悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第三部

三十六話 モンスタークルーズは大騒ぎ 前③

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 突然、ルネが立ち上がった。

「しっかりしなさい! アルノルト!!」

 張り詰めた空気を裂くような声で叫んだ彼女は、勢いよく後方を振り返った。いつ取り出したのか、手に杖を持ったルネが部屋の入り口に向けてその杖を構える。

「炎よ、紅蓮なる精霊の息吹を!」

 そう声を上げた瞬間、杖の先から炎の渦が迸った。炎は部屋の中を真っ直ぐに駆け抜け、入り口の扉をぶち抜く。
 ドカンと轟音を響かせて扉が吹き飛び、その音で部屋の中が騒然とした。男達がどよめきながら立ち上がる中、ルネはソファに座ったままの俺を強い眼差しで見下ろした。

「惑わされてはダメ! この人はアマデウス様を蔑ろに扱う人間。まともな取引などするわけがないわ!!」

 大声で叱咤されてハッとした。

 急に夢から覚めたような心地がする。

 伯爵を見ると、彼は慌てることなくルネを見ていたが、その目には微かな苛立ちが見えた。冷静な自分が戻ってくる。
 俺は今、何をしようとしていた?
 バレンダール公爵の名前を出されたからって、完全に冷静さを欠いていた。冷や汗をかきながらペンを投げ出し、俺もルネに続いて立ち上がった。

 後方を振り返ると、扉が破壊された直後、間髪入れずグウェンとシスト司教が飛び込んできた。
 グウェンは入り口から部屋の中を素早く見渡し、俺とルネの姿を見つけるとこちらに視線を固定する。
 近衛騎士団の団服を着た彼の登場で、部屋の中はさらに騒然となった。黒服の男達が急いで逃走を図ろうとてんでバラバラに走り出し、魔法を使える者が数人いたのか、何人かはグウェンに向かって杖を構え攻撃を始める。部屋の隅でケースを持った数人が消えたのも確認した。おそらく転移して逃げたんだろう。

「やれやれ。お嬢さんに邪魔されるとは思わなかったな」

 サリエル伯爵が疲れたようにそう呟いて、背もたれに掴まりながらソファから立ち上がった。ゆっくりと背広の内ポケットに手を伸ばす。俺は魔法でソファを跳ね飛ばして後方のスペースを確保し、ルネを背中に庇った。ちらりと振り返って見たグウェンは、攻撃を撃ち返しながらまっすぐにこちらに向かってくる。

 サリエル伯爵が背広から赤い石を取り出した。そしてそれを俺に投げる。さっき見せられた魔石によく似た、赤い輝きを放つ石だった。
 石の表面にバチっと火花が爆ぜるのを見て、俺は咄嗟に広域結界を展開した。

 バチバチッ

 と音を立てた石が俺の結界に触れた瞬間、ボッと燃え上がった。立ち昇った炎の向こうに、サリエル伯爵がもう一つの石を背広から取り出すのが見える。

 今度は転移石か。

 逃げられる、と焦った俺の前で、サリエル伯爵は突然ネジが止まったように動きを止めた。片手で胸を押さえるように身を屈めるのが見えた瞬間、先ほどの石が爆発した。ドォン!! と腹に響くような音と共に、噴出した黒煙と炎で目の前が見えなくなる。結界のおかげで爆炎は防がれたが、後ろでルネが小さく悲鳴を上げた。
 俺は食い入るように伯爵がいた場所を凝視する。煙のせいで姿が見えない。

 後ろに人の気配を感じて振り返ると、グウェンがたどり着いていた。複数の男達から攻撃されていたが、汗一つかかずに涼しい顔をしている。すでに無力化できたらしい。さすがだ。入り口に残されたシスト司教が上手く立ち回っているか少し心配だけど、彼は結界を張れるから自分の身は守れるだろう。

「悪い。結局混戦になった」

 視線を前に戻しながらそう言うと、グウェンは「問題ない」と答えて俺の横に来た。俺はルネを背中に庇ったまま、爆風が収まり前方から次の攻撃が放たれないことを確認して結界を解いた。

「さっきのはサリエル伯爵だ。今の爆発に紛れて逃げられたかもしれない」

 さっきまで立っていた場所に伯爵はいない。
 素早く部屋の中を見回すと、家具は吹き飛び絨毯も焼け焦げたが、壁には損傷がなかった。もしかしたら事故防止のために保護魔法がかかっているのかもしれない。今の爆発は船に致命的な損壊が発生する勢いだったから、壁に穴が開かなくて幸いだった。
 ざっと周囲を見回して、俺は部屋の隅に紺色の背広を着た老人が倒れているのに気づいた。

「伯爵……?」

 爆発に巻き込まれたのか。
 逃げようとしていたのに。

「グウェンドルフ、あそこだ」

 俺は伯爵を指差してグウェンに知らせると、ルネをその場に残して部屋の隅に駆け寄った。
 倒れていたのはやはり伯爵だった。まともに爆炎を浴びたのか身体には火傷の跡があり、助け起こそうとしたが彼にはもう息がなかった。

「巻き込まれたのか。爆発の前、一瞬胸を押さえていたように見えたけど」

 伯爵の傍に膝をついてそう呟いた瞬間、入り口の方からもがくようなうめき声が続けざまに聞こえた。
 驚いて顔を向けると、グウェンが制圧した男達が床に倒れたまま、苦しげに喉や胸を押さえている。

「え?!」

 男達の近くに立っているシスト司教は入り口を塞ぐようにして箱状の結界を張り、自分がその中に収まっていた。売人達がのたうつ様子を呆気に取られて見つめている。
 すぐにグウェンと共に彼らの方へ走ったが、何が起きたのか聞く前に一人また一人と動かなくなる。

「なんなんだこれ」

 明らかに不審な死に方をして息絶える売人の男達は、俺とグウェンが手をかける頃には皆死んでいた。人が死ぬのを見るのは初めてではないが、何度見たって慣れることはない。嫌な動悸がして、背筋に悪寒が走る。あまり見ていたいものではないから、死体から目を逸らして隣で膝をついているグウェンの顔を見た。

「……口封じだろうか」

 死んだ男達をじっと観察しながらグウェンが険しい顔で呟き、俺は顔を強張らせて「多分な」と頷いた。

「でもなんで今……? グウェンドルフ達が部屋に入ったのを見透かすみたいなタイミングで」

 サリエル伯爵も、俺がここに来た以上は自分は用済み、と言っていた。黒幕の情報を口に出した瞬間死ぬとも言っていたから、もしかしたら伯爵も、爆発の直前で既に死んでいたのかもしれない。
 口封じをするにしても、こんなに何人もの人間を一度に殺すなんてやり方は、普通ならできないだろう。

 普通ならば。
 でも俺は、この死に方によく似た光景を一度目にしたことがある。

「禁術だな」
「……魔界の術か」

 俺の言葉にグウェンが眉を寄せて反応した。
 記憶がない彼には馴染みのない言葉かもしれない。訝しげな目をするグウェンに頷いて、俺は立ち上がりながら答える。

「前に一度、禁術の行使のために殺された人間を見たことがあるんだ。詳しくは後で説明するよ」

 サリエル伯爵の裏にいた黒幕が、禁術で男達の口を封じたのは明らかだろう。
 しかし何故今なのか、という疑問は消えない。
 俺達が魔石の売人達を捕まえて、黒幕の情報を引き出されたら困るというのはわかる。だから俺達の行動をどこかで見張っていて、部屋の中に突入された瞬間に売人たちを皆殺しにする必要があった。
 それが自然な成り行きのようにも思えるが、ただそれならば、何故俺をわざわざ部屋の中に入れたのか、という疑問が新たに生まれる。俺達はこの部屋の中に潜入しようとしていたが、招待状を手に入れるまでは多少時間がかかった。見張っていたなら、その間にさっさと荷物をまとめて逃げればよかったのだ。そうすれば俺達がこの部屋に着いたときにはすでに売人は逃げた後で、そこで調査は中断せざるを得なくなっていたはずなのに。
 何故あえて俺を部屋の中に入れて、魔石を見せたのか。

 まるで最初からこうなることを想定していたかのように。

 俺が眉を寄せて考えていると、恐る恐るといった様子でルネが声をかけてきた。

「レイナルド様、その人達、もしかして」
「うん……あまり見ない方がいい」

 健全な貴族令嬢であるルネには衝撃が強すぎる光景だろう。
 俺はグウェンを促してその場から離れ、ルネと合流して入り口まで戻った。

「シスト司教、すみません。大丈夫でしたか」
「はい。私は後方で結界を張っていただけなので、危険なことはありませんでした。皆さんはお怪我はありませんか」
「大丈夫です」
「何人か、転移石で消えた者がおりました。それから取引に来た客と思われる者達も、逃げようとしておりましたが皆一様に倒れてしまわれて。呆気にとられて救命活動もままなりませんでした。申し訳ありません」

 それを聞いて俺は疑問を覚え、もう一度男達が倒れている辺りを振り返った。客も皆、地味な色の背広を着ていたから、売人達に紛れていてわからなかった。

「客も全員?」
「ええ。ですからこの扉から出た者はおりません」
「……客にも、禁術が?」

 そんなことが可能なのだろうか。
 
 多分、転移して消えた売人達も、この男達の末路を見れば転移した先で死んでいるだろうとは思う。それは予想できるが、客まで死んだというのは引っかかる。

「勝手に禁術の供物にはできないはずだ。なんらかの形で、術の行使に同意するか、力を得ることを本人が望まなければ」

 そこまで呟いて、俺は今度は部屋の奥に視線を向けた。ここからでは微かにしか見えないが、サリエル伯爵の紺色の上着の端を目に留める。

「まさか……契約書か」

 俺の声を聞いたグウェンが、周囲に視線を走らせながら顔を向けてきた。俺は素早く考えを巡らせる。

 さっき俺の前に置かれていた契約書は、燃えてしまっただろうか。部屋を調べれば、もしかしたら他の契約書が見つかるかもしれない。中をよく読まなければいけないが、俺にサインさせようとしたサリエル伯爵の顔を思い浮かべる。
 もしやあれに、禁術の行使について記されていたら……?
 今更背中に冷たい汗が伝った。

「レイナルド様、禁術って?」

 ルネが不安そうな顔をしながら俺の横から声を出した。彼女には馴染みのない言葉だろうし、こんな有様を見たら余計に不気味に思うだろう。

「この売人達を操っていた奴が使っている術だよ。普通は耳にすることはない魔界の術だから、ルネさんは心配しないで。俺たちに作用することはないはずだから」

 まだ確信はないが、さっきの契約書はかなり怪しい。伯爵から署名を求められたとき、ルネがあそこで強く止めてくれて助かった。書くつもりなんてなかったが、バレンダール公爵の名前を聞いて動揺していたのは否定できない。バカだった、と改めて思う。あんな怪しい取引を一瞬本気で相手にしようとしたなんて。
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