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5.(終)元聖女の幸福★
しおりを挟むイレーネはお茶を飲み終わり、そろそろ店を開ける支度をしようとカップに手を伸ばした。と、そこで後ろから近づいて来る足音に動きを止める。
やはり、彼は今日も後ろから抱きついてきた。いつものように、少しだけ顔を動かして振り返ると、触れるだけの口づけをされる。
「仕込みは終わったの?」
「うん。それから、軟膏の瓶詰めも出来たから、後で店に持って行くよ」
サリアンの朝は早い。彼はもともと睡眠時間が短いようで、イレーネが起きる頃には彼はすでに庭にいる。
彼の分の朝食は、手が汚れていてもそのまま食べられるように、パンに野菜や肉を挟んだものをさらに紙に包んで仕事中の彼の元に持って行くことにしている。彼は没頭すると声を掛けるまで時間を忘れてしまうから。
「もう店を開けるわ。ここを片付けないと」
「ん……もう少しだけ」
彼は甘えるようにイレーネの首すじに顔を埋める。これもいつものこと。
イレーネは十数えると、彼に構わずに立ち上がる。腰に手を回したままついてくる彼をくっつけたままキッチンで皿を洗う。これもいつものことだ。
「じゃあ、あとで」
でも彼はけしてイレーネの仕事の邪魔はしない。店に続く扉の前で彼女から手を離す。
イレーネも彼に微笑みかけてから扉をくぐり、気持ちを切り替える。
こんな、なんてことのない日常がとても幸せだとイレーネは思う。
日が暮れてから店を閉めて家に戻ると、そこには食欲を刺激する、肉や香草が焼ける香ばしい匂いが漂っていた。サリアンが夕食を作ってくれているのだ。
イレーネは材料を切って煮込むだけの料理にもまだ苦手意識がある。サリアンの方がずっと手際がいいし、いろいろな料理が作れる。
サリアンは王宮から離れて身分を隠して学生をしていた頃、住まわせてもらっていた家の奥さんに料理を一通り教わったそうだ。「いつか王宮を出て、学者として独り立ちするつもりだった」と聞いた時には、イレーネはさすがに驚いた。
王族である彼は、お兄様を亡くしたためにその夢を断念せざるを得なかったけれど、もし彼が望む人生を送ることになっていたとしても、身の回りの世話をする人間くらいは当然つけられただろうと思ったのだ。
そう疑問をぶつけると、彼は国王の妾となっただけの平民の母親から生まれ、母親が亡くなるまでは手伝いの老女がいるだけの小さな屋敷で暮らしていたのだと言った。
だから、こういう暮らしの方が心地がいいのだと。
その話を聞いた時、彼の甘え癖は早くにお母様を亡くしているからだろうかと、ふと思ったものだった。
「ありがとう。いい匂いね」
驚かせないように声を掛けると、彼は「お疲れ様。もうすぐ出来るよ」と振り返って笑う。
その顔は日に焼けて引き締まっている。儀式の夜に初めて彼と顔を合わせた時とは、まるで別人だ。
その笑顔は穏やかな陽の光のようにイレーネの心を暖かく照らす。
夕食が済むと「急ぎの仕事はない?」と確認されるや否や、浴室に連れ込まれ、急かされるように寝室に押し込まれる。
イレーネとしてはもう少し甘い雰囲気で誘って欲しいと思うこともあるけれど、余裕を失っている彼も可愛いらしいから、彼のしたいようにさせている。
ベッドの上で舌を絡ませ合いながら、お互いの体に明確な意図を持って触れる。
座っている彼の前でイレーネは膝立ちになっている事が多い。イレーネも背が低いわけではないけれど、長身の彼とはやはり身長差があるので、その方が楽なのだ。
彼を見下ろしながら、胸を弄られ、彼の胸にも手を伸ばす。彼の敏感な乳首を力を入れてつまむと、彼の目元が赤く染まり眉が寄る。
そんな可愛らしい顔をされたら、口づけをせずにはいられない。
舌で彼の口内を蹂躙していると、彼の指が秘所に伸びてくる。それを手をつかんで止めさせる。そして、彼のとっくに勃ち上がってしまっているものを撫でる。
彼はもどかしそうに体を揺らし、「イレーネ。もう欲しい」と大変可愛らしい上目遣いで見上げてくる。
でも残念ながら、それは逆効果だ。イレーネは彼の頬を撫でながら、きっと自分は笑っているだろうと思う。
「あなたが自分でして?」
「イレーネっ!」
「お願い……サリアン。可愛いあなたが見たくなってしまったの」
彼は顔を顰めながら、でも目は欲望をたたえたまま、自分のものを扱く。
とても可愛らしい彼へのご褒美に、イレーネは座り込んで彼の首筋や肩や胸や腹に舌を這わせる。そうしていると、切羽詰まった彼の吐息が溢れ出すので、その手をつかんで、扱くのを止めさせる。
可愛らしい顔を見足りなかっただけなのに、彼は「もう無理」と泣きそうな顔をする。これこそ逆効果というものだ。
「まだ、ダメ」
「イきたい……っ、イレーネ……!」
「もっと顔を見せて。自分でしてもいいけれど、達してはダメよ?」
「ん、もう、もたないっ、ぁあっ!」
サリアンは蕩けた瞳でイレーネを見つめながら、自分の手を上下に動かす。彼女は彼の腹筋の動きを見逃さなかった。
達する寸前だろう彼の手を、またしても止めさせる。彼のものから離させた両手を、自由に動かせないようにそれぞれ指を絡めて握ると、彼が苦悶に顔を歪める。
彼の目が潤んでいるのを見るだけで、イレーネの秘所も濡れてしまう。でも、まだ彼を可愛がりたかった。
それなのに、これからだったのに、彼が「うっ」と声を上げると、彼自身が勝手にビクビクと震えた。
「あっ、イレーネっ! も、イくっ、あっ、出るっ! あぅ、はっ、ごめ、ぁ……!」
何も触れていないのに、彼は精を放って、イレーネの体を汚した。彼は目を閉じて荒い息をしながら、繋いでいるイレーネの手をきつく握る。
「サリアン、まだダメだと言ったわよ……?」
「君がそんな目で見るから……。ねえ、何でも言うことを聞くから入れたい。イレーネも、もう欲しいでしょう……?」
確かに、彼の痴態はイレーネの体をすっかりその気にさせてしまった。
それに、彼をいじめ過ぎてしまったかもしれないと、イレーネは少しだけ反省した。彼が可愛過ぎて、たまにやり過ぎてしまう自覚はある。
今日は彼にも少しくらいは好きにさせてあげた方がいいかも知れない。だって、刺激のない状態で達してしまうなんて、言いようのないほど可愛らしい姿を見せてくれたのだから。
「サリアンはどうしたいの?」
「ん、後ろから突きたい……。ダメ……?」
「いいわよ?」
「ああっ、イレーネっ!」
彼は切羽詰まった声を上げると、軽々とイレーネを抱き上げて、うつ伏せにしたかと思うと、達した後も同じ大きさを保っていたそれを、ぐりぐりと彼女の中に潜り込ませた。
「んあっ、サリアンっ、あ、ああっ!」
「気持ちいい……っ。君の中、すごい濡れてる。そんなに興奮したの……?」
「ぁうっ、あなたが、可愛くて、ああっ!! やっ、あ、そんなに奥突いたらっ、や、あ、もうくるっ、んぁああ!!」
「ぐっ……!! 絞りすぎっ、あ、イくっ!!」
彼に注ぎ込まれながらも、ぎゅうぎゅうと彼のものを締め付けてしまう。それはなかなか治ってくれなくて、「そんなにしたら止まらないっ」と言う彼に、今度は前から抱かれて喘がされる。
可愛らしい彼の雄々しい姿に、その力強い動きに、胸がときめいてしまう。もちろん可愛いらしく喘ぐ彼の方がずっとイレーネの胸を高鳴らせるけれど。
二人で同時に達すると、彼はあの儀式の夜のようにイレーネを抱きしめてきた。
そして、二人はそのまま一緒に眠りについた。
イレーネはサリアンがうなされる声で目を覚ました。まだ夜明け前だった。
彼は誰かに謝りながら、苦しそうに眉をしかめている。もう何度目だろうか。
きっと、王宮から死を装いながら逃げ出した時の夢を見ているのだろうと思う。
あの儀式の夜、彼はイレーネに、逃げ出すのは諦めていると言った。それだけ困難なことだったのだろう。
イレーネは深く考えもせずに、諦めるなと、逃げ出して自分のところまで来いと言ってしまった。
詳しく話そうとしない彼に、それ以上聞くことは出来なかった。
彼はどれだけの苦労をしたのだろうか。誰かに何度も夢の中で謝らなければならない程のことをしてまで生き延びてくれた愛しい彼の額に、小さく口づける。
イレーネには、うなされる彼を胸元に引き寄せて髪を撫でてやることしか出来ない。
でもそうすると、彼がまた穏やかな寝息をたて始め、寄せられていた眉間の皺が消えるのでほっとする。
彼は何も言わないけれど、一歩家の外に出ると、何なら店番をしてくれている時も、彼が気を張り詰めているのが感じ取れる時がある。
でも、それには気づいていない振りをする。彼は気づかれたくはなさそうだから。
国王であった頃より逞しくなった肩や背中をなぞると、彼が身じろぎして、甘えるように胸に顔を押し付けてくる。
その仕草に胸の奥がきゅうっと音を立てる。愛しくて、可愛くて、ずっと胸の中に閉じ込めておきたい。
彼は気づいているだろうか。イレーネが彼の言葉に救われたことを。
神の声を聞く力を失って、ついには聖女という身分すら失うという不安の中、彼が街で生活するためのつてを紹介すると言ってくれた、ただそれだけの言葉がどれほどありがたかったか。
慣れない生活の中で、たった一人は自分の将来を少しでもよくしようとしてくれたのだと思うだけで、折れそうになる心を何度奮い立たせたか。
彼が来てくれると思うことで、恐ろしく静まり返った一人きりの夜を、何度乗り越えたか。
彼はきっと知らないけれど、それでも構わない。ただ事実としてイレーネが知っていればいい。
サリアンの存在に、生き延びてくれたことに、ありったけの気持ちを込めて毎日「ありがとう」と口にする。
彼がもぞもぞと動き出し、顔を上げた。
「起きてたの?」
「ええ、少し。まだ寝ていて。私も眠るから」
「ん……」
彼は何を思ったか、イレーネを自分の胸に抱き込んだ。硬い胸に包まれて眠るのはなんだか違和感がある。と思っていたら、彼はまた動き出してイレーネの胸元に顔を埋める。
「やっぱりこっちがいいな……」
そう言う彼はやっぱり可愛いらしい。イレーネは返事の代わりに彼の短い髪を優しく撫でた。彼が幸福な夢を見られますように、と願いながら。
イレーネは愛する夫との未来が、いや、サリアンの未来だけでも、優しさと幸福に満たされたものになるようにと神に願った。
その時、寝室の窓の外枠の向こうに、美しい色の小鳥が降り立った。
弱々しい光を放ち始めた太陽に照らされたその小鳥は、「チチッ」と声を発した。それは窓越しとは思えないほど、はっきりとイレーネの耳に響いた。
「……願いを叶えてくれると言うの?」
ほとんど口の中で、そうつぶやくと、小鳥はこちらを少しの間見つめてから、ふっと飛び立って見えなくなった。
イレーネは、自分を笑った。たまたま降り立った小鳥を神のように感じるなんて。
もうイレーネには神の声を聞く力はない。それは心細くもあり、ただの人に戻れたのだという安堵ももたらす。
サリアンの髪を撫でながら、イレーネも微睡み始めた。
何てことのない幸せな日常が、もうすぐそこまで近づいてきていた。
終わり
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