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歓びの里編 『番外編 ― イレインの里帰り』

閑話5・夢でいいから ② [リヴィエラ一人称]

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 自分は一度、間違えた。だからもう、二度は間違えたくなかった。

 イレインをこれまでも大切にしてきた。だがその愛情は、あくまでも父と娘として――だ。それなりに節度を保って彼女に接してきたと思う。

 学びの庭が始まってからは特に。イレインが学びをうとむ素ぶりを見せ始めた頃は、厳しくもした。彼女を安全に異世界に送るために、彼女が力をつけることは必要不可欠だったからだ。

 家族として師弟として、互いを尊重すべき。だからあえて必要以上に踏み込まないようにした。その気持ちに嘘はない。

 だがあれやこれやと理由を並べたてても本当は、いずれは手離さなければならないことを知っていた――だから。

 に備えて、少しでも自分の心が傷を負わずに済むように、が訪れても、彼女の手を離せるように。

 心に枷をかけていたというのが正直なところだ。今にして思えば、どれほど臆病だったかと思う。

 けれど、もしも想いのままこの腕に抱き締めてしまったら、愛おしいと口にしてしまったら、この気持ちに取り返しがつかなくなる。
 
 どこかでそう思っていたのもまた事実で。
 己の過ちを悟ったのは、彼女がいなくなった後だ。

 彼女が去ってからというもの、気づけばいつも、そこかしこに彼女のいた面影を探し求めてしまう。気持ちは囚われたまま、何ひとつ変わらなかった。

 離れたからと言って、どうして――この愛おしい気持ちを失くしてしまえると思ったのだろう。

 それどころか、かえって彼女への思いの深さを思い知らされるだけだったというのに。

 小さな可愛い子供だったあの子が、いつのまにか蕾をつけ、今ゆっくりとその花を大きく咲かせようとしている。

 自分に向けられるはち切れんばかりの笑顔が、これほど眩しく思えるようになったのは、いつからだったのだろうか。

 父と娘ではない――私は、彼女を一人の女性として愛しく思っている。
 ストンと胸に落ちた。

 あの時の自分を思い出すと苦笑しか出てこない。結局どうあっても私は、彼女イレインを愛する以外の選択はなかったのだ。

 それならば――彼女への気持ちを抑え込もうとしたあの時間で、一度でも多く自分の想いをその耳もとに囁けばよかった。

 たくさん抱き締めて、その笑顔をこの目に焼きつけておけば…そうすればこれほども後悔せずに済んだかもしれない。
 後悔など愚か者のすること。何度、悔いたことだろう。


 春に咲きほこる花を。

 夏に湧き立つ白い雲を。

 秋に冴え冴えとした月を。

 そして冬に音のない雪景色を。


 春夏秋冬、四季折々の景色を二人で。共に、同じ景色を分かち合えばよかった。もっと、もっと。二人だけの新しい景色をたくさん見に行けばよかった。

 そうすればもう少しこの世界に、彼女の姿を見いだすことが出来ただろうか。
 ――少しでもこの世界に希望を持てただろうか。

 彼女の姿が欠けた風景を見るのは、かえってつらくなると恐れるあまり、色々なものから目を背けてしまった。

 その最たるものは、彼女への想いだろう。

 イレインの部屋にしか面影を見つけられないのは、そのせいだ。

 だから今も、彼女が使っていた部屋を、ほんの少しも手をつけることが出来ずにいる。
  
 そうやっていつまでも彼女との思い出にしがみついている。これは彼女にはけして言えないことだけれど。



「この風景を、あなたに捧げます――私の最愛」

 ”神の絨毯”。
 一度は見せたいと思っていたあの美しい景色を、共に見ることが出来た。この喜びを彼女も同じように感じてくれるだろうか。

 幸福感で胸がいっぱいになる。愛おしくて、ただもう愛おしくて。あふれる心をそのままに彼女を見つめた。

 見つめ返す彼女の瞳が、熱に浮かされたように揺らめくのを見ると、この上もなく嬉しく――そして同じくらい切なく思う。この恋に未来さきはない。

 もしも今、この胸に彼女が飛び込んできたら…もう離してやれそうもない。

 だがそれは、そのまま彼女イレインの死につながる。最愛の人の命を奪うことなど、どうして出来るだろう。

 いっそ、この血肉を捨てて、互いを溶け合わせ、共に一つの魂となって果ててしまおうか――けして許されないことだけれど。らちもない考えが脳裡をよぎる。
 
 それでも…やはり、彼女には生きて幸せになって欲しい。そんな私の迷いが伝わったのか、彼女の瞳が苦悩するように歪み、ぐっと唇を噛みしめる。

 ”リヴィエラ様と見た、この景色を、一生忘れません”

 泣きだしそうなをしながら、震える唇であの子が言った。

「私もです」と答えたけれど。
 いや。あなたは忘れてしまっていい――私がずっとこの記憶を抱えていくから。

 
 伏せた目を上げて、静かに扉を開けた。
 ぼんやりとした顔で宙を見つめながら、寝台の上にぺたりと座り込む影が一つ。

 私の愛し子――私の最愛。

 月明かりに照らし出された、その頼りなげな姿に、心で呼びかける。
 最後の夜が訪れる。

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 読んでいただき、ありがとうございます。

 次話は明日、更新予定です。
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