わたしはいない

白川 朔

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どこかにいる

9.

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 山の中から見上げる夜の空には数え切れないほどの星が光っている。夜空なんて見上げたのはいつぶりだろう。引き上げてもらってから握られていた手を解いて進む。
「星は好きなの。」
「はい。」
はしゃいでしまった。あなたは本当に誘拐をしたかったんだろうか。こんなにも、もてなしてもらっていていいのだろうか。家の前は広場みたいになっていて、前に夕食を食べたテーブルもそのままになっている。あなたは夜、夕食の後こうして空を見上げることがあるのだろうか。この時間は、日が暮れてしまっているから肌寒いくらいだ。
「星は好きですか。」
返事がなくて振り返るとあなたの姿がない。
「あ...。」
呼ぼうと思ってもあなたの名前すら知らないことを思い出す。開きっぱなしになった家のドアに近づくとあなたとぶつかりそうになってしまった。その手にはランタンと上着が握られている。
「すみません。」
慌てて一歩下がる。
「こっちこそごめん。楽しそうに見ていたから、」
これを取りに行っていた。と、ランタンをテーブルの上に置き上着をこちらに裏地を向けて広げる。腕を通せということなのだろう。   
 その格好では後で冷えてくるだろうからと持ってきてくれた。お礼を言って袖を通す。あなたに向き直ってみせる。
「うん、よく似合ってる。可愛いよ。」
服を着るたびに言われているような気もするが、よく恥ずかしげもなく言い続けていられるな。これだけ言われると似合っているだの、可愛いだの本当に思っているのかも怪しい。
 あなたは、テーブルとセットになっている長椅子に横になって空を見る。
「星は好きですか。」
もう一度同じ質問をする。
「好きだよ。」
すぐに答えが返ってくる。
「ここから、一人でいつも見ているのですか。」
「前はね、でもめぐりちゃんがここに来てから、星空を見上げたのは今日が初めてだよ。」
テーブルを挟んで、あなたのように椅子に横になってみる。
「星ってね、よく見るといろんな色をしてるでしょ。青白い星とかオレンジに近い色をした星とか。」
「そうですね。」
「星が好きなら、青白い光の星の方が温度が高くて若い星、赤とかオレンジの色をしている星は温度が低くて年をとった星ってことは知ってるかな。」
「はい。」
どこで聞いた話かは思い出せないけれど。
「冷たい色をした星の方が、暖かく光っている星よりも温度がが高いっていうのがなんだか、不思議だと思わない。」
あなたはゆっくり話すから、ゆっくり時間が流れているように感じる。
「不思議ですかね。」
「理屈がわかっていても腑に落ちないことってあるだろう。僕にとってそれなんだよ。」
二人しかいないような錯覚を起こす。夜はずっと暗いものだと思っていたけれど、こんなにも星は明るかった。一見優しくて若いあなた。あなたは本当に温度の高い青白い星か、温度の低い星かどちらだろうか。横見れば、あなたと目が合うと思うけど、空から目を離すことができなかった。
「めぐりちゃん少し待っててね。」
あなたは体を起こして、立ち上がる。
「どうしたんですか。」
もう中に戻る時間かと思ってけどそういうわけではなさそうだ。
「見てのお楽しみ。」
そう言って家の中に入って行ってしまった。あなたのいた場所を見つめる。あなたは...。
空に目を戻すと暗闇に目が慣れてきて空にかかる川が見えた。天の川の中にあるデネブ、その両脇にある、2つの明るい星。どちらがアルタイルで、どちらがベガだったか、思い出せない。そういえば、あなたが持ってきてくれた本の中に星座の本はなかった。
「おまたせ。」
戻ってきたあなたの手には取手のついた、小さな箱。体を起こして座る姿勢になる。
「ほら、美味しそうだったから買ってきたんだ。」
甘いのは好きかな。と、様子を伺いながら箱を開ける。出てきたのは2人分のケーキ。
「美味しそう。」
いちごの乗ったものともう1つは、
「いちごのショートケーキとレモンケーキだよ。どっちがいい。」
どちらがいいか迷ってしまう。
「どちらが食べたいですか。」
あなたが買ってきたのだから、どちらかがあなたの食べたいものなのかもしれない。
「遠慮しないで、お茶を入れてくるからそのあいだに決めてね。」
「え、」
どちらでもいい。どちらも美味しいそうだし。どちらがいいかなんて決められない。あなたの好きものを知らない。いちごが好きなのかもしれないし、レモンケーキは期間限定のものなのかもしれない。
「はい、紅茶。熱いから気をつけて。」
ティーポットを置いて、ティーカップを受け取る。決まったかとあなたが聞くから、ショートケーキを選んだ。
「美味しいです。」
「よかった。」
めぐりちゃんが好きなケーキがわからなかったから、無難なのと夏限定ってのを買ってきたんだ。と、ケーキを口に運びながら続ける。甘いクリームが口の中で溶ける。優しい甘さ。
「めぐりちゃん、」
名前を呼ばれて顔を上げる。あなたは自分のお皿をこちらの向けて差し出している。ちょうど一口分くらい残っていた。
「食べて見て、美味しかったらまた買ってくるから。」
一口紅茶を飲んでから、あなたのお皿に残ったものを食べる。口にレモンのさわやかな甘みが広がる。感想を求めてあなたはこちらを見ている。
「美味しいです。」
どんな風にとかは、うまく言えないけれどすごく美味しかった。
「じゃ、もう中入ろっか。」
空っぽになったお皿を重ねて立ち上がる。気温も下がってきた。この日々が続けばいいのに。星に照らせれる森には虫の声が物悲しく響いていた。
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