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第九話 元婚約者、追い詰められて告白(っぽい)
「……これは、決まりだな」
王宮契約監査局の執務室に戻った私たちは、リリア嬢が燃やした帳簿の残骸――奇跡的に焼け残った革表紙の一部を、デスクの上に置きました。 そこには、はっきりと『貸出者:補佐官ゲオルグ』のサインが残っています。
ヴァレリウス様は、冷ややかな瞳でその証拠を見つめました。
「王太子の側近が神殿の帳簿を持ち出し、その直後に『聖女候補』がそれを燃やした。……状況証拠としては十分すぎるほど真っ黒だ」
「ええ。殿下とリリア様、そして神殿がグルになって、不正な『祝福の横流し』を隠蔽しようとした。この革切れは、その動かぬ証拠ですわ」
私は拳を握りしめました。 これで反撃できます。 領民を苦しめる『祝福停止』という卑劣な制裁を、契約と法で粉砕できるのです。
「よし。ただちにゲオルグ補佐官の身柄を確保し、司法取引を持ちかける。……彼が口を割れば、レオンハルト殿下もただでは済まない」
ヴァレリウス様が立ち上がり、憲兵隊への出動要請書を作成し始めました。 その背中は頼もしく、私はほっと息をつきました。
「では、私はお茶を淹れ直しますね。これから忙しくなりそうですから」
私は給湯室へと向かいました。 廊下に出ると、王宮の窓からは美しい夕焼けが見えました。 数日前までは、この夕焼けを見て「明日のご機嫌取りが憂鬱だわ」と溜息をついていたのが嘘のようです。今の私は、自分の意志で、自分の正義のために戦っている。 その充実感に、自然と足取りも軽くなります。
しかし。 その平和な時間は、角を曲がった先で唐突に終わりを告げました。
「……ルシエル」
聞き覚えのある、しかし以前とは比べ物にならないほど覇気のない声。 びくりとして顔を上げると、そこには私の元婚約者、レオンハルト王太子殿下が立っていました。
「殿下……? なぜ、このような場所に」
ここは監査局に近い、人通りの少ない裏廊下です。 殿下はいつもの煌びやかなオーラを失い、金髪もどこか乱れ、目の下には薄くクマができていました。 まるで、何日も眠れていないような憔悴ぶりです。
彼は私を見ると、縋るような目で近づいてきました。
「探していたのだ。……ルシエル、話がある」
「お断りします。私は業務中ですので」
私がすれ違おうとすると、彼は壁に手をつき、私の行く手を阻みました。 いわゆる『壁ドン』ですが、ときめきはゼロです。むしろ恐怖と呆れが半々です。
「待ってくれ! 頼む、五分だけでいい! ……もう、私の話を聞いてくれるのは、お前しかいないんだ」
殿下の声は震えていました。 私は仕方なく足を止め、距離を取りつつ彼を見据えました。
「……手短にお願いします。五分経ったら、ヴァレリウス様を呼びますので」
「くっ……あいつの名を出すな」
殿下は苦々しげに顔を歪めましたが、すぐに気を取り直したように、潤んだ瞳で私を見つめました。
「ルシエル。……正直に言おう。私は、間違っていたのかもしれない」
「はい?」
「リリアだ。あいつは……可愛いが、少々、感情的すぎる。昨日も『帳簿が燃えたのは神の怒りだ』などと訳のわからないことを叫んで……私の言うことを聞こうとしないのだ」
それはそうでしょう。 彼女は自分の悪事がバレそうになってパニックになっているのですから。
「それに比べて、お前は常に冷静だった。私の公務のスケジュールを管理し、完璧な書類を用意し、社交界での根回しも忘れない。……お前がいなくなって初めて気づいたのだ。私の生活が、いかに『お前という土台』の上に成り立っていたかを」
殿下は一歩、私に近づきました。
「世論も最悪だ。広場での演説も失敗し、神殿との関係も怪しまれている。……このままでは、私の王太子としての資質が問われることになる」
「それは、殿下がご自身で撒いた種ですわ」
「だからだ! だから、ルシエル!」
殿下は突然、私の両手を掴もうとしました。 私はさっと身を引いて回避します。 空振った彼の手が、虚しく空を掻きました。
「やり直そう、ルシエル! 今ならまだ間に合う!」
「……は?」
「私が特別に許可を出してやる! 婚約破棄を撤回し、再び私の婚約者に戻ることを許そう! そうすれば、お前の家の『祝福停止』も解除させてやるし、お前の悪評も私が消してやる! どうだ、悪い話ではないだろう!?」
殿下は必死の形相でまくし立てました。 彼の目には、確信がありました。 私が喜んでその手を取ると、本気で信じている目です。 『悪役令嬢』として虐げられてきた女が、王太子の慈悲によって救われる――そんなシナリオに酔っている目です。
私は、深い、深い溜息をつきました。
「……殿下。一つ、訂正させてください」
「ん? なんだ? 感謝の言葉か?」
「私の悪評を広めたのは殿下です。祝福を止めたのは殿下の仲間です。自分で火をつけておいて『消してやるから感謝しろ』というのは、放火魔の理屈ですわ」
「なっ……」
「それに、戻る? お断りですわ。私は今、人生で一番楽しいのです」
私はきっぱりと言い放ちました。 殿下の顔が、驚愕に引きつります。
「た、楽しいだと? 王太子の婚約者という地位を失ってか? 将来の王妃の座を捨ててか!?」
「ええ。地位も名誉も、自由の前では霞みますわ。私はもう、殿下の顔色を伺ってドレスを選ぶ必要もありませんし、リリア様の癇癪に付き合う義務もありません。……そして何より」
私は胸を張って、宣言しました。
「私は次の恋に進みますの。殿下のような『自分大好き人間』ではなく、もっと誠実で、理知的で、私との『契約』を何より大切にしてくれる方と、最高の恋愛をするつもりです!」
「つ、次の恋……!?」
殿下が愕然として後ずさりました。 プライドの塊である彼にとって、自分以外の男と比較され、しかも「あっちの方がいい」と言われるのは、最大の屈辱でしょう。
「だ、誰だ! 私より優れた男など、この国にいるわけがない! どこの馬の骨だ!」
「馬の骨ではありません。とっても素敵な、仕事のできる方ですわ!」
私が言い返した、その時です。
「……ほう。それは興味深い話だ」
背後から、絶対零度の冷気が漂ってきました。 殿下が「ひっ」と悲鳴を上げて飛び上がります。
振り返ると、いつの間にか廊下の角に、ヴァレリウス様が立っていました。 腕を組み、壁に寄りかかっていますが、その表情は能面の如く無表情。 けれど、その蒼穹の瞳の奥には、見たことのない昏い光が揺らめいていました。
「ヴァ、ヴァレリウス……いつからそこに……」
「『次の恋』の下りあたりからです」
彼は静かに、氷の上を滑るような足取りで近づいてきました。 そして、私と殿下の間に割って入ると、私を背に隠すようにして立ちました。
「レオンハルト殿下。私の部下に対して、執拗な復縁の強要……これは『ストーカー規制法』および『優越的地位の濫用』に抵触する恐れがあります」
「な、何を! 私はただ、彼女にチャンスを……」
「チャンス? ルシエル嬢はすでに『拒絶』の意思表示を明確に行いました。これ以上のアプローチは、ただのハラスメントです」
ヴァレリウス様の声は淡々としていましたが、その圧力は凄まじいものでした。 殿下は、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっています。
「それに、彼女は現在、最重要証人として私の『保護下』にあります。……彼女の精神衛生を乱す行為は、捜査妨害とみなします。お引き取りを」
「くっ……! 覚えておけ! 後悔するのはお前たちだ!」
殿下は捨て台詞を吐くと、逃げるように走り去っていきました。 二度目の敗走です。 ざまぁ、という言葉がぴったりな背中でした。
廊下に静寂が戻ります。 私はほっとして、ヴァレリウス様を見上げました。
「助かりました、ヴァレリウス様。お茶を淹れようと思ったら、捕まってしまって……」
「……無事で何よりだ」
彼はそう言いましたが、私の方を見ようとしません。 視線は明後日の方向を向いています。 そして、いつもより少し、声が低い気がしました。
「あ、あの……?」
「……ルシエル嬢」
「はい」
「先ほど、言っていたな。『次の恋』と」
ドキリとしました。 あれは殿下を追い払うための勢い半分、本音半分でしたが、まさか彼に聞かれていたなんて。
「あ、あれは、その……売り言葉に買い言葉というか……」
「誠実で、理知的で、仕事のできる男……か」
ヴァレリウス様が、独り言のように呟きました。 そして、ゆっくりと私に向き直ります。 その瞳は、いつもの冷静な分析官の目ではなく、どこか焦燥に駆られたような、熱っぽい光を帯びていました。
彼は一歩、私に近づきました。 殿下の時とは違い、恐怖はありません。 ただ、心臓の音がうるさいほど高鳴ります。
「……その相手というのは、すでに特定されているのか?」
「えっ? と、特定といいますか……」
「君の恋愛感情が、その『誰か』に向いているなら……それは、私の計算外の変数だ」
彼の言っている意味がよく分かりません。 変数? 計算外?
ヴァレリウス様は、私の目を真っ直ぐに見つめ、大真面目な顔で、とんでもないことを宣言しました。
「ルシエル嬢。……君の恋愛対象について、詳細な監査が必要だ」
「は、はい!?」
「変な男に引っかかって、また法的トラブルに巻き込まれては困る。……よって、君の『次の恋』は、私が個人的に……いや、職務権限において、厳重に監視させてもらう」
「か、監視!?」
「そうだ。誰と会い、誰と手紙を交わし、誰に心をときめかせているのか。……すべて報告するように」
彼はそう言い切ると、耳まで真っ赤にして、ぷいと顔を背けました。
「い、以上だ! 仕事に戻るぞ!」
早足で歩き出す彼の背中を見送りながら、私は呆然と立ち尽くしました。 今のって、もしかして。 もしかしなくても。
(……嫉妬、ですの?)
『氷の法務官』と呼ばれる彼が、私の見知らぬ『次の相手』にヤキモチを焼いて、職権乱用ギリギリの『恋愛監査』を宣言した。
その事実に気づいた瞬間。 私の顔は、夕焼けよりも赤く染まりました。
「……もう。本当に、不器用な方ですわ」
私は熱い頬を両手で包みながら、彼の背中を追いかけました。 どうやら私の『次の恋』は、もう始まっているのかもしれません。 しかも、一番攻略が難しそうな相手と。
王宮契約監査局の執務室に戻った私たちは、リリア嬢が燃やした帳簿の残骸――奇跡的に焼け残った革表紙の一部を、デスクの上に置きました。 そこには、はっきりと『貸出者:補佐官ゲオルグ』のサインが残っています。
ヴァレリウス様は、冷ややかな瞳でその証拠を見つめました。
「王太子の側近が神殿の帳簿を持ち出し、その直後に『聖女候補』がそれを燃やした。……状況証拠としては十分すぎるほど真っ黒だ」
「ええ。殿下とリリア様、そして神殿がグルになって、不正な『祝福の横流し』を隠蔽しようとした。この革切れは、その動かぬ証拠ですわ」
私は拳を握りしめました。 これで反撃できます。 領民を苦しめる『祝福停止』という卑劣な制裁を、契約と法で粉砕できるのです。
「よし。ただちにゲオルグ補佐官の身柄を確保し、司法取引を持ちかける。……彼が口を割れば、レオンハルト殿下もただでは済まない」
ヴァレリウス様が立ち上がり、憲兵隊への出動要請書を作成し始めました。 その背中は頼もしく、私はほっと息をつきました。
「では、私はお茶を淹れ直しますね。これから忙しくなりそうですから」
私は給湯室へと向かいました。 廊下に出ると、王宮の窓からは美しい夕焼けが見えました。 数日前までは、この夕焼けを見て「明日のご機嫌取りが憂鬱だわ」と溜息をついていたのが嘘のようです。今の私は、自分の意志で、自分の正義のために戦っている。 その充実感に、自然と足取りも軽くなります。
しかし。 その平和な時間は、角を曲がった先で唐突に終わりを告げました。
「……ルシエル」
聞き覚えのある、しかし以前とは比べ物にならないほど覇気のない声。 びくりとして顔を上げると、そこには私の元婚約者、レオンハルト王太子殿下が立っていました。
「殿下……? なぜ、このような場所に」
ここは監査局に近い、人通りの少ない裏廊下です。 殿下はいつもの煌びやかなオーラを失い、金髪もどこか乱れ、目の下には薄くクマができていました。 まるで、何日も眠れていないような憔悴ぶりです。
彼は私を見ると、縋るような目で近づいてきました。
「探していたのだ。……ルシエル、話がある」
「お断りします。私は業務中ですので」
私がすれ違おうとすると、彼は壁に手をつき、私の行く手を阻みました。 いわゆる『壁ドン』ですが、ときめきはゼロです。むしろ恐怖と呆れが半々です。
「待ってくれ! 頼む、五分だけでいい! ……もう、私の話を聞いてくれるのは、お前しかいないんだ」
殿下の声は震えていました。 私は仕方なく足を止め、距離を取りつつ彼を見据えました。
「……手短にお願いします。五分経ったら、ヴァレリウス様を呼びますので」
「くっ……あいつの名を出すな」
殿下は苦々しげに顔を歪めましたが、すぐに気を取り直したように、潤んだ瞳で私を見つめました。
「ルシエル。……正直に言おう。私は、間違っていたのかもしれない」
「はい?」
「リリアだ。あいつは……可愛いが、少々、感情的すぎる。昨日も『帳簿が燃えたのは神の怒りだ』などと訳のわからないことを叫んで……私の言うことを聞こうとしないのだ」
それはそうでしょう。 彼女は自分の悪事がバレそうになってパニックになっているのですから。
「それに比べて、お前は常に冷静だった。私の公務のスケジュールを管理し、完璧な書類を用意し、社交界での根回しも忘れない。……お前がいなくなって初めて気づいたのだ。私の生活が、いかに『お前という土台』の上に成り立っていたかを」
殿下は一歩、私に近づきました。
「世論も最悪だ。広場での演説も失敗し、神殿との関係も怪しまれている。……このままでは、私の王太子としての資質が問われることになる」
「それは、殿下がご自身で撒いた種ですわ」
「だからだ! だから、ルシエル!」
殿下は突然、私の両手を掴もうとしました。 私はさっと身を引いて回避します。 空振った彼の手が、虚しく空を掻きました。
「やり直そう、ルシエル! 今ならまだ間に合う!」
「……は?」
「私が特別に許可を出してやる! 婚約破棄を撤回し、再び私の婚約者に戻ることを許そう! そうすれば、お前の家の『祝福停止』も解除させてやるし、お前の悪評も私が消してやる! どうだ、悪い話ではないだろう!?」
殿下は必死の形相でまくし立てました。 彼の目には、確信がありました。 私が喜んでその手を取ると、本気で信じている目です。 『悪役令嬢』として虐げられてきた女が、王太子の慈悲によって救われる――そんなシナリオに酔っている目です。
私は、深い、深い溜息をつきました。
「……殿下。一つ、訂正させてください」
「ん? なんだ? 感謝の言葉か?」
「私の悪評を広めたのは殿下です。祝福を止めたのは殿下の仲間です。自分で火をつけておいて『消してやるから感謝しろ』というのは、放火魔の理屈ですわ」
「なっ……」
「それに、戻る? お断りですわ。私は今、人生で一番楽しいのです」
私はきっぱりと言い放ちました。 殿下の顔が、驚愕に引きつります。
「た、楽しいだと? 王太子の婚約者という地位を失ってか? 将来の王妃の座を捨ててか!?」
「ええ。地位も名誉も、自由の前では霞みますわ。私はもう、殿下の顔色を伺ってドレスを選ぶ必要もありませんし、リリア様の癇癪に付き合う義務もありません。……そして何より」
私は胸を張って、宣言しました。
「私は次の恋に進みますの。殿下のような『自分大好き人間』ではなく、もっと誠実で、理知的で、私との『契約』を何より大切にしてくれる方と、最高の恋愛をするつもりです!」
「つ、次の恋……!?」
殿下が愕然として後ずさりました。 プライドの塊である彼にとって、自分以外の男と比較され、しかも「あっちの方がいい」と言われるのは、最大の屈辱でしょう。
「だ、誰だ! 私より優れた男など、この国にいるわけがない! どこの馬の骨だ!」
「馬の骨ではありません。とっても素敵な、仕事のできる方ですわ!」
私が言い返した、その時です。
「……ほう。それは興味深い話だ」
背後から、絶対零度の冷気が漂ってきました。 殿下が「ひっ」と悲鳴を上げて飛び上がります。
振り返ると、いつの間にか廊下の角に、ヴァレリウス様が立っていました。 腕を組み、壁に寄りかかっていますが、その表情は能面の如く無表情。 けれど、その蒼穹の瞳の奥には、見たことのない昏い光が揺らめいていました。
「ヴァ、ヴァレリウス……いつからそこに……」
「『次の恋』の下りあたりからです」
彼は静かに、氷の上を滑るような足取りで近づいてきました。 そして、私と殿下の間に割って入ると、私を背に隠すようにして立ちました。
「レオンハルト殿下。私の部下に対して、執拗な復縁の強要……これは『ストーカー規制法』および『優越的地位の濫用』に抵触する恐れがあります」
「な、何を! 私はただ、彼女にチャンスを……」
「チャンス? ルシエル嬢はすでに『拒絶』の意思表示を明確に行いました。これ以上のアプローチは、ただのハラスメントです」
ヴァレリウス様の声は淡々としていましたが、その圧力は凄まじいものでした。 殿下は、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっています。
「それに、彼女は現在、最重要証人として私の『保護下』にあります。……彼女の精神衛生を乱す行為は、捜査妨害とみなします。お引き取りを」
「くっ……! 覚えておけ! 後悔するのはお前たちだ!」
殿下は捨て台詞を吐くと、逃げるように走り去っていきました。 二度目の敗走です。 ざまぁ、という言葉がぴったりな背中でした。
廊下に静寂が戻ります。 私はほっとして、ヴァレリウス様を見上げました。
「助かりました、ヴァレリウス様。お茶を淹れようと思ったら、捕まってしまって……」
「……無事で何よりだ」
彼はそう言いましたが、私の方を見ようとしません。 視線は明後日の方向を向いています。 そして、いつもより少し、声が低い気がしました。
「あ、あの……?」
「……ルシエル嬢」
「はい」
「先ほど、言っていたな。『次の恋』と」
ドキリとしました。 あれは殿下を追い払うための勢い半分、本音半分でしたが、まさか彼に聞かれていたなんて。
「あ、あれは、その……売り言葉に買い言葉というか……」
「誠実で、理知的で、仕事のできる男……か」
ヴァレリウス様が、独り言のように呟きました。 そして、ゆっくりと私に向き直ります。 その瞳は、いつもの冷静な分析官の目ではなく、どこか焦燥に駆られたような、熱っぽい光を帯びていました。
彼は一歩、私に近づきました。 殿下の時とは違い、恐怖はありません。 ただ、心臓の音がうるさいほど高鳴ります。
「……その相手というのは、すでに特定されているのか?」
「えっ? と、特定といいますか……」
「君の恋愛感情が、その『誰か』に向いているなら……それは、私の計算外の変数だ」
彼の言っている意味がよく分かりません。 変数? 計算外?
ヴァレリウス様は、私の目を真っ直ぐに見つめ、大真面目な顔で、とんでもないことを宣言しました。
「ルシエル嬢。……君の恋愛対象について、詳細な監査が必要だ」
「は、はい!?」
「変な男に引っかかって、また法的トラブルに巻き込まれては困る。……よって、君の『次の恋』は、私が個人的に……いや、職務権限において、厳重に監視させてもらう」
「か、監視!?」
「そうだ。誰と会い、誰と手紙を交わし、誰に心をときめかせているのか。……すべて報告するように」
彼はそう言い切ると、耳まで真っ赤にして、ぷいと顔を背けました。
「い、以上だ! 仕事に戻るぞ!」
早足で歩き出す彼の背中を見送りながら、私は呆然と立ち尽くしました。 今のって、もしかして。 もしかしなくても。
(……嫉妬、ですの?)
『氷の法務官』と呼ばれる彼が、私の見知らぬ『次の相手』にヤキモチを焼いて、職権乱用ギリギリの『恋愛監査』を宣言した。
その事実に気づいた瞬間。 私の顔は、夕焼けよりも赤く染まりました。
「……もう。本当に、不器用な方ですわ」
私は熱い頬を両手で包みながら、彼の背中を追いかけました。 どうやら私の『次の恋』は、もう始まっているのかもしれません。 しかも、一番攻略が難しそうな相手と。
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