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3 紅い月夜に
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戻ってきたシェリーに、国も神殿も大層驚いた。そして、シェリーが証拠にと、塵になる前に聖なる力で包んで崩壊を止めた悪魔の生首を見せると、もっと驚いた。というか、悲鳴が上がった。
シェリーは英雄と呼ばれ、騎士団での地位も上がり、四つある大隊のうちの一つ、炎の大隊長補佐にまでなった。
が、シェリーにはまだ、やることが残っている。
(神を、殺す。呪いを解く)
それを胸に、また鍛錬の日々。悪魔との戦いで魔の性質も掴んだシェリーは、それも鍛えることにした。武器は、多ければ多いほど良い。あとは質を高めるだけ。
そして、その時が来た。大隊長補佐として忙しく働いていたシェリーは、死ぬ気で休みをもぎ取り、二百年に一度の満月が紅く染まる夜、ゲアドル湖に来ていた。
季節は、夏の盛り。
緑茂る湖周辺には、誰もいない。聖域とされるこの場所は、特別な許可無しでは入れない。英雄となったシェリーは、その立場を利用して、聖域に入る許可を得ていた。
「……」
広く深い、澄んだ水を湛えた湖を見つめる。空に浮かぶ月はまだ、金に煌めいている。
シェリーはいつでも動けるように、湖畔に浮かぶボートに乗っていた。
「──!」
月が、紅く染まりだした。最初は縁が、そして徐々に、全体が。
ついに、月は、その丸い姿全てを紅く染め上げた。
「……神」
いつ、来るのか。
「……」
どれくらい、経ったか。不意に、湖が波立った。
「!」
風は、吹いていない。無風の中、湖だけが、その中心に渦を巻くように波を立てる。湖の水は、いつの間にか光り輝いていた。
そして──
「……!」
一人の男が、渦の上に現れた。
七色に光る衣を纏い──いや、その男自身も淡く光を纏っている──紅い月に照らされたその姿に、シェリーは魂が震えた気がした。
あれが神だと、直感で、いや、全身で理解する。
「っ、……?!」
その男へ向けてボートで漕ぎ出そうとしたシェリーは、ボートがそこから動かないことに気付く。
水の上にあるのに、びくともしない。まるで、見えない手が、ボートを掴んでシェリーを留め置こうとしているかのように。
「っ……どうして! このっ!」
シェリーはボートを漕ぐのを諦め、湖に飛び込んだ。そして、神へ向けて泳ぎだす。
今日。今日しか。呪いを解く日はないのだ。あと二百年など、待っている間に死んでしまう。
だというのに、水は重く。粘るように彼女の体に絡みつく。
それは、シェリーを拒むように。神聖な存在から、彼女を遠ざけようとするように。
「っ……!」
それでも、聖と魔の力を使い、気合で泳ぎ続ける。聖なる力は効力がなかったが、魔の力は少しは効いているようで、体が、少しだけ、前に進む。
「っハァ! ハッ……!」
進むが、体はどんどん重くなる。沈んでいく。
(くそ! どうして、どうして……!)
着衣水泳など、全身鎧でもやってのける自分が。この程度で。
「……クソッ……!」
沈みかけながら悪態をついた、その時。
「っ?!」
こちらを振り向いた神と、目が合った、気がした。
「──ゴポッ!」
その瞬間、呼吸の感覚を間違えて、水が気管に入ってしまう。
「ゴボッ?! ゴブッ……!」
体が見る間に沈んでいく。水中を、何もない水の中を、自分の手が、掻く。
(クソ! クソ、クソ、クソが……!)
ここで終わるのか。やっとここまで来て、終わりか。あと、少しだったのに。
青黒い水中に、紅い光が差している。
そこに、影が見えた。
(……?!)
影が動き、水中へ、こちらへ、腕が伸ばされ。
その腕が、シェリーの腕を、掴んだ。
(なに……?!)
そのまま一気に引っ張り上げられ、シェリーの体は水の中から解放される。
「ゲホッ、ゲホッ……ゴホッ……!」
何が起きた。自分は、……誰かに抱かれている?
「なんでこんな時に、ここで泳ごうとするんだ」
呆れ混じりのその声は、低く、涼やかで。
シェリーは、自分が抱き上げられていると理解しながら、その、自分を抱いている人物の顔を仰ぎ見る。
「……!」
神。
神が、目の前に。
「このまま岸まで行くからな。大人しくしていろ」
そのまま、神は水面を滑るように進んで、岸まで。
「一人で立てるか」
「……」
ゆっくりと地面に降ろされた、その瞬間。
「?!」
シェリーは神の首元の服を掴み、顔を引き寄せ、その唇に自らのを重ねる。
「……おい、何を──」
すぐに離されるが、問題ない。これで、条件は揃った。
「失礼」
「謝って済む──、?!」
剣を抜きながらそいつの足を払い、馬乗りになる。
「……ねぇ」
剣を抜いたシェリーは、それを真っ直ぐに、
「あなたを殺せば、私の呪いは解けるのよね?」
その男の心臓へ、突き刺した。
「……、………………」
男は抵抗する間もなく、死んだ。胸からは血が溢れ出し、その体はピクリとも動かない。
「……終わった……」
シェリーは剣を胸から引き抜くと、それを振り、軽く血糊を落とす。
立ち上がり、男の死体を処理するために用意していたものを取りに行こうと、男から背を向け。
「……おい」
「?!」
振り返れば、殺したはずの男が、立っていた。
いや、よく見ればその体は半透明で、地面には男の死体が転がったまま。
と、その死体が、光の粒となって消えていく。
「ああ、くそ」
それを見た男が、長い髪をかき回し、悪態をついた。
「お前のせいで、現世に留まらなければならなくなったじゃないか」
こちらを睨む美しい顔に、シェリーは慎重に問いかける。
「……一応聞くけど、あなた、死んだのよね?」
「今しがたお前に殺されたが? ああ、いや、半死半生だな」
「半死半生……?」
「生きてもいるし死んでもいるということだ」
生きているし、死んでもいる。
「理由は知らんが、お前は俺を現世に縛ろうとしたな。俺はそれに嵌まり、受肉しかけ、その状態で心臓を一突きされた。存在が揺らいでいる時に殺されかけたんだ。だから、生きてもいるし、死んでもいる、と、言ったんだ」
それは、つまり。
「私の、呪いは……?」
呆然と、呟く。
「呪い? ……あぁ、なにやらかかっているな。だが、解けかかってもいる」
解けかかっている。
「……うそ」
……完全には、解けていない?
「嘘など言ってどうする。こっちはもっと面倒で──」
「嘘よ!」
「?!」
「うそ、うそ、嘘! あああ!」
剣を落としたシェリーは両手で顔を覆い、地面にへたり込む。
「うそ……いや……」
俯いたそこから、雫が落ちる。
「おい、なんだ、急に。何がどういう訳なんだ?」
半透明になった神は、シェリーの側まで寄ってしゃがみ込み、
「何があった。……俺を殺そうとしてまで、お前は何をしたかった」
静かに、問いかける。今しがた、自分を殺しかけた相手に。
「……ッ」
シェリーは、唇を噛みしめる。
失敗した。たった一度のチャンスを、ものにできなかった。その上、その対象に、気遣われている。
なんて、惨めな。
「……ごめんなさい、あなたを殺そうとして」
シェリーは涙を袖で拭い、顔を上げる。
「理由はとても個人的な理由よ。仕返しをするなら、どうぞ」
「……仕返しなどしない。する意味がない。それより俺の質問に答えろ。何がしたかった?」
目の前の男は顔をしかめ、聞いてくる。
「……呪いを、解きたかったのよ。私にかかってる、呪いを。神を殺さなければ解けない呪いなの」
「神を……か」
「ええ。でも、失敗した。呪いはもう、一生解けない……!」
シェリーの目に、涙が滲む。
「……恐らくだが」
神だった男は、神妙な顔つきになる。
「一生解けない、訳でもないと思うぞ?」
「……え?」
シェリーは英雄と呼ばれ、騎士団での地位も上がり、四つある大隊のうちの一つ、炎の大隊長補佐にまでなった。
が、シェリーにはまだ、やることが残っている。
(神を、殺す。呪いを解く)
それを胸に、また鍛錬の日々。悪魔との戦いで魔の性質も掴んだシェリーは、それも鍛えることにした。武器は、多ければ多いほど良い。あとは質を高めるだけ。
そして、その時が来た。大隊長補佐として忙しく働いていたシェリーは、死ぬ気で休みをもぎ取り、二百年に一度の満月が紅く染まる夜、ゲアドル湖に来ていた。
季節は、夏の盛り。
緑茂る湖周辺には、誰もいない。聖域とされるこの場所は、特別な許可無しでは入れない。英雄となったシェリーは、その立場を利用して、聖域に入る許可を得ていた。
「……」
広く深い、澄んだ水を湛えた湖を見つめる。空に浮かぶ月はまだ、金に煌めいている。
シェリーはいつでも動けるように、湖畔に浮かぶボートに乗っていた。
「──!」
月が、紅く染まりだした。最初は縁が、そして徐々に、全体が。
ついに、月は、その丸い姿全てを紅く染め上げた。
「……神」
いつ、来るのか。
「……」
どれくらい、経ったか。不意に、湖が波立った。
「!」
風は、吹いていない。無風の中、湖だけが、その中心に渦を巻くように波を立てる。湖の水は、いつの間にか光り輝いていた。
そして──
「……!」
一人の男が、渦の上に現れた。
七色に光る衣を纏い──いや、その男自身も淡く光を纏っている──紅い月に照らされたその姿に、シェリーは魂が震えた気がした。
あれが神だと、直感で、いや、全身で理解する。
「っ、……?!」
その男へ向けてボートで漕ぎ出そうとしたシェリーは、ボートがそこから動かないことに気付く。
水の上にあるのに、びくともしない。まるで、見えない手が、ボートを掴んでシェリーを留め置こうとしているかのように。
「っ……どうして! このっ!」
シェリーはボートを漕ぐのを諦め、湖に飛び込んだ。そして、神へ向けて泳ぎだす。
今日。今日しか。呪いを解く日はないのだ。あと二百年など、待っている間に死んでしまう。
だというのに、水は重く。粘るように彼女の体に絡みつく。
それは、シェリーを拒むように。神聖な存在から、彼女を遠ざけようとするように。
「っ……!」
それでも、聖と魔の力を使い、気合で泳ぎ続ける。聖なる力は効力がなかったが、魔の力は少しは効いているようで、体が、少しだけ、前に進む。
「っハァ! ハッ……!」
進むが、体はどんどん重くなる。沈んでいく。
(くそ! どうして、どうして……!)
着衣水泳など、全身鎧でもやってのける自分が。この程度で。
「……クソッ……!」
沈みかけながら悪態をついた、その時。
「っ?!」
こちらを振り向いた神と、目が合った、気がした。
「──ゴポッ!」
その瞬間、呼吸の感覚を間違えて、水が気管に入ってしまう。
「ゴボッ?! ゴブッ……!」
体が見る間に沈んでいく。水中を、何もない水の中を、自分の手が、掻く。
(クソ! クソ、クソ、クソが……!)
ここで終わるのか。やっとここまで来て、終わりか。あと、少しだったのに。
青黒い水中に、紅い光が差している。
そこに、影が見えた。
(……?!)
影が動き、水中へ、こちらへ、腕が伸ばされ。
その腕が、シェリーの腕を、掴んだ。
(なに……?!)
そのまま一気に引っ張り上げられ、シェリーの体は水の中から解放される。
「ゲホッ、ゲホッ……ゴホッ……!」
何が起きた。自分は、……誰かに抱かれている?
「なんでこんな時に、ここで泳ごうとするんだ」
呆れ混じりのその声は、低く、涼やかで。
シェリーは、自分が抱き上げられていると理解しながら、その、自分を抱いている人物の顔を仰ぎ見る。
「……!」
神。
神が、目の前に。
「このまま岸まで行くからな。大人しくしていろ」
そのまま、神は水面を滑るように進んで、岸まで。
「一人で立てるか」
「……」
ゆっくりと地面に降ろされた、その瞬間。
「?!」
シェリーは神の首元の服を掴み、顔を引き寄せ、その唇に自らのを重ねる。
「……おい、何を──」
すぐに離されるが、問題ない。これで、条件は揃った。
「失礼」
「謝って済む──、?!」
剣を抜きながらそいつの足を払い、馬乗りになる。
「……ねぇ」
剣を抜いたシェリーは、それを真っ直ぐに、
「あなたを殺せば、私の呪いは解けるのよね?」
その男の心臓へ、突き刺した。
「……、………………」
男は抵抗する間もなく、死んだ。胸からは血が溢れ出し、その体はピクリとも動かない。
「……終わった……」
シェリーは剣を胸から引き抜くと、それを振り、軽く血糊を落とす。
立ち上がり、男の死体を処理するために用意していたものを取りに行こうと、男から背を向け。
「……おい」
「?!」
振り返れば、殺したはずの男が、立っていた。
いや、よく見ればその体は半透明で、地面には男の死体が転がったまま。
と、その死体が、光の粒となって消えていく。
「ああ、くそ」
それを見た男が、長い髪をかき回し、悪態をついた。
「お前のせいで、現世に留まらなければならなくなったじゃないか」
こちらを睨む美しい顔に、シェリーは慎重に問いかける。
「……一応聞くけど、あなた、死んだのよね?」
「今しがたお前に殺されたが? ああ、いや、半死半生だな」
「半死半生……?」
「生きてもいるし死んでもいるということだ」
生きているし、死んでもいる。
「理由は知らんが、お前は俺を現世に縛ろうとしたな。俺はそれに嵌まり、受肉しかけ、その状態で心臓を一突きされた。存在が揺らいでいる時に殺されかけたんだ。だから、生きてもいるし、死んでもいる、と、言ったんだ」
それは、つまり。
「私の、呪いは……?」
呆然と、呟く。
「呪い? ……あぁ、なにやらかかっているな。だが、解けかかってもいる」
解けかかっている。
「……うそ」
……完全には、解けていない?
「嘘など言ってどうする。こっちはもっと面倒で──」
「嘘よ!」
「?!」
「うそ、うそ、嘘! あああ!」
剣を落としたシェリーは両手で顔を覆い、地面にへたり込む。
「うそ……いや……」
俯いたそこから、雫が落ちる。
「おい、なんだ、急に。何がどういう訳なんだ?」
半透明になった神は、シェリーの側まで寄ってしゃがみ込み、
「何があった。……俺を殺そうとしてまで、お前は何をしたかった」
静かに、問いかける。今しがた、自分を殺しかけた相手に。
「……ッ」
シェリーは、唇を噛みしめる。
失敗した。たった一度のチャンスを、ものにできなかった。その上、その対象に、気遣われている。
なんて、惨めな。
「……ごめんなさい、あなたを殺そうとして」
シェリーは涙を袖で拭い、顔を上げる。
「理由はとても個人的な理由よ。仕返しをするなら、どうぞ」
「……仕返しなどしない。する意味がない。それより俺の質問に答えろ。何がしたかった?」
目の前の男は顔をしかめ、聞いてくる。
「……呪いを、解きたかったのよ。私にかかってる、呪いを。神を殺さなければ解けない呪いなの」
「神を……か」
「ええ。でも、失敗した。呪いはもう、一生解けない……!」
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