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第20話(最終話) 魔界のママ、そして王妃へ
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私がルーンバルド王国の女王の座を捨て、魔界へと帰還してから、早いもので五年という月日が流れた。
魔界の首都、魔都パンデモニウム。 かつては黒曜石の冷たい城塞都市だったこの場所は、今や大陸で最も美しく、そして最も進んだ文明を誇る「夢の都」へと変貌を遂げていた。
街路樹には常夜灯代わりの発光植物が植えられ、夜でも柔らかな光が溢れている。 通りには、魔導機関車が音もなく走り、空には輸送用のワイバーン便が飛び交う。 商店街には、人間界の食文化を取り入れたカフェやレストランが立ち並び、最新の魔導具を求めて地方から観光客が押し寄せている。
この劇的な発展の裏には、一人の人間の女性の尽力があったとされている。 ……まあ、私のことなのだが。
「アリア様! アリア様! 大変です!」
私は城の温室で、品種改良した『甘くないマンドラゴラ(悲鳴を上げない)』の世話をしていたのだが、そこへメイド長のサーラが血相を変えて飛び込んできた。
「どうしました、サーラ。またギル君がどこかの山を吹き飛ばしましたか? それともルウ君が新しい税制システムでヴァルゴ様を泣かせましたか?」
私は手袋を外し、慣れた様子で尋ねた。 この五年間、そんなトラブルは日常茶飯事だ。
「いいえ、違います! ドレスです! 式典用のドレスの最終フィッティングのお時間です! ゼスト陛下が『アリアを待たせるな』と、仕立て屋たちを氷漬けにする5秒前です!」
「あら、もうそんな時間?」
私は慌てて立ち上がった。 今日は、私にとって……いいえ、この魔界全体にとって、歴史的な一日となるはずの日だった。
◇
着替えを済ませ、私が向かったのは『鏡の間』だ。 そこには、五年前よりもさらに渋みを増し、色気が致死量に達している魔王ゼスト様が腕組みをして待っていた。
「……遅いぞ、アリア」
彼は不機嫌そうに言ったが、私を見た瞬間、その目が大きく見開かれた。
「……どう、でしょうか?」
私は恥ずかしさを堪えて、その場でくるりと回ってみせた。 身に纏っているのは、純白のウェディングドレスだ。 ただし、ただのドレスではない。 魔界の最高素材『天界の繭』から紡がれた糸で織られ、無数の宝石と防御魔法が編み込まれた、国宝級の代物だ。 デザインは、私がかつて描いたラフ画を元に、ルウ君が立体設計し、ギル君が素材を狩ってきてくれたものだ。
「……美しい」
ゼスト様がため息をつくように漏らした。 彼はゆっくりと歩み寄り、私の手を取った。
「五年前、お前を連れ帰った時も思ったが……今の輝きは、あの頃とは比べ物にならん」
「それは、あなたが大切にしてくれたからです」
私は微笑んだ。 この五年間、彼は約束通り、私を何一つ不自由させることなく、溺愛し続けてくれた。 時に過保護すぎて「外出禁止令」が出そうになったり、「他の男と会話禁止令」が審議されたりもしたが、それも愛ゆえのこと。
「今日は、私たちの結婚式ですね」
「ああ。……長かった。お前が『子供たちの教育が終わるまでは』とか、『魔界の義務教育制度が整うまでは』とか言って、先延ばしにするからだ」
ゼスト様が恨めしげに言う。 確かに、私は結婚を先延ばしにしていた。 家庭教師としての責任感と、王妃になるというプレッシャーの間で揺れていたからだ。 でも、もう逃げない。 この場所が、私の終の住処だと決めたから。
バンッ! その時、扉が勢いよく開かれた。
「母上ー! 綺麗だよー!」 「母上、最高です。計算値を遥かに超える美しさです」
入ってきたのは、二人の青年だった。 かつては可愛らしい少年だった双子の皇子たちも、今では十五歳。 魔族の成長は早い。彼らはすっかり、見上げるような長身の美青年に育っていた。
赤髪の青年――ギル。 鍛え抜かれた肉体に、野性味溢れる整った顔立ち。 魔界軍総司令官として、すでに数々の武功を上げている彼は、動くたびに女性兵士たちが失神すると噂の『魔界一の抱かれたい男』だ。
銀髪の青年――ルウ。 知的で冷ややかな美貌に、細身の身体。 宰相補佐兼宮廷魔導師長として、国の頭脳を担う彼は、その冷徹な眼差しで「踏まれたい」と願うマニアックなファン層を持つ『魔界一の氷の貴公子』だ。
「二人とも、正装が似合っているわね」
私が褒めると、二人は子供の頃と変わらない無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。
「へへっ、母上のために着飾ったんだからね!」 「このタキシードの繊維には、対物理・対魔法障壁が仕込んであります。万が一、不届き者が母上に触れようとしたら、自動的に電流が流れます」
「ルウ君、結婚式に電流は必要ありません」
私が窘めると、ルウは「ちぇっ」と舌打ちをした。 相変わらず過保護だ。 彼らは私のことを『先生』ではなく、いつからか『母上』と呼ぶようになった。 最初は照れくさかったが、今ではそれが一番しっくりくる。
「それにしても父上、本当に母上と結婚する気? まだ早くない?」
ギルがゼスト様を睨む。 「俺としては、あと百年くらい母上を独占していたかったんだけど」
「同意です。父上は母上の可愛さを理解していますが、管理能力には疑問が残ります。ここは僕たちが共同で母上を保護し、愛でるべきでは?」
ルウも真顔で提案する。 この親子喧嘩も、日常茶飯事だ。
「黙れ、ガキども。……アリアは俺の妻になる。これは決定事項だ」
ゼスト様が威厳たっぷりに宣言すると、双子は不満そうに、しかしどこか嬉しそうに肩をすくめた。 彼らもわかっているのだ。 私が一番幸せになれる形が、これなのだと。
◇
結婚式の会場は、城の中庭だった。 かつてギルが暴れて破壊し、私が草むしりをさせたあの日から、随分と様変わりした。 美しい花々が咲き乱れ、中央にはクリスタルの祭壇が設けられている。
招待客は、城の住人だけでなく、魔都の市民、そしてかつての教え子たち(魔王軍の兵士)など、数千人に及んだ。 さらに、空にはエンシェント・ドラゴンのポチが、おめかし用の巨大な蝶ネクタイをつけて旋回し、花びらを撒いている。
トランペット(魔獣の角笛)が高らかに鳴り響く。 私はゼスト様と腕を組み、バージンロードを歩き出した。
歓声が上がる。 「おめでとう!」「アリア様万歳!」「魔王陛下万歳!」 温かい拍手と、祝福の言葉。
最前列には、涙で眼鏡を曇らせたヴァルゴ様や、号泣しているガルド兵士長たちの姿が見える。 そして、少し離れた席には、懐かしい顔もあった。 セシルだ。 彼女は今、ルーンバルド自治区の宰相として立派に国を治めているが、今日は私のために駆けつけてくれたのだ。
目が合うと、セシルは深く頭を下げ、口パクで「おめでとうございます」と言ってくれた。 私も笑顔で頷き返す。 彼女からの手紙によれば、王国は今、慎ましくも平和な農業国家として安定しているらしい。 かつてのカイル王子と聖女ミナは、地下施設での「療養」を経て、現在は農場の住み込み従業員として働いているそうだ。 過去の記憶はあやふやだが、土に触れる喜びに目覚め、毎日芋掘りに精を出しているという。 それが彼らにとっての、一番幸せな結末だったのかもしれない。
祭壇の前まで進むと、司祭役の長老魔族が待っていた。
「汝、魔王ゼスト。アリアを妻とし、その命尽きるまで、いいや、魂が消滅した後も永遠に愛し、守り抜くことを誓うか?」
「誓う。……世界が何度滅びようとも、俺はこの女を離さない」
ゼスト様の力強い言葉に、会場中が「ヒュー!」と盛り上がる。
「汝、アリア。ゼストを夫とし、その強大な力を受け止め、時に手綱を握り、共に歩むことを誓うか?」
「はい、誓います。……彼が暴走しそうになったら、私が止めますから」
私が答えると、ドッと笑いが起きた。 そう、これこそが私たちの関係だ。 恐怖で支配するのではなく、信頼と笑顔で繋がった関係。
「では、誓いの口付けを」
ゼスト様がベールを上げる。 その瞳に、私の姿が映っている。 幸せそうな、泣き出しそうな私の顔。
「……愛している、アリア」
「私もです、ゼスト様」
唇が重なる。 その瞬間、空に魔法の花火が打ち上がり、ドラゴンのポチが咆哮を上げ、双子が「うおおおお! 母上ぇぇぇ!」と号泣しながら抱き合っているのが気配でわかった。 なんて騒がしくて、愛おしい結婚式だろう。
◇
式が終わると、盛大な披露宴が始まった。 私は高砂席に座り、次々と挨拶に来る人々に応対していた。
「母上、これ食べて」
ギルが山盛りの肉料理を持ってくる。
「兄さん、母上のドレスが汚れるだろ。一口サイズに切ってからにしなさい」
ルウがナイフで器用に肉を切り分け、「はい、あーん」と差し出してくる。
「も、もう子供じゃないんだから……」
私が赤くなりながら口を開けると、二人は満足げに微笑んだ。
「母上はいつまで経っても、僕たちの大切な先生だよ」 「ああ。誰にも渡したくないくらいにな」
二人の瞳には、深い愛情と、そして微かな独占欲が見える。 彼らは成長した。 強くなり、賢くなった。 でも、根底にある「私への執着」は変わっていない。 ……いいえ、むしろ悪化しているかもしれない。
先日も、隣国の王子が私に謁見を求めてきた際、ギルが「母上に近づく虫は消毒だ」と言って隕石魔法を落としかけ、ルウが「外交的配慮が必要だよ、兄さん」と止めつつ、「精神崩壊魔法で廃人にして送り返そう」と提案していたのを、私は必死で止めたばかりだ。
「あなたたち、あまりお父様を困らせないでね」
「わかってるよ。父上は母上の正夫(メイン夫)だからね。敬意は払うよ」
「……正夫って何ですか、ルウ君。夫は一人です」
「えー? 魔界の法律変えちゃおうかなー」
ルウが不穏なことを呟いているが、聞かなかったことにしよう。
宴もたけなわとなり、私はバルコニーに出て夜風に当たった。 二つの月が綺麗だ。 五年前、あの日『死の森』でゼスト様に出会わなければ、私は今頃どうなっていたのだろう。 野たれ死んでいたか、あるいは復讐鬼になっていたか。
でも、運命は私をここへ導いてくれた。 「人間は怖い生き物だ」と教えるつもりが、いつの間にか「魔族は温かい生き物だ」と教えられていたのは、私の方だったのかもしれない。
「……何を考えている?」
ゼスト様が後ろから抱きしめてくる。
「昔のことを、少し。……私、今が一番幸せです」
「そうか。……俺もだ」
ゼスト様が私の首筋にキスを落とす。
「アリア。これからは、もっと忙しくなるぞ」
「え?」
「女王の仕事もそうだが……。そろそろ、ギルとルウに『弟か妹』を作ってやらんとな」
私はボンッ! と音がするほど顔を赤くした。
「な、ななな何を仰るのですか! 子供たちはもう大きいですし……!」
「あいつらも熱望していたぞ。『母上の分身なら、全力で可愛がる』とな」
あの二人なら言いそうだ。 そして、生まれた子がもし女の子なら、世界一過保護な兄たちになることは確定している。 男の子なら、最強のスパルタ教育が待っているだろう。 ……どちらにしても、平和な未来はなさそうだ。
「ふふ……。望むところです」
私はゼスト様の方を向き、背伸びをしてキスをした。
「覚悟してくださいね、魔王様。私、教育には厳しいですから」
「ハハハ! お手柔らかに頼むよ、先生」
バルコニーの下では、ギルとルウが私たちを見上げて手を振っている。 その周りには、ヴァルゴ様やセシル、兵士たちが笑顔で乾杯している。
人間界では「悪役令嬢」と呼ばれ、居場所を失った私。 でもここでは、「魔界のママ」として、「最愛の王妃」として、こんなにも愛されている。
人間は怖い生き物かもしれない。 裏切り、傷つけ合うこともある。 けれど。 家族は、こんなにも温かい。 種族が違っても、生まれが違っても、心を通わせれば、そこは温かい「家」になる。
私は満面の笑みで、愛する家族たちに応えた。
「みんな、大好きよ!!」
私の声は、夜空に吸い込まれ、星となって輝いた。 魔界の歴史に刻まれる、アリア・ローズベリーの物語。 それは、「めでたしめでたし」のその先まで、永遠に続いていく幸せの物語だった。
【完】
魔界の首都、魔都パンデモニウム。 かつては黒曜石の冷たい城塞都市だったこの場所は、今や大陸で最も美しく、そして最も進んだ文明を誇る「夢の都」へと変貌を遂げていた。
街路樹には常夜灯代わりの発光植物が植えられ、夜でも柔らかな光が溢れている。 通りには、魔導機関車が音もなく走り、空には輸送用のワイバーン便が飛び交う。 商店街には、人間界の食文化を取り入れたカフェやレストランが立ち並び、最新の魔導具を求めて地方から観光客が押し寄せている。
この劇的な発展の裏には、一人の人間の女性の尽力があったとされている。 ……まあ、私のことなのだが。
「アリア様! アリア様! 大変です!」
私は城の温室で、品種改良した『甘くないマンドラゴラ(悲鳴を上げない)』の世話をしていたのだが、そこへメイド長のサーラが血相を変えて飛び込んできた。
「どうしました、サーラ。またギル君がどこかの山を吹き飛ばしましたか? それともルウ君が新しい税制システムでヴァルゴ様を泣かせましたか?」
私は手袋を外し、慣れた様子で尋ねた。 この五年間、そんなトラブルは日常茶飯事だ。
「いいえ、違います! ドレスです! 式典用のドレスの最終フィッティングのお時間です! ゼスト陛下が『アリアを待たせるな』と、仕立て屋たちを氷漬けにする5秒前です!」
「あら、もうそんな時間?」
私は慌てて立ち上がった。 今日は、私にとって……いいえ、この魔界全体にとって、歴史的な一日となるはずの日だった。
◇
着替えを済ませ、私が向かったのは『鏡の間』だ。 そこには、五年前よりもさらに渋みを増し、色気が致死量に達している魔王ゼスト様が腕組みをして待っていた。
「……遅いぞ、アリア」
彼は不機嫌そうに言ったが、私を見た瞬間、その目が大きく見開かれた。
「……どう、でしょうか?」
私は恥ずかしさを堪えて、その場でくるりと回ってみせた。 身に纏っているのは、純白のウェディングドレスだ。 ただし、ただのドレスではない。 魔界の最高素材『天界の繭』から紡がれた糸で織られ、無数の宝石と防御魔法が編み込まれた、国宝級の代物だ。 デザインは、私がかつて描いたラフ画を元に、ルウ君が立体設計し、ギル君が素材を狩ってきてくれたものだ。
「……美しい」
ゼスト様がため息をつくように漏らした。 彼はゆっくりと歩み寄り、私の手を取った。
「五年前、お前を連れ帰った時も思ったが……今の輝きは、あの頃とは比べ物にならん」
「それは、あなたが大切にしてくれたからです」
私は微笑んだ。 この五年間、彼は約束通り、私を何一つ不自由させることなく、溺愛し続けてくれた。 時に過保護すぎて「外出禁止令」が出そうになったり、「他の男と会話禁止令」が審議されたりもしたが、それも愛ゆえのこと。
「今日は、私たちの結婚式ですね」
「ああ。……長かった。お前が『子供たちの教育が終わるまでは』とか、『魔界の義務教育制度が整うまでは』とか言って、先延ばしにするからだ」
ゼスト様が恨めしげに言う。 確かに、私は結婚を先延ばしにしていた。 家庭教師としての責任感と、王妃になるというプレッシャーの間で揺れていたからだ。 でも、もう逃げない。 この場所が、私の終の住処だと決めたから。
バンッ! その時、扉が勢いよく開かれた。
「母上ー! 綺麗だよー!」 「母上、最高です。計算値を遥かに超える美しさです」
入ってきたのは、二人の青年だった。 かつては可愛らしい少年だった双子の皇子たちも、今では十五歳。 魔族の成長は早い。彼らはすっかり、見上げるような長身の美青年に育っていた。
赤髪の青年――ギル。 鍛え抜かれた肉体に、野性味溢れる整った顔立ち。 魔界軍総司令官として、すでに数々の武功を上げている彼は、動くたびに女性兵士たちが失神すると噂の『魔界一の抱かれたい男』だ。
銀髪の青年――ルウ。 知的で冷ややかな美貌に、細身の身体。 宰相補佐兼宮廷魔導師長として、国の頭脳を担う彼は、その冷徹な眼差しで「踏まれたい」と願うマニアックなファン層を持つ『魔界一の氷の貴公子』だ。
「二人とも、正装が似合っているわね」
私が褒めると、二人は子供の頃と変わらない無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。
「へへっ、母上のために着飾ったんだからね!」 「このタキシードの繊維には、対物理・対魔法障壁が仕込んであります。万が一、不届き者が母上に触れようとしたら、自動的に電流が流れます」
「ルウ君、結婚式に電流は必要ありません」
私が窘めると、ルウは「ちぇっ」と舌打ちをした。 相変わらず過保護だ。 彼らは私のことを『先生』ではなく、いつからか『母上』と呼ぶようになった。 最初は照れくさかったが、今ではそれが一番しっくりくる。
「それにしても父上、本当に母上と結婚する気? まだ早くない?」
ギルがゼスト様を睨む。 「俺としては、あと百年くらい母上を独占していたかったんだけど」
「同意です。父上は母上の可愛さを理解していますが、管理能力には疑問が残ります。ここは僕たちが共同で母上を保護し、愛でるべきでは?」
ルウも真顔で提案する。 この親子喧嘩も、日常茶飯事だ。
「黙れ、ガキども。……アリアは俺の妻になる。これは決定事項だ」
ゼスト様が威厳たっぷりに宣言すると、双子は不満そうに、しかしどこか嬉しそうに肩をすくめた。 彼らもわかっているのだ。 私が一番幸せになれる形が、これなのだと。
◇
結婚式の会場は、城の中庭だった。 かつてギルが暴れて破壊し、私が草むしりをさせたあの日から、随分と様変わりした。 美しい花々が咲き乱れ、中央にはクリスタルの祭壇が設けられている。
招待客は、城の住人だけでなく、魔都の市民、そしてかつての教え子たち(魔王軍の兵士)など、数千人に及んだ。 さらに、空にはエンシェント・ドラゴンのポチが、おめかし用の巨大な蝶ネクタイをつけて旋回し、花びらを撒いている。
トランペット(魔獣の角笛)が高らかに鳴り響く。 私はゼスト様と腕を組み、バージンロードを歩き出した。
歓声が上がる。 「おめでとう!」「アリア様万歳!」「魔王陛下万歳!」 温かい拍手と、祝福の言葉。
最前列には、涙で眼鏡を曇らせたヴァルゴ様や、号泣しているガルド兵士長たちの姿が見える。 そして、少し離れた席には、懐かしい顔もあった。 セシルだ。 彼女は今、ルーンバルド自治区の宰相として立派に国を治めているが、今日は私のために駆けつけてくれたのだ。
目が合うと、セシルは深く頭を下げ、口パクで「おめでとうございます」と言ってくれた。 私も笑顔で頷き返す。 彼女からの手紙によれば、王国は今、慎ましくも平和な農業国家として安定しているらしい。 かつてのカイル王子と聖女ミナは、地下施設での「療養」を経て、現在は農場の住み込み従業員として働いているそうだ。 過去の記憶はあやふやだが、土に触れる喜びに目覚め、毎日芋掘りに精を出しているという。 それが彼らにとっての、一番幸せな結末だったのかもしれない。
祭壇の前まで進むと、司祭役の長老魔族が待っていた。
「汝、魔王ゼスト。アリアを妻とし、その命尽きるまで、いいや、魂が消滅した後も永遠に愛し、守り抜くことを誓うか?」
「誓う。……世界が何度滅びようとも、俺はこの女を離さない」
ゼスト様の力強い言葉に、会場中が「ヒュー!」と盛り上がる。
「汝、アリア。ゼストを夫とし、その強大な力を受け止め、時に手綱を握り、共に歩むことを誓うか?」
「はい、誓います。……彼が暴走しそうになったら、私が止めますから」
私が答えると、ドッと笑いが起きた。 そう、これこそが私たちの関係だ。 恐怖で支配するのではなく、信頼と笑顔で繋がった関係。
「では、誓いの口付けを」
ゼスト様がベールを上げる。 その瞳に、私の姿が映っている。 幸せそうな、泣き出しそうな私の顔。
「……愛している、アリア」
「私もです、ゼスト様」
唇が重なる。 その瞬間、空に魔法の花火が打ち上がり、ドラゴンのポチが咆哮を上げ、双子が「うおおおお! 母上ぇぇぇ!」と号泣しながら抱き合っているのが気配でわかった。 なんて騒がしくて、愛おしい結婚式だろう。
◇
式が終わると、盛大な披露宴が始まった。 私は高砂席に座り、次々と挨拶に来る人々に応対していた。
「母上、これ食べて」
ギルが山盛りの肉料理を持ってくる。
「兄さん、母上のドレスが汚れるだろ。一口サイズに切ってからにしなさい」
ルウがナイフで器用に肉を切り分け、「はい、あーん」と差し出してくる。
「も、もう子供じゃないんだから……」
私が赤くなりながら口を開けると、二人は満足げに微笑んだ。
「母上はいつまで経っても、僕たちの大切な先生だよ」 「ああ。誰にも渡したくないくらいにな」
二人の瞳には、深い愛情と、そして微かな独占欲が見える。 彼らは成長した。 強くなり、賢くなった。 でも、根底にある「私への執着」は変わっていない。 ……いいえ、むしろ悪化しているかもしれない。
先日も、隣国の王子が私に謁見を求めてきた際、ギルが「母上に近づく虫は消毒だ」と言って隕石魔法を落としかけ、ルウが「外交的配慮が必要だよ、兄さん」と止めつつ、「精神崩壊魔法で廃人にして送り返そう」と提案していたのを、私は必死で止めたばかりだ。
「あなたたち、あまりお父様を困らせないでね」
「わかってるよ。父上は母上の正夫(メイン夫)だからね。敬意は払うよ」
「……正夫って何ですか、ルウ君。夫は一人です」
「えー? 魔界の法律変えちゃおうかなー」
ルウが不穏なことを呟いているが、聞かなかったことにしよう。
宴もたけなわとなり、私はバルコニーに出て夜風に当たった。 二つの月が綺麗だ。 五年前、あの日『死の森』でゼスト様に出会わなければ、私は今頃どうなっていたのだろう。 野たれ死んでいたか、あるいは復讐鬼になっていたか。
でも、運命は私をここへ導いてくれた。 「人間は怖い生き物だ」と教えるつもりが、いつの間にか「魔族は温かい生き物だ」と教えられていたのは、私の方だったのかもしれない。
「……何を考えている?」
ゼスト様が後ろから抱きしめてくる。
「昔のことを、少し。……私、今が一番幸せです」
「そうか。……俺もだ」
ゼスト様が私の首筋にキスを落とす。
「アリア。これからは、もっと忙しくなるぞ」
「え?」
「女王の仕事もそうだが……。そろそろ、ギルとルウに『弟か妹』を作ってやらんとな」
私はボンッ! と音がするほど顔を赤くした。
「な、ななな何を仰るのですか! 子供たちはもう大きいですし……!」
「あいつらも熱望していたぞ。『母上の分身なら、全力で可愛がる』とな」
あの二人なら言いそうだ。 そして、生まれた子がもし女の子なら、世界一過保護な兄たちになることは確定している。 男の子なら、最強のスパルタ教育が待っているだろう。 ……どちらにしても、平和な未来はなさそうだ。
「ふふ……。望むところです」
私はゼスト様の方を向き、背伸びをしてキスをした。
「覚悟してくださいね、魔王様。私、教育には厳しいですから」
「ハハハ! お手柔らかに頼むよ、先生」
バルコニーの下では、ギルとルウが私たちを見上げて手を振っている。 その周りには、ヴァルゴ様やセシル、兵士たちが笑顔で乾杯している。
人間界では「悪役令嬢」と呼ばれ、居場所を失った私。 でもここでは、「魔界のママ」として、「最愛の王妃」として、こんなにも愛されている。
人間は怖い生き物かもしれない。 裏切り、傷つけ合うこともある。 けれど。 家族は、こんなにも温かい。 種族が違っても、生まれが違っても、心を通わせれば、そこは温かい「家」になる。
私は満面の笑みで、愛する家族たちに応えた。
「みんな、大好きよ!!」
私の声は、夜空に吸い込まれ、星となって輝いた。 魔界の歴史に刻まれる、アリア・ローズベリーの物語。 それは、「めでたしめでたし」のその先まで、永遠に続いていく幸せの物語だった。
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