異世界で演技スキルを駆使して運命を切り開く

井上いるは

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第五章

胸に宿る不安

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朝食後、私たちはそのままテーブルで今日の予定を話し合った。
リックさんは私の顔を見つめ、少しだけ眉を寄せて考え込んでいる。

「今日はまず救護院に行って、レイチェル夫人にお礼を伝えて必要な手続きを済ませよう。サラも挨拶したいだろう?」

リックさんの声には、優しさと何かを気にしている響きがあった。
その気持ちを感じながら、静かに頷いた。

「そうね。お世話になったから、お礼を言わないと。」

リックさんは微笑んで頷き、続けた。

「その後はエリオスさんが待つ隣町へ行こう。移動手段は、馬か馬車になるかな。サラ、どちらがいい?」

少し考えてから、肩をすくめて答えた。

「馬車が楽そうだけど、リックさんと一緒ならどちらでもいいわ。」

リックさんは微笑む。

「じゃあ、まず救護院に行ってから決めよう。」

私たちは食堂を出て、宿の支払いを済ませ、リックさんと並んで外に出た。
小雨はまだ降っていたが、空は少し明るくなっていた。
今日はこれから晴れるだろう。
空を見て、きっと良い一日になる予感がした。

歩き出すと、リックさんがそっと私の手を握った。

「寒くないか?」

私はその言葉に微笑んで答えた。

「うん、大丈夫。ありがとう。」

救護院までの道のりは、小雨になったことで、昨日よりも歩きやすかった。
静かな街並みの中、私たちは言葉を交わさず歩いていたが、その沈黙は心地よかった。

救護院に着くと、レイチェル夫人が笑顔で迎えてくれた。

「まあ、お二人とも、昨夜はよくお休みになれましたか?」

リックさんが軽く会釈して答える。

「はい、おかげさまで。サラもだいぶ落ち着きました。お世話になりました。」

レイチェル夫人に向き直り、心から感謝を伝えた。

「本当にありがとうございました、夫人。ここでの時間が、私にとって大きな支えになりました。」

レイチェル夫人は優しく頷き、私の肩を軽く叩いてから、リックさんに尋ねた。

「オルデン様、少しの間お話よろしいですか?」

リックさんは一瞬驚いたが、すぐに真剣な顔になり、夫人の後を追って院長室に入った。
少し不安を感じながら、彼を見送り、部屋で待つことにした。

どれほどの時間が経っただろう。
部屋は静まり返り、時計の音だけがやけに大きく聞こえる。

心臓が早鐘のように鳴っているのが、耳にまで響いてくる。
リックさんがいない空間が、不安でたまらない。
呼吸が浅くなる。
あの治癒師見習いが来たらどうしよう。
会いたくない。

「大丈夫、大丈夫……」と自分に言い聞かせてみる。

そう言い聞かせるけれど、言葉は頼りなく、ただの空気の振動に感じる。
過去の出来事が頭をぐるぐる回り、息が詰まる。
胸が重く、空気が薄くなったように感じる。

「リックさん……。」

名前を呼ぶだけで涙が溢れそうになり、喉が詰まる。
もう一度深呼吸を試みるが、肺がうまく機能しない。
焦りが増し、息が苦しくなる。

気づけば、ドアの方へ歩いていた。
震える手でドアを叩き続けた。

「リックさん……リックさん、お願い、戻ってきて……。」

声が震え、うまく出ない。
それでも、なんとかリックさんの名前を呼び続けた。
ドアの向こうで、足音が近づく気配がした。

「サラ!」

ドアが開き、リックさんの姿が見えると、私はその場に崩れ落ちた。

リックさんの顔が目の前に見えた途端、涙が堰を切ったように溢れた。
体が震えて、まるで自分のものではないようだった。
リックさんの腕が私を支え、そっと引き寄せた。

「サラ、大丈夫、俺がいるから。もう何も心配しなくていい。」

彼の声は遠くから聞こえるようだったが、その温かさだけははっきりと伝わった。
私はリックさんの胸に顔を埋め、涙を流しながら深呼吸を試みた。

「ごめんなさい……リックさん……苦しくて……。」

喉が詰まり、声が出ない。
息を整えられず、ただ彼の胸にしがみついた。
リックさんの手が背中を優しく撫で、呼吸を合わせるよう促してくれる。

「大丈夫、ゆっくりでいいんだ。俺と一緒に深呼吸しよう。ゆっくり、吸って……吐いて……。」

彼の落ち着いた声に従い、何度か深呼吸した。
少しずつ、過呼吸が和らいでいくのを感じた。
彼の手が背中を撫でる感触に、心が次第に落ち着いていくのを感じた。

「そう、ゆっくりでいい。俺はここにいるから、安心して。サラ、ごめんな、一人にすべきじゃなかった。俺が悪かった。」

彼の穏やかな声が響くたびに、不安が少しずつ溶けていくのを感じた。
やがて、呼吸が整い、体の震えも徐々に収まった。
彼の胸にしがみつきながら、少しずつ落ち着きを取り戻した。

「……ありがとう、リックさん……。ごめんね、迷惑ばかりかけて……。」

涙を拭いながら、私は謝った。
しかしリックさんは優しく首を振り、私の肩を抱きながら、少し笑顔を見せた。

「迷惑なんかじゃない。俺には甘えてくれていいんだよ。」

彼の言葉で胸がじんわり温かくなる。
こんなにも私を思ってくれる存在が、どれほど大きな支えになっているか、何度も実感する。

「さあ、救護院を出よう。エリオスさんも待っているし、今日は休める場所を見つけよう。」

リックさんは私の手を握り、立ち上がらせてくれた。
私は彼の手の温もりを感じ、ゆっくり頷いた。
もう一人じゃない。
リックさんがそばにいる限り、きっと大丈夫だ。

「サラ様、少しお部屋で休まれたら?」

レイチェル夫人が近づいて来た。
私は慌てて首を振った。
昨日の夜の一件で、お世話になったこの場所が恐怖に変わったから。
私の様子を見て、リックさんが私を抱き上げた。

「夫人、ご配慮ありがとうございます。でも、外に出た方が気持ちが落ち着くようです。」

「そうですわね。サラ様のご回復をお祈りしております。」

レイチェル夫人に見送られ、救護院を出た。


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