ミミは生涯の番と別れられるか?

みづきかやの

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39話 心の炎

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「だ、誰!?」
「こんばんは。お嬢さん」

 低い声には威圧感が含まれている。

 ミミを見下ろす大きな黒い影は、月明かりに照らされてその姿を浮き上がらせた。

「熊……」

 ミミはそこまで言うと言葉をなくした。見上げたその先にいたのが、テテの命を奪った熊獣人の大男だったからだ。

「なぜか警備隊のお尋ね者になっちまってな。理由を探ったら、おめぇさんにたどり着いたってわけよ」

 ミミを見下ろす目は鋭く光り、怒りが宿って見えた。

 恐怖と混乱でミミは声も出せず、身体は震えて足は固まってしまっている。

「最後の稼ぎに、ここのガキを捕まえて売っぱらってもよかったんだが……」

 熊男は親指を立ててミミの家のほうを指した。

(サージュ……!!)

 ミミが自宅へ視線を向けた瞬間、両耳に激痛が走った。

「やっぱり、てめぇがいちばんムカつくからよ。兎を狩ることにした」

 下卑た笑いを顔に貼り付けて、熊男はミミの両耳を掴み、引きずり出したのだ。

「いっ痛い! やめて! 離して!!」

 ミミは爪を立てて熊男の手を引っ掻いたのだが、皮膚が頑丈で傷もつかない。

「どこに売ろうかな。肉の塊になるのと奴隷になるの、どっちがいい?」

 熊男はひとりでしゃべりながら、塀の出入り口に向かって歩き出している。ミミの両足は引きずられてうまく歩けず、何度も地面に線を描いた。

 そのとき、ひときわ大きな風が後ろから吹いてふたりにぶつかってきたのだ。

「うわぁ!」
「ひゃっ!?」 

 気づけば熊男は前のめりにつまずくように倒れ、ミミは誰かに力強く抱きしめられていた。

「ミミ……ミミ……!!」
「サ、サージュ!?」

 嗅ぎなれた匂いを胸いっぱいに吸えば、安堵の涙が滲んでくる。サージュは何度もミミの背を撫で、頭に口づけをした。

「ちっ、クソガキが。寝てりゃあいいものを」

 熊男は独り言を吐き捨てながらゆっくりと立ち上がり、ミミたちのもとに近づいてくる。

 サージュもミミを後ろにかばい、熊男と対峙するように歩き出した。

 まだ身体がつらいのだろう。呼吸は浅く顔色も悪い。額には汗が滲み、足取りはふらついていた。

「ミミ、警備隊を呼んできて」

 安心させるように、サージュが小さく微笑んでいるように見えた。

「ダメよサージュ! 一緒に逃げましょう!!」

 もつれる足でサージュの服をつかもうとすれば、何かがぞわりと肌を走った。

「え……」

 何かわからないのだが、じっとしていることが苦痛になるほど心が落ち着かない。混乱した頭でサージュを見れば視線が重なった。

「お願いだミミ。早く行くんだ」

 低くて静かな声だった。いつもと違うサージュの声に、ミミの心のざわめきが膨れ上がり、身体が勝手に走り出していた。どうしてだろうか、逃げなければと足が前へ前へと進んでゆく。

 少し走ると後ろから鈍い音が何度も断続的に聞こえてきて、ミミの足が止まった。

「あ……」

 振り返った先で見た光景に、ミミは愕然とした。

 サージュの上に馬乗りになった熊男が、何度も何度もサージュを殴っていたのだ。

「サージュっ!!」

 ミミは悲鳴のように叫んでサージュのもとへ走り出した。駆け寄ろうとするミミにサージュもまた叫んで止める。

「ミミ! 逃げろ!! 逃げるんだ!!」
「うるせえ! このガキ! とっととくたばれ!!」

 何度も何度も、何度も何度も、熊男はサージュを殴る。サージュは両手で顔と頭を守り堪えていた。

 ミミの心は破裂しそうなのに声がでない。

 両眼を見開き、魔魚のように何度も口を動かし浅く呼吸する。

 逃げるのか、サージュを置いて。逃げるのか――。

 ミミは震える手で服の中に隠していた祝い袋を取り出した。

「武器になるもの! 武器になるもの!!」

 袋の中身をいっきに全部出すと、使えそうなものを探しはじめた。そのあいだも、サージュを殴る音は止まらない。悔しくて悲しくて、ミミの目から耐えていた涙がこぼれてしまう。

「あとこれだ!!」

 ミミが手にしたのは、領地を出るときに魔馬を曳いた御者の老人から貰ったナイフだった。
 
 「これは、お父さんのナイフだ。だってここに月の印があるもの」

 母が父に贈り物をするときに入れる印が、このナイフにはあるのだ。おそらく、父がいちばん大事にしていたものだろう。ホーデリオはこのナイフを見て、よく切れるいい品だと言っていた。

 ミミは震える手で、ナイフを強く握りしめた。

 心の底から沸き起こる、この感情はなんなのだろうか。ロベニカと対峙したときの怒りに似ているが、もっともっと熱くて苛烈だ。

 ミミはもう一度ナイフをしっかり握り締め、熊男めがけて走り出した。

 答えなど決まっている。

 ――私は逃げない!

「いてっ!」
「サージュから離れろ! 熊野郎!!」

 ミミは熊男の首めがけてナイフを振る上げた。

 手ごたえはわからないが、以前テテに教えてもらった猛獣たちの急所を全力で狙っていく。

 熊男は自分の首を確認するように触れてから手のひらを見た。

「クソアマ……。やってくれるじゃねーか」

 空気がいっきに重くなった。熊男は怒気を含んだ身体で、一歩一歩ゆっくりとミミに近づいてくる。ミミは両足に力を込めて熊男を凝視した。

 風が強く吹いた瞬間、熊男の大きな拳がミミに振り下ろされる。ミミはそれを大きくジャンプしてかわした。

「クソっ!」

 何度も振り上げられる熊男の拳は、少しもミミには当たらない。

 先祖の力か、草食獣人としての矜持か、ミミは全力で熊男の拳から逃げ回った。

 ミミのすばしっこい動きに熊男は苛立ちはじめ、動きが雑になりだしている。

(いまだ……!)

 一瞬の隙が生まれたのを見逃さず、ミミはナイフで切りつけた。

「いてっ! クソっ! クソっ!」

 多少の傷はつけれるのだが、皮膚が堅くて動きを止めるまでには至らない。

「はあ、はあ、はあ……」

 ミミにも焦りが生まれていた。体力の限界もそこまできている。熊男から距離をとって、服のポケットから別の物を取り出した。

「お父さん、お母さん、使わせてもらうね……」

 手にしたのは両親から貰った水の魔方陣が描かれた用紙だった。突進してくる熊男にミミは用紙を向ける。両手で用紙に魔力を流すと、魔方陣が青く光りだした。

「出力最大級、水よ、いっきに出なさい!」

 ミミの言葉に従って、用紙に描かれた魔方陣から勢いよく怒涛どとうの水が熊男めがけて飛び出してくる。

「うわあああ!」

 熊男の悲鳴に近い声があたりに響いた。水の勢いに押された熊男は、木々のあいだをすり抜けて壁に激突したのだ。

 壁からずり落ち、頭を下げた熊男は微動だにしない。動かなくなった熊男に、ミミは少しずつ近づいていった。

 ミミの心臓が早鐘よりも早く動いていて、一生分の鼓動を使い切っているかもしれない。手に持った魔方陣の用紙を落とさないように力強く握りしめたとき、突風のように熊男が動いた。

「きゃあっ」

 拳が当たる寸前にミミは後ろに飛び跳ねた。間合いを取るため何度も飛び跳ね後ろに下がる。

「あっ! 紙が!!」

 ミミはとっさに避けれたのだが、手にした魔方陣の用紙は真っ二つに破れてしまっていた。

「クソアマ! クソアマ! クソアマ! ぜってーに許さねーぞ!!」

 熊男は悪態をつきながら水で濡れた短い髪を何度も振って水滴を飛ばしている。

「なんであんなに元気なの……」

 ミミなら必ず気を失うほどの攻撃でも、熊男は先ほどよりも気力が溢れ身体の力も漲って見えるのだ。

 これが草食獣人と肉食獣人の差なのだろうか。勝てる気が微塵もしない。

 でもやるのだ、やるしかないのだ。

 大切なものを守るために――。

 その心の熱量だけは、草食獣人も肉食獣人も変わらない。

「一回分か……必ず当てる!」

 サージュを助け、テテの仇を討つ。ミミの目には強い覚悟が漲っていた。

「チッ。よえーくせに、いっちょまえな目しやがって」

 熊男の殺気がミミの全身を圧し潰すように向けられた。

 震えるほど怖い。だがミミは耐えた。

 熊男が突進して向かってくると、ミミも身体を低く突撃した。

 向かい合った瞬間にミミはすばやく横にずれ、熊男の顔めがけて目くらましの撃退スプレーをぶちまけた。テテに作ったものだが、いらないと言われた一品だ。

「ぐわっ! いってえ! なんだこれ! いってえぞ!!」

 顔を掻きむしりながら痛がる熊男めがけて、ミミはジャンプして全力でナイフを突き刺そうとしたのだが――。

「えっ!?」

 ギロリと睨む熊男の目と目があった瞬間、ミミは猛烈な勢いで叩き飛ばされていた。



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