婚約破棄?やったー!悪役令嬢の私は自由になったので全力で恋します!

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第五話 王太子、世論工作に失敗する

「……ひどい。これはひどいですわ」

王都の中央広場。 変装用の伊達メガネをかけた私は、群衆に紛れて『それ』を見上げていました。

噴水の前には特設ステージが組まれ、王家の紋章が入った垂れ幕が揺れています。 その壇上に立ち、身振り手振りを交えて熱弁を振るっているのは、私の元婚約者、レオンハルト王太子殿下でした。

「市民諸君! 聞いてくれ! 私は騙されていたのだ! あの悪逆非道な『黒薔薇の令嬢』、ルシエルに!」

殿下の悲痛な叫びが、広場に響き渡ります。 隣には、白いドレスを着たリリア男爵令嬢が、ハンカチで目元を拭いながら儚げに佇んでいました。

「彼女は、可憐なリリアの心を踏みにじり、あまつさえ私の愛を利用して国政を操ろうとした! これは断じて許されることではない! だが、正義は勝った! 私は真実の愛を見つけたのだ!」

わぁぁぁ……。 まばらな拍手が起こりますが、どちらかと言えば「王太子様がなんか言ってるから拍手しとくか」という程度の温度感です。

隣に立つ親友のアニエスが、呆れたように呟きました。

「……ねえ、ルシエル。あれ、本気でやってるのかしら?」

「ええ、大真面目よ。見て、あの陶酔しきった表情。自分が『悲劇のヒーロー』だと信じて疑っていない顔だわ」

私は露店で買った焼き菓子をかじりながら、冷静に批評しました。

「でも、脚本が三十点ね。『悪女のいじめ』エピソードが具体的じゃないもの。『教科書を隠した』とか『睨んだ』とか、王太子の演説にしてはスケールが小さすぎて、市民にはピンときてないわ」

「確かに。『国庫を横領した』くらいの嘘をつかないと、盛り上がらないわよね」

「そうそう。それに、私のことを『稀代の悪女』と言えば言うほど、そんな女と十年間も婚約していた殿下の『見る目のなさ』が露呈するって気づいてないのかしら」

私たちが呑気にダメ出しをしていると、壇上の殿下のボルテージが最高潮に達しました。 焦りを感じたのか、彼はついに禁断の一手を繰り出します。

「そ、それにだ! ルシエルは、金に汚い守銭奴でもある! 神聖な婚約破棄の場で、あろうことか『慰謝料をよこせ』と要求してきたのだ! 愛よりも金を優先するような女に、王妃の資格などない!」

おっと。 私の要求をバラしましたね?

周囲の群衆がざわめきます。 「慰謝料?」「王太子相手にか?」

私はニヤリと笑いました。 殿下、それは悪手です。 この王都の市民は、商人や職人が多い。彼らにとって『正当な対価を求めること』は、恥ずべきことではなく『当然の権利』なのですから。

案の定、群衆の中から声が上がりました。

「えっ、そりゃあ破棄されたら金くらいもらうだろ?」 「貴族の婚約って契約なんだろ? こっちで言う手付金倍返しみたいなもんだ」 「むしろ泣き寝入りしないなんて、しっかりした嬢ちゃんじゃねえか」

空気が変わりました。 殿下が期待していた「ルシエル叩き」ではなく、「王太子、ケチくさくないか?」という空気に。

殿下の顔が引きつります。

「な、何を言っている! 金だぞ!? 愛の話をしているのだ私は!」

「愛でパンは買えませんからねえ」

どこかのお婆さんが呟いた正論に、クスクスと笑いが起きます。

殿下が顔を真っ赤にして反論しようとした、その時でした。

「――おや。ここでは『愛』が通貨として流通しているのですか?」

涼やかで、しかし絶対零度の威圧感を持った声が、喧騒を切り裂きました。

群衆が割れます。 モーゼの海割りのように開いた道の先に立っていたのは、今日も今日とて完璧な着こなしの『氷の法務官』、ヴァレリウス様でした。

「ヴァ、ヴァレリウス!?」

殿下が裏返った声を上げます。

ヴァレリウス様は、片手に分厚い『王国法典』を携え、壇上の殿下を冷ややかに見上げました。

「公務の移動中に、耳障りな演説が聞こえましたので。……殿下。現在、係争中の案件について、一方的に虚偽の事実、および相手方の名誉を著しく毀損する内容を公衆に流布する行為は、法務手続きへの重大な妨害とみなされます」

「な、何を……! 私は事実を!」

「事実?」

ヴァレリウス様は法典をパラリと開き、まるで機械のように読み上げ始めました。

「王国刑法、第二百三十条。『名誉毀損』。公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、これを罰する。……ましてや、殿下は現在、証拠不十分な状態で婚約破棄を強行した『有責配偶者(仮)』です」

「有責……っ!」

「さらに、ルシエル嬢が慰謝料を請求した件ですが。これは契約法に基づいた正当な権利行使です。それを『金に汚い』と非難することは、王国の法制度そのものを否定する発言と受け取れますが……よろしいですか?」

「ぐぬぬ……!」

殿下は言葉に詰まりました。 論理と法律で武装したヴァレリウス様に、感情論で勝てるはずがありません。

ヴァレリウス様は眼鏡の位置を直し、とどめを刺すように言いました。

「なお、先ほどの発言はすべて記録官に記述させました。これらは後の慰謝料算定において、ルシエル嬢への『精神的苦痛の加算事由』として採用されます。……おめでとうございます、殿下。ご自身の演説で、支払額を自ら吊り上げられました」

ぶっ。 私は思わず吹き出してしまいました。 周囲の市民たちも、こらえきれずに笑い始めます。

「自ら吊り上げたってよ!」 「王太子様、商売下手だなあ!」 「法務官様、容赦ねえ!」

広場は爆笑の渦に包まれました。 殿下の顔は茹でダコのように赤くなり、リリア嬢は青ざめて震えています。 「こ、こんなはずでは……!」と捨て台詞を吐いて、二人は逃げるようにステージを降りました。

完全勝利です。 私は心の中でガッツポーズをしました。

ヴァレリウス様は群衆が落ち着くのを見届けると、ふと、私が隠れている方向へ視線を向けました。 変装しているはずなのに、その蒼穹の瞳とバチリと目が合います。

彼はほんの一瞬、口の端を緩めました。 そして、小さく頷いて去っていきました。

(……見つかってましたわ)

胸がトクンと鳴ります。 あの不器用な法務官様が、私を守るためにわざわざ介入してくれた。 そう思うと、どんな宝石をもらうよりも嬉しく感じてしまうのは、なぜでしょうか。

「ルシエル、顔が赤いわよ」

アニエスに突っつかれ、私は慌てて頬を叩きました。

「ひ、日差しのせいですわ! さあ、帰りましょう! 今日は美味しいお酒が飲めそうよ!」

私たちは意気揚々と屋敷に戻りました。 殿下の自滅と、ヴァレリウス様のファインプレー。 すべてが順風満帆に見えました。

しかし。 屋敷の門をくぐった瞬間、私は異変に気づきました。

使用人たちが、青い顔をして走り回っています。 そして、玄関ホールには、父であるレイヴンハート公爵が、一枚の書類を手に立ち尽くしていました。

「お父様? どうなさいましたの?」

父は私を見ると、苦渋に満ちた表情でその書類を差し出しました。 それは、神殿の紋章が押された、最高レベルの通達書でした。

「……ルシエル。神殿が、やってきたぞ」

私は書類を受け取り、目を通しました。 そこに書かれていたのは、法的な攻撃でも、社交界での嫌がらせでもありません。 もっと直接的で、もっと残酷な『暴力』でした。

『通達。レイヴンハート公爵領に対する、神殿からの“祝福”の供給を、本日正午をもって無期限停止とする』

「……なんですって?」

私の手から、書類が滑り落ちました。

この世界において、『祝福』とはすなわち『恵み』です。 作物の実り、水源の浄化、病の抑制。 それらはすべて、神殿から供給される魔力的な加護によって支えられています。 それを止められるということは、領地が干上がり、民が飢え、疫病が蔓延することを意味します。

「理由は……『誓印の不正所持に対する制裁』だと?」

ふざけています。 指輪を渡さないからといって、領民全員を人質に取るなんて。

「……お父様。領地の備蓄は?」

「三ヶ月は持つ。だが、水脈の浄化が止まれば、一ヶ月で井戸が枯れ始めるだろう」

父の声は震えていました。 王宮の法律が通用しない、神殿という聖域からの暴力。

私は震える拳を握りしめました。 怒りが、腹の底から湧き上がってきます。

殿下との婚約破棄は、笑い飛ばせました。 悪口を言われるのも、平気でした。 でも。

「私の大切な領民を巻き込むなんて……絶対に、許しませんわ」

私は顔を上げました。 そこにはもう、ただの『明るい元婚約者』の顔はありません。 公爵家の娘として、民を守る覚悟を決めた『女領主』の顔がありました。

「ミラ、馬車の用意を。行く場所は神殿ではありません」

「えっ? で、ではどちらへ?」

私はヴァレリウス様の顔を思い浮かべながら、キッパリと言い放ちました。

「王宮契約監査局よ。……神殿が『恵み』を止めるなら、私たちは『契約』でそれを奪い返します!」

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