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序章(チュートリアル)

旅立ちの後に

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 灰色の空間――狭間の世界は形を持たない。網にかかった獲物の記憶だけがこの空間を変質させうるのだ。
「本当によかったのぅ」
「何がだ」

「何って、あの子を行かせたことよぅ」
「ああ――」
 大したことはないと言いかけて止めた。

「ま~あ、親子水入らずの時間を持てただけでよかったわよぅ」
「私とあの子は、そんな高尚な関係ではない」
 共依存の関係。いや、一方的に私が利用していただけだ。ちっぽけな良心が、罪悪感を減らすために命じた親子ごっこ。
 
「本当にそうかしらん。あの子のために境界番になったんでしょぅ――」 
 自分には、真似できないとエルダは言う。転移でも、転生でもない第三の選択肢。未来永劫この場所から出られず、案内人として役割を遂行し続ける。
 得られる対価は、元の身体と記憶だけだ。

「よくわからない」
「とても、すごいことだと思うわよぅ――」
 自分には選択できなかったからとエルダは、寂しそうな表情をする。彼女は一度転生し、神の信頼を得て、境界番の任についていると聞いている。他の管理を任される立場にありながら汚れ役をかってでいる。

「そちらは上手く行ったのか」
「ばっちりよぅ。匠君は私のこと恨んでいるだろうけどぅ。でも、みんなそろって転生できてよかったわよぅ」
 先刻の子供たちは、なまじ力があるぶんだけ挫折というものを知らなかった。あのままで転移したところで神の手駒としての役割を全うできなかっただろう。
 結果的に、転移の資格を有していたのは一人だけだったわけだが……。

「あの子たちは、既成体に転生するのか?」
 経験の浅い私には判断が難しい事柄だ。原則的に転移は認められない。転生には二種ある。一から始める――既成体への転生。途中から始める――新生体への転生。

「みんな力はあったのよぅ。普通に考えれば、既成体に転生させて即戦力って流れなんだけどぅ――」
 新生体への転生を促した、そう言うエルダの真意がわからない。

「――だってあの子たちは仲間でしょぅ。立場が違くなって殺し合うなんて馬鹿げているじゃない」
 そう言い放つエルダ。この人は私なんかよりずっと……。


「で、あの子はどこに転生させたのよぅ~。変な力は持っているみたいだけどぅ」
 エルダは、あの子の持つ可能性には気づいていないらしい。新生体に転生させて逃がすという選択肢もあったが……。
 あの子の話を聞いて、ある程度の仮説は成り立った。元科学者が、奇跡に縋るのもどうかと思うが。

「既成体に転生させた」
「ちょっと待ってよ~ぅ。既成体ストックの中にあの子が適用できる個体なんて……」
 誰も文句は言わないだろう。あの個体をあてがおうとする境界番は私以外にはいないはずだ。
 異界に行ったことがない私だからできる愚行。

「まさか!?」
 エルダが驚いている所を初めて見た気がする。
 
 ――親子愛が成せる業ねとエルダが唐突につぶやいた。私が本当にあの子の親であったならどのような選択をしたであろうか。
 考えても明確な答えはでないだろう。ただ、一つだけ確かなことがある。私は、あの子の味方であり続けるだろう。例え、最悪の結末が待っているのだとしても。


 報酬はすでに貰っている。『お母さん』その言葉一つで、私はどんな苦行にも耐えられる気さえしている。
 
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