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第五話:従者のご褒美と、次なる一手
自室に戻ると、私はようやくコルセットの紐を緩め、重いドレスを脱ぎ捨てた。 ああ、解放感……! 楽な部屋着(ネグリジェ)に着替えると、一気に疲れが押し寄せてくる。
(疲れた……。本当に疲れたわ)
恋愛ごっこに振り回されるのも、泣き落としの交渉も、私の専門外だ。 私は、数字と契約書と向き合っている方が、よほど性に合っている。
(でも、これでようやく邪魔者はいなくなった)
ヴィルフレッド様との婚約は、私にとって常に「リスク」だった。 いつ暴発するか分からない爆弾を抱えているようなもの。 それがようやく処理できたのだ。しかも、莫大(ばくだい)な利益(リターン)付きで。
コン、コン。
控えめなノックの音。 「お嬢様、アルブレヒトでございます」 「ええ、入って」
アルブレヒトが、銀のトレイに乗せたティーセットを持って入ってきた。 彼が淹れる紅茶は、公爵家のどの使用人よりも、私の好みに合っている。
「……お疲れのところを、失礼いたします」
彼は、完璧な所作で紅茶をカップに注ぎ、私の前に差し出した。 カップから立ち上る、アールグレイの芳醇(ほうじゅん)な香り。 私はそれを受け取り、一口含んだ。
(……美味しい)
緊張していた神経が、じんわりとほぐれていくのが分かる。
「アルブレヒト」 「はい」 「……よくやったわ。今日のあなたの仕事は、完璧だった」
私は、素直な賞賛を口にした。 彼がいなければ、今日の計画はここまでスムーズに進まなかっただろう。
アルブレヒトは、いつも通りの無表情で、静かに頭(こうべ)を垂れた。 「もったいないお言葉です。すべては、ユリアンナ様の完璧なご指示と計画の通りに動いただけですから」
(まったく、この従者は)
彼は決して、自分の功績を誇らない。 だが、私は知っている。私の大雑把な「こうしたい」という指示を、法的に、実務的に完璧な「計画」に落とし込んでいるのは、彼の手腕だ。
その時。 いつもは感情を見せないアルブレヒトの無表情が、ほんの、ほんの少しだけ。 口元が、わずかに緩んだ……ように見えた。
(……! 今、少し笑った……?)
私は、ドキリとした。 彼のこの、私にしか分からない(と、私が勝手に思っている)微細な変化。 これが見たくて、私はつい、彼に無理難題を押し付けてしまうのかもしれない。
(……いけない、いけない。顔が熱いわ)
私は、紅茶を飲むふりをして、顔の熱を隠した。
少し、気分を変えよう。 私は、わざと軽い口調で言った。 「そういえば、アルブレヒト。差し押さえたヴィルフレッド様の別荘。あれ、どうしましょうか」 「別荘、でございますか」 「ええ。あの人たちが密会に使っていたなんて、気持ちが悪いわ。いっそ取り壊して、馬小屋にでもしましょうか」
我ながら、性格が悪い提案だと思う。 だが、アルブレヒトは真顔で、真剣に答えた。
「なるほど。場所的にも、公爵家への飼料の備蓄庫として活用するのが最も効率的かと存じます」
「ふふっ……!」
思わず、笑いがこぼれた。真顔でそんなことを言うなんて。 「それもそうね。では、その方向で検討してちょうだい」 「承知いたしました」
笑ったおかげで、少し気分が晴れた。 私は、本題に入る。これが、私が本当にしたかったことだ。
「さて、アルブレヒト。手に入れたクレメント侯爵家の資産(これ)で、私たちの領地を豊かにするわよ」 「はい」 「まずは、あの寂れた東地区の商業開発からね。あの鉱山とギルド権を使えば、一気に……」
「お嬢様」
アルブレヒトが、私の言葉を遮った。 珍しいことだ。
「はっ。既に、買収した侯爵家の商業ギルド権を利用し、東地区開発の基礎計画案を作成済みです。こちらに」
彼が差し出したのは、分厚い書類の束。
(……は?)
私がいま、やろうと思っていたこと。 それを、彼はもう「作成済み」だというのか。
(有能すぎるのも、考えものね……。私のやることが無くなりそうだわ)
私が嬉しいような、少し悔しいような、複雑なため息をついた、その時。
アルブレヒトが、もう一つの封筒を差し出した。 その表情は、先ほどまでの穏やかさ(私にしか分からない)が消え、いつもの無表情……いや、それ以上に硬くなっている。
「お嬢様。……ひとつ、厄介なご報告がございます」
「厄介?」
「はい。王宮(・・)より、クレメント侯爵家の処遇について『ご意見』が届いております」
(疲れた……。本当に疲れたわ)
恋愛ごっこに振り回されるのも、泣き落としの交渉も、私の専門外だ。 私は、数字と契約書と向き合っている方が、よほど性に合っている。
(でも、これでようやく邪魔者はいなくなった)
ヴィルフレッド様との婚約は、私にとって常に「リスク」だった。 いつ暴発するか分からない爆弾を抱えているようなもの。 それがようやく処理できたのだ。しかも、莫大(ばくだい)な利益(リターン)付きで。
コン、コン。
控えめなノックの音。 「お嬢様、アルブレヒトでございます」 「ええ、入って」
アルブレヒトが、銀のトレイに乗せたティーセットを持って入ってきた。 彼が淹れる紅茶は、公爵家のどの使用人よりも、私の好みに合っている。
「……お疲れのところを、失礼いたします」
彼は、完璧な所作で紅茶をカップに注ぎ、私の前に差し出した。 カップから立ち上る、アールグレイの芳醇(ほうじゅん)な香り。 私はそれを受け取り、一口含んだ。
(……美味しい)
緊張していた神経が、じんわりとほぐれていくのが分かる。
「アルブレヒト」 「はい」 「……よくやったわ。今日のあなたの仕事は、完璧だった」
私は、素直な賞賛を口にした。 彼がいなければ、今日の計画はここまでスムーズに進まなかっただろう。
アルブレヒトは、いつも通りの無表情で、静かに頭(こうべ)を垂れた。 「もったいないお言葉です。すべては、ユリアンナ様の完璧なご指示と計画の通りに動いただけですから」
(まったく、この従者は)
彼は決して、自分の功績を誇らない。 だが、私は知っている。私の大雑把な「こうしたい」という指示を、法的に、実務的に完璧な「計画」に落とし込んでいるのは、彼の手腕だ。
その時。 いつもは感情を見せないアルブレヒトの無表情が、ほんの、ほんの少しだけ。 口元が、わずかに緩んだ……ように見えた。
(……! 今、少し笑った……?)
私は、ドキリとした。 彼のこの、私にしか分からない(と、私が勝手に思っている)微細な変化。 これが見たくて、私はつい、彼に無理難題を押し付けてしまうのかもしれない。
(……いけない、いけない。顔が熱いわ)
私は、紅茶を飲むふりをして、顔の熱を隠した。
少し、気分を変えよう。 私は、わざと軽い口調で言った。 「そういえば、アルブレヒト。差し押さえたヴィルフレッド様の別荘。あれ、どうしましょうか」 「別荘、でございますか」 「ええ。あの人たちが密会に使っていたなんて、気持ちが悪いわ。いっそ取り壊して、馬小屋にでもしましょうか」
我ながら、性格が悪い提案だと思う。 だが、アルブレヒトは真顔で、真剣に答えた。
「なるほど。場所的にも、公爵家への飼料の備蓄庫として活用するのが最も効率的かと存じます」
「ふふっ……!」
思わず、笑いがこぼれた。真顔でそんなことを言うなんて。 「それもそうね。では、その方向で検討してちょうだい」 「承知いたしました」
笑ったおかげで、少し気分が晴れた。 私は、本題に入る。これが、私が本当にしたかったことだ。
「さて、アルブレヒト。手に入れたクレメント侯爵家の資産(これ)で、私たちの領地を豊かにするわよ」 「はい」 「まずは、あの寂れた東地区の商業開発からね。あの鉱山とギルド権を使えば、一気に……」
「お嬢様」
アルブレヒトが、私の言葉を遮った。 珍しいことだ。
「はっ。既に、買収した侯爵家の商業ギルド権を利用し、東地区開発の基礎計画案を作成済みです。こちらに」
彼が差し出したのは、分厚い書類の束。
(……は?)
私がいま、やろうと思っていたこと。 それを、彼はもう「作成済み」だというのか。
(有能すぎるのも、考えものね……。私のやることが無くなりそうだわ)
私が嬉しいような、少し悔しいような、複雑なため息をついた、その時。
アルブレヒトが、もう一つの封筒を差し出した。 その表情は、先ほどまでの穏やかさ(私にしか分からない)が消え、いつもの無表情……いや、それ以上に硬くなっている。
「お嬢様。……ひとつ、厄介なご報告がございます」
「厄介?」
「はい。王宮(・・)より、クレメント侯爵家の処遇について『ご意見』が届いております」
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