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39.もう演技はいたしません!(たぶん)
出産が近づいてきた頃、私たちはいつものようにクライドの執務室で休憩時間をとっていた。
以前とっても恥ずかしい思いをしたので人払いをしてある。
それに、私の妊娠が分かってからの夫の態度にも問題があって、そうするしかない。
クライドはなぜか、ずっと手を繋いでいたがるのだ。そんな姿を大勢の人に見られたくはない。
今も並んで座っているけれど、右手を彼に握られている。ただでさえお腹が大きくて動きづらいのに、彼の側に置かれているお菓子が取りにくい。
「手を離してくださいませんか。お菓子が食べたいのですけど。いえ、むしろ、そのお皿をこちらに移動させてください」
私はいつもこうなるから、お皿を二つ用意してそれぞれの前に置いてもらうようにしている。でも、クライドは私の方のお皿にも手を伸ばすので、私の目の前のお皿はいつもあっという間に空になってしまう。
「食べたいのか? どうぞ?」
「いえ、自分で食べ……んむっ」
私は口に入れられた一口サイズのクッキーを咀嚼しながら彼を睨む。
これが毎日なのだから困ったものである。そろそろ文句を言っておくべきだろう。
「なぜ最近、手を繋いでばかりいるのですか? それにお菓子は自分で食べたいです!」
彼は涼しい顔で自分の口にもクッキーを放り込んでから言った。
「他の方法で繋がれないのだから、仕方がないではないか」
「他の方法……?」
私は始め意味が分からなかったけれど、彼に「分からないのか?」と耳元で囁かれて理解する。
「……何でそんな恥ずかしいことを……!」
「私は聞かれたことに答えただけだ」
「う、あ、それは、そうですけどっ。でも、お菓子は自分で……」
「……そんなに嫌なのか?」
彼はわざわざ私の手を持ち上げて、指を絡めて握り直し、その手にキスをしてくる。それに少し悲しそうな顔をしている。
そんな顔をされたら、こちらが折れるしかない。なんとあざとい旦那様だろうか。
「嫌ではないです……。でも、少し手を離して欲しい時もあるでしょう? 私がお願いしたら、少しの間だけでいいですから、そうしていただけます?」
「少しだけなら……。我慢しよう」
(また、そんな顔を!!)
私が少し落ち込んだ様子の彼に心の中で悶えていると、彼がぽつりと言った。
「離れているのは、仕方のない時もあるが、嫌なんだ……」
(あ、心臓が……!)
「クライドは、甘えん坊だったのですね……」
「……情けないとは分かっている……」
(少ししゅんとしている! なんて可愛らしいのかしら!)
王宮の方々は、いつも冷静で表情が変わらないファルケン公爵閣下が、こんなに眉を寄せている顔なんて絶対に知るまい。
「そんなあなたも可愛らしくて好きです。でも、そのお顔は私以外の方には見せないで下さいませね」
「……見せる相手なんて、そなた以外にはいないと思う……」
「もうっ! また、そんな可愛らしいことを!!」
私は思わず彼にキスをする。でも、すぐに顔を離す。どうしてももっと触れ合いたくなってしまうので!
そんな甘い雰囲気だったのに、クライドは真剣な顔で私の肩をつかんだ。
「そなたも、もう無理に笑わなくていい」
「……え……?」
私は彼の言う意味がよく分からなかった。
「愛されている妻の演技をしていると言っていた時と同じ顔を、たまにしている気がする」
そうなのだろうか。確かに出掛けた時などは、自然とそうなっているかもしれない。
でも、社交の席ではそうせざるを得ない。そうでないと私はその場で浮いてしまうと思う。
「でも、私、少し変わっている自覚はありますし、外ではそうしませんと。微笑んでいれば、やりすごせますから……」
「女主人が多少変わっていても、我が家相手に何かを言ってくる者はいない。初めて夜会に出た時、そなたも言っていたではないか」
「あの時は愛され妻の演技をしていましたから……。少し気が大きくなっていたかもしれません」
(あの夜会はもう随分前のことのようだけど、あれからまだ一年しか経っていないのだわ……)
私は少しあの頃が懐かしくなった。あの時はあの時で楽しかったから。
「ですが、やはり、私は公爵夫人らしい演技をしていませんと。周囲から何も言われなくても、私の言動で公爵家の名に傷をつけてはいけませんので」
「そなたは、そのままでいればいい。どこででも。誰に対しても。何か問題が起きたら私が対処する」
「でも……」
少し怒ったような顔でクライドは私の唇をふさぐ。
「私は自然なそなたを愛していると言っている」
「ひぅっ……」
「もう本当に愛されているのだから、演技で愛されている振りをする必要もないしな?」
「ぅぐぅ……」
私は恥ずかしすぎて、両手で顔を覆った。でも、そう言ってもらえるのは嬉しい。あと何回かは言ってもらおう。
私は顔を覆う指の隙間から彼をのぞき見ながら言った。
「もう一度言ってください……」
「……それはいいが、そなたは私に言わないな」
「え……?」
「……この間は言ってくれたのに……」
私は顔を覆っていた手を外した。
少し横を向いてしまった彼の声から、拗ねている彼を想像して、その表情をしっかり見たくなってしまったのだ。
でも、そこにあったのは、とっても意地悪そうな彼の顔だった。
両手首をつかまれて、「やっと顔を見せたな」と言う彼はとっても楽しそうだ。
そして、そんな彼も魅力的なのだから私はドキドキしっぱなしで困ってしまう。
「私を愛しているのか? ミレニア」
「あっ、愛してますっ。クライド」
「私もだ」
引き寄せられてキスをされる。そして彼は私のお腹の膨らみをそっと撫でてくる。
その微笑みはまた優しいものになっていた。
この可愛らしくて美しくて少し意地悪な旦那様に、私は心からの笑顔を向けたのだった。
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