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従兄との再会
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連絡船が、網底島の港に接岸した。島に着く頃にはあの分厚い雲も何処へやら、鉛色の空は澄み渡った青空へと変わっていた。
一家は、真っ直ぐ母の実家へと向かった。父母は駐在所に居を構え、優李はこれから母の実家に頼ることとなる。
港から北側へ伸びる一本の通りは商店街になっており、通りの入り口の左右にも海に面を向けるように商店が立ち並んでいる。外を歩く人は存外に多い。恐らく島民ではなく観光客であろう。
「島も随分と変わっちゃったね」
とは、優李の母である理子の言である。
母が島にいた頃、網底島は「僻地」「寒村」といった言葉が相応しい寂れた土地であった。外界から隔絶された絶海の孤島とあっては当然であろう。
だが、今はそれもすっかり様変わりしていた。三年前頃からこの絶海の孤島の独特の自然や風景が旅行雑誌やテレビ番組などで取り上げられるようになり、それが契機で観光や海水浴目的の来訪客が多く訪れるようになった。
彼らが訪れるのは主に夏の時期である。だから、今の時期は一番人が多いのだ。
一家は母の実家に辿り着いた。何処か南国風な外観の古い家である。表札に彫り込まれた「九波」は、母の旧姓だ。この「九波」姓は網底島に多いのだという。
「おお、優李か。前に会ったのはいつだっけ? 随分と大きくなったなぁ……」
玄関で出迎えてくれた白髪の祖父が、好々爺然とした笑貌を浮かべながら優李の頭を撫でた。
前に優李が母の実家を訪れたのは小学校入学前のことであるから、実に六年ぶりの再会ということになる。母は三人兄弟で上に兄と姉がいるのだが、両方とも島を出て、今はそれぞれ千葉と埼玉で暮らしている。そのため今この家には、優李の祖父母のみが暮らしているのだ。
出してくれた緑茶を飲みながら、優李は窓の外を眺めた。生垣が青々と茂り、蜂がせわしく飛び回っている。
優李は家を出て、庭をぐるりと回ってみた。日の光はさながら身体を刺し貫かんばかりの鋭さをもって、少年のその白い肌に降り注いでいる。
外に出てみると、家の傍には畑が広がっているのが見えた。その向こう側には亜熱帯風の背の高い草本が茂っていて、てっぺんには燃え上がるように真っ赤な花が咲いている。
優李は何の気なしにズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、カメラ機能を起動した。青空を適度に収めつつ花を撮るために、上下の位置を調整していると、ふと、横から何かが現れて、その草の前に立った。
「優李、久しぶり。覚えてる?」
横から現れたそれは、声をかけてきた。よく日に焼けた、美しい褐色肌の少年がそこに立っていた。優李より少しだけ背が高く、年上の雰囲気を持っている。美少年、と呼んで良いほどに、その目鼻立ちは整っていた。それこそ、男の優李でも見つめられてどきっとしてしまう程に。
相手は優李の名前を知っているようであったが、対する優李の方は、全く見覚えがない。一体、目の前の少年は何者であろうか……優李は必死に記憶を手繰っている。
「ボクだよ。従兄の真だよ。前に会ったの大分前だから忘れちゃってるかぁ……」
その名前を聞いて、ようやく、優李の記憶の中からとある少年が引きずり出された。
「え、真くん!? 真くんなの!?」
目の前の少年の長い睫毛と薄い唇が、優李の頭の中に、麗しい過去の記憶を呼び起こしたのであった。
それは、優李がまだ五歳の頃の話。今日のように眩い日差しの降り注ぐ夏の昼下がりであった。両親に連れられて母の実家を訪れた優李は、初めて足を踏み入れる島を恐れ、左右に視線を振りながら母の腕に掴まっていた。
その頃の島は、まだ母の記憶にあるような辺鄙な土地そのものであった。少なくとも、観光客による喧騒などとは縁もゆかりもないような、そんな閉ざされた島である。
そんな島にある祖父母の家で、優李は一人の少年と出会った。
「初めまして。ボクは真。よろしく」
そう名乗った彼は、怯えた目をしている優李に向かって、白い歯を見せながら笑いかけた。可愛らしく、それでいて快活そうな少年であった。
九波真。それが彼の名である。母の兄の子で、優李より二つ歳上であった。
優李はこの頃から人見知りな子どもであったが、この快活な従兄とは、半日と経たぬうちにすっかりと打ち解けて、仲良く話をしていた。優李は真の話す島の話――例えば島にはサソリが出てくるだとか、綺麗な緑色のトカゲがいるだとか、である――にいたく関心を示し聞き入っていたし、真もまた、優李の住む東京の話に目を輝かせていた。
翌日、優李は真と一緒に外で遊び回った。真に細腕を引かれて、野を駆けたり、海に行ったりした。
真は海岸に転がっている倒木の樹皮をめくった。
「ほら見て、これが昨日言ったマダラサソリって奴さ。刺されても死にやしないけど、何時間もずっとズキズキ痛むから一応気をつけなよ」
そう言って真が指差した場所には、なるほど確かに細っこい体をしたサソリがいた。想像していたよりもずっと貧弱そうなサソリである。サソリと聞いてもっと恐ろしげなものを思い浮かべていた優李は、少し拍子抜けした気分であった。
あれだけ恐れていた見慣れぬ亜熱帯の土地が、真のお陰で地上の楽園と化した。とにかく、彼と過ごす時間はこの上なく素晴らしいものであった。優李は真とともに、日が暮れるまで島の到る所を巡った。
しかし、惜しいかな、父の夏季休暇が終わってしまうからと、優李は二泊三日程で東京の本土に戻ることになってしまった。別れる際、港まで見送りに来た真は、感極まったか泣き出してしまった。それにつられた優李もまた、大粒の涙をこぼして泣きじゃくった。二人は涙しながらひしと抱きしめ合い、そして再会を誓った。
そうした美しい思い出が、まるで稲光のように優李の頭の中で蘇った。
――今までどうして、真のことを忘れていたんだろう。
優李の今までの人生において、真ほど固く交誼を結んだ人物はいない。そう断言できる相手であった。なのに、薄情にも今しがた彼に再会するまで、自分はすっかり彼のことを忘却の彼方へ葬り去ってしまっていた。勿論、あの時と比べれば真の背丈も伸びていて、愛らしかった彼の容貌は何処か艶っぽいものを帯びているのであるが、それでも彼の顔立ちは存分に昔の面影を残している。
実に六年もの月日を経て、優李はようやく、あの麗しい思い出を紡いだ相手と再び出会えたのであった。
一家は、真っ直ぐ母の実家へと向かった。父母は駐在所に居を構え、優李はこれから母の実家に頼ることとなる。
港から北側へ伸びる一本の通りは商店街になっており、通りの入り口の左右にも海に面を向けるように商店が立ち並んでいる。外を歩く人は存外に多い。恐らく島民ではなく観光客であろう。
「島も随分と変わっちゃったね」
とは、優李の母である理子の言である。
母が島にいた頃、網底島は「僻地」「寒村」といった言葉が相応しい寂れた土地であった。外界から隔絶された絶海の孤島とあっては当然であろう。
だが、今はそれもすっかり様変わりしていた。三年前頃からこの絶海の孤島の独特の自然や風景が旅行雑誌やテレビ番組などで取り上げられるようになり、それが契機で観光や海水浴目的の来訪客が多く訪れるようになった。
彼らが訪れるのは主に夏の時期である。だから、今の時期は一番人が多いのだ。
一家は母の実家に辿り着いた。何処か南国風な外観の古い家である。表札に彫り込まれた「九波」は、母の旧姓だ。この「九波」姓は網底島に多いのだという。
「おお、優李か。前に会ったのはいつだっけ? 随分と大きくなったなぁ……」
玄関で出迎えてくれた白髪の祖父が、好々爺然とした笑貌を浮かべながら優李の頭を撫でた。
前に優李が母の実家を訪れたのは小学校入学前のことであるから、実に六年ぶりの再会ということになる。母は三人兄弟で上に兄と姉がいるのだが、両方とも島を出て、今はそれぞれ千葉と埼玉で暮らしている。そのため今この家には、優李の祖父母のみが暮らしているのだ。
出してくれた緑茶を飲みながら、優李は窓の外を眺めた。生垣が青々と茂り、蜂がせわしく飛び回っている。
優李は家を出て、庭をぐるりと回ってみた。日の光はさながら身体を刺し貫かんばかりの鋭さをもって、少年のその白い肌に降り注いでいる。
外に出てみると、家の傍には畑が広がっているのが見えた。その向こう側には亜熱帯風の背の高い草本が茂っていて、てっぺんには燃え上がるように真っ赤な花が咲いている。
優李は何の気なしにズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、カメラ機能を起動した。青空を適度に収めつつ花を撮るために、上下の位置を調整していると、ふと、横から何かが現れて、その草の前に立った。
「優李、久しぶり。覚えてる?」
横から現れたそれは、声をかけてきた。よく日に焼けた、美しい褐色肌の少年がそこに立っていた。優李より少しだけ背が高く、年上の雰囲気を持っている。美少年、と呼んで良いほどに、その目鼻立ちは整っていた。それこそ、男の優李でも見つめられてどきっとしてしまう程に。
相手は優李の名前を知っているようであったが、対する優李の方は、全く見覚えがない。一体、目の前の少年は何者であろうか……優李は必死に記憶を手繰っている。
「ボクだよ。従兄の真だよ。前に会ったの大分前だから忘れちゃってるかぁ……」
その名前を聞いて、ようやく、優李の記憶の中からとある少年が引きずり出された。
「え、真くん!? 真くんなの!?」
目の前の少年の長い睫毛と薄い唇が、優李の頭の中に、麗しい過去の記憶を呼び起こしたのであった。
それは、優李がまだ五歳の頃の話。今日のように眩い日差しの降り注ぐ夏の昼下がりであった。両親に連れられて母の実家を訪れた優李は、初めて足を踏み入れる島を恐れ、左右に視線を振りながら母の腕に掴まっていた。
その頃の島は、まだ母の記憶にあるような辺鄙な土地そのものであった。少なくとも、観光客による喧騒などとは縁もゆかりもないような、そんな閉ざされた島である。
そんな島にある祖父母の家で、優李は一人の少年と出会った。
「初めまして。ボクは真。よろしく」
そう名乗った彼は、怯えた目をしている優李に向かって、白い歯を見せながら笑いかけた。可愛らしく、それでいて快活そうな少年であった。
九波真。それが彼の名である。母の兄の子で、優李より二つ歳上であった。
優李はこの頃から人見知りな子どもであったが、この快活な従兄とは、半日と経たぬうちにすっかりと打ち解けて、仲良く話をしていた。優李は真の話す島の話――例えば島にはサソリが出てくるだとか、綺麗な緑色のトカゲがいるだとか、である――にいたく関心を示し聞き入っていたし、真もまた、優李の住む東京の話に目を輝かせていた。
翌日、優李は真と一緒に外で遊び回った。真に細腕を引かれて、野を駆けたり、海に行ったりした。
真は海岸に転がっている倒木の樹皮をめくった。
「ほら見て、これが昨日言ったマダラサソリって奴さ。刺されても死にやしないけど、何時間もずっとズキズキ痛むから一応気をつけなよ」
そう言って真が指差した場所には、なるほど確かに細っこい体をしたサソリがいた。想像していたよりもずっと貧弱そうなサソリである。サソリと聞いてもっと恐ろしげなものを思い浮かべていた優李は、少し拍子抜けした気分であった。
あれだけ恐れていた見慣れぬ亜熱帯の土地が、真のお陰で地上の楽園と化した。とにかく、彼と過ごす時間はこの上なく素晴らしいものであった。優李は真とともに、日が暮れるまで島の到る所を巡った。
しかし、惜しいかな、父の夏季休暇が終わってしまうからと、優李は二泊三日程で東京の本土に戻ることになってしまった。別れる際、港まで見送りに来た真は、感極まったか泣き出してしまった。それにつられた優李もまた、大粒の涙をこぼして泣きじゃくった。二人は涙しながらひしと抱きしめ合い、そして再会を誓った。
そうした美しい思い出が、まるで稲光のように優李の頭の中で蘇った。
――今までどうして、真のことを忘れていたんだろう。
優李の今までの人生において、真ほど固く交誼を結んだ人物はいない。そう断言できる相手であった。なのに、薄情にも今しがた彼に再会するまで、自分はすっかり彼のことを忘却の彼方へ葬り去ってしまっていた。勿論、あの時と比べれば真の背丈も伸びていて、愛らしかった彼の容貌は何処か艶っぽいものを帯びているのであるが、それでも彼の顔立ちは存分に昔の面影を残している。
実に六年もの月日を経て、優李はようやく、あの麗しい思い出を紡いだ相手と再び出会えたのであった。
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