処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

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第1話 断罪の舞台は処刑台

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第1話 断罪の舞台は処刑台

 石畳の冷たさが、薄汚れたドレスの布地越しに膝へと伝わってくる。  ジャリ、と砂利が擦れる不快な音が耳の奥で鳴った。  手首に食い込んだ鉄の鎖は重く、冷え切った私の体温をさらに奪っていくようだ。  見上げれば、雲ひとつない蒼穹が広がっている。皮肉なほどに美しい青空だった。まるで私の人生の最期を、世界が嘲笑っているかのように。

「――稀代の悪女、リーゼロッテ・フォン・エーデル! 貴様の罪は万死に値する!」

 頭上から降り注ぐその声は、かつて私が愛し、生涯をかけて尽くそうと誓った婚約者のものだった。  アルフォンス・フォン・ラインハルト第一王子。  この国の次期国王たる彼は今、処刑台を見下ろす玉座のようなテラスから、軽蔑と憎悪に満ちた眼差しを私に向けている。  その隣には、小柄で愛らしい男爵令嬢、マリアが寄り添っていた。彼女は小動物のように怯えた仕草で、王子の腕にしがみついている。その瞳が、勝ち誇った優越感で歪んでいることに気づいているのは、おそらく私だけだろう。

 ああ、なんて美しい構図なのだろう。  悪を断罪する正義の王子と、守られるべき可憐なヒロイン。  そして、その足元に這いつくばる、薄汚れた悪役令嬢。  まるで三文芝居の劇場のようだ。広場を埋め尽くす民衆たちも、期待に満ちた目でこの「断罪劇」の結末を待っている。彼らは真実など求めていない。ただ、高貴な人間が泥にまみれ、首を刎ねられるという刺激的な娯楽を求めているだけなのだ。

「リーゼロッテ、貴様は王家の予算を横領し、私利私欲のために使い込んだ! その額、なんと金貨一万枚! 国民の血税を、自らのドレスや宝石に変えた罪、万死に値すると思わんか!」

 王子の声が、魔導拡声器を通して広場全体に響き渡る。  わあっと群衆が沸いた。「殺せ!」「泥棒女!」「王家の寄生虫め!」と、罵声の礫(つぶて)が四方八方から飛んでくる。  腐った野菜が飛んできて、私の頬に当たり、潰れた。  生ゴミの腐敗臭が鼻をつくが、私は拭うことすらできない。両手は背後で荒縄によって拘束されているからだ。擦れた手首から血が滲み、痛みが走るが、それすらも今の私にはどうでもよかった。

(……横領、ですって?)

 私は心の中で、力なく自嘲した。  金貨一万枚。ええ、確かにその額は動きました。私の承認印が押された書類も残っているでしょう。  ですが殿下、それは私が「使い込んだ」のではありません。  あなたが「使い果たした」穴を埋めるために、私が必死で工面し、右から左へと動かしただけのお金です。

 走馬灯のように、地獄のような執務室での日々が蘇る。  王城の奥深く、窓のない薄暗い部屋。積み上げられた書類の山。インクの匂いと、カビ臭い古書の匂い。  私はそこで、十歳の頃から働いていた。  最初は「未来の王妃教育」という名目だった。けれど、アルフォンス王子の数学の成績があまりに壊滅的だと判明してからは、彼がやるべき実務のほとんどが私の机に回ってくるようになった。

「リーゼロッテ、これ頼むよ。僕には難しくて」 「リーゼロッテ、君は賢いな。僕の自慢の婚約者だ」

 最初は、その言葉が嬉しかった。役に立てることが誇らしかった。  けれど、年を追うごとに、その「頼みごと」は度を超えていった。

 ある日のことだ。王子は隣国の姫君に一目惚れし、国交の挨拶という名目で、希少な『人魚の涙』と呼ばれる宝石を贈ろうとした。その額、金貨二千枚。  当時の国庫に、そんな余裕はなかった。地方では干ばつが続き、農民への支援金が必要だった時期だ。  私は必死で止めた。「今はそのような贅沢をしている場合ではありません」と。  けれど王子は聞き入れなかった。「国の威信に関わる」と喚き散らし、結局、強引に宝石商を呼び寄せた。  その支払いの尻拭いをしたのは誰か。  私だ。  私は自分の私室にあったドレスや、母の形見の装飾品をすべて売り払い、さらに実家の公爵家にお願いして借金をし、なんとか帳簿の穴を埋めた。

 またある時は、王子が「平民の暮らしを視察する」と言い出した。  立派な心がけだと思った私が馬鹿だった。彼は変装してお忍びで城下町へ繰り出し、裏社会の賭博場に入り浸ったのだ。  一晩で金貨五百枚をスッた王子を、私が衛兵を使って秘密裏に回収し、その借金を肩代わりした。  賭博場の胴元に頭を下げ、利息を負けてもらうよう交渉した時の屈辱は、今でも忘れられない。

 それだけではない。毎週末のように開かれる豪華絢爛な夜会。  輸入物の高級ワイン、他国から招いた劇団、氷魔法で冷やされた希少なフルーツ。  王子は「貴族たちの結束を固めるためだ」と言ったが、実際には彼自身の取り巻きと騒ぐだけの乱痴気騒ぎだった。  その費用のすべてを、私が裏で操作し、捻出していた。

 私の能力――『魔力循環の最適化』。  派手な攻撃魔法は使えない。聖女マリアのように傷を癒やすこともできない。  けれど、既存の魔術式や魔導具の無駄を省き、効率を最大化するこの地味なスキルこそが、破綻寸前の王国財政を支えていたのだ。  王城の結界維持費を三割カットし、魔導ランプの燃費を二倍にし、地下水路の浄化システムの効率を上げて、浮いた経費をすべて王子の浪費の穴埋めに回していた。

 誰にも知られず。誰にも感謝されず。  ただひたすらに、数字と魔術式と格闘する日々。  指先はインクで汚れ、肌は荒れ、目の下には消えない隈ができた。  「地味で暗い女」「可愛げがない」「仕事中毒の鉄仮面」。  背後で囁かれるそんな陰口も、すべて飲み込んで耐えてきた。

 すべては、この国のため。  そして、いつかアルフォンス様がご立派な王になられた時、私の苦労も報われると信じていたから。

(……馬鹿みたい)

 喉の奥から、乾いた笑いがこみ上げてくる。  報われる? そんな日は来なかった。  王子は私の献身に気づくどころか、それを「当たり前」と享受し、最後にはその功績をすべて自分のものにした上で、不祥事の責任だけを私に押し付けたのだ。

「黙っているのは罪を認めた証拠だ! さらに貴様は、聖女であるマリアに嫉妬し、彼女の持ち物を隠すなどの陰湿な嫌がらせを行った! 王城の階段から彼女を突き落とそうとしたこともあったな!」

 王子の言葉に、マリアが大げさに身を震わせる。  「怖かったですぅ、リーゼロッテ様、鬼のような形相で……」と、か弱い声で涙を拭うふりをする。    突き落とそうとした?  いいえ、階段で足を踏み外した彼女を、私がとっさに腕を掴んで助けたのです。  そのせいで私は腕を捻挫し、一週間包帯を巻いて仕事をすることになったのに。  持ち物を隠した?  いいえ、彼女が管理もせずに放り出していた重要書類や教科書を、私が拾って整理し、彼女の机に戻しておいただけです。  彼女が「なくした、盗まれた」と騒ぐたびに、新しいものを買い与えていたのは殿下、あなたでしょう。

 弁明しようと思えば、いくらでもできる。  私の執務室には、詳細な出納帳が残っているはずだ。  魔導具のログを解析すれば、誰がいつ何をしたか、すぐに分かるはずだ。  けれど、もう遅い。  私の部屋はすでに家宅捜索され、都合の悪い証拠はすべて燃やされただろう。  それに、何より――。

(……もう、疲れた)

 心の芯から、ポッキリと何かが折れる音がした。  怒りも、悲しみも、悔しさも。  すべてが波のように引いていく。  残ったのは、鉛のように重たい「疲労感」と、底なしの「虚無」だけだった。

 戦う気力が、湧いてこない。  声を張り上げて無実を訴えるエネルギーが、もう私には残っていなかった。  これ以上、あの愚かな王子の顔を見たくない。  これ以上、自分の人生が無駄だったと突きつけられる現実に耐えられない。

 もう、いい。  これで終わりにしよう。

 死刑。  その言葉の響きは、今の私にとって、恐ろしい宣告ではなく、甘美な救済の響きを持って聞こえた。  死ねば、もう朝の光に怯えて起きなくていい。  終わらない仕事に追われて、胃を痛めなくていい。  理不尽な叱責に耐えて、笑顔を作る必要もない。  計算も、調整も、根回しもしなくていい。

 永遠の休息。安らかな眠り。  今の私にとって、それはどんな宝石よりも魅力的なご褒美だった。

「リーゼロッテ・フォン・エーデル! この国に貴様のような害悪は不要だ! よって、これより処刑を執行する!」

 王子の高らかな宣言に、群衆が熱狂する。  ドッと沸き起こる歓声。拍手。口笛。  まるで祭りのクライマックスだ。  人の命が消えようとしているのに、彼らの瞳は嗜虐的な喜びで輝いている。  ああ、人間とは、ここまで残酷になれる生き物だったのか。私が守ろうとしてきた国民たちは、こんなにも醜かったのか。

 処刑人が、私の背後に立った気配がした。  大柄な男だ。黒い覆面で顔を隠し、上半身は裸で、その筋肉質な体には無数の古傷が走っている。  彼が手にした巨大な戦斧が、午後の陽光を浴びて鈍く光った。  錆びついた鉄の臭いと、染みついた血の臭いが、風に乗って漂ってくる。

 処刑人は、私の首筋に触れた。その手は意外なほど温かく、そして震えていなかった。  彼は事務的に、私の髪をかき上げ、首筋を露出させる。  そこに侮蔑の感情はない。ただ、淡々と職務を遂行するプロフェッショナルの手つきだった。  皮肉なことに、この場において、私を「一人の人間」として、あるいは「対象」として公平に扱ってくれているのは、この処刑人だけかもしれない。

「……楽にしてやる。一撃で終わらせるから、動くなよ」

 耳元で、処刑人が低く囁いた。  それは慈悲だったのかもしれない。  私は小さく頷いた。

「何か言い残すことはあるか、悪女よ」

 王子が勝ち誇ったように言った。マリアが「かわいそうに」と言いながら、口元を扇子で隠して笑っているのが見えた。  私はゆっくりと顔を上げた。  久しぶりにまじまじと見た王子の顔は、どこか間の抜けた、薄っぺらいものに見えた。  こんな男のために、私は人生のすべてを捧げてきたのか。  そう思うと、乾いた笑いが漏れそうになった。

「……いいえ。何もございません」

 私の声は、驚くほど冷静で、そして冷たかった。  広場にいた誰もが、私が泣き叫び、命乞いをすると思っていたのだろう。  意外な反応に、群衆がざわめく。    弁明もしない。  命乞いもしない。  怒りもしない。  ただ、事実を受け入れ、冷徹に彼らを見返すだけ。

 それが、王子のプライドを傷つけたらしい。  彼は顔を真っ赤にして、「最後まで可愛げのない女だ! その傲慢な態度、地獄で後悔するがいい!」と叫んだ。

「執行せよ!」

 命令が下る。  処刑人が斧を高く振り上げた。  風を切る音が聞こえる。  群衆の歓声が一瞬、静まり返る。  誰もが、生首が転がる瞬間を固唾を飲んで見守っている。

 私は静かに瞳を閉じた。  瞼の裏に、幼い頃の記憶が浮かぶ。  実家の領地の、美しい草原。風に揺れる金色の麦畑。  優しかった祖母の、焼きたてのパンの香り。  まだ「責任」や「義務」など知らず、ただ蝶を追いかけて走っていた、あの日々。

(ああ、帰りたかったな……)

 一瞬だけ、胸をよぎった望郷の念。  けれど、それもすぐに消えた。  私の実家である公爵家も、すでに王子の手によって「連座」として取り潰されることが決まっていると聞いた。父も母も、すでに捕らえられているかもしれない。  帰る場所など、この世界のどこにもないのだ。

 さようなら、私の人生。  さようなら、愚かな王子様。  さようなら、救いようのないこの国。

 もし来世があるのなら、今度は誰のためでもなく、自分のために生きたい。  誰かの尻拭いをするのではなく、自分の足で歩きたい。  そして、二度と働きすぎないような、怠惰で穏やかな生活を送りたい。  ふかふかのベッドで、お昼まで寝ていたい。  温かい紅茶を飲んで、好きな本を読んでいたい。

 そんなささやかな願いを抱いて、私は首を垂れた。  首筋に、刃の冷気を感じる。  死の感触が、すぐそこまで迫っている。

 その時だった。

 ――ザアアアアアアアッ……

 風が変わった。  今まで吹いていた生暖かい風が止まり、肌を刺すような冷気が、上空から吹き降ろしてきたのだ。  鳥たちが一斉に飛び立ち、空が急速に暗くなっていく。  雲が、渦を巻くように動き出した。

「な、なんだ? 雨か?」

 王子の間の抜けた声が聞こえる。  処刑人が動きを止めた。振り上げた斧を下ろすことも忘れ、彼は空を見上げていた。  その手から、カラン、と斧が滑り落ちた。

 ドォォォォォォォォォォォォンッ!!

 直後、処刑台のある広場全体を揺るがすような、凄まじい爆音と衝撃波が叩きつけられた。  地面が激しく揺れ、立っていた見物人たちが将棋倒しになる。  悲鳴。怒号。混乱。  私は衝撃で石畳に倒れ込みながら、反射的に目を開けた。

「な、なんだ!? 何が起きた!?」

 王子が狼狽して叫び、マリアが腰を抜かして失禁しているのが見えた。  衛兵たちが槍を構えるが、その切っ先は震えている。

 空?  つられて私も見上げる。  そこには、信じられない光景が広がっていた。

 太陽を遮るほどの巨大な影。  雲を切り裂いて現れたのは、鋼鉄のような黒い鱗に覆われた、数頭の飛竜(ワイバーン)だった。  その翼膜は夜の闇のように黒く、吐く息は白く凍りついている。  背中には、漆黒の軍服を纏った兵士たちが跨り、魔導ライフルを構えていた。

 そして、先頭を飛ぶ、一際巨大な黒い飛竜の背に、一人の男が立っていた。

 逆光で表情は見えない。  けれど、その男から放たれる圧倒的な「圧」が、広場の空気を一瞬で絶対零度まで凍りつかせた。  肌がピリピリと痛むほどの、濃密で強大な魔力。  呼吸さえ困難になるほどの、王者の覇気。

 男が、飛竜から飛び降りた。  高さ数十メートルはあるはずの上空から。  重力など存在しないかのように、ふわりと、しかし隕石のような存在感を持って、私の目の前の石畳に着地する。

 軍靴の音が、コツン、と一つだけ、静寂に響いた。

 長身痩躯。  夜の闇を溶かしたような黒髪。  氷河の奥底を思わせる、冷たく透き通った青い瞳。  彫刻のように整っているが、血の通っていないような冷徹な美貌を持つその男は、腰に佩いた装飾的な長剣に手をかけ、ゆっくりと私を見下ろした。

「……見つけたぞ」

 低く、地を這うような声。  けれど、不思議と耳に心地よく響く、深みのあるバリトンボイス。

 彼は私の前に跪くと、拘束された私の顔を覗き込んだ。  その瞳には、殺意も、蔑みも、嘲笑もない。  あるのは、まるで失われた秘宝を見つけた探索者のような、あるいは最高級の宝石を鑑定する商人のような、鋭く、熱っぽい光だけだった。

「だ、誰だ貴様は! ここは神聖なる処刑場だぞ! 無礼者め! 衛兵、であえ、出会え!」

 壇上から王子が金切り声を上げる。  しかし、衛兵たちは動けない。男から放たれる『氷の覇気』に当てられ、全員が氷像のように硬直し、ガタガタと震えているのだ。

 男は、まるで羽虫でも払うかのように、視線だけで王子を一瞥した。  たったそれだけで、王子が「ひっ」と短い悲鳴を上げて、玉座の陰に隠れるのが見えた。

 男は再び私に向き直ると、驚くべき言葉を口にした。

「その女、貴様らには不要なのだろう?」

 広場が静寂に包まれる。  風の音さえ止まったかのような静けさの中で、男の声だけが朗々と響く。  男は口の端を吊り上げ、凶悪なまでに美しい、野獣のような笑みを浮かべた。

「不要ならば、私がもらっていく。――文句のある者は、この国ごと消し炭にしてやるが、どうする?」

 その背後で、上空の飛竜たちが一斉に咆哮を上げた。  ギャオォォォォォォォンッ!!  空気が震え、王都中の窓ガラスが割れる音が、遠雷のように響き渡る。

 私は呆然と、目の前の男を見つめていた。  この漆黒の軍服。  胸に輝く『双頭の氷狼』の紋章。  そして、この圧倒的な魔力と、見る者すべてを畏怖させる威圧感。

 間違いない。  彼は、我が国の長年の宿敵。  北の大地に覇を唱える、軍事帝国ガルガディアの若き皇帝。  血も涙もない「氷の皇帝」と恐れられる、ジークハルト・ヴォルフ・ドラグーン、その人だった。

 なぜ?  どうして敵国の皇帝が、こんな場所に?  戦争? 侵略?  そして、「私をもらう」とは、一体どういうことなの?

 思考が停止し、混乱する私の目の前で、ジークハルトの手が伸びてくる。  白い手袋に包まれたその指が、泥で汚れた私の頬に触れた。  冷たいと思っていたその手は、驚くほど温かかった。

「さあ、行こうか。私の愛しき『魔導技師』殿。……君の力が必要だ」

 その言葉は、絶望の底にいた私にとって、あまりにも甘く、そして強引な「契約」の響きを持っていた。  私の運命が、音を立てて変わり始めた瞬間だった。
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