夜が明けるまで

遠間千早

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最終章

2

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 嵐に促されて、近くの教室に入った。
 誰もいない部屋に入り倫人がそっと扉を閉める。二人きりになるのは寮の部屋に嵐が訪ねてきた日以来だ。
 何の用事だろう、とどきどきしながら身構えていると、嵐は少し離れて黙ったまま倫人を見つめている。

 次に嵐に会ったとき、みさきであることを言うつもりだった。
 それなのに、嵐を目の前にすると途端に指の先まで緊張してしまって上手く目を合わせられない。ぐずぐずしていたら嵐の方が先に動いた。

「あのな」

 手近な机に軽くもたれた嵐が口を開いた。

「今から言うこと、もし鈴宮にとって意味不明だったら聞き流してほしいんだが……」

 迷うような口ぶりでそう言った嵐に、倫人は軽く首を傾げる。
 しかしとりあえず首を縦に振った。
 その倫人の様子を見て、嵐が安心したように微かに微笑んだ。その柔らかい笑みに懐かしさを感じてつい見とれてしまう。
 嵐は倫人から視線を外し、窓の外をぼんやり見つめた。

「……夢って、目が覚めたら自分が何見てたか覚えてないだろ」
「……?……はい」

 唐突に始まった話の脈絡が読めず、戸惑いながら頷いた。嵐は晴れた青空に目を止めたまま、視線をそこから離さない。何か考えを整理しながら言葉を見つけているようだった。

「……でも、その夢の続きが起きた後も気になって、どうしても見たくなるときがある。なんでか時々、無性にその先が見たくなって落ち着かないんだ。……もう内容もほとんど忘れてしまっているのに」

 独り言のように紡がれる言葉を聞きながら、ふと胸がざわざわするような予感を覚えた。その言葉の先を聞きたいような、聞いてしまうのは怖いような、不思議な胸騒ぎが。
 嵐は外を見たまま呟くように続ける。

「そこに、俺にとって何か大事なものがあったような気がして。今でも時々、何かが足りないような気がして、妙な気分になる。昔はこんなことなかったはずなんだ」

 それを聞きながら、まさかと一瞬脳裏をよぎる予感を打ち消した。気付くと手に汗が滲んでいる。
 遠くから何かを手繰り寄せようとするような嵐の表情に釘付けになって、そこから目を逸らせない。

「二年前目が覚めてから、ずっと違和感があって……俺は、それが何なのか知りたい」

 そう言って嵐は窓から視線を外し、倫人の顔を見た。黒曜石のような澄んだ瞳が倫人の目を真っ直ぐに捉える。
 真剣な表情とまともに目が合って思わず息を飲んだ。瞬きをすることも忘れてその瞳を見つめ返した。
 緊張で喉がからからに乾いていく。

「……違和感?」

 張り付くような掠れた声を、やっとの思いで絞り出した。
 その問いに嵐は小さく頷いて倫人を見つめる。
 昔見た、あの真摯な強さを宿す瞳で。
 小さく息を吸った嵐が倫人から視線を外さないまま口を開いた。

「俺がずっと探してるのは、鈴宮なんじゃないのか」

 どくん、と心臓が大きく振動した。
 目を見開いて息を呑んだまましばし茫然とする。

 ──なんで。

 わかったんだろう、とか、急にどうして、と疑問の言葉ばかりがぐるぐる頭を回る。驚きで身体が固まってしまった。
 何か言わなければならない。その通りだと頷かなければならない。何の準備もないまま予想外のタイミングで訪れた告白の機会に、これ以上ない程心臓がどきどきして、狼狽えてしまった。
 こちらを見透かすように真っ直ぐに倫人を見つめてくる嵐の視線をなんとか受け止めて、短く息を吸った。
 込み上げてくる感情は複雑で言葉にしがたい。

 やっぱり、嵐は思い出さない。

 でも、気付いてくれた。それが心から嬉しい。
 だんだん目の奥が熱くなってきた。言葉にならない感情をどうにか声にしようと震える口を動かす。

「あの」

 倫人が肯定のための言葉をなんとか絞り出そうとしたとき、ポケットに入れていたスマホが震えて着信音が鳴った。
 響く音に驚いて思わず相手を確認すると、画面に表示されたのはさっき繋がらなかった千尋の名前だった。かけ直してくるかもしれないと思ってサイレントモードを解除していたのを思い出す。
 絶妙なタイミングに迷って嵐をうかがうと、出て良いと頷かれたので急いで応答をタップする。

「千尋?」
『……倫人くん、立花君を』

 ひどく頼りない小さな声がした。雑音のようなものに紛れてかなり聞き取りづらい。確かに章吾の名前が聞こえた気がして、倫人は訝しげに聞き返した。

「千尋、大丈夫?章吾がどうしたの?」
『お願い、立花君が、危ない』
「千尋?」

 もう一度聞き返すが通話はそこで急に途切れた。倫人は千尋が言ったことを頭の中で反芻して眉をひそめる。

「何かあったのか」

 暗くなったスマホの画面を見ていると嵐が声をかけてきた。

「千尋が……クラスの友達が、章吾が危ないって。何故かはわからないんですけど」
「立花が?」

 嵐も不審そうに眉を寄せて、すぐに教室の扉に近づくと戸を開けて廊下を覗き込んだ。左右を確認してから顔をこちらに戻して倫人を振り返る。

「二人の気配がない」
「え?」

 思いがけない言葉に倫人は目を見開いた。

 気配がない、とはどういうことなのか。
 何となく嫌な予感がして倫人も入り口に駆け寄って廊下を確認した。嵐の言う通り廊下には全く人気がなく、環と章吾の気配はしない。

「二人とも、どこに……」

 どこか離れたところにいるんだろうか。
 しかし、今しがたの千尋の言葉が気になる。眉を寄せて考え込むと、前触れなく肩をとんと軽く叩かれた。嵐を振り返ると、先ほどと変わらず真剣な表情で倫人を見下ろしていた。

「さっきの話は、また後でにしよう。先に二人を探した方がいい」

 その言葉に同意して頷き、倫人も動揺を抑えて一旦頭を切り替えることにした。

「俺は本校舎の方を見てくる。鈴宮はこっちで二人を探してくれ」
「はい」

 倫人の返事を聞くと嵐は廊下を駆けていった。
 それを見送ってから倫人も西棟の奥を目指して走る。いくらもかからないうちに廊下の突き当たりまで着いた。
 嵐から離れ、ようやく先程の動揺が静まって息をつけるようになる。深呼吸してから周囲を見回したが、二人の姿は見つからなかった。
 もしや校舎の外に出たのか、と外へ繋がる扉に近づこうとしたとき、またポケットの中のスマホが鳴った。
 急いで取り出して発信者を確認すると、今度は志麻からの着信だった。足を止めてその電話をとる。

「志麻君?どうしたの?」
『……倫人、今どこにいる?』

 電話口からは、囁くくらいのひそやかな声がした。
 声を抑えたような志麻の様子をおかしく思い、倫人は首を傾げる。

「今西棟の一階だよ。どうしたの?何かあった?」
『西棟?そうか、ちょうどよかった。倫人、すぐ萩兄が来るから三階まで来て。立花と宝生さんがヤバい』
「章吾とたま先輩?二人ともそこにいるの?」
『ああ。明らかに外部の不良みたいな変な奴らに絡まれてて教室で囲まれてる』
「え!?」

 予想外の内容に思わず大きな声が出た。
 一階で章吾達と別れたのはそんなに前の出来事ではない。

『校舎の音がおかしかったからちょっと様子を覗きに来たんだ。そしたら、ヤバそうな奴らが立花達を連れてくから後をつけた。宝生さんが捕まってるのか、立花が殴られてる。萩兄にはもう連絡して……うわヤベっ』
「志麻君?!」

 焦ったような声が聞こえ、思わず志麻を呼ぶ。急いでスマホを隠したのか、スピーカーから聞こえてくるのは衣ずれのような音だった。
 電話の向こうからガンっと大きな物音がして、『テメェ何してんだ』と知らない男のくぐもった声が聞こえた。どすっと何かを殴るような音につづいて、志麻が微かにうめくような声がする。
 一気に頭から血の気が引いて、大丈夫かと大声をあげそうになるのをなんとか堪えた。様子を知りたくても、音はくぐもったまま雑音ばかりで、そのうち通話が切れてしまった。

 何か、大変なことが起きている。

 考えるより先に足が動いていた。一番近くにある階段を駆け上がり、一気に三階まで走る。常葉が来ると言われた言葉が頭の中から飛んだ。

 三階まで登ると、この棟に人は立ち入らないはずなのに、複数の気配がする。廊下の先を見ると途中の教室の扉が開いていて人の話し声が聞こえた。
 足音を立てないように廊下を走り、人の気配のする教室まで近づく。扉のすぐ側でしゃがんで、開いたままの戸の陰からそっと中をうかがった。
 教室の中には、後方の机のないスペースに数人のジャージ姿の男がいた。皆身体が大きく、一様に柄が悪そうな鋭い目つきをしている。二、三人は後ろ姿しか見えず、机の上にだらしない様子で腰掛けていた。

 交流試合に来た他校の生徒だろうか。

 ジャージ姿を見てそう思ったが、彼らの怠惰な雰囲気と身にまとう泥のような色を見てすぐにその考えを打ち消した。明らかに、交流試合をしに来たとは思えない荒んだ色をしている。

「で?コイツらボコってたらほんとに白鶯が来んのか?」

 机に座った一人がだるそうにそう言った。別の机に寄り掛かった一人がそれに頷く。

「ああ。そういう話だ。別のとこで騒ぎが起きるからその間にこいつらボコったら白鶯が来るらしい」
「で、白鶯も一緒にやっちまえだっけ?マジいかれてんなー。ボコるのはいいけどバレる前にさっさとずらかろうぜ」
「おう。ま、理由は知らんけど金貰えればどうでもいいよな」
「まーな。とにかくこのオレンジ頭の奴を痛めつけてれば良いんだっけ?」

 男の一人がそう言って何かをぶつけるような音がする。男達の話に気を取られていた倫人は、小さく呻く声を聞いてはっと目を凝らした。
 机の脚と男たちの間から床に蹲っている章吾と志麻を見つけた。怪我をしているのか、章吾から苦しそうな色が出ている。目を見開いて、思わず声を上げそうになるのを奥歯をぎゅっと噛んで耐えた。
 章吾たちのさらに奥の様子はよく見えなかったが、二人の男が床に屈んで何かしているようだった。そこから何か布を裂くような音が聞こえ、その瞬間蹲っていた章吾が素早く顔を上げた。

「ッそ、テメェらやめろ!!」

 右の脇腹を庇いながら、それでも十分素早い動作で奥に屈んだ男達に殴りかかる。しかし、章吾の傍に立っていた男がそれよりも速く足を振り上げた。
 背中を強く蹴りつけられ、避ける間もなくまともに蹴られた章吾が低くうめいて床に倒れた。蹴った男が意外そうな声を出す。

「コイツまだ動けんのかよ」

 その声に、背を向けてしゃがんでいた男が振り返った。

「あ?なんだ、邪魔すんなよ」
「お前らがキモイことしてるからだろ。すんなら早く終わらせろよ」
「はいはい。ちょっと待ってな」

 そう答えた男の陰に、仰向けに横たわった環の顔が見えた。殴られたのか、口の端が切れて血が滲んでいるのが微かに見える。
 暴力的な色が溢れて靄がかかる中でよく見えなかったが、環を押さえつける男達に見覚えのある情欲の色を見つけた。そして男が動く身体の隙間から制服が乱れた環の上半身が微かに見える。それに気付いた瞬間、倫人は教室の中に飛び込んだ。
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