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38話 不穏な影
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太陽の光が少しずつ強くなり、汗ばむ日も増えていた。
開店前にパン屋の店先で掃除をしていたミミは、何度も速達で届いた手紙のことを考えてしまっている。以前のランエルたちからの手紙には書かれていなかったのだが、ベナスはランエルや両親にミミの居場所を何度も尋ねに来ていたというのだ。
その定期的な来訪は、去年の秋ごろからピタリと止まった。不思議に思いこちらから訪ねてみると、ベナスの姿が見当たらないことに気づいた。彼の親族に聞きに行けば、はぐらかされてしまう始末だったという。
どうにかして口の軽い使用人を見つけ出し、話を聞けたのはつい最近のことで、ベナスは秋のはじめにミミを探しに領地を出たと言うのだ。
なぜ、ミミをさがしているのだろうか。疑問しか浮かばなかったのだが、ベナスに会う確率は低いのではないかと自分に言い聞かせていたのだが――。
「……!!」
なんとも言えない視線を感じ、ミミは急いで振り向いた。あたりを見回しても、怪しい人影は見当たらない。勘違いだったのかと安堵して、掃除を再開した。
手紙を貰った日から、心の中がざわめいて小さな不安が消えてくれない。ミミの変化をサージュも敏感に察知して、彼まで神経を尖らせている現状に、なんとか気持ちを切り替えなければと思っている。
「ミミ」
顔を上げて振り返ると、サージュが立っていた。
「サージュ、仕事は終わったの?」
「うん。掃除は俺がするから、ミミは店の中に入って」
理由は言えていないのに、サージュの本能がそうさせるのか、ミミがひとりで外にいることを極力避けようとしてくれている。勤めているパン屋の店先ですらだ。
サージュの心配りに申し訳なく思っていると、店の中からナッチェが顔を出してきた。
「あら、サージュ! あなたちょっと前より身長が伸びたんじゃない?」
一瞬、誰だかわからなかったわ、と笑っている。
頻繁に会っているナッチェですら、今のサージュの変化に気づいているようだ。毎日一緒にいると気づきにくいのだが、ここ最近のサージュは身長が伸びて顔つきも幼さがなくなってきている。
子どもの成長とはなんて早いのだろうか。ぶかぶかだった服も今ではぴったりと着れていて、その服が小さくなるのも時間の問題かもしれない。
ミミが気づいたのも最近で、ふとした瞬間に幼かったサージュが少し大きくなたサージュへと変わっていたのだ。そのとき、胸の中に広かった感情をなんと表現すればいいのだろうか。
驚きと喜び、そして最後に切なさがやってきた。
サージュとの一日一日を、大切に過ごしたい――。
感慨深く思っていると、ナッチェの声が聞こえてきた。
「掃除はもういいから、ふたりとも、焼きたてのパンをお食べよ。お昼はまだだろ?」
店の中に入ると焼きたてのパンのいい匂いが漂っている。部屋の隅には小さなテーブルと椅子が二脚あり、ナッチェはパンとスープを置いていた。
「さあミミ、新作候補が焼けたよ。味の感想を聞かせておくれ」
新しいパンを作ろうと、先日から色々なパンを作っているのだ。今日はドライフルーツと木の実を練り込んだパンを焼いてみたのだが――。
「うん! おいしい!」
「食感がおもしろいね」
サージュの表情は控えめだが、おいしそうに食べている。上々のできに頬がゆるむ。前回の野菜のピューレを練り込んだパンはいまいちだったのだ。ミミはノートを取り出して花丸をつけた。
「候補はたまった?」
「今のところは、イチココのクリームジャムサンドとクッキーパン。あとシュガー揚げパン!」
「全部甘いやつだ」
「本当だわ! しょっぱいのも考えないと!」
穏やかな時間がゆっくりと過ぎてゆく。何気ない日々がどれほと大切か、ミミは知っている。
季節は進み、初夏の青葉が強い風に揺れていた。
生温かい風が何度もパン屋の窓を叩いて、それは陽が沈んだ今でも続いている。
「遅くなっちまったね。サージュが心配してるだろうから気をつけて帰るんだよ」
「はい。すぐそこなので大丈夫です」
いつもならサージュが迎えに来るのだが、今はそれができない。
ここ最近のサージュは、身体の節々に強い痛みがあり、動けなくて寝込んでしまっているのだ。医者に診てもらって得た病名は――。
『成長痛だな』
『成長痛……? こんなに痛がるものなのですか!?』
『個人差はあるが……こんなに痛がるのはあまり聞かないな。急激な成長に、身体が悲鳴をあげてるのかもしれない』
そう言って医者は、痛み止めの薬を飲んで安静にするのがいちばんだと薬を置いていってくれた。
ミミはサージュの不調が心配で、掃除の仕事もホーデリオとの約束もすべて延期にしてもらっている。
初日はミミがかいがいしく看病をしていたのだが、次の日からはサージュにパン屋の仕事へ行ってほしいと言われてしまったのだ。
どうやら痛がる姿をミミに見られたくないらしい。その代わり、まっすぐに帰って来てほしいとの言葉に、ミミは頷いた。
今日のお昼過ぎに様子を見に行ったときには、痛み止めの薬を飲んだ副作用でぐっすりと眠っていたので、おやつに食べるパンを置いて戻ってきたのだ。
今はもう起きているのだろうかと急いで外に出ると、夜空に丸い月が見えた。その月明かりに照らされた黒い雲が、強い風に運ばれてせわしなく流れている。ときどき雲が月に重なって、光を遮り暗くなるのだ。
中庭に進めば木々が風で葉を鳴らしてミミの帰りを迎えていた。
今は暗くて見えないが、庭の一角には種から育てた薬草たちも青々と茂っている。
一瞬、奥の暗闇の中で何かが動く気配がした。
急いで凝視すると、ミミの白くて長い髪が風に舞い上がり視界を遮る。
髪を押さえてまた視線を向ければ、ミミの目の前に、大きな黒い影が立っていた。
開店前にパン屋の店先で掃除をしていたミミは、何度も速達で届いた手紙のことを考えてしまっている。以前のランエルたちからの手紙には書かれていなかったのだが、ベナスはランエルや両親にミミの居場所を何度も尋ねに来ていたというのだ。
その定期的な来訪は、去年の秋ごろからピタリと止まった。不思議に思いこちらから訪ねてみると、ベナスの姿が見当たらないことに気づいた。彼の親族に聞きに行けば、はぐらかされてしまう始末だったという。
どうにかして口の軽い使用人を見つけ出し、話を聞けたのはつい最近のことで、ベナスは秋のはじめにミミを探しに領地を出たと言うのだ。
なぜ、ミミをさがしているのだろうか。疑問しか浮かばなかったのだが、ベナスに会う確率は低いのではないかと自分に言い聞かせていたのだが――。
「……!!」
なんとも言えない視線を感じ、ミミは急いで振り向いた。あたりを見回しても、怪しい人影は見当たらない。勘違いだったのかと安堵して、掃除を再開した。
手紙を貰った日から、心の中がざわめいて小さな不安が消えてくれない。ミミの変化をサージュも敏感に察知して、彼まで神経を尖らせている現状に、なんとか気持ちを切り替えなければと思っている。
「ミミ」
顔を上げて振り返ると、サージュが立っていた。
「サージュ、仕事は終わったの?」
「うん。掃除は俺がするから、ミミは店の中に入って」
理由は言えていないのに、サージュの本能がそうさせるのか、ミミがひとりで外にいることを極力避けようとしてくれている。勤めているパン屋の店先ですらだ。
サージュの心配りに申し訳なく思っていると、店の中からナッチェが顔を出してきた。
「あら、サージュ! あなたちょっと前より身長が伸びたんじゃない?」
一瞬、誰だかわからなかったわ、と笑っている。
頻繁に会っているナッチェですら、今のサージュの変化に気づいているようだ。毎日一緒にいると気づきにくいのだが、ここ最近のサージュは身長が伸びて顔つきも幼さがなくなってきている。
子どもの成長とはなんて早いのだろうか。ぶかぶかだった服も今ではぴったりと着れていて、その服が小さくなるのも時間の問題かもしれない。
ミミが気づいたのも最近で、ふとした瞬間に幼かったサージュが少し大きくなたサージュへと変わっていたのだ。そのとき、胸の中に広かった感情をなんと表現すればいいのだろうか。
驚きと喜び、そして最後に切なさがやってきた。
サージュとの一日一日を、大切に過ごしたい――。
感慨深く思っていると、ナッチェの声が聞こえてきた。
「掃除はもういいから、ふたりとも、焼きたてのパンをお食べよ。お昼はまだだろ?」
店の中に入ると焼きたてのパンのいい匂いが漂っている。部屋の隅には小さなテーブルと椅子が二脚あり、ナッチェはパンとスープを置いていた。
「さあミミ、新作候補が焼けたよ。味の感想を聞かせておくれ」
新しいパンを作ろうと、先日から色々なパンを作っているのだ。今日はドライフルーツと木の実を練り込んだパンを焼いてみたのだが――。
「うん! おいしい!」
「食感がおもしろいね」
サージュの表情は控えめだが、おいしそうに食べている。上々のできに頬がゆるむ。前回の野菜のピューレを練り込んだパンはいまいちだったのだ。ミミはノートを取り出して花丸をつけた。
「候補はたまった?」
「今のところは、イチココのクリームジャムサンドとクッキーパン。あとシュガー揚げパン!」
「全部甘いやつだ」
「本当だわ! しょっぱいのも考えないと!」
穏やかな時間がゆっくりと過ぎてゆく。何気ない日々がどれほと大切か、ミミは知っている。
季節は進み、初夏の青葉が強い風に揺れていた。
生温かい風が何度もパン屋の窓を叩いて、それは陽が沈んだ今でも続いている。
「遅くなっちまったね。サージュが心配してるだろうから気をつけて帰るんだよ」
「はい。すぐそこなので大丈夫です」
いつもならサージュが迎えに来るのだが、今はそれができない。
ここ最近のサージュは、身体の節々に強い痛みがあり、動けなくて寝込んでしまっているのだ。医者に診てもらって得た病名は――。
『成長痛だな』
『成長痛……? こんなに痛がるものなのですか!?』
『個人差はあるが……こんなに痛がるのはあまり聞かないな。急激な成長に、身体が悲鳴をあげてるのかもしれない』
そう言って医者は、痛み止めの薬を飲んで安静にするのがいちばんだと薬を置いていってくれた。
ミミはサージュの不調が心配で、掃除の仕事もホーデリオとの約束もすべて延期にしてもらっている。
初日はミミがかいがいしく看病をしていたのだが、次の日からはサージュにパン屋の仕事へ行ってほしいと言われてしまったのだ。
どうやら痛がる姿をミミに見られたくないらしい。その代わり、まっすぐに帰って来てほしいとの言葉に、ミミは頷いた。
今日のお昼過ぎに様子を見に行ったときには、痛み止めの薬を飲んだ副作用でぐっすりと眠っていたので、おやつに食べるパンを置いて戻ってきたのだ。
今はもう起きているのだろうかと急いで外に出ると、夜空に丸い月が見えた。その月明かりに照らされた黒い雲が、強い風に運ばれてせわしなく流れている。ときどき雲が月に重なって、光を遮り暗くなるのだ。
中庭に進めば木々が風で葉を鳴らしてミミの帰りを迎えていた。
今は暗くて見えないが、庭の一角には種から育てた薬草たちも青々と茂っている。
一瞬、奥の暗闇の中で何かが動く気配がした。
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