36 / 42
36.本当の意味を知らなかった感情①
私は急にやって来た王太子を、咎めるように見ていた。
約束も前触れもなく呼び出されるのはいつものことだが、今日の彼は「折り入って聞きたいことがある」と言い、こちらの都合などお構いなしに、ソファに座っている。
「申し訳ありませんが、じきに人と会う予定があります。明日にしていただけませんか」
「だめだ。今聞いてくれ。忙しすぎて鍛錬の時間も取れなかった。ようやく部屋を抜け出して来たんだ」
最近、例の騒動の余波もあって忙しい我々は、日課のようなものだった鍛錬の時間もほとんど取れていなかった。王太子と二人で会うのも数日ぶりだ。
おそらく今頃、執務室から急に姿を消した彼を探すために、何人かが王宮内を走り回っているだろう。
「では、お聞きしましょう。私は時間になればここを出ますので、端的にお願いします」
うなずいた彼は、両ひざに手をついて、うつむいている。よほど言いにくい事柄だろうか。
彼は、深刻そうな顔で話し出した。
「その、閨の最中に、嫌だと言われたのでやめたら、メレディスを怒らせてしまったようなのだが」
「……は……?」
「いい雰囲気だったんだ。それで、その、例の本に書かれていたことを実践してみた。しかし、メレディスが『いや』と言ったから、私はそこでやめた。ちゃんと我慢をして寝た。それなのに、彼女は今朝、何を聞いても答えてくれなかったんだ。視線も合わせてくれない。きっと怒っているのだと思う」
私は頭を抱えたかった。なぜ、幼馴染の閨事情を聞かねばならないのだろうか。
私は気が遠くなりつつも、あの本を贈った責任は取るべきだと思って、彼に聞いた。
「妃殿下は、殿下が行為を中断した時にどのようなお顔をされていましたか?」
「そうだな。少し気分を害したような表情だったかも知れない。不思議だったんだ。私は彼女の嫌がることはしなかったのに」
「……私の経験上、本気で怒った様子がなければ、何を言われても思うようになさってよいかと。おそらく、恥じらっておられただけで、本心では、その、何かは存じませんが、行為が続くことを望んでいらしたのではないかと愚行いたします」
彼は立ったままの私を見上げて、眉根を寄せている。
「本当は、嫌がってはいなかったと……?」
「それは、私にはお答え致しかねます。妃殿下に直接お聞きください」
茫然とする彼を尻目に、時計を見た。もうこの執務室を出なければいけない時間だった。
「では、私は約束がありますので」
「あ、おい、クライド、でも、」
私はまだ話し続ける彼を置いて自分の執務室を出た。
これ以上詳細を聞かされたら、次に妃殿下にお会いした時にいたたまれない。
私は約束の時間より一瞬だけ早く、副宰相であるドラスゴー公爵の執務室にたどり着いた。
家格からすれば、こちらが相手を呼び出す側ではあるが、現在私は副大臣の一人にすぎない。ドラスゴー公爵は副宰相だ。王宮内での地位を考えれば、私から出向くのが筋というものだ。
私がノックをすると、驚くほどすぐに扉が開かれる。
「これはファルケン公爵。さすが、時間通りですな」
彼は気楽な様子で私を迎え、ほぼ同時にソファに腰掛け、向かい合った。
お茶が目の前に置かれると、彼の部下は下がって行った。ここにくるまで少し急いだので、ありがたくお茶に口をつける。
本来なら、派閥同士が対立関係にある彼に出されたものを口にしたりはしない。
しかし、今私たちは、個人としては協力関係にある。
私たちは、先日のノルベル侯爵らの一件で、他国側にも働きかけ、悪事を働いていたものたちを一掃しようと、それぞれに動いている。
互いにその礼を言い合い、いくつかの資料を交換すると、それで用事は済んだ。
まだしばらくは、こうしたやり取りは続くだろう。
情報の交換は父の代から行われていたが、対象者に気取られては困るため、秘密裏に行っていた。今ではそれが堂々とできるようになったと言うわけだ。
「そういえば、私の妻が王太子妃殿下やファルケン公爵夫人と観劇に行きたいと申しておりましてな。よろしければ、ご一緒していただけませんか?」
ドラスゴー公爵によると、夫人らの間ではそういった話がすでに出ていたらしい。
私は、ミレニアの顔を思い浮かべた。彼女と初めて観劇に行った時には、散々な思いをさせてしまった。
私は、予定を確認してみるとだけ答えた。ミレニアが大人数で観劇をしたがるか分からなかったからだ。
「もし予定が合うようでしたら、王太子殿下に席の手配をしていただきましょう。王家の桟敷でしたら、六人でも余裕を持って座れるでしょうから」
私がそう言うと、ドラスゴー公爵は楽しそうな微笑みを浮かべた。
「三夫婦で行くとなると、息子たちがまた私に妬きますな。妻と二人で出掛けてずるい、と」
彼によると、息子たちが父親を目の敵にするのだそうだ。特に夫人が絡む時には。
「親子の関係と、夫婦の関係の違いは、まだ彼らには分からないですからね。母親を取られまいとしているようですよ」
彼はそう言って笑うが、その違いは私にも分からない。
首をかしげると、彼は何かに気づいた顔をした。
「そういえば、ファルケン公爵はお母上を早くに亡くされておいででしたな」
「ええ」
「まあ、今奥方へ持たれている感情が、男女の愛情と思えばよろしいのでしょうな」
愛情には、家族に向けるものと、恋愛感情のある相手に向けるものとの違いがあるとは知っている。
私は、私が姉に向けていた感情が恋する相手に向けた感情で、姉が私に持っていたのが家族としての愛情だったのだと、最近理解したつもりだった。
だが、ミレニアに対する感情と言われると、急にそれが何なのか分からなくなる。ずっと一緒にいて欲しいし、抱きたいと思う。自分には必要な相手なのだとも思う。
愛しているつもりだが、にわかに不安になって、目の前の、十五も年上の相手に助言を請いたくなった。
「……それは、どう言った意味で……?」
私がそう聞くと、彼は意外そうな顔をした。そして、ふっと優しげな笑みを浮かべる。
「奥方が他の男の腕の中にいるのに耐えられますかな?」
「無理ですね」
私が即答すると、なぜか大笑いされる。そして、「それが恋愛感情というものですよ」と彼は言った。
「まあ、私ならば、妻に不必要に触れた男は破滅させます。嫉妬深いもので」
そう言いながら、ドラスゴー公爵は、穏やかだが、意味ありげな笑顔を浮かべた。
確かに、許せないかも知れない。そのような行動をする男は。
私は、観劇については手紙で返事をすると約束して彼の執務室を出た。
自分の執務室に帰る途中、私はふと、自分の姉に対する感情が何を意味するものだったのか分からなくなった。
私は母を知らない。姉がくれた優しさに、すぐに彼女に夢中になった。
でも、姉にはすぐに婚約者が出来て、自分とずっと一緒にいてはくれないのだと知った。
今思い出してみても、姉がいなくなってしまうことに切ない気持ちにはなったものの、婚約者に対しては悪い感情を抱いた記憶がない。
先日、赤子を抱いて微笑む姉を見て、私は嫉妬した。苦しかった。悲しかった。
私はその時に、てっきり自分が男として見られてはいなかったのを痛感し、辛く感じたのだと思った。
でも、そうではなくて、あの赤子に姉を取られた気がしたから悲しくなったのではないかと思い当たる。
私は姉に婚約者ができた頃、姉を愛しているのだと思っていた。でも、もしかしたら、私は姉と母を重ねていただけだったのかもしれない。
私はどんなに胸が痛もうとも、姉に欲情はしなかったし、力ずくで自分のものにしてしまおうとまでは思わなかった。
そして、時間が経つにつれ、婚約者と結婚して幸せになってくれればいいと考えるようになった。
はたしてそれは、姉を恋愛対象として愛していたと言えるのだろうか。
その疑問は仕事をしている最中も頭の片隅に残り続けた。
あなたにおすすめの小説
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
【完結】隣国のモフモフ騎士団長様、番ではない私でよろしいのですか?
こころ ゆい
恋愛
※最終話に、3/11加筆した分をアップしました。
※番外編書きたい気持ちがあるのですが、一旦、恋愛小説大賞の締め切りに合わせて、完結とさせて頂きます。🌱
※最後、急ぎ足で駆け抜けたので、説明不足や誤字脱字多くなっているかもしれません。都度見つけ次第、修正させて頂きます。申し訳ありません。💦
ジャスミン・リーフェント。二十歳。
歴史あるリーフェント公爵家の一人娘だが、
分厚い眼鏡に地味な装い、常に本を読んでいる変わり者。皆が自分のことをそう言っているのは知っていた。
モーリャント王国の王太子殿下、コーネル・モーリャントとの婚約が王命で決まってから十三年。王妃教育を終えても婚姻は進まず、宙ぶらりん状態。
そんな中、出席した舞踏会でいつも通り他の女性をエスコートする王太子殿下。
それだけならまだ良かったが、あろうことか王太子の連れた女性が事件を巻き起こす。その最中で言い渡された婚約破棄。
「....婚約破棄、お受けいたします」
そのあと、ジャスミンは一人旅に出てある人物と出会った。
これは、婚約破棄された女性が獣人国で知らぬうちに番と出会い、運命に翻弄されていく物語。
裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。
夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。
辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。
側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。
※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
王妃候補に選ばれましたが、全く興味の無い私は野次馬に徹しようと思います
真理亜
恋愛
ここセントール王国には一風変わった習慣がある。
それは王太子の婚約者、ひいては未来の王妃となるべく女性を決める際、何人かの選ばれし令嬢達を一同に集めて合宿のようなものを行い、合宿中の振る舞いや人間関係に対する対応などを見極めて判断を下すというものである。
要は選考試験のようなものだが、かといってこれといった課題を出されるという訳では無い。あくまでも令嬢達の普段の行動を観察し、記録し、判定を下すというシステムになっている。
そんな選ばれた令嬢達が集まる中、一人だけ場違いな令嬢が居た。彼女は他の候補者達の観察に徹しているのだ。どうしてそんなことをしているのかと尋ねられたその令嬢は、
「お構い無く。私は王妃の座なんか微塵も興味有りませんので。ここには野次馬として来ました」
と言い放ったのだった。
少し長くなって来たので短編から長編に変更しました。
目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです
MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。
しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。
フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。
クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。
ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。
番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。
ご感想ありがとうございます!!
誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。
小説家になろう様に掲載済みです。
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
第18回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました。応援してくださりありがとうございました!
レジーナブックス様から書籍が4月下旬に発売されます!
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。