干支桃源郷物語

ばりお

文字の大きさ
6 / 7

龍の願い

しおりを挟む
 新緑の香りが心地いい、とある晴れた日の事です。紅は、桃源郷にある見晴らしのいい丘の上を訪れていました。その手の中には、シロツメクサで編まれた不格好な冠が握られています。
「こういう細けぇ作業は苦手なんだよなぁ」
 彼の目の前には、膝丈程の大きさの、丸みを帯びた石が立っています。誰に見られているわけでもないのに言い訳がましく呟いてから、紅は花冠を石に被せました。そよりと、風が小さな花弁を撫でる様子を眺め、それから石と向かい合う形で腰を下ろします。
「ま、知ってたさ。分かり切ってた。こうなる事は。今までずっとそうだった。今更だ」
 それはまるで、自分自身に言い聞かせるかのような口ぶりでした。
 龍は他の動物達とは比べ物にならないくらいの長寿です。紅はこの桃源郷が出来る前からずっと、命が生まれては死に、繫栄しては衰退し、時代が移ろいゆく様を眺めていました。ユキの一生だって、紅にとっては瞬きしている間に終わってしまうくらい儚いもの。その理を変えることは、誰にも出来ません。
 果たして十年も経たぬうちに、ユキは天寿を全うしました。
 悲しくはありません。また一つ、小さき命が巡っただけの話です。何度も何度も見てきました。そんな事に一々心を痛めていては、龍として生きていけません。
 ただ少し、胸がすうすうするだけです。それだけです。
「小動物の一生なんざ、一瞬かと思ってたが……」
 目を閉じると、様々な光景が思い起こされます。
 祝言の日に、にこにこしながらシロツメクサの花冠を渡してきたユキの顔。ユキと仲の良い動物達と一緒にお花見をしたり、スイカを割ったり、色んなイベントに連れ出してくれた事。繁殖期のウサギの絶倫具合には、龍の自分ですら手を焼いたのも、今となっては笑い話です。
 そしてまさか自分がどこにも遊びに行かず、徐々に衰弱していくユキの傍にずっと付いて、その最期を看取るなんて。
「……中々どうして、思い出も出来るもんだな」
 自嘲しているような、寂しそうな、それでいて幸せそうな、小さな笑いが零れました。
 最初はただの気まぐれでした。
 悠久とも呼べる長い年月を生きる龍にとって、ウサギの一生分ぽっちの時間など、番ごっこのお付き合いに充てた所で痛くも痒くもなかったからです。
 だけどユキと過ごす時間は思いのほか楽しくて、独占欲や嫉妬心を向けられるわずらわしさこそあれ、それすら段々と愛おしく思えてきました。チョコマカと動く小動物の、表情豊かな一挙手一投足が可愛らしくて、面白くて、それを隣で眺めている日常は穏やかで、心満たされていました。そして有限の時を生きる生命だからこその懸命さや、命を繋ぎたいと願う欲求は、紅にとっては馬鹿馬鹿しくも尊いものでした。もう少しだけこの時間が続いて欲しい。もう少しだけ共に生きたいと願うようになった頃に、ユキは虹の橋を渡っていきました。
 十年前……紅にとってはついこの間の事。紅さんに好きになって貰えるように頑張りますと、息まいていた表情が思い起こされます。悔しいですが、まんまとしてやられました。ユキの思い通りにさせられてしまったわけです。
 瞳を開きます。相も変わらず晴れた空の下、花冠をかぶった物言わぬ石が鎮座しています。手を伸ばすと、太陽のおかげでほんのりと熱を持ち、さらりと乾いた質感が指先に触れました。
『紅さんと同じ種族に生まれたかった』
 息を引き取る少し前、ユキが掠れた声で呟いた一言が追想されます。
 だけど紅は身をもって知っています。不老長寿など、そんなによいものでもありません。この世の事はこれ全て、終わりが見えるからこそ輝いているのです。だから自分よりうんと短命で、ユキより少しだけ長寿な種族がいい。そんな種族に、二人で生まれられたなら。
「……ユキ、またいつか会おうな」
 手のひらを、ひたりと石に押し当てます。
「今度は俺も、お前も、お前と仲の良かった動物達もだ。全員で同じ時を生きよう。下らない事で悩もう。馬鹿みたいにはしゃごう。沢山泣いて、死ぬ程笑って、今度こそ共に、有限の時を生きよう」
 何かをつかみ取るように、指が畳まれていき、墓石に沿えたまま握りしめられます。気のせいでしょうか。紅の声は、少しだけ震えているように聞こえました。
「数えきれないくらいに命が巡って、時代が変わって、その時はきっと俺もお前も他の誰も、互いの事なんか覚えちゃいない。だけど、それでも俺は……っ」
 そこまで言った所で、紅が言葉に詰まりました。口角をぎゅっと結び、下を向きます。長い髪がカーテンのように表情を覆い隠し、彼が今どんな顔をしているのか、傍目から知る事は出来ません。
 ややあって、懐から煙管が取り出されました。紅が先端に鋭く息を吹きかけると、パチパチと炎が宿ります。吸い口を口の端に咥えて大きく肺を膨らませ、それから細く、長く、空気を吐き出す音が響きます。紫煙がゆるやかに風に溶けていきます。
 一連の動作を済ませた後、顔を上げると、そこにはいつも通りの笑みを浮かべる紅の表情がありました。
「なぁに」
 墓石を見据え、彼は自信たっぷりに歯を覗かせました。
「その時は俺が見つけるさ。全部纏めてな」
 俺に出来ない事なんてない。そうだろ? 大胆不敵な発言に、返事を返すように、花冠が風に揺れました。
 
 遠き未来か、遠き過去か、はたまた別の次元なのか、龍はウサギを見つけられたのでしょうか。
 願いの結末は、この物語とはまた別のお話です。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り

結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。 そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。 冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。 愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。 禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました

西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて… ほのほのです。 ※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。

処理中です...