309 / 354
第四部
十九話 どうもこうもない、絶望だ 中①
暗闇の中一人で捕まっていたのはさすがに堪えたのか、疲れた顔をしたライネルは真っ先に階段を上がって地下室から出て行く。暗い廊下で肩を回し、大きく深呼吸していた。
「それで、見守り石って何?」
剣を回収してくると言って隣の扉に向かうライネルを眺めながら、俺はヒューイに聞いてみる。
ライネルが入った部屋の中には、壁際に本棚があった。薄暗くて並んだ本の背表紙までは見えない。どんな本が置いてあるのか気になるけど、一通り確認してから確かめよう。
廊下の端に、さっきは気づかなかった燭台があった。ヒューイがマッチで蝋燭に火をつけて、俺を振り返る。
「見守り石は、位置を教える魔道具です。羅針盤と石が対になっていて、起動させると石の方角を針が指し示すんですよ」
その説明を聞いて、俺はなるほどと頷いた。
ライネルはルシアの鞄に入っている見守り石を目印にして、ここまで追ってきたということか。
剣を手に廊下に戻ったライネルに聞く。
「なぁ、それはもちろん、ルシアは承知してるんだよな?」
「え? ああ……まぁ……」
「おい」
嘘だな。
わかりやすく斜め上を見ているライネルを半目で睨む。
女の子を相手に、本人が知らないところで石を仕込むなんて有罪じゃないか?
ストーカー手前の現行犯で逮捕した方がいい気がしてきた。言っとくけど、グウェンだって付き合う前にそんなことはやらなかったぞ。
「義兄上は承知している。問題ない」
「あるだろ」
思わずツッコミを入れた。デルトフィアに戻ったらルシアに告げ口してやる。
あと腹立つからお前がグウェンの口癖を使うな。
◇
現状確認のため、取り急ぎ今いる館の中を確かめることにした。
地下室に繋がっていた部屋から順番に扉を開けて、中を確認していく。ついでに盗まれた宝剣の事情がわかっていないライネルに、大まかな経緯を説明した。
ところどころに置いてあるランプや燭台に火を灯しながら進む。廊下にはランプに足すためのオイルが入った容器もあった。
「やっぱり、誰かこの館を使ってるみたいだな」
「ですね。今のところ怪しい部屋はないですけど」
どの部屋も埃っぽくて生活感はない。家具やベッドが置かれている部屋もあったが、掴み取れるほど埃が積もっていて、板材もかなり痛んでいる。
部屋の数が多いので、三人で手分けして進んだ。
「先輩、これ見てください」
その声で廊下にいた俺はヒューイを探す。近くの部屋にいたヒューイが俺を呼び、壁を指差した。
「あれです」
家具のない狭い部屋だった。俺も中に入り、目線の上までランプを持ち上げて翳してみる。壁一面に五芒星が描かれていた。
「うわ。決定的なものがあったな」
「ここがヌイ・グノーシュの隠れ家なんでしょうか。廃村に見えましたけど……」
ヒューイの隣に立って壁を眺めた。薄暗いし、俺が持ってるランプも大した明るさじゃないから全体はよく見えない。でも秋に幽霊屋敷の離れで見つけたものとよく似ていると思う。
「これ、どこかに繋がる転移魔法陣じゃないよな……」
「とりあえず、誰かが来ないように壊しておきます?」
「壊すって、どうやって」
「えーと、外の雪を集めてきて、ぶっ掛けて洗い流してみるとか?」
ヒューイの言葉に腕を組む。確かに、直接触るのは絶対避けた方がいいだろう。それなら物理的に壊すしかないよな。魔法も使えないし。
やるだけやってみるか、と口を開きかけたとき、
「おい! こっち来い!」
というライネルの大声が響いた。
一度廊下に出てキョロキョロする。俺とヒューイが魔法陣を眺めている間にどんどん先に進んでいたライネルが、奥の扉の前で俺達を呼んでいる。
「何かあったのか?」
「明らかに怪しい部屋がある。見てみろ」
そう言われて魔法陣が描かれた部屋からは一度離れ、ライネルの方に向かった。
外から覗くと、がらんとしたそこそこ広い部屋だった。ここも窓を塞がれていて真っ暗だ。でも部屋の中心はぼんやりと赤く光っている。
何か大きなものが置いてあるな、と俺がランプを持つ手を掲げて部屋の中を照らしたら、ぼうっと浮かび上がったのは大きな水瓶だった。
「瓶?」
瓶の中が赤く発光している。中はよく見えない。
瓶が置いてある床には、赤黒い魔法陣が描かれているのがわかる。
見た限り、他には何もない。静まりかえって人気もないことを確認して、俺は恐る恐る部屋に入り、その瓶に近づいてみた。魔法陣がなんなのかわからないが、めちゃくちゃ怪しい。
「先輩、気をつけてくださいよ」
ヒューイとライネルも俺の後についてきた。
瓶を覗こうとした俺の後ろから、ヒューイが怯えた声を出す。
「中に人の死体とか入ってないですよね……?」
それを聞いた俺はぴたっと動きを止めて、一歩後退した。素早くライネルを振り返る。
「ライネル、中確認して」
「なんで」
「怖いだろ。急にバラバラ死体とか入ってたらどうする? 俺は無理だ。お前が適任。それに俺に何かあったらグウェンがめっちゃ怒る」
「……俺だって得体の知れないものの中なんて見たくねーよ」
「お前のこと頼りになるって、ルシアに会ったらすごい褒めといてやるから。ついでに見守り石のことも黙っててやる」
捲し立てたらライネルは無言になり、仕方なさそうに前に出た。確認してくれるらしい。
俺の周り、損得勘定がはっきりしてる奴らばっかりで助かるよ。
ライネルが慎重な動作で瓶の中を覗いた。俺とヒューイは距離を取り、固唾を呑んで見守る。
最初はさっと中を見て首を引いたライネルは、「ん?」と首を傾げて再び中を覗いた。
「何だこれ。ただの……水か?」
「水?」
水なの?
きょとんとした俺はランプをヒューイに預けて瓶に近づく。ライネルの隣から中を覗くと、瓶の中は赤く光っていたが、満たされているのは水のような液体だ。
え? マジでただの水瓶なの?
よくよく目を凝らすと、瓶の底に大人の拳くらいの魔石が見えた。赤く発光しているのはその石が原因のようだ。
「えっと……水? 血とかじゃないように見えるな」
「濁ってないから、血ではないだろ」
「俺にも見せてください。ほんとだ、透明ですね。でもあの魔石、明らかにヤバそうですけど」
ヒューイも俺の横から顔を出してくる。
魔石は赤く発光していて、何かの術が起動しているのか、準備の段階なのかわからないが、普通ではないことは見て取れる。
「どうする? 無闇に手を出さない方がいいよな」
なんとなく、生き物の心臓みたいに見えないこともない。ゆらゆらと明滅する赤い光が石の内側から滲み出していて気味が悪かった。
「ここで何してるの」
「っえ?!」
突然、背後から声が聞こえてぎょっとした。勢いよく振り向くと、紫色の髪の女の子が部屋の入り口に立っている。
「ルシア!」
思わず叫んだのはライネルだ。
ルシアが鋭い目をしてこちらを見ている。
可憐な顔立ちは最後に会ったときから変わっていない。けれど長い髪は無造作にくくられていて、前髪はぼさぼさだ。ブラウスと上着は身体に合っているが、茶色のズボンはだぼっとして見える。
元来の容姿が百点満点なので、薄汚れていても文句なくかわいい。しかし今中に入っているのはノアだということが問題だ。
不愉快そうな顔で俺達を睥睨しているノアは、俺と目が合うとちらりと口端を上げた。
「へえ……ここに辿り着くなんて、レイナルド様ってやっぱり運はいいんだね」
「よくねぇよ」
ついツッコミを入れた。条件反射だ。最近トラブル続きで神経質だから。
俺の食い気味のセリフにノアは変な顔をしたが、視線をずらしてライネルを見た。
「この人を追ってきたの? 魔法が使えないと思って油断してたな。それならさっさと生け贄にして使っちゃえばよかった」
早く殺しておくんだったなと呟いたノアに、俺は眉を寄せる。
「ノア、目的はなんなんだ? この前のことといい、今度は宝剣を盗んで何をしようとしてる? まさか本気で悪魔を召喚しようとしてるわけじゃないよな」
「もちろん、召喚するんだよ」
あっさりと頷くノアに目を見開いた。
「本気か……? 何のために? 悪魔が地上に出て暴れたら、デルトフィアだけじゃなくて大陸中の国に危険が及ぶ。当然自分達も危ないってわかってんのか?」
「そんなの、使役すればいいんだよ。悪魔を飼い慣らせば、この世界の人間はもう誰も僕らに逆らえない」
ノアは不適な笑みを浮かべて目を細める。
悪魔を操れると信じて疑わないその表情を見て、俺はますます眉間に皺を寄せた。
本当にそんなことが可能だと思っているのか? 悪魔を使役するなんて、そんな荒唐無稽なことが……?
「ノア、君は誰の命令で動いてるんだ?」
秋の事件のときも、ノアは「あの方」と言っていた。背後に誰かがいるのは間違いない。今も僕らという言い方をした。
ここで黒幕のことを明かしてくれれば話は早いと思ったが、さすがにそんな下手は踏んでくれない。ノアはあざ笑うだけで答えなかった。
「ライネル、行くぞ!」
小声で囁いた。
話していても埒が明かない。捕らえてから尋問しよう。魔法は使えないから、実力行使でとっ捕まえて抵抗を封じる。
素早く反応したライネルがノアに向かって駆け出した。さすがの運動神経で瞬く間にノアに接近し、手を伸ばす。
「ルシアの身体を返せ!」
ノアは慌てることなく口角を上げ、ベルトに挟んでいたナイフをするりと引き抜いた。
「この身体に傷がついてもいいの?」
「っ」
ルシアの顔の前にナイフを掲げられて、ライネルが怯んだ。動きが鈍ったのを見て、今度はノアがナイフを振りかぶって切りかかる。
「ライネル!」
勢いよく振り下ろされるナイフを、ライネルは剣を納めたまま鞘で弾いた。
ルシアに当たってしまうのが怖いんだろう。険しい顔をしたライネルがノアの攻撃を受けながら下がっていく。
一方で俺はノアの背後から接近した。交戦している二人の後ろに近づいて、タイミングを計った。
ノアが腕を振り上げナイフを翳した瞬間、俺は床を蹴った。
背中に回り込んで取り押さえようとしたそのとき、ノアが突然ライネルに向かってナイフを投げつけた。
くるりと俺を振り返り、こちらに手を伸ばしてくる。
薄く笑みを浮かべたノアを見て、急ブレーキをかけた。もしかしたら転移の魔法陣を持っていて、またどこかに連れていかれるかもしれない。
慌ててノアの腕を避けると、部屋の隅から微かに風を切るような音がした。
「えっ?」
ゴッというこもった音と共に、突然室内に突風が吹いた。
「うわっ?!」
強い風に煽られて思わず体勢を崩す。
何だ? ノアの禁術か?
焦ってノアから距離を取ったが、薄暗い視界の先ではノアも風に巻かれてたたらを踏んでいた。
違和感を覚えた直後、風でランプの火が消えた。
「……しまったっ」
暗闇でノアの声が聞こえて、俺の視線の先を白っぽいものが掠めていく。
ぼやっとした赤い光だけを頼りに目を凝らすと、天井に舞い上がった何かがひらひらと落ちてくるのがわかった。
「……あれは」
羊皮紙だ。
二枚の羊皮紙が舞っている。
暗闇に慣れてきた目に血文字で描かれた魔法陣が見えた。
何の術の魔法陣かわからないが、ノアが血相を変えてその羊皮紙を追っているから、ピンとくる。
「ライネル、それを取れ!! 入れ替わりの術かも!」
違ったとしてもおそらく重要なものだ。ノアの手に渡る前に拾うべきだ。
俺も羊皮紙を追い、部屋の真ん中に走った。ライネルも同時に走り出していて、先に床に落ちた一枚を手に掴んだ。舌打ちしたノアがもう片方の羊皮紙を追う。
俺は後ろからノアの身体に飛びついて、羽交い締めにした。
「離せ!」
「ヒューイ!! 取れ!!」
俺達がもみ合っている間に羊皮紙はひらひらと下に落ち、慌てて駆け寄ったヒューイが掴む前に、それは水瓶の中に落ちた。
「あっ」
声を上げたのは、誰だったかわからない。
羊皮紙が瓶に沈む。
ボコッと大きな音を立てた水が、次の瞬間激しく波打ってザバッと一気に噴き出した。
「クソ!」
悪態をついたノアに強く突き飛ばされる。
水瓶はバキバキッという鈍い音を立てて粉々に割れた。破片が飛沫と共に辺りに飛び散って、俺達の上に降り注ぐ。
「うわっ」
「先輩、危ない!」
ヒューイに飛びつかれ、二人で折り重なって床に倒れた。
かばってくれたヒューイの陰から、宙に浮いた羊皮紙が燃えるように真っ赤に明滅するのが見えた。
強烈な閃光が辺りを照らし、目を開けていられなくなる。赤い光に全身を包まれた。
「それで、見守り石って何?」
剣を回収してくると言って隣の扉に向かうライネルを眺めながら、俺はヒューイに聞いてみる。
ライネルが入った部屋の中には、壁際に本棚があった。薄暗くて並んだ本の背表紙までは見えない。どんな本が置いてあるのか気になるけど、一通り確認してから確かめよう。
廊下の端に、さっきは気づかなかった燭台があった。ヒューイがマッチで蝋燭に火をつけて、俺を振り返る。
「見守り石は、位置を教える魔道具です。羅針盤と石が対になっていて、起動させると石の方角を針が指し示すんですよ」
その説明を聞いて、俺はなるほどと頷いた。
ライネルはルシアの鞄に入っている見守り石を目印にして、ここまで追ってきたということか。
剣を手に廊下に戻ったライネルに聞く。
「なぁ、それはもちろん、ルシアは承知してるんだよな?」
「え? ああ……まぁ……」
「おい」
嘘だな。
わかりやすく斜め上を見ているライネルを半目で睨む。
女の子を相手に、本人が知らないところで石を仕込むなんて有罪じゃないか?
ストーカー手前の現行犯で逮捕した方がいい気がしてきた。言っとくけど、グウェンだって付き合う前にそんなことはやらなかったぞ。
「義兄上は承知している。問題ない」
「あるだろ」
思わずツッコミを入れた。デルトフィアに戻ったらルシアに告げ口してやる。
あと腹立つからお前がグウェンの口癖を使うな。
◇
現状確認のため、取り急ぎ今いる館の中を確かめることにした。
地下室に繋がっていた部屋から順番に扉を開けて、中を確認していく。ついでに盗まれた宝剣の事情がわかっていないライネルに、大まかな経緯を説明した。
ところどころに置いてあるランプや燭台に火を灯しながら進む。廊下にはランプに足すためのオイルが入った容器もあった。
「やっぱり、誰かこの館を使ってるみたいだな」
「ですね。今のところ怪しい部屋はないですけど」
どの部屋も埃っぽくて生活感はない。家具やベッドが置かれている部屋もあったが、掴み取れるほど埃が積もっていて、板材もかなり痛んでいる。
部屋の数が多いので、三人で手分けして進んだ。
「先輩、これ見てください」
その声で廊下にいた俺はヒューイを探す。近くの部屋にいたヒューイが俺を呼び、壁を指差した。
「あれです」
家具のない狭い部屋だった。俺も中に入り、目線の上までランプを持ち上げて翳してみる。壁一面に五芒星が描かれていた。
「うわ。決定的なものがあったな」
「ここがヌイ・グノーシュの隠れ家なんでしょうか。廃村に見えましたけど……」
ヒューイの隣に立って壁を眺めた。薄暗いし、俺が持ってるランプも大した明るさじゃないから全体はよく見えない。でも秋に幽霊屋敷の離れで見つけたものとよく似ていると思う。
「これ、どこかに繋がる転移魔法陣じゃないよな……」
「とりあえず、誰かが来ないように壊しておきます?」
「壊すって、どうやって」
「えーと、外の雪を集めてきて、ぶっ掛けて洗い流してみるとか?」
ヒューイの言葉に腕を組む。確かに、直接触るのは絶対避けた方がいいだろう。それなら物理的に壊すしかないよな。魔法も使えないし。
やるだけやってみるか、と口を開きかけたとき、
「おい! こっち来い!」
というライネルの大声が響いた。
一度廊下に出てキョロキョロする。俺とヒューイが魔法陣を眺めている間にどんどん先に進んでいたライネルが、奥の扉の前で俺達を呼んでいる。
「何かあったのか?」
「明らかに怪しい部屋がある。見てみろ」
そう言われて魔法陣が描かれた部屋からは一度離れ、ライネルの方に向かった。
外から覗くと、がらんとしたそこそこ広い部屋だった。ここも窓を塞がれていて真っ暗だ。でも部屋の中心はぼんやりと赤く光っている。
何か大きなものが置いてあるな、と俺がランプを持つ手を掲げて部屋の中を照らしたら、ぼうっと浮かび上がったのは大きな水瓶だった。
「瓶?」
瓶の中が赤く発光している。中はよく見えない。
瓶が置いてある床には、赤黒い魔法陣が描かれているのがわかる。
見た限り、他には何もない。静まりかえって人気もないことを確認して、俺は恐る恐る部屋に入り、その瓶に近づいてみた。魔法陣がなんなのかわからないが、めちゃくちゃ怪しい。
「先輩、気をつけてくださいよ」
ヒューイとライネルも俺の後についてきた。
瓶を覗こうとした俺の後ろから、ヒューイが怯えた声を出す。
「中に人の死体とか入ってないですよね……?」
それを聞いた俺はぴたっと動きを止めて、一歩後退した。素早くライネルを振り返る。
「ライネル、中確認して」
「なんで」
「怖いだろ。急にバラバラ死体とか入ってたらどうする? 俺は無理だ。お前が適任。それに俺に何かあったらグウェンがめっちゃ怒る」
「……俺だって得体の知れないものの中なんて見たくねーよ」
「お前のこと頼りになるって、ルシアに会ったらすごい褒めといてやるから。ついでに見守り石のことも黙っててやる」
捲し立てたらライネルは無言になり、仕方なさそうに前に出た。確認してくれるらしい。
俺の周り、損得勘定がはっきりしてる奴らばっかりで助かるよ。
ライネルが慎重な動作で瓶の中を覗いた。俺とヒューイは距離を取り、固唾を呑んで見守る。
最初はさっと中を見て首を引いたライネルは、「ん?」と首を傾げて再び中を覗いた。
「何だこれ。ただの……水か?」
「水?」
水なの?
きょとんとした俺はランプをヒューイに預けて瓶に近づく。ライネルの隣から中を覗くと、瓶の中は赤く光っていたが、満たされているのは水のような液体だ。
え? マジでただの水瓶なの?
よくよく目を凝らすと、瓶の底に大人の拳くらいの魔石が見えた。赤く発光しているのはその石が原因のようだ。
「えっと……水? 血とかじゃないように見えるな」
「濁ってないから、血ではないだろ」
「俺にも見せてください。ほんとだ、透明ですね。でもあの魔石、明らかにヤバそうですけど」
ヒューイも俺の横から顔を出してくる。
魔石は赤く発光していて、何かの術が起動しているのか、準備の段階なのかわからないが、普通ではないことは見て取れる。
「どうする? 無闇に手を出さない方がいいよな」
なんとなく、生き物の心臓みたいに見えないこともない。ゆらゆらと明滅する赤い光が石の内側から滲み出していて気味が悪かった。
「ここで何してるの」
「っえ?!」
突然、背後から声が聞こえてぎょっとした。勢いよく振り向くと、紫色の髪の女の子が部屋の入り口に立っている。
「ルシア!」
思わず叫んだのはライネルだ。
ルシアが鋭い目をしてこちらを見ている。
可憐な顔立ちは最後に会ったときから変わっていない。けれど長い髪は無造作にくくられていて、前髪はぼさぼさだ。ブラウスと上着は身体に合っているが、茶色のズボンはだぼっとして見える。
元来の容姿が百点満点なので、薄汚れていても文句なくかわいい。しかし今中に入っているのはノアだということが問題だ。
不愉快そうな顔で俺達を睥睨しているノアは、俺と目が合うとちらりと口端を上げた。
「へえ……ここに辿り着くなんて、レイナルド様ってやっぱり運はいいんだね」
「よくねぇよ」
ついツッコミを入れた。条件反射だ。最近トラブル続きで神経質だから。
俺の食い気味のセリフにノアは変な顔をしたが、視線をずらしてライネルを見た。
「この人を追ってきたの? 魔法が使えないと思って油断してたな。それならさっさと生け贄にして使っちゃえばよかった」
早く殺しておくんだったなと呟いたノアに、俺は眉を寄せる。
「ノア、目的はなんなんだ? この前のことといい、今度は宝剣を盗んで何をしようとしてる? まさか本気で悪魔を召喚しようとしてるわけじゃないよな」
「もちろん、召喚するんだよ」
あっさりと頷くノアに目を見開いた。
「本気か……? 何のために? 悪魔が地上に出て暴れたら、デルトフィアだけじゃなくて大陸中の国に危険が及ぶ。当然自分達も危ないってわかってんのか?」
「そんなの、使役すればいいんだよ。悪魔を飼い慣らせば、この世界の人間はもう誰も僕らに逆らえない」
ノアは不適な笑みを浮かべて目を細める。
悪魔を操れると信じて疑わないその表情を見て、俺はますます眉間に皺を寄せた。
本当にそんなことが可能だと思っているのか? 悪魔を使役するなんて、そんな荒唐無稽なことが……?
「ノア、君は誰の命令で動いてるんだ?」
秋の事件のときも、ノアは「あの方」と言っていた。背後に誰かがいるのは間違いない。今も僕らという言い方をした。
ここで黒幕のことを明かしてくれれば話は早いと思ったが、さすがにそんな下手は踏んでくれない。ノアはあざ笑うだけで答えなかった。
「ライネル、行くぞ!」
小声で囁いた。
話していても埒が明かない。捕らえてから尋問しよう。魔法は使えないから、実力行使でとっ捕まえて抵抗を封じる。
素早く反応したライネルがノアに向かって駆け出した。さすがの運動神経で瞬く間にノアに接近し、手を伸ばす。
「ルシアの身体を返せ!」
ノアは慌てることなく口角を上げ、ベルトに挟んでいたナイフをするりと引き抜いた。
「この身体に傷がついてもいいの?」
「っ」
ルシアの顔の前にナイフを掲げられて、ライネルが怯んだ。動きが鈍ったのを見て、今度はノアがナイフを振りかぶって切りかかる。
「ライネル!」
勢いよく振り下ろされるナイフを、ライネルは剣を納めたまま鞘で弾いた。
ルシアに当たってしまうのが怖いんだろう。険しい顔をしたライネルがノアの攻撃を受けながら下がっていく。
一方で俺はノアの背後から接近した。交戦している二人の後ろに近づいて、タイミングを計った。
ノアが腕を振り上げナイフを翳した瞬間、俺は床を蹴った。
背中に回り込んで取り押さえようとしたそのとき、ノアが突然ライネルに向かってナイフを投げつけた。
くるりと俺を振り返り、こちらに手を伸ばしてくる。
薄く笑みを浮かべたノアを見て、急ブレーキをかけた。もしかしたら転移の魔法陣を持っていて、またどこかに連れていかれるかもしれない。
慌ててノアの腕を避けると、部屋の隅から微かに風を切るような音がした。
「えっ?」
ゴッというこもった音と共に、突然室内に突風が吹いた。
「うわっ?!」
強い風に煽られて思わず体勢を崩す。
何だ? ノアの禁術か?
焦ってノアから距離を取ったが、薄暗い視界の先ではノアも風に巻かれてたたらを踏んでいた。
違和感を覚えた直後、風でランプの火が消えた。
「……しまったっ」
暗闇でノアの声が聞こえて、俺の視線の先を白っぽいものが掠めていく。
ぼやっとした赤い光だけを頼りに目を凝らすと、天井に舞い上がった何かがひらひらと落ちてくるのがわかった。
「……あれは」
羊皮紙だ。
二枚の羊皮紙が舞っている。
暗闇に慣れてきた目に血文字で描かれた魔法陣が見えた。
何の術の魔法陣かわからないが、ノアが血相を変えてその羊皮紙を追っているから、ピンとくる。
「ライネル、それを取れ!! 入れ替わりの術かも!」
違ったとしてもおそらく重要なものだ。ノアの手に渡る前に拾うべきだ。
俺も羊皮紙を追い、部屋の真ん中に走った。ライネルも同時に走り出していて、先に床に落ちた一枚を手に掴んだ。舌打ちしたノアがもう片方の羊皮紙を追う。
俺は後ろからノアの身体に飛びついて、羽交い締めにした。
「離せ!」
「ヒューイ!! 取れ!!」
俺達がもみ合っている間に羊皮紙はひらひらと下に落ち、慌てて駆け寄ったヒューイが掴む前に、それは水瓶の中に落ちた。
「あっ」
声を上げたのは、誰だったかわからない。
羊皮紙が瓶に沈む。
ボコッと大きな音を立てた水が、次の瞬間激しく波打ってザバッと一気に噴き出した。
「クソ!」
悪態をついたノアに強く突き飛ばされる。
水瓶はバキバキッという鈍い音を立てて粉々に割れた。破片が飛沫と共に辺りに飛び散って、俺達の上に降り注ぐ。
「うわっ」
「先輩、危ない!」
ヒューイに飛びつかれ、二人で折り重なって床に倒れた。
かばってくれたヒューイの陰から、宙に浮いた羊皮紙が燃えるように真っ赤に明滅するのが見えた。
強烈な閃光が辺りを照らし、目を開けていられなくなる。赤い光に全身を包まれた。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります。
※(2025/4/20)第一章終わりました。少しお休みして、プロットが出来上がりましたらまた再開しますね。お付き合い頂き、本当にありがとうございました!
えちち話(セルフ二次創作)も反応ありがとうございます。少しお休みするのもあるので、このまま読めるようにしておきますね。
※♡、ブクマ、エールありがとうございます!すごく嬉しいです!
※表紙作りました!絵は描いた。ロゴをスコシプラス様に作って頂きました。可愛すぎてにこにこです♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
【完結】悪役令息の従者に転職しました
* ゆるゆ
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
『悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?』のカイの師匠も
『悪役令息の伴侶(予定)に転生しました』のトマの師匠も、このお話の主人公、透夜です!
表紙は、Pexelsさまより、Abdalrahman Zenoさまによる写真をお借りしました。ありがとうございます!
文章にはAIを使用しておりません。校正も自力です!(笑)
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?
水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。
断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。
しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。
これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
表紙は自作です(笑)
もっちもっちとセゥスです!(笑)
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。