【完結】愛され妻は演技です 〜愛されない公爵夫人は「旦那様溺愛計画」を実行中〜

針沢ハリー

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12.緊張の夜会


 その日はあっという間にやってきた。結婚した当初から出席が決まっていた夜会の日だ。

 夜会当日は起きた時から支度が始まっている。しなくてはならないことがいつもより格段に多い。
 世話を焼いてもらう私でさえそうなのだから、メイドたちの忙しさは想像もできない。

 いつもは洗顔だけで済むところを、どろどろの薬草をすり潰したものだというパックをされても文句は言えない。

 実家でも夜会の前は似たようなものだったけれど、その頃よりもよほどいい物を使っていると思うのに、相変わらず薬草臭が強くてつらい。
 でも、喋ろうものなら叱られるだろうから、それを愚痴れないのもつらい。

(前世で使っていたパックはいい匂いだったのに……!)

 私は普段から前世の感覚で言うと昼に近い時間に起きだす。そうでなければ夜から夜中にかけて開かれる夜会の最中に眠くなってしまうから、ちょうどいいのだろう。
 

 食事の時間があり、それが終わると、もう着替えが始まる。
 ドレスは以前仮縫いをしたものが何とか間に合ったのだとメイド長がほっとした顔で言う。
 私の脳裏に疲れ果てて倒れている服飾職人たちの姿が浮かんでしまうほど、そのドレスはとても素晴らしい出来だった。

 ドレスは落ち着いた黄色だ。薄くて透ける布がとにかくたくさん重ねられている。十枚以上だと言っていた気がする。

 それは一直線には切られていなくて、足元で一枚一枚が微妙にずれながら重なっている。刺繡の糸や、たまに挟まれている色違いの布に赤や茶色が使われている。それが足元にのぞいていて、とても美しい。
 私の瞳の色に合わせて糸や布を選んでくれたのだ。赤や茶は、私の唯一の特徴と言っていい、ハシバミ色の瞳に散っている色だ。

 公爵家はさすがにお金のかけ方が違う。
 実家ではいかに形を直しやすいかだとか、布は丈夫かという基準でドレスを作っていたものだ。前世の記憶がある、中身は小市民の私は、それでもかなり贅沢だと思っていた。

「こんな人の記憶に残るドレスは、仕立て直せないわよねえ」

 ついそう口走ると、実家からついてきたユリヤに目配せをされる。

(しまったわ。私は公爵夫人らしくしていなければいけないのに)

 メイド長は笑顔で「こちらは今夜限りお召しになるドレスでございますから、ご心配には及びません」と言う。
 私は「もったいない」という言葉を口から出る直前で呑み込んだ。

 お化粧もいつもより念入りにされる。それでも、あの美しい旦那様の横に立つのには、なかなか勇気がいる。

 その旦那様はというと、濃い茶色のテイルコートに、私のドレスと同じ色の差し色があしらわれたベストに着替えているはずだ。
 顔もスタイルもいいので何でも似合うのがうらやましい。

 やがて想像以上に美しく着飾った旦那様に手を取られて、私は自分の平凡さを申し訳なく思いながら、彼と一緒に馬車に乗り込んだ。


 ◆


 夜会の会場はとても混雑していたけれど、私たちの姿を見た人々は波が引くように道を開ける。
 その様子にファルケン公爵家の威光を思い知らされる。

 私はこれまで、夜会の中心にいる人たちを、自分とは違う世界の人だと思って見ていたけれど、今では私自身がその公爵家の一員だ。
 向けられる視線の多さは、これまでに経験したことがないほど多い。
 結婚式の時に被っていたベールが欲しくなる。あれは周りがうっすらとしか見えなくて、ちょうどよかった。

 一応とりすましてはいるものの、内心は冷や汗をかいている私とは正反対に、旦那様はさすがに堂々としている。彼にとってはきっと日常なのだろう。
 それに、そんな周囲の視線を集める中でも、旦那様は私が注文していた、腰をかがめて顔を寄せ、私の耳元で話すのも忘れていなかった。

「こうして話せと言われたが、何を話せばいい?」

 耳元でささやかれるのに思わず変な声が出そうになるのを耐える。私は扇を広げて口元を隠しながら答えた。
 少しでも優雅に見えていますように。

「それは自分でお考え下さいませ」

「難しいな」

 周りのご婦人たちも扇を広げてこちらを見ながら何やらささやきを交わしている。
 きっと旦那様の美しさを褒めたたえているのだろう。

 夜会の始めには王族に挨拶すると決まっているので私は長い列に並ぼうと覚悟を決めた。
 ところが、旦那様に腕を引かれて先頭に立つ。そうだった。そういう家に嫁いだのだった。
 実家にいた頃はただ黙って並んでいたものだった。身分差はこの世界では絶対だ。

 それから少しして、後ろに誰かがやってきた。私は旦那様の真似をしてその方に会釈をした。ドラスゴー公爵だ。

 私は近くでお目にかかるのは初めてだったけれど、公爵は三十代半ばだったはずだ。お父様に近い年齢だけど、この方はとても若々しく見える。
 でも、同じ公爵家の当主とはいえ、まだ二十歳の旦那様と比べれば、とても貫禄がある。確かお子様が多くて、最近奥様は八人目を出産されたと聞いた。そのためだろうけれど、今日はご当主一人きりだった。


 この国には公爵家は、ドラスゴー公爵家とファルケン公爵家しかない。そして、ファルケン公爵家の方が家格が上なので、この並び順になっている。
 それぞれが強力な派閥を持っていて、私の実家のルドラー伯爵家はファルケン公爵家の派閥にいるわけだ。


 私が王族方の登場に頭を下げて、そして合図とともに顔を上げると、すぐ目の前に国王陛下と王妃様がいた。私の背中を、冷たい汗が流れる。

 旦那様にくっついて進み、国王陛下の前に立つと深々と礼をする。これは実家でも公爵家でも何度も練習をさせられた。しくじるのは命取りだからだ。
 そんな緊張感の中にいる私とは裏腹に旦那様は国王陛下に続き、王太子殿下とも歓談している。二人は従兄弟同士で幼い頃から交流があると知られている。

 王太子殿下は濃い金髪に青い瞳の美男子だ。旦那様ほどではないけれど、背が高くてたくましい。従兄弟同士だからか、顔立ちや体格が旦那様とどことなく似ている。
 こんなに近くでお見掛けするのは初めてなので、じろじろと観察してしまった。しかし、ふと我に返って微笑む。

(危なかったわ。それにしても、私は妃殿下とお話をしてもいいものかしら。あまり話をされない方だという噂を聞いたことがあるのよねえ)

 王太子妃のメレディス様は黒髪の美しい女性だ。瞳も黒い。釣り目気味の目元が、確かに話しかけづらさを演出している。
 外国のご出身で、背が高くてすらりとしているのはとてもうらやましいけれど、とにかく話題が見つからない。

 その妃殿下は、王太子殿下に話しかけられてもそっけない。
 しかし、目ざとい私は気がついた。ふとした瞬間に彼女が殿下の顔をチラチラと見ているのに。

(これは……。もしかして……)

 私がそう思った瞬間、旦那様に手を触られて慌てて腰を下げる。
 次の方の順番が控えている。いつまでも長々と殿下を独占しているわけにはいかない。ご挨拶の列は伸びに伸びていた。


 私は少し離れたところで旦那様に、「お二人は好き合っておいでのようですね」と微笑ましく思いながら言った。

 私は妃殿下が恥ずかしがりやで、人前ではあのように接しているのだろうと思ったのだ。旦那様なら妃殿下の性格も知っているだろうと思って聞いたのに、彼の反応は予想外のものだった。

「どうしてそう思った?」

 微笑みながら耳元でささやかれる。
 私の注文を実行してくれるのはありがたいけれど、そう何度もされたら私の心臓が壊れてしまうかもしれない。次回からはほどほどにしてもらおうと私は思った。
 そして、先ほどの妃殿下の様子を伝える。

「殿下を見ずにはいられないといったご様子でしたから。人前ではあまりお話をされないようにしておられるのでしょうか」

 私がこそこそと言うと、旦那様は考え込んでしまった。何か変なことを言ってしまったのだろうか。
 そこでまた旦那様は私にだけ聞こえるようにささやいた。

 実のところ、旦那様は王太子殿下から夫婦仲がうまくいっていないと相談を受けていたらしい。「いずれ、そなたの力を借りるかもしれない」と言われたけれど事態がよく呑み込めない。

 しかし、ぼんやりしていられないのが夜会という場所である。
 私は旦那様のもとにでき始めた、挨拶をしようと意気込む人たちの列を見て、先ほどとは違う冷や汗をかいたのだった。

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