80 / 101
最終章
2
しおりを挟む
嵐に促されて、近くの教室に入った。
誰もいない部屋に入り倫人がそっと扉を閉める。二人きりになるのは寮の部屋に嵐が訪ねてきた日以来だ。
何の用事だろう、とどきどきしながら身構えていると、嵐は少し離れて黙ったまま倫人を見つめている。
次に嵐に会ったとき、みさきであることを言うつもりだった。
それなのに、嵐を目の前にすると途端に指の先まで緊張してしまって上手く目を合わせられない。ぐずぐずしていたら嵐の方が先に動いた。
「あのな」
手近な机に軽くもたれた嵐が口を開いた。
「今から言うこと、もし鈴宮にとって意味不明だったら聞き流してほしいんだが……」
迷うような口ぶりでそう言った嵐に、倫人は軽く首を傾げる。
しかしとりあえず首を縦に振った。
その倫人の様子を見て、嵐が安心したように微かに微笑んだ。その柔らかい笑みに懐かしさを感じてつい見とれてしまう。
嵐は倫人から視線を外し、窓の外をぼんやり見つめた。
「……夢って、目が覚めたら自分が何見てたか覚えてないだろ」
「……?……はい」
唐突に始まった話の脈絡が読めず、戸惑いながら頷いた。嵐は晴れた青空に目を止めたまま、視線をそこから離さない。何か考えを整理しながら言葉を見つけているようだった。
「……でも、その夢の続きが起きた後も気になって、どうしても見たくなるときがある。なんでか時々、無性にその先が見たくなって落ち着かないんだ。……もう内容もほとんど忘れてしまっているのに」
独り言のように紡がれる言葉を聞きながら、ふと胸がざわざわするような予感を覚えた。その言葉の先を聞きたいような、聞いてしまうのは怖いような、不思議な胸騒ぎが。
嵐は外を見たまま呟くように続ける。
「そこに、俺にとって何か大事なものがあったような気がして。今でも時々、何かが足りないような気がして、妙な気分になる。昔はこんなことなかったはずなんだ」
それを聞きながら、まさかと一瞬脳裏をよぎる予感を打ち消した。気付くと手に汗が滲んでいる。
遠くから何かを手繰り寄せようとするような嵐の表情に釘付けになって、そこから目を逸らせない。
「二年前目が覚めてから、ずっと違和感があって……俺は、それが何なのか知りたい」
そう言って嵐は窓から視線を外し、倫人の顔を見た。黒曜石のような澄んだ瞳が倫人の目を真っ直ぐに捉える。
真剣な表情とまともに目が合って思わず息を飲んだ。瞬きをすることも忘れてその瞳を見つめ返した。
緊張で喉がからからに乾いていく。
「……違和感?」
張り付くような掠れた声を、やっとの思いで絞り出した。
その問いに嵐は小さく頷いて倫人を見つめる。
昔見た、あの真摯な強さを宿す瞳で。
小さく息を吸った嵐が倫人から視線を外さないまま口を開いた。
「俺がずっと探してるのは、鈴宮なんじゃないのか」
どくん、と心臓が大きく振動した。
目を見開いて息を呑んだまましばし茫然とする。
──なんで。
わかったんだろう、とか、急にどうして、と疑問の言葉ばかりがぐるぐる頭を回る。驚きで身体が固まってしまった。
何か言わなければならない。その通りだと頷かなければならない。何の準備もないまま予想外のタイミングで訪れた告白の機会に、これ以上ない程心臓がどきどきして、狼狽えてしまった。
こちらを見透かすように真っ直ぐに倫人を見つめてくる嵐の視線をなんとか受け止めて、短く息を吸った。
込み上げてくる感情は複雑で言葉にしがたい。
やっぱり、嵐は思い出さない。
でも、気付いてくれた。それが心から嬉しい。
だんだん目の奥が熱くなってきた。言葉にならない感情をどうにか声にしようと震える口を動かす。
「あの」
倫人が肯定のための言葉をなんとか絞り出そうとしたとき、ポケットに入れていたスマホが震えて着信音が鳴った。
響く音に驚いて思わず相手を確認すると、画面に表示されたのはさっき繋がらなかった千尋の名前だった。かけ直してくるかもしれないと思ってサイレントモードを解除していたのを思い出す。
絶妙なタイミングに迷って嵐をうかがうと、出て良いと頷かれたので急いで応答をタップする。
「千尋?」
『……倫人くん、立花君を』
ひどく頼りない小さな声がした。雑音のようなものに紛れてかなり聞き取りづらい。確かに章吾の名前が聞こえた気がして、倫人は訝しげに聞き返した。
「千尋、大丈夫?章吾がどうしたの?」
『お願い、立花君が、危ない』
「千尋?」
もう一度聞き返すが通話はそこで急に途切れた。倫人は千尋が言ったことを頭の中で反芻して眉をひそめる。
「何かあったのか」
暗くなったスマホの画面を見ていると嵐が声をかけてきた。
「千尋が……クラスの友達が、章吾が危ないって。何故かはわからないんですけど」
「立花が?」
嵐も不審そうに眉を寄せて、すぐに教室の扉に近づくと戸を開けて廊下を覗き込んだ。左右を確認してから顔をこちらに戻して倫人を振り返る。
「二人の気配がない」
「え?」
思いがけない言葉に倫人は目を見開いた。
気配がない、とはどういうことなのか。
何となく嫌な予感がして倫人も入り口に駆け寄って廊下を確認した。嵐の言う通り廊下には全く人気がなく、環と章吾の気配はしない。
「二人とも、どこに……」
どこか離れたところにいるんだろうか。
しかし、今しがたの千尋の言葉が気になる。眉を寄せて考え込むと、前触れなく肩をとんと軽く叩かれた。嵐を振り返ると、先ほどと変わらず真剣な表情で倫人を見下ろしていた。
「さっきの話は、また後でにしよう。先に二人を探した方がいい」
その言葉に同意して頷き、倫人も動揺を抑えて一旦頭を切り替えることにした。
「俺は本校舎の方を見てくる。鈴宮はこっちで二人を探してくれ」
「はい」
倫人の返事を聞くと嵐は廊下を駆けていった。
それを見送ってから倫人も西棟の奥を目指して走る。いくらもかからないうちに廊下の突き当たりまで着いた。
嵐から離れ、ようやく先程の動揺が静まって息をつけるようになる。深呼吸してから周囲を見回したが、二人の姿は見つからなかった。
もしや校舎の外に出たのか、と外へ繋がる扉に近づこうとしたとき、またポケットの中のスマホが鳴った。
急いで取り出して発信者を確認すると、今度は志麻からの着信だった。足を止めてその電話をとる。
「志麻君?どうしたの?」
『……倫人、今どこにいる?』
電話口からは、囁くくらいのひそやかな声がした。
声を抑えたような志麻の様子をおかしく思い、倫人は首を傾げる。
「今西棟の一階だよ。どうしたの?何かあった?」
『西棟?そうか、ちょうどよかった。倫人、すぐ萩兄が来るから三階まで来て。立花と宝生さんがヤバい』
「章吾とたま先輩?二人ともそこにいるの?」
『ああ。明らかに外部の不良みたいな変な奴らに絡まれてて教室で囲まれてる』
「え!?」
予想外の内容に思わず大きな声が出た。
一階で章吾達と別れたのはそんなに前の出来事ではない。
『校舎の音がおかしかったからちょっと様子を覗きに来たんだ。そしたら、ヤバそうな奴らが立花達を連れてくから後をつけた。宝生さんが捕まってるのか、立花が殴られてる。萩兄にはもう連絡して……うわヤベっ』
「志麻君?!」
焦ったような声が聞こえ、思わず志麻を呼ぶ。急いでスマホを隠したのか、スピーカーから聞こえてくるのは衣ずれのような音だった。
電話の向こうからガンっと大きな物音がして、『テメェ何してんだ』と知らない男のくぐもった声が聞こえた。どすっと何かを殴るような音につづいて、志麻が微かにうめくような声がする。
一気に頭から血の気が引いて、大丈夫かと大声をあげそうになるのをなんとか堪えた。様子を知りたくても、音はくぐもったまま雑音ばかりで、そのうち通話が切れてしまった。
何か、大変なことが起きている。
考えるより先に足が動いていた。一番近くにある階段を駆け上がり、一気に三階まで走る。常葉が来ると言われた言葉が頭の中から飛んだ。
三階まで登ると、この棟に人は立ち入らないはずなのに、複数の気配がする。廊下の先を見ると途中の教室の扉が開いていて人の話し声が聞こえた。
足音を立てないように廊下を走り、人の気配のする教室まで近づく。扉のすぐ側でしゃがんで、開いたままの戸の陰からそっと中をうかがった。
教室の中には、後方の机のないスペースに数人のジャージ姿の男がいた。皆身体が大きく、一様に柄が悪そうな鋭い目つきをしている。二、三人は後ろ姿しか見えず、机の上にだらしない様子で腰掛けていた。
交流試合に来た他校の生徒だろうか。
ジャージ姿を見てそう思ったが、彼らの怠惰な雰囲気と身にまとう泥のような色を見てすぐにその考えを打ち消した。明らかに、交流試合をしに来たとは思えない荒んだ色をしている。
「で?コイツらボコってたらほんとに白鶯が来んのか?」
机に座った一人がだるそうにそう言った。別の机に寄り掛かった一人がそれに頷く。
「ああ。そういう話だ。別のとこで騒ぎが起きるからその間にこいつらボコったら白鶯が来るらしい」
「で、白鶯も一緒にやっちまえだっけ?マジいかれてんなー。ボコるのはいいけどバレる前にさっさとずらかろうぜ」
「おう。ま、理由は知らんけど金貰えればどうでもいいよな」
「まーな。とにかくこのオレンジ頭の奴を痛めつけてれば良いんだっけ?」
男の一人がそう言って何かをぶつけるような音がする。男達の話に気を取られていた倫人は、小さく呻く声を聞いてはっと目を凝らした。
机の脚と男たちの間から床に蹲っている章吾と志麻を見つけた。怪我をしているのか、章吾から苦しそうな色が出ている。目を見開いて、思わず声を上げそうになるのを奥歯をぎゅっと噛んで耐えた。
章吾たちのさらに奥の様子はよく見えなかったが、二人の男が床に屈んで何かしているようだった。そこから何か布を裂くような音が聞こえ、その瞬間蹲っていた章吾が素早く顔を上げた。
「ッそ、テメェらやめろ!!」
右の脇腹を庇いながら、それでも十分素早い動作で奥に屈んだ男達に殴りかかる。しかし、章吾の傍に立っていた男がそれよりも速く足を振り上げた。
背中を強く蹴りつけられ、避ける間もなくまともに蹴られた章吾が低くうめいて床に倒れた。蹴った男が意外そうな声を出す。
「コイツまだ動けんのかよ」
その声に、背を向けてしゃがんでいた男が振り返った。
「あ?なんだ、邪魔すんなよ」
「お前らがキモイことしてるからだろ。すんなら早く終わらせろよ」
「はいはい。ちょっと待ってな」
そう答えた男の陰に、仰向けに横たわった環の顔が見えた。殴られたのか、口の端が切れて血が滲んでいるのが微かに見える。
暴力的な色が溢れて靄がかかる中でよく見えなかったが、環を押さえつける男達に見覚えのある情欲の色を見つけた。そして男が動く身体の隙間から制服が乱れた環の上半身が微かに見える。それに気付いた瞬間、倫人は教室の中に飛び込んだ。
誰もいない部屋に入り倫人がそっと扉を閉める。二人きりになるのは寮の部屋に嵐が訪ねてきた日以来だ。
何の用事だろう、とどきどきしながら身構えていると、嵐は少し離れて黙ったまま倫人を見つめている。
次に嵐に会ったとき、みさきであることを言うつもりだった。
それなのに、嵐を目の前にすると途端に指の先まで緊張してしまって上手く目を合わせられない。ぐずぐずしていたら嵐の方が先に動いた。
「あのな」
手近な机に軽くもたれた嵐が口を開いた。
「今から言うこと、もし鈴宮にとって意味不明だったら聞き流してほしいんだが……」
迷うような口ぶりでそう言った嵐に、倫人は軽く首を傾げる。
しかしとりあえず首を縦に振った。
その倫人の様子を見て、嵐が安心したように微かに微笑んだ。その柔らかい笑みに懐かしさを感じてつい見とれてしまう。
嵐は倫人から視線を外し、窓の外をぼんやり見つめた。
「……夢って、目が覚めたら自分が何見てたか覚えてないだろ」
「……?……はい」
唐突に始まった話の脈絡が読めず、戸惑いながら頷いた。嵐は晴れた青空に目を止めたまま、視線をそこから離さない。何か考えを整理しながら言葉を見つけているようだった。
「……でも、その夢の続きが起きた後も気になって、どうしても見たくなるときがある。なんでか時々、無性にその先が見たくなって落ち着かないんだ。……もう内容もほとんど忘れてしまっているのに」
独り言のように紡がれる言葉を聞きながら、ふと胸がざわざわするような予感を覚えた。その言葉の先を聞きたいような、聞いてしまうのは怖いような、不思議な胸騒ぎが。
嵐は外を見たまま呟くように続ける。
「そこに、俺にとって何か大事なものがあったような気がして。今でも時々、何かが足りないような気がして、妙な気分になる。昔はこんなことなかったはずなんだ」
それを聞きながら、まさかと一瞬脳裏をよぎる予感を打ち消した。気付くと手に汗が滲んでいる。
遠くから何かを手繰り寄せようとするような嵐の表情に釘付けになって、そこから目を逸らせない。
「二年前目が覚めてから、ずっと違和感があって……俺は、それが何なのか知りたい」
そう言って嵐は窓から視線を外し、倫人の顔を見た。黒曜石のような澄んだ瞳が倫人の目を真っ直ぐに捉える。
真剣な表情とまともに目が合って思わず息を飲んだ。瞬きをすることも忘れてその瞳を見つめ返した。
緊張で喉がからからに乾いていく。
「……違和感?」
張り付くような掠れた声を、やっとの思いで絞り出した。
その問いに嵐は小さく頷いて倫人を見つめる。
昔見た、あの真摯な強さを宿す瞳で。
小さく息を吸った嵐が倫人から視線を外さないまま口を開いた。
「俺がずっと探してるのは、鈴宮なんじゃないのか」
どくん、と心臓が大きく振動した。
目を見開いて息を呑んだまましばし茫然とする。
──なんで。
わかったんだろう、とか、急にどうして、と疑問の言葉ばかりがぐるぐる頭を回る。驚きで身体が固まってしまった。
何か言わなければならない。その通りだと頷かなければならない。何の準備もないまま予想外のタイミングで訪れた告白の機会に、これ以上ない程心臓がどきどきして、狼狽えてしまった。
こちらを見透かすように真っ直ぐに倫人を見つめてくる嵐の視線をなんとか受け止めて、短く息を吸った。
込み上げてくる感情は複雑で言葉にしがたい。
やっぱり、嵐は思い出さない。
でも、気付いてくれた。それが心から嬉しい。
だんだん目の奥が熱くなってきた。言葉にならない感情をどうにか声にしようと震える口を動かす。
「あの」
倫人が肯定のための言葉をなんとか絞り出そうとしたとき、ポケットに入れていたスマホが震えて着信音が鳴った。
響く音に驚いて思わず相手を確認すると、画面に表示されたのはさっき繋がらなかった千尋の名前だった。かけ直してくるかもしれないと思ってサイレントモードを解除していたのを思い出す。
絶妙なタイミングに迷って嵐をうかがうと、出て良いと頷かれたので急いで応答をタップする。
「千尋?」
『……倫人くん、立花君を』
ひどく頼りない小さな声がした。雑音のようなものに紛れてかなり聞き取りづらい。確かに章吾の名前が聞こえた気がして、倫人は訝しげに聞き返した。
「千尋、大丈夫?章吾がどうしたの?」
『お願い、立花君が、危ない』
「千尋?」
もう一度聞き返すが通話はそこで急に途切れた。倫人は千尋が言ったことを頭の中で反芻して眉をひそめる。
「何かあったのか」
暗くなったスマホの画面を見ていると嵐が声をかけてきた。
「千尋が……クラスの友達が、章吾が危ないって。何故かはわからないんですけど」
「立花が?」
嵐も不審そうに眉を寄せて、すぐに教室の扉に近づくと戸を開けて廊下を覗き込んだ。左右を確認してから顔をこちらに戻して倫人を振り返る。
「二人の気配がない」
「え?」
思いがけない言葉に倫人は目を見開いた。
気配がない、とはどういうことなのか。
何となく嫌な予感がして倫人も入り口に駆け寄って廊下を確認した。嵐の言う通り廊下には全く人気がなく、環と章吾の気配はしない。
「二人とも、どこに……」
どこか離れたところにいるんだろうか。
しかし、今しがたの千尋の言葉が気になる。眉を寄せて考え込むと、前触れなく肩をとんと軽く叩かれた。嵐を振り返ると、先ほどと変わらず真剣な表情で倫人を見下ろしていた。
「さっきの話は、また後でにしよう。先に二人を探した方がいい」
その言葉に同意して頷き、倫人も動揺を抑えて一旦頭を切り替えることにした。
「俺は本校舎の方を見てくる。鈴宮はこっちで二人を探してくれ」
「はい」
倫人の返事を聞くと嵐は廊下を駆けていった。
それを見送ってから倫人も西棟の奥を目指して走る。いくらもかからないうちに廊下の突き当たりまで着いた。
嵐から離れ、ようやく先程の動揺が静まって息をつけるようになる。深呼吸してから周囲を見回したが、二人の姿は見つからなかった。
もしや校舎の外に出たのか、と外へ繋がる扉に近づこうとしたとき、またポケットの中のスマホが鳴った。
急いで取り出して発信者を確認すると、今度は志麻からの着信だった。足を止めてその電話をとる。
「志麻君?どうしたの?」
『……倫人、今どこにいる?』
電話口からは、囁くくらいのひそやかな声がした。
声を抑えたような志麻の様子をおかしく思い、倫人は首を傾げる。
「今西棟の一階だよ。どうしたの?何かあった?」
『西棟?そうか、ちょうどよかった。倫人、すぐ萩兄が来るから三階まで来て。立花と宝生さんがヤバい』
「章吾とたま先輩?二人ともそこにいるの?」
『ああ。明らかに外部の不良みたいな変な奴らに絡まれてて教室で囲まれてる』
「え!?」
予想外の内容に思わず大きな声が出た。
一階で章吾達と別れたのはそんなに前の出来事ではない。
『校舎の音がおかしかったからちょっと様子を覗きに来たんだ。そしたら、ヤバそうな奴らが立花達を連れてくから後をつけた。宝生さんが捕まってるのか、立花が殴られてる。萩兄にはもう連絡して……うわヤベっ』
「志麻君?!」
焦ったような声が聞こえ、思わず志麻を呼ぶ。急いでスマホを隠したのか、スピーカーから聞こえてくるのは衣ずれのような音だった。
電話の向こうからガンっと大きな物音がして、『テメェ何してんだ』と知らない男のくぐもった声が聞こえた。どすっと何かを殴るような音につづいて、志麻が微かにうめくような声がする。
一気に頭から血の気が引いて、大丈夫かと大声をあげそうになるのをなんとか堪えた。様子を知りたくても、音はくぐもったまま雑音ばかりで、そのうち通話が切れてしまった。
何か、大変なことが起きている。
考えるより先に足が動いていた。一番近くにある階段を駆け上がり、一気に三階まで走る。常葉が来ると言われた言葉が頭の中から飛んだ。
三階まで登ると、この棟に人は立ち入らないはずなのに、複数の気配がする。廊下の先を見ると途中の教室の扉が開いていて人の話し声が聞こえた。
足音を立てないように廊下を走り、人の気配のする教室まで近づく。扉のすぐ側でしゃがんで、開いたままの戸の陰からそっと中をうかがった。
教室の中には、後方の机のないスペースに数人のジャージ姿の男がいた。皆身体が大きく、一様に柄が悪そうな鋭い目つきをしている。二、三人は後ろ姿しか見えず、机の上にだらしない様子で腰掛けていた。
交流試合に来た他校の生徒だろうか。
ジャージ姿を見てそう思ったが、彼らの怠惰な雰囲気と身にまとう泥のような色を見てすぐにその考えを打ち消した。明らかに、交流試合をしに来たとは思えない荒んだ色をしている。
「で?コイツらボコってたらほんとに白鶯が来んのか?」
机に座った一人がだるそうにそう言った。別の机に寄り掛かった一人がそれに頷く。
「ああ。そういう話だ。別のとこで騒ぎが起きるからその間にこいつらボコったら白鶯が来るらしい」
「で、白鶯も一緒にやっちまえだっけ?マジいかれてんなー。ボコるのはいいけどバレる前にさっさとずらかろうぜ」
「おう。ま、理由は知らんけど金貰えればどうでもいいよな」
「まーな。とにかくこのオレンジ頭の奴を痛めつけてれば良いんだっけ?」
男の一人がそう言って何かをぶつけるような音がする。男達の話に気を取られていた倫人は、小さく呻く声を聞いてはっと目を凝らした。
机の脚と男たちの間から床に蹲っている章吾と志麻を見つけた。怪我をしているのか、章吾から苦しそうな色が出ている。目を見開いて、思わず声を上げそうになるのを奥歯をぎゅっと噛んで耐えた。
章吾たちのさらに奥の様子はよく見えなかったが、二人の男が床に屈んで何かしているようだった。そこから何か布を裂くような音が聞こえ、その瞬間蹲っていた章吾が素早く顔を上げた。
「ッそ、テメェらやめろ!!」
右の脇腹を庇いながら、それでも十分素早い動作で奥に屈んだ男達に殴りかかる。しかし、章吾の傍に立っていた男がそれよりも速く足を振り上げた。
背中を強く蹴りつけられ、避ける間もなくまともに蹴られた章吾が低くうめいて床に倒れた。蹴った男が意外そうな声を出す。
「コイツまだ動けんのかよ」
その声に、背を向けてしゃがんでいた男が振り返った。
「あ?なんだ、邪魔すんなよ」
「お前らがキモイことしてるからだろ。すんなら早く終わらせろよ」
「はいはい。ちょっと待ってな」
そう答えた男の陰に、仰向けに横たわった環の顔が見えた。殴られたのか、口の端が切れて血が滲んでいるのが微かに見える。
暴力的な色が溢れて靄がかかる中でよく見えなかったが、環を押さえつける男達に見覚えのある情欲の色を見つけた。そして男が動く身体の隙間から制服が乱れた環の上半身が微かに見える。それに気付いた瞬間、倫人は教室の中に飛び込んだ。
171
あなたにおすすめの小説
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
【完結】言えない言葉
未希かずは(Miki)
BL
双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。
同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。
ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。
兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。
すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。
第1回青春BLカップ参加作品です。
1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。
2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
【完結】恋した君は別の誰かが好きだから
花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。
青春BLカップ31位。
BETありがとうございました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
二つの視点から見た、片思い恋愛模様。
じれきゅん
ギャップ攻め
【完結済】俺のモノだと言わない彼氏
竹柏凪紗
BL
「俺と付き合ってみねぇ?…まぁ、俺、彼氏いるけど」彼女に罵倒されフラれるのを寮部屋が隣のイケメン&遊び人・水島大和に目撃されてしまう。それだけでもショックなのに壁ドン状態で付き合ってみないかと迫られてしまった東山和馬。「ははは。いいねぇ。お前と付き合ったら、教室中の女子に刺されそう」と軽く受け流した。…つもりだったのに、翌日からグイグイと迫られるうえ束縛まではじまってしまい──?!
■青春BLに限定した「第1回青春×BL小説カップ」最終21位まで残ることができ感謝しかありません。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
【本編完結】αに不倫されて離婚を突き付けられているけど別れたくない男Ωの話
雷尾
BL
本人が別れたくないって言うんなら仕方ないですよね。
一旦本編完結、気力があればその後か番外編を少しだけ書こうかと思ってます。
推しにプロポーズしていたなんて、何かの間違いです
一ノ瀬麻紀
BL
引きこもりの僕、麻倉 渚(あさくら なぎさ)と、人気アイドルの弟、麻倉 潮(あさくら うしお)
同じ双子だというのに、なぜこんなにも違ってしまったのだろう。
時々ふとそんな事を考えてしまうけど、それでも僕は、理解のある家族に恵まれ充実した引きこもり生活をエンジョイしていた。
僕は極度の人見知りであがり症だ。いつからこんなふうになってしまったのか、よく覚えていない。
本音を言うなら、弟のように表舞台に立ってみたいと思うこともある。けれどそんなのは無理に決まっている。
だから、安全な自宅という城の中で、僕は今の生活をエンジョイするんだ。高望みは一切しない。
なのに、弟がある日突然変なことを言い出した。
「今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」
ありえない頼み事だから断ろうとしたのに、弟は僕の弱みに付け込んできた。
僕の推しは俳優の、葛城 結斗(かつらぎ ゆうと)くんだ。
その結斗くんのスペシャルグッズとサイン、というエサを目の前にちらつかせたんだ。
悔しいけど、僕は推しのサインにつられて首を縦に振ってしまった。
え?葛城くんが目の前に!?
どうしよう、人生最大のピンチだ!!
✤✤
「推し」「高校生BL」をテーマに書いたお話です。
全年齢向けの作品となっています。
一度短編として完結した作品ですが、既存部分の改稿と、新規エピソードを追加しました。
✤✤
春風の香
梅川 ノン
BL
名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。
母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。
そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。
雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。
自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。
雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。
3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。
オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。
番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる