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20.(終)宰相夫妻は穏やかに笑う
しおりを挟む表面だけは美しく飾られていた皇帝の結婚式から三年後、白い結婚だった皇帝とその正妃は正式に離婚した。
その離婚は誰にも反対されず、むしろ皇帝の世継ぎを産める正妃なり、側妃なりの存在が待ち望まれていた。
イザベラは正妃だった女性と良好な関係を築いていたので、彼女が皇宮での不自由な暮らしから解放されて、心から好き合った相手と結ばれるのを喜ばしく思っている。
しかし、一方の皇帝は、あれほど熱を上げていた愛人を側妃に、という話が持ち上がっても、それを渋っている。
この三年間で、愛し合っていたはずの女性に、彼は飽きてしまったらしい。
皇帝は近頃、身分問わず、時には怪しげな薬さえ持ち込む女性たちを寝所に招き入れて、享楽の日々を過ごしているのだと言う噂が宮廷内外で囁かれている。
さて、これは誰の画策によるものだろうか、とイザベラは思ったものだった。
◆
その日、フェルナンドが帰宅したのは、普段よりも早い時間だった。
王宮からの先ぶれでそれを知った上の子どもたちが騒ぎ出したため、イザベラは「今日だけよ」と約束をさせて、七歳の長男と六歳の長女と一緒に彼を玄関で出迎えた。
長男と長女、そして今日は寝てしまった次女に加え、この三年間でさらに二人の男の子を授かったこのユペール侯爵家の別棟は、日々賑やかだ。
「父様!」
「おかえりなさい!」
馬車から降り立ったフェルナンドは、子どもたちがいるのに驚いた顔をしつつも、抱きついて来た二人の頭を優しく撫でる。
「帰りました」
彼はイザベラに向かって、そう微笑んで歩き出す。
そして、ご機嫌な子どもたちに向かって言った。
「こんな時間まで起きているなんて、お母様を困らせたのでは?」
「今日だけとお約束しました」
「だって、お父様とはなかなかお会い出来ないのですもの」
二人は背の高い父親を見上げながら、口々に言う。
宰相になってからと言うもの、たまに休暇を取るくらいで、彼は朝早くから皇宮へ行く。
彼の立場からすれば、家族ごとあそこに住むことも出来るけれど、イザベラにとっては辛い記憶のある場所に、彼は一度も住みたいか確認すらしない。
それはとても嬉しいことだった。
イザベラはユペール侯爵家の敷地内にある、彼が結婚の時に用意してくれたこの別棟でしか、まだ安心して暮らせないのだ。
だから、彼は毎日必ず皇宮からこの別棟に帰って、イザベラと一緒に眠る。
母屋の方は来客がある時や、今は隠居した前ユペール侯爵が、王都に滞在する時に使うだけになっている。
子どもたちからの抗議を居間に着いてからも聞いていた彼が、二人に目線を合わせるために片膝を床について言った。
「悪かったよ。今度、また休みを取るから、その時にたくさん話そう」
「本当ですか!?」
「約束よ、お父様!」
二人はそれで満足したようで、メイドたちに連れられて、自分たちの寝室に向かって行った。
「イザベラ。会いたかった。早くこちらへ」
子どもたちが居なくなると、すぐに彼は人払いをして、ソファに腰掛けながら膝の上にイザベラを座らせる。
「お疲れなのに、大変だったわね」
「まあ。多少は。でも可愛いものですから」
彼は父親らしい優しい笑顔でそう言いつつ、イザベラに何度も口づける。
そして、がらりと表情を変えてイザベラの耳元で囁いた。
「彼はもう会議にも出てこないので、そろそろ退位をしていただこうと皆で話しておりますよ」
『彼』とは、イザベラの異母弟である皇帝のことだ。
享楽が過ぎたと言うことだろう。
異母弟は、かつては野心で満ちた顔をしていたのに、皇帝の座に就けるのだと確信した途端に、そうではなくなってしまった。
おそらく、誰かの謀がそれを加速させたのだろうけど。
イザベラは、うっすらと微笑む夫の頬を撫でながら言った。
「では、後継は私の妹のローレシアね。まだ幼くていらっしゃるから、あなたが支えて差し上げるのでしょう?」
この年、十一歳になった末の妹のローレシアしか、皇家の血を引く者は残っていない。
「もちろんです。私は宰相ですから。それが役目です」
フェルナンドは穏やかに微笑んでそう言った。
異母弟のアーロンには、庶子はいても嫡子はいない。
まさか自分の子が女帝になるとは思っていなかったはずのローレシアの母親は、きっと有頂天になることだろう。
さほど力も持たない家から、側妃として皇帝に差し出された女性だ。
これからも出来るだけ大人しくしていていただきたい、とイザベラは思った。
きっと今の状況のほとんどを作り出したのだろうフェルナンドは、目を閉じて、頬にあるイザベラの手に頬擦りをする。
そんな可愛らしい彼は、とても辣腕を振るう宰相には見えない。
「……あなたは、いったいどこまで私に本当のことを教えてくださっているのかしら」
「……何か聞きたいことが?」
「いいえ、結構よ。嘘をつかれるのは嫌だもの」
「嘘はつきませんよ。『彼』の件ならば、ほぼあなたの想像通りだとだけ申し上げておきましょうか。私は彼の所業を根に持っていますので」
イザベラは首をかしげた。
「それは、私を害しようしたこと?」
「いいえ、別件で」
彼によると、婚約期間中にイザベラにあからさまに嫌われていた彼は、婚約者としての資質を疑われて、他の男をイザベラの婚約者にするぞと『彼』に言われたのだそうだ。
「あなたを他の男のものにしようとしたのは、どうしてもゆるせませんので。それだけの話ですよ」
彼は笑顔だったけれど、その目は笑っていなかった。
そこで、イザベラはようやく理解した。
イザベラはあの頃は、アーロンもフェルナンドも敵だと思っていたけれど、フェルナンドにとっての敵が誰だったのかを。
そして、フェルナンドは『彼』の信用を勝ち取ると、その周りに破滅の糸を張り巡らせたのだろう。
「……あなたにとっての敵は、アーロンだったのね……」
そう言った途端、イザベラは彼に抱き締められた。
「愛しています、イザベラ。あなたの平穏のためなら、私は何でもします」
「私も愛しているわ。フェルナンド」
イザベラは彼の髪をゆっくりと撫でながら、口づけを交わした。
そして、ゆったりと微笑み合ったのだった。
終
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
私は「実は一途だったスパダリ」を書いていたつもりだったのですが……。
この最終話を書いていまして、自分が書いていたのは「忠犬」的なものだったのもしれないと気づいてしまいました。
(思ってたのと少し違った。)
(そのせいで、タグを少し変えました。)
お付き合いいただき、誠にありがとうございました!
針沢
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