Flower sickness

ばりお

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前編

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 今日はどうも胸の辺りがむかむかする日だった。
 
 ちなみに言うと、機嫌が悪くてなる類のものではなく、嘔吐感の方だ。機嫌は別に悪く無い。いや、悪く無かったはずなのに、具合が悪いせいで、仕事が終わる頃には機嫌まで少し悪くなっていた。何なんだ。別に吐き気がするような心当たりはねぇぞ。昨日酒飲んだワケでもねぇし、風邪引いただの腹下しただのの覚えもねぇぞ。乗り物酔いも有りえねぇ。俺の三半規管ナメんな。
 
 警護の仕事中は、まだ見て見ぬフリを出来るくらいの違和感だった。でも、さあ空港から帰るぞって、月影さんの背中をぼんやり眺めつつ数歩後ろを歩いている時になって、いきなり来た。
 
「ッ……!!」
 
 一気にせり上がって来る耐え切れないくらいの吐き気に、口元を覆ってその場にしゃがみ込む。ダメだ。吐く。
 
「ど……どうした!?」
 
 俺の少し後ろを歩いていた紬が必然的にすぐ気付いたようで、慌てた声が聞こえた。最悪だ。こんな大衆のド真ん中で、吐く所なんて見られたくないし、誰も見たくもないだろう。盛大に咳き込みながらそう思った。
 だけど、口の中に胃液の味はしなかったし、そもそも俺の口から出てきたのは胃の中身でもなかった。
 
 口の中に、噎せ返るくらいの甘ったるい匂いが広がって、軽くて薄い花びらが、ばらばらと床に吐き出される。
 ……は?
 
 当然、俺は理解出来ずに固まった。人間予想外の事が起こりすぎると、取りあえず周囲の人間に説明を求めて視線を流してしまうモンらしい。顔を上げて紬、そしていつのまにか俺の傍に来ていた月影さんの事を見る。
 二人共、俺と同じように、呆気にとられた顔をしていた。
 
「……いや……手品の披露なら他所でやってくんね……?」
「手品じゃねぇッ!!」
 
 そんな中、最初に言葉を発したのは紬だった。反射的に返した俺の口から、またぽろりと花びらが一枚零れた。
 
 

 
 嘔吐中枢花被性疾患
 
 あの後、紬からさんざ
 いやいや手品以外の何物でもないだろ。何? サプライズのつもり? ないわー、仕事中に遊んでるとか、マジないわー。つか、手品だったとしてもお前にソレは似合わないからな? 大人しく万国旗でも出してろ。
 なんてボロッカスに言われ、最終的にもう手品でいいですと理解を求める事を諦めた俺は、帰るその足で病院に駆け込んだ。
 そして、言った所で信じてもらえるんだろうかとか、人間の口から花が出てくるなんて、これまで見た事も聞いた事も無いとか、そもそも物理的に説明出来なくね? とか、色んな不安を抱えながら診察を受けた結果、俺に与えられた診断名が、ソレだった。
 
 おうとちゅうすうかひせい……疾患?
 
「俗には、花吐き病って言われてるんだけどね」
 
 俗称すらあったーーー!!
 さらりと言ってきた医者に、現代医学の見分の深さを思い知った。きっと世界には、俺には見た事も聞いた事もなく、想像も出来ないような難病奇病がごろっごろ転がっていて、医学界は日々それの研究に明け暮れているのだろう。頭が下がる心持だ。
 
「……で、結局何が起こってこうなる病気なんすか?薬とかで治るんですか?」
 
 でも、俺が今知りたいのは病名でもその俗称でもなく、治し方だ。口からボロッボロ花びらが出てくるなんて明らかに普通の状態じゃない。それに、花びらって言えば普通に吐くよりまだ綺麗な感じはするけど、吐き気がする事も口から物出してる事実も変わらないワケだ。今は落ち着いてるけど、この先もあの空港の時みたいな調子だと、仕事にも日常生活にも支障をきたす。
 
 しかし、俺の質問に対して、医者は難しそうな顔をした。
 
「……実はね……花吐き病に有効な治療薬は、現在もまだ開発されていないんだ」
 
 そして、にわかには信じがたい事実を口にした。
 
「は?」
 
 思わず眉を顰めて聞き返すと、目の前の肩がびくりとすくんだ。顔立ちが鋭い自覚はある。どうやら意図せず威圧感が滲んでしまっていたらしい。大丈夫です。怒ってません。
 
「でも、治す方法はあるから!」
 
 弁明するように慌ててそう言われ、ほっと胸を撫で下ろす。
 
「その前に一つ聞きたいんだけど……君は今、誰かに片思いをしているね? それも、拗らせるぐらい強烈なヤツを」
「……はぁ!?」
 
 病気の事を説明して欲しいのに、いきなり真剣な顔で訳の分からない事を探ってきた医者に、今度こそ明確に怒りを込めて返した。だが今度はといえば、医者の野郎はひるまずに俺を眺めている。一体なんだっていうんだ。
 
「してねぇ」
 
 教えてやる義理なんてないからそう答えた。しかし向こうからは「そんなはずはない」という否定の言葉が返ってきた。
 
「まずはそれを自覚しないと、花吐き病は治らないよ。これは、強い恋心を抱き続けた人がかかる病気だから」
 
 ……何を言っているんだコイツは。と思った。もしかして俺はからかわれてんのか? それとも夢でも見てんのか? 非現実的すぎて頭がついていかない。
 そこで看護師が、一冊の本を持って診察室に入ってきた。それを医者に渡すと、何も言わずに出て行ってしまう。
 医者は、あるページを開いて俺に見せてきた。
 
 そこには、今まさに俺がかかっているらしい、花吐き病の症状と治療方法が記されていた。
 
 

 
 会計を済ませて病院を出て、色々と混乱している頭を鎮めるためにも、少し遠回りの道を歩いて駐車場へ向かっていた。
 
 
 嘔吐中枢花被性疾患
 通称、花吐き病
 
 遥か昔から潜伏と流行を繰り返して来た病
 片思いを拗らせると口から花を吐き出すようになる。それ以外の症状は確認されていない
 吐き出された花に接触すると感染する
 根本的な治療法は未だ見つかっていない。ただし両想いになると、白銀の百合を吐き出して完治する
 
 
 花吐き病について記されていた文章量は、たったそれだけだった。
 
 空港で吐いた時、誰も花に触ってなかったのが幸いだ。感染症だったなんて、誰が思うかこんなもん。これから花を吐く事があれば、後始末だけはキッチリやっとこう。
 
「こんなの、女子供がかかるような病気じゃねぇの……?」
 
 それにしてもこの病気、あまりにもメルヘンでファンタジーすぎる。つまり恋の病って事か? どっちにしろ、三十手前の野郎には不釣り合いな病気だ。自分で自分に寒気がするレベルだ。
 
 胸を摩ってみる。あの強烈な吐き気が、今は嘘のように落ち着いていた。もしかして、あれは夢か何かだったんじゃないかとすら思う。
 
 でも……
 心当たりが、全く無いワケでは、なかった。
 
 突然だが、現在俺には、定期的にセックスしている相手がいる。
 ソイツは俺の上司で、男だ。ちなみに俺のメンツのために言っておくが、俺が抱く側だ。
 
 ソイツは一般人にあるまじきレベルの美形で、昔から男にも女にもモテるようなヤツだったらしいが、奥さんを事故で亡くしてからというもの、その喪失感を埋めるために野郎とのセックスにドハマリして、とっかえひっかえしてるっていう、字面だけ見ればかなりのビッチだ。
 でもそんなビッチであれ、俺は昔からその人の事を尊敬してきたし、憧れてきた。その人の爛れた性事情なんて知りもしない時期から大好きだった。ただそれは性欲の対象ではなく、純粋にその人が、同じ男として、カッコよかったからだ。
 
 何とかその人と一緒に仕事をしたいがために、その人が苦手な射撃の腕をとにかく磨き、同じくその人が得意でない上使用人口が多いという理由のみで中国語もマスターした。そして嫌がられようが拒否されようがストーカーの如く毎日毎日追い回し、一緒に仕事をさせてくれと頼み込み続けた。結果、まんまと直属の部下のポジションを手に入れた。自分の執念と心の強さに拍手を送りたい。
 
 その後、どうしても上司部下の関係が密になるというこの仕事の特性上、その人が付き合っている訳でも無い不特定多数の野郎とヤりまくってる事実を知った。元々野郎に変な手つきで触れられているのを何度となく見てその度に「ん?」と思ってはいたが、実際事実を突きつけられると胸糞悪すぎてどうにかなるんじゃないかと思った。
 
 あの人が、ただ性処理出来ればいいと思ってるようなヤツに抱かれてるっていうのが、腹立たしくて仕方なかった。
 そんな野郎に、あの人はふさわしくない。そんな野郎の性処理に使われていいような人じゃない。どこの馬の骨とも知らないような男が、俺の憧れの人を好き勝手してんじゃねぇ。
 俺なら、もっと大事にしてやれる。俺なら、あの人の事を丸ごと理解してやれる。だったら、これからは俺が面倒を見てやればいい。だって俺はあの人の事が大好きだ。隙間風しのげりゃ誰でもいいんなら、そういうヤツに抱かれた方が、あの人だって幸せに決まってる。
 
 そう思って半ば無理矢理、俺意外と寝るなという約束を取り付けた。最初は部下相手にそんな事は出来ないだの何だの口うるせぇ事言ってはいたが、口説き落とした挙句何回か気持ちよくしてやったらあの人も大人しく股を開くようになった。そして、今に至る。
 
 ちなみに、そう、相手は月影さんだ。
 
「ケホッ……」
 
 頭の中で月影さんの名前を思い浮かべた途端、小さく咽た。舌の上に何かが乗っている感触がある。取り出してみると案の定、花だった。
 確定だ。言い逃れが出来ない。認めたくないが、そういう事のようだ。
 
 桜みたいな小ぶりの、だけど桜よりも色の濃い花だ。確か空港で吐いた時は、濃いピンク色の大きな花びらだったはずだ。その時々で吐く花が変わるモンなのか。
 こじらせる程好きなヤツが居なけりゃ何の害もないのだが、一応感染症ではある。責任もって始末するためそれをポケットに仕舞った。
 
 最初は純然たる憧れだった。
 仕事をしている月影さんが、他とは一線を画す存在感が、そして口から出る言葉の一つ一つが、格好良かった。だから追いかけた。それがいつどのタイミングで惚れた腫れたに切り替わったかなんて、自分でもよく分からない。
 だけど、成人するかしないかの辺りから、ずっとあの人を追いかけ続けてきた事は事実だ。そして今ではなんやかんや理由をつけてセックスまでする関係に持ち込み、挙句自分以外と寝ないようにと約束させているのも事実だ。
 
 拗らせる程の片思い、という表現も、成程、言い得て妙だなと思った。
 
 

 
「おっ、エセマジシャンじゃねぇか」
 
 会社で紬と顔を合わせると、いの一番にニヤつきながらからかわれた。サクッと脳天撃ちぬこうかとも思ったが、生憎出勤直後で手元に銃が無かったため未遂に終わる。
 それに、相変わらずあれが変な手品だと勘違いされている事に関しては、今はむしろ好都合だった。
 
 元々ほぼ認知されていない病気なのだ。
 だったら、手品だと思われたままでいい。俺はそう結論付けた。
 
 完治の方法は両想いになって白銀の百合を吐く事?
 声を大にして言おう。そんな事は有りえない。
 あの人が心の中でずっと思い続けている人間は、この先一生変わる事はない。だから俺が本当の意味で月影さんに思われるなんて、天変地異が起こるレベルで有りえない。
 
 俺は、亡くなった奥さんをそれでも後生大事に想い続けている月影さんが好きだ。それも含めてあの人はあの人だと思っている。むしろあの人が、気持ちをいとも簡単にコロリと捨ててしまえるような男であったなら、俺は花を吐くまで拗らせてなどいなかっただろう。
 月影さんが月影さんである以上、俺は百合を吐く事なんて無い。
 
 だから、この先もずっと、せいぜいみじめったらしく花を吐き続ければいいと思う。
 えづき続ける苦痛に耐えかねて、そのうち諦めがつくだろう。ああ、無理なんだと、心の底から認めて腑に落ちる時が来るだろう。今はまだ、もしかしたらあの人に見て貰えるんじゃないかって、そんな希望に縋っているだけだ。
 
 直属の部下になって、思う存分隣に居られて、挙句セックスまでするようになった。上等だ。それで十分だ。これ以上欲を出すなっつー、目に見えない何かからの当てつけだ。
 
 腑に落とせば、終わる。
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