呟いた。
 甲板上に視線を戻せばトーマスが動き出している。立ち上がり狂気じみた声を再び上げる。

「いいや、爆発ならさせてやる・・・・・・」
「なに?」
 
 ヴィクトルが眉を顰めた一瞬、トーマスは正装着のジャケットを脱いだ。
 港が悲鳴に包まれた。胴回りに幾つも括り付けられているのは手榴弾だ。トーマスは安全ピンから伸びた紐をまとめて握る。

「どうだ! 私にだってこのくらいできるのだ! これを引き抜けば大爆発が起きるぞ。ちんけな兵士の一人二人じゃつまらない、港にいる見物人の列に飛び込んで吹き飛ばしてやる」
「貴様!」

 ヴィクトルが大声で叫んだと同時に、港に潜んでいた兵士達がライフルを構える。

「冷静になれトーマス=ヘボット。お前は包囲されている。観覧客に飛び込むどころか指一本でも動かせば撃たれて終わりだ」

 決着がつきそうな展開なのに、譲は嫌な予感が収まらない。

(何処だろう、何だろう)

 譲は港を見渡す。
 その時に一人の兵士が目に留まった。彼はライフルの銃口をトーマスではなく、ヴィクトルに向けているように思える。
 微妙な位置の差だが、これはどちらなのだろう。

「ナガト、あの兵士を見てくれ。公爵を撃ち殺そうと企んでるように見えないか?」
「確かに」
「だよな」

 ナガトがそう言うなら確信が強くなった。

「止めるのか」
「ああ、止めなきゃ」

 もう義足の爆発に怯える必要はない。
 譲は駆け出していた。

「待て譲、間に合わないっ、トーマスが動く!」

 ナガトに呼び止められる。譲は振り返ると、迷いなくタラップに飛び乗った。
 だって、そんなのってない。せっかく二人揃って生き残れる道がひらけたと思ったのに。

「公爵っ!」

 譲は名前を叫んだ。

「俺も、一緒に死ぬから!」
「譲・・・・・・、っ」
 
 ヴィクトルが絶句し、こちらに手を伸ばしてくる。
 譲も手を伸ばすが、次の瞬間、ヴィクトルの影が光に包まれた。
 ヴィクトルは間一髪で譲の手首を引き寄せると覆い被さり腕の中に庇う。その後、巨大な平手で空中に弾き出されるような衝撃を受けた。
 前が見えなくて何が起こったのかわからなかったが、気づいた時には身体が海に叩きつけられていた。
 トーマスが手榴弾のピンを抜いたのだ。
 爆風の衝撃を受けたヴィクトルは譲を抱き締めたまま気を失っている。譲は動けない。二人の身体は海の底に沈んでいった。

(あぁ沈む・・・・・・)

 上を見上げれば水面は赫くゆらめいており、下を向けば底は暗く冷たい。
 水面はどんどん遠くなる。
 早く水中を蹴って浮上しなければならない。

(けど、ひどく脚が重たいな。まるで鉛をぶら下げているみたいだ)

 海の底から死神に引き摺り込まれているのかもしれないとすら思う。
 自分は死ぬのだ。でも安心する。これはあの時の夢の続き?
 それなら良かった。ここなら独りじゃない。
 譲はヴィクトルの胸に抱かれて目を閉じた。
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