夜が明けるまで

遠間千早

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海と花火

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 ──八月五日。

 倫人はほとんど物がなくなった自分の部屋を見回した。もともと引っ越しに備えて荷物を片付けていたのもあって、片付けは順調に終わった。
 リビングに行くと、母が最後のダンボールを閉めていた。家具などは全て処分していくので、持って行く荷物は思ったよりも多くない。

「母さん、じゃあ俺行くけどいい?」
「ええ、楽しんで来てね」
「片付け任せちゃってごめんね」
「いいのよ。もうほとんど終わったから大丈夫。今日は雅彦さんも来るし、家具を引き取りに業者さんが来るくらいだから。私は雅彦さんのところに泊まるけど、倫人は友達のお家に泊まってくるのよね?」
「うん。明日の朝帰るよ」
「じゃあ、明日雅彦さんとタクシーで拾いに来るわね。フライトは夕方よ」
「わかった。行ってくるね」
「行ってらっしゃい」

 微笑む母に頷いて、玄関に向かう。寂寥感が滲み出てしまっているのか、少し心配そうな顔で見送られた。
 玄関を開けるとジリジリする陽射しがまともに照りつけてきて、頭の上に手をかざす。

「いい天気だなぁ」

 いつもより少し大きな荷物を肩にかけて、駅までの道を歩き始める。この道を歩くのも、今日で最後になるかもしれない。景色を目に焼き付けるようにゆっくりと歩いた。
 先に着いていつもの場所で待っていると、すぐに嵐が来た。

「みさき」

 呼ばれて振り向く。いつもと同じ優しく目を細めた嵐がいて、急に胸が苦しくなった。
 普通にしなきゃ。

「今日も暑いね」
「そうだな」

 顔に出ないように注意を払いながら笑うと、嵐もTシャツの首元をパタパタさせて頷いた。

「さくさく行くか。ペリステリ着けばちょっとは涼しいだろ」
「うん」

 二人で歩き始めて、見慣れた景色が流れていくと、また胸が詰まった。

「荷物結構あるな。一回うち置いてくか?」
「大丈夫。車に置けるし」
「……どうかしたか?」

 変に声を絞るような発声をしてしまったせいで、訝しげな顔をした嵐が倫人の顔を覗き込んできた。
 慌てて顔の前で手を振る。

「や、大丈夫。ほんとに。ちょっと暑いからさ。バテた」
「バテんの早えよ」

 嵐が笑うのを見てほっとした。絶対にボロを出してはいけないと、自分に言い聞かせる。
 楽しもう。
 ちゃんといい思い出にするんだ。
 やけにジリジリと照り付ける陽射しが眩しくて、痛くなってきた目を眇めた。

◇◇◇

「海だーーー!!!!」

 章吾が叫びながら海にダッシュしていく。
 羽鳥が用意したミニバンに乗って小一時間程で着いた海は、雑誌で見たそのままに陽射しを受けてきらきら光っていた。水着になった章吾が真っ先にバンから飛び出していく。

「章吾早っ」
「おい、あいつ一人で行かせていいのか?」
「ほっとけばー?小学生じゃないんだからさぁ」

 嵐が窓から走り去る章吾の背中を見送り、拓海が呆れた声で答える。凌がTシャツを脱いで半袖のパーカーを羽織りながらぼそっと呟いた。

「速攻迷子になったら面倒じゃね?」
「……」
「……確かに」

 一応シーズンということもあって他にも海水浴をしに来た人で海は賑わっていた。この中で迷子になられたら、探すのはかなり骨が折れそうである。

「凌、行け」
「結局俺かよ」

 面倒くさそうな顔をしながらも凌がドアを開けて走っていった。

「凌!パラソル立てるから捕獲したらはと兄のとこね!」

 窓から顔を出して叫んだ拓海に、凌は軽く手を振った。

「さて、じゃあ俺達も行こう」

 拓海もパーカーを上に着て、膨らませた浮き輪を担いで言う。
 サングラスを掛けた羽鳥がトランクからクーラーボックスとシートを出すのを手伝って、倫人達も浜辺に向かった。

「凄い……」

 海に来るなんて初めてで、倫人は賑わう浜辺を見て歓声を上げた。
 なるべく周りの人に意識を留めないように下を向いて歩き、サンダルに入る砂粒の熱さに目を丸くした。
 目をきらきらさせる倫人を、拓海達が微笑ましい気持ちで見守ってくれるのがわかる。
 羽鳥がパラソルを借りてきて、人の少ない浜の上に立てた。もうそこから動かないことに決めたのか、シートをパラソルの下に敷いて早々に寝っ転がる。

「はと兄、せっかく来たのに遊ばないのー?」

 拓海が浮き輪を腰の位置で抱えて羽鳥に呼び掛ける。拓海の声に羽鳥がサングラスを少しずらした。

「遊ばねーよ。俺はもう若くないの。お兄さんは日陰で荷物見ながらのんびりしてるから、若者は遊んできなさい。あと拓海、後で焼きそば買ってこい」
「何か俺だけ扱いが雑だけど!」
「気のせい気のせい。みさき君、楽しんでね」

 拓海のツッコミを煩そうに手で払って、羽鳥は倫人を見てにっこり笑った。

「羽鳥さん、荷物ありがとうございます」
「いいよいいよ、いってらっしゃい」
「何か釈然としないー」

 ひらひらと手を振る羽鳥にお礼を言って、ぶつぶつ呟いている拓海を嵐が引きずって浜辺に向かった。

 まずは泳ごうと、浮き輪で波に揺られて思い思いに楽しんだ。ひとしきりみんなとはしゃいだ後で、倫人は拓海と一緒に浮き輪でぷかぷかしながら水中を眺める。

「綺麗だねー」

 なんて言いながらのんびりしていると、不穏な気配を後ろに感じた。

「みさきー!!」
「ぅわっ!ぶ!!」

 章吾が背後から倫人の浮き輪に飛びかかって、バシャンと音を立てて2人で水中に沈んだ。

「よっしゃ!浮き輪強奪!!」
「ちょっ!みさきちゃん大丈夫?!」

 倫人の浮き輪を強奪した章吾が高らかに笑って海面に飛び出し、拓海が慌てた声を出した。

「びっくりしたっ、うゎっここ足つかな……」

 ぷはっと水面に顔を出す。思ったより深くてちょっと焦った。

「みさき大丈夫かー?」
「みさきちゃん捕まって」
「ん……っ?!」

 拓海の浮き輪に近付こうともがいた時、不意に腰の辺りを掴まれて、ザバっと水面に引き上げられる。

「ぅわ!」
「何してんだお前ら」

 泳いできた嵐が引き上げて支えてくれた。

「嵐、ありがとう」
「危ねぇことしてんじゃねぇぞ章吾」
「ごめんって」

 章吾を軽く睨み、嵐は倫人を見て「大丈夫か?」と無事を確認してくれる。
 顔が近いし、上半身がくっ付いていて意識してしまう。
 支えられて腰に回された手が素肌に触れているので、身体の熱が上がった気がした。

「だ、大丈夫!ありがと」
「浮き輪代わりに掴まってろよ」
「う、うん。そうする」

 どくどくと煩い鼓動を押さえ込んで、倫人は嵐の左腕の辺りにしがみ付いて体勢を整えることにした。

 ──もういいや。
 今日は思いっきり甘えるって決めたんだから。

 自分に言い訳して開き直り、嵐の腕にぎゅっとくっ付いてみる。生暖かい視線を向けてくる拓海を無視して、嵐は倫人を引っ付けたまま岸の方へ向かった。

「そろそろ一回休憩するか」
「お!じゃあその後ビーチバレーやろうぜ!!」

 章吾がザブザブと追いかけてきて拓海も後を追ってきた。凌はというと、羽鳥と日陰でまったり焼きそばを食べている。
 羽鳥達に合流して小休止した後、章吾が荷物の中からビーチボールを膨らませて持ってきた。浜辺に棒でおざなりにコートを引いて、チーム分けをしてからゲームが始まる。
 いつも通りちょこまかと動く章吾は球技全般が得意のようで、くじ引きで一緒のチームになった倫人は後方支援をするだけでほとんどコートを走っていない。

「あと二点でマッチだからなー!」
「絶対負けない!!凌本気だしてよね!」
「おー」
「やる気だせや!!」
「暑い、無理……」

 拓海の相棒はこれもクジで決まった凌である。嵐は審判役でコートの外に立っていた。

「次サーブ凌ね!」

 拓海がボールを凌に投げた。凌がサーブを打つ構えをして、手を離す一瞬前に倫人は章吾に告げる。

「章吾、右」
「おうよ!!」

 素早く移動した章吾がボールの落ちる下に待機していて、絶妙な位置でボールを跳ね上げる。

「みさき!」
「はい!」

 倫人が拾ったトスを受けて、章吾がボールを相手のコートに叩き込んだ。

「よっしゃ!」

 上手く拾えない位置にボールが落ちて、章吾がまたガッツポーズをした。

「もー!みさきちゃん使うなんてずるいよ章吾!」

 拓海がぶすくれた声をあげて章吾を非難する。

「ずるくねぇし!みさきの能力使いこなしてるだけだし!」
「ずるいずるい!!何処に打つかわかるなんてフェアじゃないじゃーん!」

 拓海がぶーぶー言うのに、倫人は確かに、と思いながら苦笑いした。そこで、流れを見守っていた嵐が拓海のコートに入っていく。

「凌、交代」
「え?嵐やるの?」
「おう。みさき対策になってやるよ」

 にやりと笑ってこっちを見た嵐に、倫人は顔をしかめた。確かに、嵐が打てばボールが飛んでくる方向はわからない。

「凌、日陰行ってろ。お前暑いとほんと使いもんになんねぇな」
「おーす」

 そう言われた凌がこれ幸いとコートから外れて、代わりに嵐が入ってくる。

「負けねーし!じゃあ俺サーブなー!」

 章吾が打ったサーブを拓海が上手く受けて空中に上げる。そこへ嵐が長身を活かして強めにアタックを叩き込んだ。
 バァンというビーチバレーであまり聞かないような音を立ててボールが倫人達のコートに跳ねる。あまりの勢いに倫人は一歩も動けず、指示も出せないまま転がるボールを目で追った。

「嵐やるぅ!!逆転しよ!」

 拓海が嬉しそうな声で嵐とハイタッチする。

「くっそ!嵐相手だとやりずれーな、みさき!あと二点だから逃げ切るぞ!」
「うん!」

 章吾が悔しそうに声をかけてきて、倫人も頷いた。ちょっと悔しくなって嵐を見る。
 倫人の視線に気付いた嵐がにやりと笑った。倫人を見て得意気に口角を上げる。

「手加減はしねぇから後で慰めてやるよ」
「?!ちょっ、なにその上から目線!」

 倫人が憤慨して大声で怒ると、嵐はこの上なく楽しそうに笑う。
 なんだかんだとゲームは盛り上がってかなり接戦になった。その後、結局一方的に攻撃を続ける嵐の動きが読みきれず、防戦一方となった倫人と章吾が逆転されて負けたのだった。



「みさき」

 パラソルの下でぼーっと熱を冷ましていた倫人は、その声に後ろを振り向いた。突然額に冷たいものが押し当てられて、思わず「うひゃっ」と高い声が出る。

「変な声」

 噴き出した嵐をジト目で見ると、笑った口元を押さえながら半笑いの嵐が謝ってきた。

「悪い悪い。まだ怒ってんのかよ。これやるから機嫌直せって」

 隣に座った嵐が倫人にペットボトルのジュースを差し出してくる。冷たいボトルが気持ちよくて、素直にそれを受け取った。
 目元に当てると、ひんやりした感覚が心地いい。

「あいつらほんとに元気だよなー」

 嵐は自分のペットボトルのキャップを捻って炭酸飲料を煽りながら、まだ浜辺ではしゃいでいる章吾達を見た。バレーで負けてむしゃくしゃしたらしい章吾が、拓海を伴って凌を砂に埋めて遊んでいる。
 暑さにやられてぐだぐだの凌がされるがままになっているのは遠目に見ていても少し笑えた。

「みさき?お前バレーで負けてほんとにまだ怒ってんの?」

 何も言わない倫人の顔を覗き込んだ嵐に、倫人は目元に当てたボトルを引き上げて嵐を見上げた。

「……てない」
「ん?」
「まだ、慰めてもらってない」

 小さな声で口元を尖らせて言うと、嵐はきょとんとした顔になって、また噴き出した。笑ったまま、倫人の頭をぐいっと引き寄せてわしわしと撫でてくる。

「よろしい、では存分に慰めてやろう」
「わっ、ちょっと」

 引き寄せられた弾みでペットボトルを落としそうになって慌てて両手で抱えた。
 肩と背中が嵐の肌に触れて顔が火照る。
 倫人の頭を撫でていた手が頬に下がってきて、ぺたぺた触った後でもう一度嵐が倫人の顔を覗き込んできた。
 嵐の顔がアップで近付いて、心臓がどきりと跳ねる。

「な、何?」
「お前ちょっと顔熱くないか?」

 心配気そうな顔になった嵐が倫人の頭を両手で挟んだ。そのまま嵐の顔が近づいてきて、額と額がこつんと合わさる。
 ぼやける位の近さで迫った嵐の顔に、顔が真っ赤になった。

 ──うわあああ何これ、近い!!

 固まって心の中で絶叫した。嵐は思案気な表情で額をくっ付けたまま喋る。

「んー。ちょっと熱い気がするな。熱中症か?大丈夫か?」

 もう少しで唇がくっつきそうな距離で喋るので、話の内容が全く入って来ない。心なしか唇がふるふる震えている気もする。

「みさき?」

 何も喋らない倫人を嵐が不思議そうに見る。真っ赤な顔の倫人とまともに目が合って、一瞬真顔になった。
 身を固くした倫人をじっと見つめてから、嵐はふっと笑って頭を挟んでいた手を離す。
 くっ付いていた額をゆっくり離すと、倫人の頭を自分の肩に凭せ掛けた。

「茹で蛸みたいになってる。ちょっと休憩してろ」
「……ぅん」

 顔が離れて安心したような、少し惜しいような気持ちになって、嵐の肩に凭れてぎゅっと目を閉じた。

 びっくりした。
 キスされるかと思った。
 どくどくと煩い心臓を落ち着ける為にゆっくり息を吸った。

 二人の後ろに立てたもう一つのパラソルの下で、寝たふりを貫いていた羽鳥が自分達の様子を見ていたなんて、このときの自分は知る由もなかったのだった。
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