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ぐっとにゅうす アレンジ版
○マタイ編
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初めに
さて、世界一売れている本は聖書だと聞いた事があります。本文の内容は、その聖書の中のマタイの福音書を小分けにして、読んだ感想を書いて行きます。福音書とは、キリストの歩みが記してあり、その中で、イエスが皆に求める基準が高いと感じてしまいました。
例えば、「右の頬を打たれたら、反対の頬も差し出せ」とか、「敵も愛しなさい」とか、「異性を欲望の目で見る事は、姦淫しているのと同じ」などなど。
一般的に、天国へ入るために罪の悔い改めが必要とされるのがキリスト教だと思いますが、その為だけに信仰するのは、ちょっと消極的な気がします。
さて、ここからはSF的な個人の意見ですが、もしかすると、イエスキリストは、未来の人類に対して語っているのではないかと思えてきたのです。未来を予言している書と言えば黙示録が有名ですが、新約聖書その物が予言なのかも知れません。天国は、死後に存在するのではなく、遠い未来に地上に造る物だと考えれば、どう言う方法で成就できるか? それは、人間が完全無欠になる事な気がします。つまり、イエスキリストのような人ばかりなら、真の平和が訪れるのではないでしょうか。意識改革が少しずつ進み、いつかそんな日が来るかも知れません。百年後か千年後かは解りませんが……。
本文 ぐっどにゅうす
聖句 イエス・キリストの誕生の次第はこんな感じ。
天使「おめでとさん。あなた、妊娠しました」
マリア「ええ、わたし、何もしていません?」
天使「心配しないで、神様が色々としましたから」
マリア「色々って、何です?」
天使「色々は色々です。あっ、ヨセフ。ヨセフ、ヨセフ、お前の婚約者が妊娠しました」
ヨセフ「えっ! まだ何もしていません?」
天使「心配しないで、神様が色々としましたから」
ヨセフ「色々って、何です?」
天使「だから色々だよ。名前はイエス。以上!」
マリア ヨセフ「逆ギレ?」
解説
イエス生誕の場面は多くの人が既に知っていますよね。
マリアと言う女性が、天使から「あなた、妊娠しますから」と言われてしまいます。
一方、婚約者のマリアが妊娠してしまった事を知ったヨセフはショックを受け、婚約破棄しようとすると、やっぱり天使が現れて、「妊娠は神のご意志なんだから、短気はダメダメ」と諭します。
現代では婚前の性交渉など、それほど珍しくない事例でも、当時のユダヤ教社会では恥ずべき行為で、周りから石を投げつけて殺してしまったそうです。
天使がどの範囲までマリアの事を告知してくれたのか解りませんが、本人たちだけかと思われます。
近隣住民や家族には解らないように過ごしていたのでしょうか?
パパラッチが居ない時代で良かった!
☆≡
ユダヤの王様、ヘロデが寛いでいると、「東の方から来ました」などと名乗る博士が訪ねてきた。おそらく、詐欺の類いであろうと勘繰ったが、暇潰しに会ってみる事にした。
博士「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
ヘロデ「ユダヤの王様はワシじゃが?」
博士「いえ、王の王、本物の王です」
ヘロデ「えっ! 王の王がいるの? マジ王みたいな?」
博士「もう、世界王です。海賊王でもホームラン王でもありません」
ヘロデ「それ、何処に産まれるの?」
博士「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
『ユダの地、ベツレヘムよ、
おまえはユダの君たちの中で、
決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、
わが民イスラエルの牧者となるであろう』」
ヘロデ「その幼な子のことを詳しく教えてちょ。見つかったら、わたしも拝みに行くから」
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、UFOみたいにブッ飛んだ星が、彼らを導いた。ただ、星はあまりに速く、見失う。願い事を三つ言う暇さえなかったのだ。
博士「あの馬小屋で休憩。ハァ、ハァ、ハァ」
馬小屋の中では、マリヤが出産直後でぐったりし、ヨセフはイエスを抱き上げ、「yes oh yes!」などと歓喜の声を上げていた。
博士「おめでとさん。神様に色々とされた王の王になるべき御子ですね。これ、プレゼントです。黄金、乳香、没薬です」
そして、博士たちは、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
解説
ヘロデ王は、まぁ、当時の王様です。東の地域から三人の博士が訪問してきたようです。
此処で言う博士が、どんな地位の人物なのかは解りませんが、昔の詩の一節を引用したり、星占いで捜し当てたり、王様に面会できたりする位の人物なので、高名な学者さんなのでしょうか?
それにしても、「王の王は何処ですか?」などと王が尋ねられたら、ビックリしますよね。まだ赤ちゃんとは言え、将来、自分の子供の地位が脅かされる可能性がありますから、ヘロデ王も危機感を持ったようです。
三人の博士が星に導かれて行く所は、何ともドラマチックです。今まで、色々な作品に影響を与えたでしょうね。
さて、三人の博士は、この場面以外は聖書に登場していないと思います? でも、幼いイエスを教育したりしたとしたら、物語としては良い展開になります。または、大人になったイエスと再会しても良い気がします。因みに、贈り物をマリアとヨセフがどうしたかも書かれていないと思います?
☆≡
彼らが帰って行ったのち、主の使が夢でヨセフに現れて言った、
天使「あんた、エジプトに逃げなさい。そして、わたしが良いって言うまで帰っちゃだめ。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしているからね」
ヨセフ「そんな、急に言われても……」
天使「イエスとマリアを守るのは、あんたの努めでしょ!」
さて、博士たちにだまされたヘロデは、非常に立腹した。そして、強行手段にでる。ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」
さて、ヘロデが死去すると、天使はヨセフに知らせに行く。
天使「イエスちゃんを狙う王が亡くなったから、イスラエルに帰ってきなさい。旅費は自腹だけどね」
そこで、ヨセフ一家はイスラエルの地に帰った。しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして、ガリラヤの地方に退き、ナザレという町に行って住んだ。
これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
解説
ヘロデ王の手の内を、神様はヨセフ夫婦に教え、エジプトへ脱出させています。手配された後だと難しい脱出も、手配前なら容易かも知れませんね。
神様から語られた計画を素直に実行したヨセフとマリアですが、ある一面としては、海外へ逃亡したかった事情もあるかも知れません。
なんせ、イエスの父がヨセフでは無い事は、周知の事実なので、ほとぼりを冷ましたいと考えるのは自然でしょう。
まぁ、考えるに、偶然と言う名の神の演出かも知れません。ここで、ナザレのイエスとなった謂われが出てきます。
神様の方も色々と予定があるようで、住居が頻繁に変わりますね。ただ、周りの環境が変わると言う事は、多くの経験を積む事でもあるので、有意義に働く場合もあるでしょうね。
☆≡
そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
バブヨ「悔い改めよ、天国は近づいた」。
預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道を舗装せよ』」と言われたのは、このお方。
ヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。かなりワイルド。
すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、懺悔 し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
バブヨ「沈みなさい。罪が消えるまで沈みなさい」
信者「……ボコ、ボコ、ブクブク」
ヨハネは、ユダヤの偉い人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、
バブヨ「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。だから、悔改めにふさわしい実を結べ。 自分たちの父には偉大な先祖があるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、偉人の子を起すことができるのだ!」決まった。
解説
ヨハネと言う人は、ファッションやヴィジュアルを説明している事から、かなり変わった人だったようです。食事も、朝食は熱々のご飯に納豆と海苔です。と言う感じではないようです。
そして、熱心な信者であり、力のある人のようですね。カリスマ性があり、リーダータイプかも知れません。
諸説ありますが、「道を整える人」と言う事で、本来はキリスト教団の土台を造るのが使命だったのでは? と言う人もいます。
アブラハムとは、ユダヤ民族の祖先で、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と称される程の人物です。旧約聖書で超絶活躍中の人物です。
☆≡
聖句 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。
このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
解説
バブテスマのヨハネは、かなり激しい言葉で悔い改めを説き、イエスの素晴らしさを強調しています。
この時点でのヨハネには、救世主のイメージができていたようで、かなり崇めています。この気持ちが冷めずに続けば良いのですが……。
☆≡
そのときイエスがガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとしていると、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言いました。
バブヨ「なんで貴方が来る? こちらからバプテスマを受けに行きますから、待っていてください」
イエス「今は受けさせてもらいたい。何事にも順番があるのです」
そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。
すると、見よ、天が開け、神の御霊が鳩のように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、
神「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 すると試みる者がきて言った、
悪魔「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
イエス「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」
それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせた。
悪魔「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。神の子が死ぬ筈はありません。必ず助かりますから、心配ありません」
イエス「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある。それに、死ぬ筈がないなら、試す必要もない」
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、
悪魔「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」
イエス「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」
そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
解説
ヨハネとイエスの出会いのシーンです。場所は川のようですね。
バブテスマは、洗礼式のような物でしょうか? それまで激しい言葉で悔い改めを説いていたヨハネが、イエスの前では謙虚な感じが良いです。
鳩のくだりと天の声のくだりは、想像力を掻き立てます。
「これ、俺の息子、宜しく頼むわ」
直で頼まれたヨハネは、重要人物だと解ります。
また、次の場面では、イエスがサタンに試されるシーンですね。
キリスト教で言うサタンとは、堕天使の事で、つまり、気持ちがブレて役目を全うできなかった者だと思います。サタンは仲間に引き入れようとしますが、イエスは、最後まで迷う事なく誘惑をはね除け、次のステップへ進みます。試練とは選択と言えるでしょう。キリストとしての道を選んだイエスは、覚悟を決めたようです。つまり、内面は勝利したので、次は外の世界へ踏み出します。
人間は、サタン以上に手強いかも知れませんね。
☆≡
さて、イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退却します。 そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに拠点を移す。この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、
イエス「悔い改めよ、天国は近づいた」
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、ペテロとアンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、
イエス「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、ヤコブとヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを治しまくった。 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々を片っ端から完治させた。
こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。
解説
ヨハネが捕らえられたと知り、イエスは救出チームを組織し、仲間と共に決死の戦いを繰り広げる。なんて内容にしたい所ですが、聖書ではそうはなりません。争う事に意味が無いからかも知れません。反体制運動の闘士ではないのです。それに、法廷闘争やマスコミリークやSNS拡散も無い時代ですから、権力者と戦い様がありません。
さて、イエスはヨハネの組織力を失い、自ら布教する苦難の道が待っているようです。
ヨハネの逮捕で拠り所を失ったイエスは、片っ端から伝導を始めた感じがします。そして、まるでフォースに操られたかのように導かれる人々は、なんだろう? 「これだ!」と感じる何かがあったのでしょうか?
この頃から、病人を癒す奇蹟も起こします。凄いイリュージョンに、民衆は狂喜乱舞し、ゾロゾロと群れで従い始めたようです。
完全に、出る杭は打たれるパターンを爆進中ですね。これは、救いのプランAを発動中のような気がします。
☆≡
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
イエス「寂しい人たちは幸いです。天国は彼らの物ですから。悲しんでいる人たちは幸いです。彼らは慰められるから。柔和な人たちは幸いです。平和な世界を造るでしょう。義に飢えかわいている人たちは幸いです。正義が行われるでしょう。憐み深い人たちは幸いです。彼らは憐みを受けるでしょう。心の清い人たちは幸いです。神の声を聞くでしょう。平和をつくり出す人たちは幸いです。彼らは神の子と呼ばれるでしょう。義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天国で報われるでしょう。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのです。
あなたがたは、塩味です。もし塩が甘かったら、塩鮭も茹で卵もどんな味がするでしょう? もはや、なんの役にも立たず、納豆に入れて甘納豆だと笑うしかありません。
あなたがたは、世の光です。照らしまくってください。また、あかりをつけて、それを机の下におく者はいない。むしろ高い所において、家の中のすべてのものを照させるのです。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよい行いを見て、神様の一端を感じる事ができれば、どれほど素晴らしいでしょう。
解説
山上の説教と呼ばれる場面ですね。文章のリズム感が良い感じです。
全ての人が善き心で善き行いをすれば、天国へ行けると言う意味だと思うのですが、少し違う見方をすると、天国へ行けるのではなく、天国が地上に実現すると言いたいのかも知れません。う~ん、この方が夢があるし、凄い計画な気がする。
キリスト教は天国行きの切符を手に入れる教えだと思っている人も多いですが、実は、天国を実現するために存在すると考えたら、エキサイティングで希望のある教えな気がする。まぁ、現在での実現は難しいですが、少しずつ意識が変わって、何百年後かには良い方向に進むかも知れません。つまり、信仰者の心得のような物を教える言葉な気がします。
塩は塩味だから価値があるのと同じように、クリスチャンはキリストを信仰する事によって価値があると言う事でしょうか? そして何も語らない光が人々を自然と惹き付けるように、話よりも実際の行いで導く事を説いている気がします。
☆≡
わたしがユダヤの偉い人を困らせたり、民衆を惑わせに来たと思ったら大間違いだよ。
わたしの話を聞きやがれ! 世界が終わるとしても、神様の教えは一つも欠ける事なく、ことごとく全うされるのである。
それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国ではウ○コ扱いを受けるだろう。
しかし、神様の教えを守る者は、天国では大切にされるだろう。
わたしは言っておく。お前たち弟子たちが、律法学者やパリサイ人の心掛けに劣れば、決して天国に入ることはできない。
昔の人々は『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』って言うじゃない? しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判沙汰じゃあ! 兄弟にむかって愚か者と言う者は、やっぱり裁判沙汰じゃあ。また、ばか者と言う者は、焼き殺されるぞ。レアでジワジワと。だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟と不仲なのを思い出したら、供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。よくあなたに言っておく。スッカラカンになってしまうまでは、決してそこから出てくることはできないんだぜ。
解説
律法を守れとは、ユダヤ教を守れと言う事だと思います。歴史的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の順番で、一神教は推移してきたようです。
つまり、三つの宗教の神様が同一らしいのですが、なんだか仲良くできないですね。結局は人間側の解釈の違いから、争いは起こる訳で、つまり、神様の意図が反映されない教えになってしまった気がします。
ここでは、実際上は罪にならない事でも、心に思うだけで罪になる事を説いています。まぁ、原罪に関する話なんだと思います。
人間は、産まれながらに罪人で、どうしても悪い思いが出てしまう。それを神様に告白してスッキリするのが、懺悔と言う事なんだと思います。まぁ、少しずつは改善しようとする心理が働くので、意味がある事でしょう。
もちろん、犯罪者に懺悔だけさせて放置しては、社会的に混乱してしまいますから、罰せねばなりません。キリスト教が全ての問題を完全に解決するのは不可能です。
当時、イエスを新たなカリスマ、新しい指導者と見る人々も多かったでしょう。ですが、イエスは昔からある律法の遵守を説きます。まずは土台をしっかりさせて、新たな建物を建てると言う事でしょう。
☆≡
『Hは駄目よ』って言うじゃない? でも、だれでも、うっかり助平な目で女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体不満足でも、全身が地獄に投げ入れられなきゃ、あなたは満足な筈。
もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てちゃって。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとってハッピーって事。
また『妻を出す者は離婚届を提出』と言われているでしょ。しかしね、女房と畳は新しい方が良いって訳にはいかないの。
だれでも、とんでもないビッチじゃなきゃ、自分の妻を出す者は、姦淫の同罪よ。また出された女をめとる者も、姦淫罪が適用されます。
解説
姦淫に関する戒めですね。かなり抑圧的な内容で、不倫などの定義も厳しいです。
いやいや、目とか手より、罪を犯すのは脳でしょう。などと思いますが、説教上の例えとしての表現でしょうね。つまり心得だと思います。過激な表現でインパクトを与えるのは良い方法です。「全米が泣いた」とか、「NHKをぶっ壊す」とか、印象に残ります。実際に目をくり抜いたり手足を切り取っても、何の解決にもなりません。言わば心の中でも罪を犯さないように、ユダヤの戒律より自分を戒めよ。と言う事でしょう。
ところで、たまに聖職者の不祥事が発覚しますが、実際に多いのでしょうか? よく解りませんが、過度に意識し過ぎない方が良い気がします。
☆≡
昔の人はさ、『嘘こくでねぇ、有言実行、すべて主に対して果せ』と言うじゃない? しかしさ、それこそ『嘘こくでねぇ』よ。いっさい誓っちゃだめ。天をさして誓うのは、そこは神の領域だから激オコだって。また、地も駄目よ。そこは神のオットマンね。また、エルサレムをさして誓うのもNG。それは『大王の都』でしょう。また、自分の頭をさして誓うのも愚かね。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができないじゃん。言っておくけど、お洒落染めするのは無しよ。
あなたがたはね、ただ、イエス、オー、イエス。ノー、オー、ノーと言えばいい。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
解説
謙虚であれ。と言う事でしょうか? たまに外国の映画で、「○○に誓って」と言う表現が出て来ますが、あれの事でしょうか?
そもそも人間の誕生については、聖書でも少ししか触れていないので、解らない事ばかりですね。そう、人間は何も知らないのかも知れません。謙虚な心で色々な意見に耳を傾けましょう。
科学者の意見にも、宗教家の意見にも、それぞれ理があります。お互いに過度に否定する必要はない気がします。どちらも、真面目に取り組んでいるのですから。
☆≡
『銃には銃を、ミサイルにはミサイルを』って言うでしょう?
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
あなたを訴えて上着を取ろうとする者には、下着をも与えなさい。 もし、だれかが、あなたをしいて1㌔走らせようとするなら、その人と共に2㌔走りなさい。
求める者には与え、借りようとする者を断るな。イエスマン。
解説
有名な「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」ですね。
現実ではこうは行かない場合が多く、実行すればとんでもない事態になってしまう場合も少なく無い気がします。
国際紛争では、敵に占領されてしまうでしょう。まぁ、敵と定義しないのが、この言葉の骨子ですけどね。
ただ、神に全ての裁決を任せる信者なら、無抵抗に徹するべきなのかも知れません。神を名目に争う事は、神の裁きを信頼せず、人の裁量で罰を与えようとする傲慢な行為かも知れません。
とは言え、現実社会では、人が人に罰を与えなければ収拾がつかない場面も多々あります。犯罪者を野放しにするのは怖いですからね。「右の胸を刺されたら、もう左の胸を差し出す余力はありません」
つまり、イエスが語る内容は、やがて来るであろう理想社会を見越して語っているのかも知れません。遠い未来が見えていたイエスは、地上に天国を造るためのヒントを授けていたのでは? などとSF的な解釈でした。
☆≡
『同胞を愛し、敵を憎め』と言うでしょう? しかしね、それじゃ駄目なの。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。そうすりゃ、神様も子供だって認知してくれるよ。
神様は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らすでしょ。
自分を愛する者を愛したからってさ、当たり前じゃん。そんな事はさ、どんな甘ったれでもできる。 知り合いだけに挨拶をしたからって、どんだけの偉業になるのよ? そんな事は、ちょっと常識があるレベルじゃない。それだから、神様が完全であられるように、完全な者を目指そうよ。
解説
神が平等である事を、解りやすく説いています。まぁ、いま居る自分の立場を悲観せずに生きろと言う事でしょうか? 某書籍のタイトルを引用するなら、「置かれた場所で咲きなさい」と言う事なんだと思います。
国に於いても、海が無いとか、資源が無いとか、隣国が嫌いなどの理由で争えば、大変な悲劇が生まれます。全ての人が思い遣りと優しさを持つ社会が理想ですが、果たして希望溢れる未来はあるのでしょうか?
☆≡
人前でええかっこしいをしないように注意しなさい。もし、そうしないと、神様から報いを受けることができません。だから、施しをする時には、偽善者たちがする様に、会堂や町の中でこれ見よがしにするな。つまり、自分の前でラッパを吹き鳴らすのはあざといよ。
よく言っておくけど、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたは施しを右の手でする場合、左の手にすら知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためです。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるでしょう。
解説
どうしても、人は他者からどう見られているかを気にしてしまいます。やっぱり、良い行いはアピールしたいでしょう。ですが、その行為も行きすぎるとマイナスポイントになりかねません。だから、神様にアピールするには、こっそり行うのが良いようです。
もっとも、自分が得をするために何かをする場合は、アピールする事に意味がある訳で、得を取るか? 徳を取るか? と言う事でしょうか?
☆≡
祈る時にはさ、アピールのし過ぎはよくないよ。アピちゃんは人に見せようとして、繁華街やイベント会場で大声を上げて祈るけどね、神様には逆効果。
つまり、彼らはその報いを受けてしまっている。
祈る時は、自分の部屋に入り、戸を閉じて、目に見えない神様に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられる神様は、報いてくださるでしょう。
また、祈る場合、しつこくするな。言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思ったら大間違いです。だから、アピ星人の真似をするな。神様は、言わなくても必要なものは解っている。だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、今日もお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
解説
神様にアピールしているのか? 周囲の人にアピールしているのか? やはり心持ちが大切なようです。
それにしても、天に行われるとおり地でも行われますように。とは、やはり地上に天国を造る計画なのかも知れません。
☆≡
もしも、あんたが他人を許すなら、神様もあんたを許すだろう。もし他人を許さないなら、神様も、あんたの過ちを許さないだろう。
また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、苦しさをアピールするアピ星人だ。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたがたは断食をする時には、化粧をして顔を洗いなさい。
それは断食をしていることが人に知られないで、目に見えない神様に知られるためである。すると、神様は報いて下さるでしょう。
解説
常に人の目より、神様の目を気にしろ。と言う事でしょうか?
話は違いますが、道端に財布が落ちている場合、「ラッキー神様ありがとう」と猫ババする解釈もありますが、「これは、神様から正しい行動をするか試されているんだ」と、ちゃんと届け出をする解釈も成り立ちますね。
神様を信じていたとしても、行動が真逆になるのは、解釈の違いの難しさと言うか、人は自分が信じたい解釈を信じてしまうのだと感じます。
☆≡
自分のために宝を溜め込むのはどうかと思うよ。むしろ、天に宝を貯えてみては? あなたの宝のある所には、心もあるでしょ。目は心の窓って言うじゃない? だから、あなたの目が澄んでいれば、明るい人に見えるんじゃない?
しかし、あなたの目が濁っていれば、暗い人でしょう? だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、漆黒の闇のよう。
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛したりするからね。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
解説
人生の優先順位を神様にしなさい。と言う事なんだと思うのですが、教会への寄付を促す常套句に使われそうな面もあります。まぁ、きちんと自分を律している聖職者なら、あまり「くれくれ」などと言わないと思います。
何事も程々と言う物があり、日々の生活も大切です。おそらく、金に取り憑かれて人間性を失った一部の人へのメッセージかと?
「金さえあればなぁ~」と溜め息をつく方は御用心。取り合えず、お金の管理をしっかりとし、無駄な出費を控える事を心がけましょう。
☆≡
ちょっと言わせて貰うよ。食欲に惑わされるな! 装飾に気を取られるな! 何故なら、命は食物より上だし、からだは着物より上でしょう。
空の鳥なんて、まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それなのに、神様は彼らを養っている。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者なんじゃない?
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができると思います?
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのよ。野の花がどうして育っているか、考えて見なさいな。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあると思います?
ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、食ったり着たり見栄を張っても無駄な事だって言うの。それは、異邦人が切に求めているものだからね。
神様は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じです。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるものです。
だから、明日のことを思いわずらわず、明日の事は明日になったら考えよう。一日の苦労は、その日一日だけで十分です。
解説
落ち込んだ時に元気が出る言葉です。余計なものを取っ払って出した答えのようで、シンプルイズベストな感じです。物事も、違う角度から見れば、景色も違ってきます。
異邦人が切に願っている。と言う記述は、今に置き換えると、ノンクリスチャンが切に願っている。となるのでしょうか?
明日の事を思い煩うな。と言うのは、できれば実行したいですね。ウニウニと考え事をすると、熟睡できないです。
明日の事は明日が思い煩う。とは良い感じ。まぁ、そうは言っても人間だもの……。
☆≡
人を責めちゃ駄目。それは自分が誹謗中傷炎上しないため。あなたが私的裁判官になって裁くそのさばきで、自分も裁かれ、あなたが他人を測ろうとすれば、他人もあなたを測ろうとするでしょう。
なぜ、兄弟の目ヤニを見ながら偉そうにしているの? あんたの目には梁がブッ刺さっているのよ。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目ヤニを取らせてください、と言えます?
まず、自分の目から大工さんに頼んで梁を撤去すれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目ヤニを取りのけることができるでしょう。
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおって餌をねだるだろう。
解説
豚に真珠の語源になった箇所ですね。
ここ、表現がオーバーで好みです。目に付いた梁とは、建物の屋根を支える横木の事だと思います。
つまり、かなり長大で、目に刺さるようなレベルでは無い筈で、まして、気が付かない筈はありません。
聞いていた人も、笑う所なのか? 真剣に聴く所なのか? 迷いそう。いや、どっちなんだろう? イエスキリストは、芸人以上に話の掴みの大切さを知っていたと思われます。キラーワードを炸裂させる大切さは、今も昔も一緒なのでしょう。
求めて来てよ。そうしないと道が開けないぞ。捜すべき、そうしないと見つからない。門をたたけ、そうすれば開けて貰える筈。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるから。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者がいる? 魚を求めるのに、へびを与える者がいる?
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、神様なら尚更、求めてくる者に良いものをくれるでしょう。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにしようよ。これが律法であり預言者っていう事。
解説
求めよ。と言うのは、積極的に生きろと言う事なんだと思います。この積極性が、かなり足りないんですよ。なかなか自分の殻が破れず、殻の中で腐ってしまいそうです。
あとは、人からして欲しい事は、人にもしよう。と言う意見は、人間関係の基本ですね。
☆≡
滅びにいたる門ってのはさ、その道は広く大きい。そして、そこからはいって行く者が多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者は少ない。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、可愛い着ぐるみを着ていても、中身は解らない。けど、あなたは、その実によって彼らを見わけるのよ。松からピーチを、あざみからストロベリーを集める者が居ます? そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできないのです。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる運命なのよ。このように、あなたはその実によって彼らを見わけるのです。
馴れ馴れしく『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいます神様の御旨を行う者だけが、入るのです。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざ を行ったではありませんか』と言うでしょう。そのときは、決め台詞が炸裂するから覚悟して。
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』
解説
その木にできる実を見て判断するには、相応の知識と経験と善悪の区別がつかないといけませんね。欲望をそそられる話にはご用心です。
そして気になるのが、以下の記述です。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざ を行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』
この記述は、神を信じる事を公言している人を連想させます。キリスト教に限らず、神を利用して他人を操ろうとする人は居て、霊感詐欺などの犯罪は元より、戦争やテロに発展する事もあります。
そう言う人は、神の為と言う美名の元、その実、自分に都合が良い解釈でねじ曲げ、神を利用します。つまり、正しい解釈が重要になりますね。
☆≡
わたしの忠告を聞く人ってさ、岩の上に自分の家を建てた賢い人なんだよね。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れないのよ。なんせ、岩を土台としているから。
また、わたしの言葉を聞いても行わない人ってさ、砂の上に自分の家を建てた愚かな人なのよ。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方は悲惨。有り得ねぇって感じ」
イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように語るからだった。
解説
何事も土台が大切ですね。
当然、ここで言われているのは、建物の事ではなく、個々の人生なんでしょうね。土台がしっかりしていない身としては、耳が痛いですね。
そう言えば、家がテーマの童話に、『三匹の子豚』がありますね。聖書の影響を受けたのでしょうか?
☆≡
イエスが山を降りると、ぞろぞろと群衆がついてきた。すると、そのとき、ひとりのツトラウスがイエスのところにきて、ひれ伏して言った、
ツト「主よ、みこころでしたら、治していただけますか?」
イエス「そうしてあげよう、回復(ヒール)」
すると、ツトラウスは直ち治った。
イエス「だれにも話さないでね。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」
ツト「誰にも話さない?」
解説
イエスキリストと言えば、病を治す奇蹟ですね。まぁ、病が治れば感謝もするし、付いていくでしょうね。ちなみに、ツトラウスは病気の仮名です。
☆≡
さて、イエスがカペナウムに帰ってくると、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、
百「主よ、わたしの召使いが中風でひどく苦しんで、家で寝ています」
イエス「わたしが行ってなおしてあげよう」
百「主よ、お越し頂く資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば召使いは治ります。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、召使いに『これをせよ』と言えば、してくれるのです」
イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、
イエス「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。なお、今や東西南北から人が集まる時代なの。インターネットもあるしね。だから、天国へ入れるのが、あんたらだけとは限りませんよ。選民が外の闇に追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする事になりますよ。気を付けてよ」
それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、召使いは完治した。
それから、イエスはペテロの家に入って行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。
夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとく治した。
解説
いや、百率長と言う階級がどれくらい偉いのか解りませんが、中隊長といった感じでしょうか? それにしても、謙虚な人のようです。イエスを尊敬していると言う事でしょうか? 命令系統に例える所も職業柄ですね。有能な人だと感じさせます。
さて、当時のユダヤ人は、神に選ばれた民だと言う選民思想があって、自分たちは当然のように天国へ行けると思っていましたが、正しい信仰をする人なら、ユダヤ人に限らず天国へ行けると言う事でしょうか?
むしろ、神の前に正しい信仰であるかが重要で、血筋とは関係ない事を言いたいのでしょう。ユダヤ教信者には、衝撃的な内容だったでしょう。「既得権益をぶっ壊す!」みたいな?
さて、世界一売れている本は聖書だと聞いた事があります。本文の内容は、その聖書の中のマタイの福音書を小分けにして、読んだ感想を書いて行きます。福音書とは、キリストの歩みが記してあり、その中で、イエスが皆に求める基準が高いと感じてしまいました。
例えば、「右の頬を打たれたら、反対の頬も差し出せ」とか、「敵も愛しなさい」とか、「異性を欲望の目で見る事は、姦淫しているのと同じ」などなど。
一般的に、天国へ入るために罪の悔い改めが必要とされるのがキリスト教だと思いますが、その為だけに信仰するのは、ちょっと消極的な気がします。
さて、ここからはSF的な個人の意見ですが、もしかすると、イエスキリストは、未来の人類に対して語っているのではないかと思えてきたのです。未来を予言している書と言えば黙示録が有名ですが、新約聖書その物が予言なのかも知れません。天国は、死後に存在するのではなく、遠い未来に地上に造る物だと考えれば、どう言う方法で成就できるか? それは、人間が完全無欠になる事な気がします。つまり、イエスキリストのような人ばかりなら、真の平和が訪れるのではないでしょうか。意識改革が少しずつ進み、いつかそんな日が来るかも知れません。百年後か千年後かは解りませんが……。
本文 ぐっどにゅうす
聖句 イエス・キリストの誕生の次第はこんな感じ。
天使「おめでとさん。あなた、妊娠しました」
マリア「ええ、わたし、何もしていません?」
天使「心配しないで、神様が色々としましたから」
マリア「色々って、何です?」
天使「色々は色々です。あっ、ヨセフ。ヨセフ、ヨセフ、お前の婚約者が妊娠しました」
ヨセフ「えっ! まだ何もしていません?」
天使「心配しないで、神様が色々としましたから」
ヨセフ「色々って、何です?」
天使「だから色々だよ。名前はイエス。以上!」
マリア ヨセフ「逆ギレ?」
解説
イエス生誕の場面は多くの人が既に知っていますよね。
マリアと言う女性が、天使から「あなた、妊娠しますから」と言われてしまいます。
一方、婚約者のマリアが妊娠してしまった事を知ったヨセフはショックを受け、婚約破棄しようとすると、やっぱり天使が現れて、「妊娠は神のご意志なんだから、短気はダメダメ」と諭します。
現代では婚前の性交渉など、それほど珍しくない事例でも、当時のユダヤ教社会では恥ずべき行為で、周りから石を投げつけて殺してしまったそうです。
天使がどの範囲までマリアの事を告知してくれたのか解りませんが、本人たちだけかと思われます。
近隣住民や家族には解らないように過ごしていたのでしょうか?
パパラッチが居ない時代で良かった!
☆≡
ユダヤの王様、ヘロデが寛いでいると、「東の方から来ました」などと名乗る博士が訪ねてきた。おそらく、詐欺の類いであろうと勘繰ったが、暇潰しに会ってみる事にした。
博士「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
ヘロデ「ユダヤの王様はワシじゃが?」
博士「いえ、王の王、本物の王です」
ヘロデ「えっ! 王の王がいるの? マジ王みたいな?」
博士「もう、世界王です。海賊王でもホームラン王でもありません」
ヘロデ「それ、何処に産まれるの?」
博士「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
『ユダの地、ベツレヘムよ、
おまえはユダの君たちの中で、
決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、
わが民イスラエルの牧者となるであろう』」
ヘロデ「その幼な子のことを詳しく教えてちょ。見つかったら、わたしも拝みに行くから」
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、UFOみたいにブッ飛んだ星が、彼らを導いた。ただ、星はあまりに速く、見失う。願い事を三つ言う暇さえなかったのだ。
博士「あの馬小屋で休憩。ハァ、ハァ、ハァ」
馬小屋の中では、マリヤが出産直後でぐったりし、ヨセフはイエスを抱き上げ、「yes oh yes!」などと歓喜の声を上げていた。
博士「おめでとさん。神様に色々とされた王の王になるべき御子ですね。これ、プレゼントです。黄金、乳香、没薬です」
そして、博士たちは、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
解説
ヘロデ王は、まぁ、当時の王様です。東の地域から三人の博士が訪問してきたようです。
此処で言う博士が、どんな地位の人物なのかは解りませんが、昔の詩の一節を引用したり、星占いで捜し当てたり、王様に面会できたりする位の人物なので、高名な学者さんなのでしょうか?
それにしても、「王の王は何処ですか?」などと王が尋ねられたら、ビックリしますよね。まだ赤ちゃんとは言え、将来、自分の子供の地位が脅かされる可能性がありますから、ヘロデ王も危機感を持ったようです。
三人の博士が星に導かれて行く所は、何ともドラマチックです。今まで、色々な作品に影響を与えたでしょうね。
さて、三人の博士は、この場面以外は聖書に登場していないと思います? でも、幼いイエスを教育したりしたとしたら、物語としては良い展開になります。または、大人になったイエスと再会しても良い気がします。因みに、贈り物をマリアとヨセフがどうしたかも書かれていないと思います?
☆≡
彼らが帰って行ったのち、主の使が夢でヨセフに現れて言った、
天使「あんた、エジプトに逃げなさい。そして、わたしが良いって言うまで帰っちゃだめ。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしているからね」
ヨセフ「そんな、急に言われても……」
天使「イエスとマリアを守るのは、あんたの努めでしょ!」
さて、博士たちにだまされたヘロデは、非常に立腹した。そして、強行手段にでる。ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」
さて、ヘロデが死去すると、天使はヨセフに知らせに行く。
天使「イエスちゃんを狙う王が亡くなったから、イスラエルに帰ってきなさい。旅費は自腹だけどね」
そこで、ヨセフ一家はイスラエルの地に帰った。しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして、ガリラヤの地方に退き、ナザレという町に行って住んだ。
これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
解説
ヘロデ王の手の内を、神様はヨセフ夫婦に教え、エジプトへ脱出させています。手配された後だと難しい脱出も、手配前なら容易かも知れませんね。
神様から語られた計画を素直に実行したヨセフとマリアですが、ある一面としては、海外へ逃亡したかった事情もあるかも知れません。
なんせ、イエスの父がヨセフでは無い事は、周知の事実なので、ほとぼりを冷ましたいと考えるのは自然でしょう。
まぁ、考えるに、偶然と言う名の神の演出かも知れません。ここで、ナザレのイエスとなった謂われが出てきます。
神様の方も色々と予定があるようで、住居が頻繁に変わりますね。ただ、周りの環境が変わると言う事は、多くの経験を積む事でもあるので、有意義に働く場合もあるでしょうね。
☆≡
そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
バブヨ「悔い改めよ、天国は近づいた」。
預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道を舗装せよ』」と言われたのは、このお方。
ヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。かなりワイルド。
すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、懺悔 し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
バブヨ「沈みなさい。罪が消えるまで沈みなさい」
信者「……ボコ、ボコ、ブクブク」
ヨハネは、ユダヤの偉い人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、
バブヨ「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。だから、悔改めにふさわしい実を結べ。 自分たちの父には偉大な先祖があるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、偉人の子を起すことができるのだ!」決まった。
解説
ヨハネと言う人は、ファッションやヴィジュアルを説明している事から、かなり変わった人だったようです。食事も、朝食は熱々のご飯に納豆と海苔です。と言う感じではないようです。
そして、熱心な信者であり、力のある人のようですね。カリスマ性があり、リーダータイプかも知れません。
諸説ありますが、「道を整える人」と言う事で、本来はキリスト教団の土台を造るのが使命だったのでは? と言う人もいます。
アブラハムとは、ユダヤ民族の祖先で、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と称される程の人物です。旧約聖書で超絶活躍中の人物です。
☆≡
聖句 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。
このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
解説
バブテスマのヨハネは、かなり激しい言葉で悔い改めを説き、イエスの素晴らしさを強調しています。
この時点でのヨハネには、救世主のイメージができていたようで、かなり崇めています。この気持ちが冷めずに続けば良いのですが……。
☆≡
そのときイエスがガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとしていると、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言いました。
バブヨ「なんで貴方が来る? こちらからバプテスマを受けに行きますから、待っていてください」
イエス「今は受けさせてもらいたい。何事にも順番があるのです」
そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。
すると、見よ、天が開け、神の御霊が鳩のように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、
神「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 すると試みる者がきて言った、
悪魔「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
イエス「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」
それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせた。
悪魔「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。神の子が死ぬ筈はありません。必ず助かりますから、心配ありません」
イエス「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある。それに、死ぬ筈がないなら、試す必要もない」
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、
悪魔「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」
イエス「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」
そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
解説
ヨハネとイエスの出会いのシーンです。場所は川のようですね。
バブテスマは、洗礼式のような物でしょうか? それまで激しい言葉で悔い改めを説いていたヨハネが、イエスの前では謙虚な感じが良いです。
鳩のくだりと天の声のくだりは、想像力を掻き立てます。
「これ、俺の息子、宜しく頼むわ」
直で頼まれたヨハネは、重要人物だと解ります。
また、次の場面では、イエスがサタンに試されるシーンですね。
キリスト教で言うサタンとは、堕天使の事で、つまり、気持ちがブレて役目を全うできなかった者だと思います。サタンは仲間に引き入れようとしますが、イエスは、最後まで迷う事なく誘惑をはね除け、次のステップへ進みます。試練とは選択と言えるでしょう。キリストとしての道を選んだイエスは、覚悟を決めたようです。つまり、内面は勝利したので、次は外の世界へ踏み出します。
人間は、サタン以上に手強いかも知れませんね。
☆≡
さて、イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退却します。 そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに拠点を移す。この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、
イエス「悔い改めよ、天国は近づいた」
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、ペテロとアンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、
イエス「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、ヤコブとヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを治しまくった。 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々を片っ端から完治させた。
こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。
解説
ヨハネが捕らえられたと知り、イエスは救出チームを組織し、仲間と共に決死の戦いを繰り広げる。なんて内容にしたい所ですが、聖書ではそうはなりません。争う事に意味が無いからかも知れません。反体制運動の闘士ではないのです。それに、法廷闘争やマスコミリークやSNS拡散も無い時代ですから、権力者と戦い様がありません。
さて、イエスはヨハネの組織力を失い、自ら布教する苦難の道が待っているようです。
ヨハネの逮捕で拠り所を失ったイエスは、片っ端から伝導を始めた感じがします。そして、まるでフォースに操られたかのように導かれる人々は、なんだろう? 「これだ!」と感じる何かがあったのでしょうか?
この頃から、病人を癒す奇蹟も起こします。凄いイリュージョンに、民衆は狂喜乱舞し、ゾロゾロと群れで従い始めたようです。
完全に、出る杭は打たれるパターンを爆進中ですね。これは、救いのプランAを発動中のような気がします。
☆≡
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
イエス「寂しい人たちは幸いです。天国は彼らの物ですから。悲しんでいる人たちは幸いです。彼らは慰められるから。柔和な人たちは幸いです。平和な世界を造るでしょう。義に飢えかわいている人たちは幸いです。正義が行われるでしょう。憐み深い人たちは幸いです。彼らは憐みを受けるでしょう。心の清い人たちは幸いです。神の声を聞くでしょう。平和をつくり出す人たちは幸いです。彼らは神の子と呼ばれるでしょう。義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天国で報われるでしょう。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのです。
あなたがたは、塩味です。もし塩が甘かったら、塩鮭も茹で卵もどんな味がするでしょう? もはや、なんの役にも立たず、納豆に入れて甘納豆だと笑うしかありません。
あなたがたは、世の光です。照らしまくってください。また、あかりをつけて、それを机の下におく者はいない。むしろ高い所において、家の中のすべてのものを照させるのです。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよい行いを見て、神様の一端を感じる事ができれば、どれほど素晴らしいでしょう。
解説
山上の説教と呼ばれる場面ですね。文章のリズム感が良い感じです。
全ての人が善き心で善き行いをすれば、天国へ行けると言う意味だと思うのですが、少し違う見方をすると、天国へ行けるのではなく、天国が地上に実現すると言いたいのかも知れません。う~ん、この方が夢があるし、凄い計画な気がする。
キリスト教は天国行きの切符を手に入れる教えだと思っている人も多いですが、実は、天国を実現するために存在すると考えたら、エキサイティングで希望のある教えな気がする。まぁ、現在での実現は難しいですが、少しずつ意識が変わって、何百年後かには良い方向に進むかも知れません。つまり、信仰者の心得のような物を教える言葉な気がします。
塩は塩味だから価値があるのと同じように、クリスチャンはキリストを信仰する事によって価値があると言う事でしょうか? そして何も語らない光が人々を自然と惹き付けるように、話よりも実際の行いで導く事を説いている気がします。
☆≡
わたしがユダヤの偉い人を困らせたり、民衆を惑わせに来たと思ったら大間違いだよ。
わたしの話を聞きやがれ! 世界が終わるとしても、神様の教えは一つも欠ける事なく、ことごとく全うされるのである。
それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国ではウ○コ扱いを受けるだろう。
しかし、神様の教えを守る者は、天国では大切にされるだろう。
わたしは言っておく。お前たち弟子たちが、律法学者やパリサイ人の心掛けに劣れば、決して天国に入ることはできない。
昔の人々は『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』って言うじゃない? しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判沙汰じゃあ! 兄弟にむかって愚か者と言う者は、やっぱり裁判沙汰じゃあ。また、ばか者と言う者は、焼き殺されるぞ。レアでジワジワと。だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟と不仲なのを思い出したら、供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。よくあなたに言っておく。スッカラカンになってしまうまでは、決してそこから出てくることはできないんだぜ。
解説
律法を守れとは、ユダヤ教を守れと言う事だと思います。歴史的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の順番で、一神教は推移してきたようです。
つまり、三つの宗教の神様が同一らしいのですが、なんだか仲良くできないですね。結局は人間側の解釈の違いから、争いは起こる訳で、つまり、神様の意図が反映されない教えになってしまった気がします。
ここでは、実際上は罪にならない事でも、心に思うだけで罪になる事を説いています。まぁ、原罪に関する話なんだと思います。
人間は、産まれながらに罪人で、どうしても悪い思いが出てしまう。それを神様に告白してスッキリするのが、懺悔と言う事なんだと思います。まぁ、少しずつは改善しようとする心理が働くので、意味がある事でしょう。
もちろん、犯罪者に懺悔だけさせて放置しては、社会的に混乱してしまいますから、罰せねばなりません。キリスト教が全ての問題を完全に解決するのは不可能です。
当時、イエスを新たなカリスマ、新しい指導者と見る人々も多かったでしょう。ですが、イエスは昔からある律法の遵守を説きます。まずは土台をしっかりさせて、新たな建物を建てると言う事でしょう。
☆≡
『Hは駄目よ』って言うじゃない? でも、だれでも、うっかり助平な目で女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体不満足でも、全身が地獄に投げ入れられなきゃ、あなたは満足な筈。
もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てちゃって。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとってハッピーって事。
また『妻を出す者は離婚届を提出』と言われているでしょ。しかしね、女房と畳は新しい方が良いって訳にはいかないの。
だれでも、とんでもないビッチじゃなきゃ、自分の妻を出す者は、姦淫の同罪よ。また出された女をめとる者も、姦淫罪が適用されます。
解説
姦淫に関する戒めですね。かなり抑圧的な内容で、不倫などの定義も厳しいです。
いやいや、目とか手より、罪を犯すのは脳でしょう。などと思いますが、説教上の例えとしての表現でしょうね。つまり心得だと思います。過激な表現でインパクトを与えるのは良い方法です。「全米が泣いた」とか、「NHKをぶっ壊す」とか、印象に残ります。実際に目をくり抜いたり手足を切り取っても、何の解決にもなりません。言わば心の中でも罪を犯さないように、ユダヤの戒律より自分を戒めよ。と言う事でしょう。
ところで、たまに聖職者の不祥事が発覚しますが、実際に多いのでしょうか? よく解りませんが、過度に意識し過ぎない方が良い気がします。
☆≡
昔の人はさ、『嘘こくでねぇ、有言実行、すべて主に対して果せ』と言うじゃない? しかしさ、それこそ『嘘こくでねぇ』よ。いっさい誓っちゃだめ。天をさして誓うのは、そこは神の領域だから激オコだって。また、地も駄目よ。そこは神のオットマンね。また、エルサレムをさして誓うのもNG。それは『大王の都』でしょう。また、自分の頭をさして誓うのも愚かね。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができないじゃん。言っておくけど、お洒落染めするのは無しよ。
あなたがたはね、ただ、イエス、オー、イエス。ノー、オー、ノーと言えばいい。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
解説
謙虚であれ。と言う事でしょうか? たまに外国の映画で、「○○に誓って」と言う表現が出て来ますが、あれの事でしょうか?
そもそも人間の誕生については、聖書でも少ししか触れていないので、解らない事ばかりですね。そう、人間は何も知らないのかも知れません。謙虚な心で色々な意見に耳を傾けましょう。
科学者の意見にも、宗教家の意見にも、それぞれ理があります。お互いに過度に否定する必要はない気がします。どちらも、真面目に取り組んでいるのですから。
☆≡
『銃には銃を、ミサイルにはミサイルを』って言うでしょう?
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
あなたを訴えて上着を取ろうとする者には、下着をも与えなさい。 もし、だれかが、あなたをしいて1㌔走らせようとするなら、その人と共に2㌔走りなさい。
求める者には与え、借りようとする者を断るな。イエスマン。
解説
有名な「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」ですね。
現実ではこうは行かない場合が多く、実行すればとんでもない事態になってしまう場合も少なく無い気がします。
国際紛争では、敵に占領されてしまうでしょう。まぁ、敵と定義しないのが、この言葉の骨子ですけどね。
ただ、神に全ての裁決を任せる信者なら、無抵抗に徹するべきなのかも知れません。神を名目に争う事は、神の裁きを信頼せず、人の裁量で罰を与えようとする傲慢な行為かも知れません。
とは言え、現実社会では、人が人に罰を与えなければ収拾がつかない場面も多々あります。犯罪者を野放しにするのは怖いですからね。「右の胸を刺されたら、もう左の胸を差し出す余力はありません」
つまり、イエスが語る内容は、やがて来るであろう理想社会を見越して語っているのかも知れません。遠い未来が見えていたイエスは、地上に天国を造るためのヒントを授けていたのでは? などとSF的な解釈でした。
☆≡
『同胞を愛し、敵を憎め』と言うでしょう? しかしね、それじゃ駄目なの。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。そうすりゃ、神様も子供だって認知してくれるよ。
神様は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らすでしょ。
自分を愛する者を愛したからってさ、当たり前じゃん。そんな事はさ、どんな甘ったれでもできる。 知り合いだけに挨拶をしたからって、どんだけの偉業になるのよ? そんな事は、ちょっと常識があるレベルじゃない。それだから、神様が完全であられるように、完全な者を目指そうよ。
解説
神が平等である事を、解りやすく説いています。まぁ、いま居る自分の立場を悲観せずに生きろと言う事でしょうか? 某書籍のタイトルを引用するなら、「置かれた場所で咲きなさい」と言う事なんだと思います。
国に於いても、海が無いとか、資源が無いとか、隣国が嫌いなどの理由で争えば、大変な悲劇が生まれます。全ての人が思い遣りと優しさを持つ社会が理想ですが、果たして希望溢れる未来はあるのでしょうか?
☆≡
人前でええかっこしいをしないように注意しなさい。もし、そうしないと、神様から報いを受けることができません。だから、施しをする時には、偽善者たちがする様に、会堂や町の中でこれ見よがしにするな。つまり、自分の前でラッパを吹き鳴らすのはあざといよ。
よく言っておくけど、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたは施しを右の手でする場合、左の手にすら知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためです。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるでしょう。
解説
どうしても、人は他者からどう見られているかを気にしてしまいます。やっぱり、良い行いはアピールしたいでしょう。ですが、その行為も行きすぎるとマイナスポイントになりかねません。だから、神様にアピールするには、こっそり行うのが良いようです。
もっとも、自分が得をするために何かをする場合は、アピールする事に意味がある訳で、得を取るか? 徳を取るか? と言う事でしょうか?
☆≡
祈る時にはさ、アピールのし過ぎはよくないよ。アピちゃんは人に見せようとして、繁華街やイベント会場で大声を上げて祈るけどね、神様には逆効果。
つまり、彼らはその報いを受けてしまっている。
祈る時は、自分の部屋に入り、戸を閉じて、目に見えない神様に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられる神様は、報いてくださるでしょう。
また、祈る場合、しつこくするな。言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思ったら大間違いです。だから、アピ星人の真似をするな。神様は、言わなくても必要なものは解っている。だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、今日もお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
解説
神様にアピールしているのか? 周囲の人にアピールしているのか? やはり心持ちが大切なようです。
それにしても、天に行われるとおり地でも行われますように。とは、やはり地上に天国を造る計画なのかも知れません。
☆≡
もしも、あんたが他人を許すなら、神様もあんたを許すだろう。もし他人を許さないなら、神様も、あんたの過ちを許さないだろう。
また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、苦しさをアピールするアピ星人だ。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたがたは断食をする時には、化粧をして顔を洗いなさい。
それは断食をしていることが人に知られないで、目に見えない神様に知られるためである。すると、神様は報いて下さるでしょう。
解説
常に人の目より、神様の目を気にしろ。と言う事でしょうか?
話は違いますが、道端に財布が落ちている場合、「ラッキー神様ありがとう」と猫ババする解釈もありますが、「これは、神様から正しい行動をするか試されているんだ」と、ちゃんと届け出をする解釈も成り立ちますね。
神様を信じていたとしても、行動が真逆になるのは、解釈の違いの難しさと言うか、人は自分が信じたい解釈を信じてしまうのだと感じます。
☆≡
自分のために宝を溜め込むのはどうかと思うよ。むしろ、天に宝を貯えてみては? あなたの宝のある所には、心もあるでしょ。目は心の窓って言うじゃない? だから、あなたの目が澄んでいれば、明るい人に見えるんじゃない?
しかし、あなたの目が濁っていれば、暗い人でしょう? だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、漆黒の闇のよう。
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛したりするからね。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
解説
人生の優先順位を神様にしなさい。と言う事なんだと思うのですが、教会への寄付を促す常套句に使われそうな面もあります。まぁ、きちんと自分を律している聖職者なら、あまり「くれくれ」などと言わないと思います。
何事も程々と言う物があり、日々の生活も大切です。おそらく、金に取り憑かれて人間性を失った一部の人へのメッセージかと?
「金さえあればなぁ~」と溜め息をつく方は御用心。取り合えず、お金の管理をしっかりとし、無駄な出費を控える事を心がけましょう。
☆≡
ちょっと言わせて貰うよ。食欲に惑わされるな! 装飾に気を取られるな! 何故なら、命は食物より上だし、からだは着物より上でしょう。
空の鳥なんて、まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それなのに、神様は彼らを養っている。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者なんじゃない?
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができると思います?
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのよ。野の花がどうして育っているか、考えて見なさいな。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあると思います?
ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、食ったり着たり見栄を張っても無駄な事だって言うの。それは、異邦人が切に求めているものだからね。
神様は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じです。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるものです。
だから、明日のことを思いわずらわず、明日の事は明日になったら考えよう。一日の苦労は、その日一日だけで十分です。
解説
落ち込んだ時に元気が出る言葉です。余計なものを取っ払って出した答えのようで、シンプルイズベストな感じです。物事も、違う角度から見れば、景色も違ってきます。
異邦人が切に願っている。と言う記述は、今に置き換えると、ノンクリスチャンが切に願っている。となるのでしょうか?
明日の事を思い煩うな。と言うのは、できれば実行したいですね。ウニウニと考え事をすると、熟睡できないです。
明日の事は明日が思い煩う。とは良い感じ。まぁ、そうは言っても人間だもの……。
☆≡
人を責めちゃ駄目。それは自分が誹謗中傷炎上しないため。あなたが私的裁判官になって裁くそのさばきで、自分も裁かれ、あなたが他人を測ろうとすれば、他人もあなたを測ろうとするでしょう。
なぜ、兄弟の目ヤニを見ながら偉そうにしているの? あんたの目には梁がブッ刺さっているのよ。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目ヤニを取らせてください、と言えます?
まず、自分の目から大工さんに頼んで梁を撤去すれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目ヤニを取りのけることができるでしょう。
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおって餌をねだるだろう。
解説
豚に真珠の語源になった箇所ですね。
ここ、表現がオーバーで好みです。目に付いた梁とは、建物の屋根を支える横木の事だと思います。
つまり、かなり長大で、目に刺さるようなレベルでは無い筈で、まして、気が付かない筈はありません。
聞いていた人も、笑う所なのか? 真剣に聴く所なのか? 迷いそう。いや、どっちなんだろう? イエスキリストは、芸人以上に話の掴みの大切さを知っていたと思われます。キラーワードを炸裂させる大切さは、今も昔も一緒なのでしょう。
求めて来てよ。そうしないと道が開けないぞ。捜すべき、そうしないと見つからない。門をたたけ、そうすれば開けて貰える筈。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるから。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者がいる? 魚を求めるのに、へびを与える者がいる?
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、神様なら尚更、求めてくる者に良いものをくれるでしょう。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにしようよ。これが律法であり預言者っていう事。
解説
求めよ。と言うのは、積極的に生きろと言う事なんだと思います。この積極性が、かなり足りないんですよ。なかなか自分の殻が破れず、殻の中で腐ってしまいそうです。
あとは、人からして欲しい事は、人にもしよう。と言う意見は、人間関係の基本ですね。
☆≡
滅びにいたる門ってのはさ、その道は広く大きい。そして、そこからはいって行く者が多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者は少ない。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、可愛い着ぐるみを着ていても、中身は解らない。けど、あなたは、その実によって彼らを見わけるのよ。松からピーチを、あざみからストロベリーを集める者が居ます? そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできないのです。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる運命なのよ。このように、あなたはその実によって彼らを見わけるのです。
馴れ馴れしく『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいます神様の御旨を行う者だけが、入るのです。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざ を行ったではありませんか』と言うでしょう。そのときは、決め台詞が炸裂するから覚悟して。
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』
解説
その木にできる実を見て判断するには、相応の知識と経験と善悪の区別がつかないといけませんね。欲望をそそられる話にはご用心です。
そして気になるのが、以下の記述です。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざ を行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』
この記述は、神を信じる事を公言している人を連想させます。キリスト教に限らず、神を利用して他人を操ろうとする人は居て、霊感詐欺などの犯罪は元より、戦争やテロに発展する事もあります。
そう言う人は、神の為と言う美名の元、その実、自分に都合が良い解釈でねじ曲げ、神を利用します。つまり、正しい解釈が重要になりますね。
☆≡
わたしの忠告を聞く人ってさ、岩の上に自分の家を建てた賢い人なんだよね。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れないのよ。なんせ、岩を土台としているから。
また、わたしの言葉を聞いても行わない人ってさ、砂の上に自分の家を建てた愚かな人なのよ。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方は悲惨。有り得ねぇって感じ」
イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように語るからだった。
解説
何事も土台が大切ですね。
当然、ここで言われているのは、建物の事ではなく、個々の人生なんでしょうね。土台がしっかりしていない身としては、耳が痛いですね。
そう言えば、家がテーマの童話に、『三匹の子豚』がありますね。聖書の影響を受けたのでしょうか?
☆≡
イエスが山を降りると、ぞろぞろと群衆がついてきた。すると、そのとき、ひとりのツトラウスがイエスのところにきて、ひれ伏して言った、
ツト「主よ、みこころでしたら、治していただけますか?」
イエス「そうしてあげよう、回復(ヒール)」
すると、ツトラウスは直ち治った。
イエス「だれにも話さないでね。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」
ツト「誰にも話さない?」
解説
イエスキリストと言えば、病を治す奇蹟ですね。まぁ、病が治れば感謝もするし、付いていくでしょうね。ちなみに、ツトラウスは病気の仮名です。
☆≡
さて、イエスがカペナウムに帰ってくると、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、
百「主よ、わたしの召使いが中風でひどく苦しんで、家で寝ています」
イエス「わたしが行ってなおしてあげよう」
百「主よ、お越し頂く資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば召使いは治ります。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、召使いに『これをせよ』と言えば、してくれるのです」
イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、
イエス「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。なお、今や東西南北から人が集まる時代なの。インターネットもあるしね。だから、天国へ入れるのが、あんたらだけとは限りませんよ。選民が外の闇に追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする事になりますよ。気を付けてよ」
それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、召使いは完治した。
それから、イエスはペテロの家に入って行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。
夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとく治した。
解説
いや、百率長と言う階級がどれくらい偉いのか解りませんが、中隊長といった感じでしょうか? それにしても、謙虚な人のようです。イエスを尊敬していると言う事でしょうか? 命令系統に例える所も職業柄ですね。有能な人だと感じさせます。
さて、当時のユダヤ人は、神に選ばれた民だと言う選民思想があって、自分たちは当然のように天国へ行けると思っていましたが、正しい信仰をする人なら、ユダヤ人に限らず天国へ行けると言う事でしょうか?
むしろ、神の前に正しい信仰であるかが重要で、血筋とは関係ない事を言いたいのでしょう。ユダヤ教信者には、衝撃的な内容だったでしょう。「既得権益をぶっ壊す!」みたいな?
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