【完結】愛され妻は演技です 〜愛されない公爵夫人は「旦那様溺愛計画」を実行中〜

針沢ハリー

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24.楽しみだったはずのお芝居


 私は鏡の中のさえない顔をした自分を見て、ゆっくりとため息をついた。
 今日は念願のお芝居を観に行く日なのに、心は重い。

 旦那様が愛していた人の正体を知ってしまった日から一週間以上が経った。この間、旦那様とは挨拶しかしていない。
 彼はお仕事が忙しいとかで、夕食に間に合わないことが多い。それが本当なのか、気まずくて逃げられているのかは分からない。

 でも、劇場の席はすでに取ってあって、その予定は変わらなかった。お願いをしてからこんなに早く席を確保するなんて、さすがファルケン公爵家だ。

 他にも大勢観たい方がいるはずの人気のお芝居だ。こんな機会をもらえる立場なのだから、きちんとそれを堪能しなければ申し訳ない。
 私は気持ちを切り替えて、メイドたちを呼び入れた。

 私は今日も愛され妻を演じていればいい。役を演じながらお芝居を観るなんて今までしたことがないけれど、なかなか面白いのではないだろうか。

 旦那様は久しぶりに早く帰ると華やかに着飾り、完璧な貴公子になった。
 私もしっかりとお化粧をして、ドレスに着替えている。メイドたちの計らいで、私たちの衣装の色は合わせられていた。


 劇場に着くと、ファルケン公爵家の馬車は優先的に通される。
 そして、劇場は社交の場なので、あちらこちらから声が掛けられるけれど、もう愛され妻の演技には慣れすぎてしまった。旦那様の腕を取り、微笑んで挨拶を返す。
 馬車の中では一言も話さなかったのに、旦那様との息はぴったりだ。彼も妻を気遣う夫に見えるだろう。

 ノルベル侯爵夫妻と令息、それからアデライン嬢にも会ってしまった。前から思っていたけれど、夫人と令嬢は顔がそっくりだ。全く同じ笑顔を向けられるのが少々気持ち悪い。
 他にも挨拶待ちの方々がいたために、旦那様が話をすぐに切り上げたので助かった。
 私はノルベル侯爵家の方々からの視線を感じるのを気のせいだと思うことにして、新たに目の前に立った方に微笑みかけたのだった。


 私が挨拶を終えてほっとしていると、急に旦那様の足が止まった。私はそのせいで、つんのめりそうになってしまった。
 仲のいい夫婦を演じているのだから、声くらいは掛けてくれないと、と旦那様の表情を見た私は、その切なそうな微笑みに、彼の目に誰が映っているのかを知った。

 私は前に目を向けた。そこには義姉のエリザベス様とその夫のジョン・ミューラー伯爵令息がいて、丁寧に挨拶をしてくれる。
 いくら義理の姉弟であるとはいえ、家格には歴然とした差があるので、長く立ち話もしない。とても仲がよさそうな二人は、今日の席の礼を言うと、私たちが向かう先とは反対の方向に歩いて行く。
 懐妊中のエリザベス様をエスコートする伯爵令息は、とてもゆっくりと歩きながら夫人に笑いかけていた。

 そんな二人を見ていると、旦那様が歩き出した。その腕につかまっている私はまたしても引っ張られてしまう。

「あの、旦那さま。急に動かれる時には、お声は掛けて下さいませ」

 旦那様は無意識だったらしく、戸惑っているように視線をさまよわせた。そして、「すまなかった」と言うと、きちんと歩調を合わせてくれるようになった。
 ここからは階段を昇らなければいけないので、今言っておいてよかった。とはいえ、このやり取りの間、旦那様とは一度も目が合っていない。


 階段を上がった先で会ったのは、旦那様の政敵のドラスゴー公爵とその夫人だった。
 最上階には三つの桟敷席があるけれど、中央の王族専用席は空席で、その席を挟んだ両側にそれぞれが席を取っていたらしい。

 夫人は社交界に出たばかりの頃に遠目でしか見たことがない。彼女は小柄でふわふわとした金色の髪の毛を結い上げて、とてもやさしい笑顔を浮かべていた。
 三十歳前後だったはずで、とても可愛らしい容貌の方だ。ドラスゴー公爵が厳しい表情の方だから、お二人の見た目にはかなりの差がある。

 夫人は先日の夜会には出産から間もなかったために出席しておられなかった。体が回復したのだろう。
 それは喜ばしいけれど、その微笑みから視線を外すタイミングが分からなくて、私は笑みを絶やさないようにしながら、ずっと、そわそわしていた。

 旦那様とドラスゴー公爵は政敵同士だけれども、薄い微笑みを浮かべながら、当たり障りのなさすぎる会話をしている。
 それとも、私には分からないだけで、嫌味でも言い合っているのだろうか。
 女性同士にはそういった暗号のような言い回しがある。もちろん悪口の。


 やがてその意味のなさそうな会話も終わり、私たちは桟敷席に案内されて、二人きりになる。

 あの夜から夫婦の寝室を使っていないので、旦那様と二人きりになるのは久しぶりだ。こんなに気まずくては、せっかくのお芝居も台無しになってしまいそうなのが残念で仕方ない。
 私は時間潰しに、手すりに少しだけ近寄って劇場内を見回した。

 さすが公爵家と言うべきか、今私がいるのは王族専用の桟敷席の隣だ。つまり、とても高い位置から舞台を見下ろしている。
 私は今まで普通の席から舞台を見上げたことしかない。

 人気のお芝居の、こんなに格式の高い席を用意してもらったのだからお礼を言うべきなのに、私はまだ旦那様に話しかけられずにいた。

 旦那様が早く帰った日の食事の席でもそうだった。
 家人にはとても心配を掛けているだろうけれど、教育の行き届いている公爵家の使用人たちはあからさまに主人夫婦の事情に触れてきたりはしない。
 実家から連れてきた、気心が知れているユリヤも、たまに心配そうに見てはくるけれど何も言わない。

 そんなことを思いながら視線をさまよわせていると、ここからは対面にある一番下の段の桟敷席に義姉夫婦がいるのに気づいた。私は向こうから自分が見えないように、少し奥まった場所にある席に戻った。
 あの席がここから見えるのは偶然だろうか。旦那様を見ると、彼の視線は舞台よりもそちらに行きがちに思える。

 やがてお芝居が始まったけれど、考え込む様子の旦那様はきっと舞台上を見ていない。
 私も旦那様の様子が気になってしまって、お芝居どころではなくなってしまったのだった。

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