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第19話 遅すぎる気づき
その夜、ヴィルレオは書斎の机に肘をついたまま、長いこと動けなかった。
机の上には開いたままの冊子がある。リュゼリアの細い筆跡で綴られた、屋敷の人員と癖と季節ごとの注意点、それから社交の綻びを未然に防ぐための、ごく短い覚え書き。その中に、自分の名前が当たり前のように混じっている。
『旦那様 北方帰り、朝の香草強すぎると食進まず』
『書斎夜更かし翌朝は甘味より塩気』
『王城泊まり続きの週は夕刻の来客一件減らす』
『雨前は左のこめかみ痛みやすい』
どれも些細なことだ。
些細すぎて、まともに取り上げるほどのことではない。彼自身も、誰かに説明を求められれば「どうでもいい」と一蹴しただろう程度のことばかりだった。
けれど、そういう些細なことが重なって、人は呼吸を楽にしたり、食を進めたり、苛立ちを抑えたりしながら日々をやり過ごしているのだと、ヴィルレオは今になって思い知らされていた。
これまで自分は、どれだけ“整えられた状態”に慣れきっていたのだろう。
夜更けに書斎の灯りが遅くまで消えない日でも、翌朝の茶は薄すぎず濃すぎず、胃へ重くない塩気のあるものが先に出た。北方から戻った夜は、好むとも口にしたことのない温かな汁物がひと皿増えた。雨の前には不思議と予定の詰め方が少し緩くなって、王城帰りで頭が鈍る週には、気づけば余計な来客がうまく外されていた。
偶然だと思っていた。
公爵家だからそうなのだと、屋敷が勝手にそういうふうに回るものなのだと、疑いもしなかった。
だが違った。
それは全部、あの女が見ていたからだ。
誰より早く、自分の小さな不調や機嫌の変化を拾い上げて、その場で手当てしていたからだ。
しかも、それを“世話”だと悟らせぬかたちで。
「……笑えないな」
誰に聞かせるでもなく、低く呟く。
書斎の静けさが、やけに硬かった。南の別邸の静けさとはまるで違う。あちらの静けさは風や湖や土が作る、生きたものの沈黙だった。こちらの静けさは、手を入れるべき者が抜け落ちたあとの、少しずつ息の浅くなっていく家の静けさだ。
燭台の火がひとつ、小さく揺れる。
ヴィルレオは冊子を閉じた。閉じても、細い筆跡は瞼の裏へ残ったままだった。
そのまま机の引き出しを開ける。リュゼリアが使っていた小さな執務机から移された覚え書きは、まだすべてを精査しきれていない。束ねた札。季節ごとの贈答記録。侍女の配置表。厨房の月ごとの仕入れ一覧。慈善会の寄付台帳。庭師の手入れ覚え書き。どれも一見すると整然としている。だが、細部まで目を通せば、そこにいちいちリュゼリアの手が入っているのがわかる。
たとえば、厨房の仕入れ。
冬の終わりから春先にかけて、体を温める根菜の量が少しだけ増え、その分だけ保存の利く菓子が減っている。王城勤めの従者たちが連日夜更けまで起きる週には、苦みのある茶葉と塩気の強い乾物が追加されている。逆に、舞踏会が続く季節には香りの強い菓子が増えるが、それも来客用と内々用とでわけられていた。
彼はそれを、料理長の采配だと思っていた。
違った。
仕入れの端には、ごく短い但し書きがいくつもある。
『旦那様、北方帰りの翌日は甘味少なめ』
『侍従たち王城続き。夜食は温かいもの』
『夜会週、奥方付きは立ち仕事多。翌朝の乳と果実増』
視線がそこで止まる。
奥方付きは立ち仕事多。
つまり、自分ではなく、彼女自身と、その周りまで見ていたのだ。
夜会の翌朝、自分はいつも通りの時間に起きて、用意された食卓に座り、必要な茶を飲み、必要な書類を受け取っていた。その間に、彼女は夜更けまで客を見送り、衣装を脱ぎ、ようやく眠りについたはずなのに、翌朝には自分だけでなく侍女たちの体まで気にしていたのか。
胃の奥が、鈍く捩れた。
ヴィルレオは引き出しを乱暴には閉じず、しかしすぐにもそこから離れたくなって立ち上がった。
書斎を出る。
廊下はもう夜更けで、燭台の火だけが長く床へ影を落としていた。誰もいないはずの時間なのに、気配だけは薄く残っている。遠くで夜番の侍女が扉を静かに閉める音。暖炉に薪を足す低い物音。屋敷は眠っているようでいて、完全には眠らない。
その眠らなさを、リュゼリアはきっと誰より知っていた。
歩くうち、足は自然と私室の奥へ向かっていた。リュゼリアの寝室。彼女が南へ発ってから、必要な確認のほかはほとんど入っていない部屋だ。扉の前で一瞬だけ迷う。だが、それもごく短いものだった。
ノックはしない。
もう、返事をする人はいない。
扉を開ける。
中は暗く、しかし整いすぎるほど整っていた。寝台の天蓋は真っ直ぐに落ち、鏡台の上には最小限の香水瓶と櫛が整然と並び、衣装部屋への扉もきっちり閉じられている。花はない。王都を発つ前、彼女が咲くところを見たかったと零した白薔薇は、温室で今ごろ半開きだ。
室内の空気は冷えすぎていなかった。誰かが火を入れ、毎日風を通し、寝具も埃ひとつ立てぬよう整えているのだろう。だが、どれほど整っていても、そこに人の体温がないという事実だけは隠せない。
ヴィルレオは寝台へ近づき、しばらく立ち尽くした。
この部屋では、どんな朝を迎えていたのだろう。
自分が起きるずっと前から、彼女は目を覚ましていたはずだ。体調が悪くても悪くなくても、食堂の時間に間に合うように、報告に目を通せるように。夜会の翌朝でも。雨の日でも。風邪を押してでも。自分の機嫌を損ねぬよう、客に失礼のないよう、屋敷が滞らぬように。
そのくせ彼女は、寝台で怠けることに罪悪感を抱いていた。
南の別邸で「何も急がなくていい朝」が落ち着かないと零した時の顔を思い出す。あれはただの感傷ではなかったのだ。あの女は本当に、長いあいだ何かに追われることでしか朝を迎えたことがなかったのだろう。
その追い立てていたものの一部に、自分がいた。
それを思うと、寝室の空気すら自分を責めているようで、ヴィルレオは低く息を吐いた。
ふと、鏡台の端に小さな箱が残っているのが目に入る。紺のベルベット。婚礼の指輪が入っていた箱だ。
南へ持っていかなかった。
あれは偶然ではない。リュゼリアは意志を持ってここへ置いていったのだ。婚礼の時、儀礼として指へ通され、その後はしまわれたままだった細い金の輪。それを持っていかないことが何を意味するか、彼女はよく理解していたはずだ。
ヴィルレオは箱へ手を伸ばし、すぐに止めた。
勝手に開ける気にはなれなかった。
そこへあるというだけで十分だった。彼女が、自分との婚姻の象徴を、最後まで身につけぬままここへ置いた。その事実が、もう十分すぎるほど重い。
寝室を出る。今度は食堂へ向かった。
◇
夜の食堂は、昼よりさらに広く感じられた。
燭台の火が長い卓へ複数の光を落としているのに、温度がない。リュゼリアがいなくなってから一度だけ、料理長は「旦那様がおひとりの時は内食堂でも」と遠回しに進言した。だがヴィルレオは首を縦に振らなかった。
ここから逃げるような気がしたからだ。
それでも今、卓の端へ立つと、逃げたくなる気持ちもまたわかる。
ひとりで食事をするための場所ではない。客を迎え、家格を示し、夫婦が並ぶべき場所だ。以前から会話は多くなかった。だが、それでも彼女が座るだけで、食卓はちゃんと“食卓”になっていたのだと、いまは嫌でもわかる。
給仕が今夜のスープを運んでくる。香りは控えめだ。料理長が朝の失敗を踏まえ、調整したのだろう。たしかに、ほんの少しだけ以前に近い。
ヴィルレオはスプーンを取る。
一口。
昨日よりましだ。香草も抑えられている。根菜の甘みも出ている。だが、それだけだった。食欲が戻るわけではない。うまく言えないが、食べることの輪郭がぼやけている。
南の別邸で、リュゼリアは言っていた。
ちゃんと食べている気がする、と。
王都では、食べることまで役目の一つみたいだった、と。
あの時、ヴィルレオはそれを聞いて初めて、自分が食卓をどういうものにしていたのか知った。リュゼリアは同じ場所にいながら、食事の味そのものではなく、速度や空気や沈黙に気を取られ続けていたのだ。
では自分はどうだったのか。
今ならわかる。彼もまた、食卓を“暮らし”ではなく“通過点”としてしか使ってこなかった。必要なだけ口にし、必要なだけ座り、終われば席を立つ。その快不快の調整まで彼女がしてくれていたから、自分はなおさら何も考えずに済んだ。
スープを置く。
ふと、卓上の花が目に入る。
今日は薄桃の花だ。香りは弱い。花丈も昨日よりは高い。だが、これも違うと一目でわかる。リュゼリアなら、この季節、この時間、この食堂にはまだ白か淡黄を選ぶ。桃色は暖かすぎる。夜の食卓には少し甘い。
「……料理長を」
給仕がすぐに頭を下げる。
数分後、大柄な料理長が食堂へ現れた。彼はすでに自分が何を問われるか半ば察している顔をしていた。
「花も、お前か」
「いえ……花については侍女頭でございます」
「そうか」
ヴィルレオは短く息を吐く。
「明日から、花は温室の白薔薇だけにしろ」
料理長が目を上げる。
「食堂へ、でございますか」
「ああ」
「承知いたしました」
なぜそう言ったのか、自分でもよくわからなかった。ただ、いまこの食堂に必要なのは、誰かが“よかれと思って”選んだ色ではなく、彼女が見たかったと零したあの白だと、直感のように思ったのだ。
料理長が去ったあと、ヴィルレオはようやく二口目のスープを飲んだ。
それでも味は戻らない。
ただ前より正確になっただけだ。
◇
翌朝、さらに決定的なことが起きた。
王城からの早馬が日の出前に到着し、北方の急ぎの案件が一つ入り込んだのだ。クラウスが書斎へ駆け込み、執務の順番を組み替える必要があると伝える。以前なら、こういう時も屋敷の中は驚くほど滑らかに動いていた。朝食の時間が少しずれ、来客の順が入れ替わり、王城への返書が先に用意され、それでも誰も慌てた顔を見せないまま、気づけば全体がぴたりと整っていた。
今朝は違った。
書類の束は揃う。馬の用意もされる。だが、どの来客を後ろへずらすか、そのずらした来客へどう伝えるか、食事をいつ入れるか、医師への時刻変更をどう回すか、それらが一度にいくつも滞った。
「待て」
ヴィルレオが低く言う。
「午前の来客は誰だった」
「西区の監査官と、ラングベルト伯爵家からの使者、それに」
「監査官を後ろへ回せ。ラングベルト伯は午前のほうがいい」
「ですが、監査官の馬車はすでに」
「なら控え室へ通せ。茶だけ出せ。使者は応接間へ先に」
自分で指示しながら、以前はこれを誰がやっていたのかと気づく。
リュゼリアだ。
公爵の執務そのものではなく、その周辺を滑らかに通すための采配。どの客なら少し待たせても表立って不機嫌にならず、どの家はむしろ先に通すべきか。どの茶を出せば場が持ち、どの菓子なら「丁重に扱われている」と感じるか。そういうことを、彼女は日常として処理していた。
「旦那様、朝食は」
給仕役が恐る恐る声をかける。
ヴィルレオは一瞬だけ答えに詰まる。
以前なら、ここでリュゼリアがもう別の形を整えていたのだろう。王城の急報が入った朝は、片手でつまめる塩気のあるものと薄い茶を小卓へ運ばせる。あるいは、移動の馬車に積ませる。だが今、その判断は誰にも降りていない。
「パンと茶を執務室へ」
とっさに言う。
「香草のないものだ」
「かしこまりました」
給仕が去る。
その後ろ姿を見送りながら、ヴィルレオは無意識に机の端を強く握っていた。
屋敷が回っていたのは、リュゼリアのおかげだった。
昨日帳簿や人員配置を見て理解したばかりのはずなのに、今朝の混乱はその事実をさらに別の角度から叩きつけてくる。
彼女が整えていたのは、単なる家事ではない。
この巨大な家が、公爵の執務と王都の社交と使用人たちの生活とを、無理なくひとつに繋げておくための緩衝材だったのだ。
だから彼は、自分が大公爵として思うままに働けているように錯覚していた。
違う。
彼女が、見えぬところで一つずつ角を削り、滑らかに流れるよう調整していたからこそ、自分は余計な摩擦を感じずに済んでいたのだ。
その現実に、ようやく真正面から向き合わされる。
あまりにも遅い。
遅すぎて、笑えもしない。
◇
午前の騒ぎが一段落したあと、ヴィルレオは南の別邸へ送る書状を書くため、ペンを取った。
昨夜も短いものは送った。だが、それはただの確認だった。今日こそ、もう少し違うことを書けるかもしれないと思ったのだ。
便箋を前にして、しばらく手が止まる。
何を書けばいい。
屋敷の花の丈が違ったことか。食卓の香草が多すぎたことか。夜番の侍女の配置が狂ったことか。北方の急報ひとつですべてがぎくしゃくしたことか。
そんなものを、どう伝える。
結局、それは全部同じ意味を指してしまう。
お前がいないと、この屋敷はこんなにも下手にしか回らないのだと。
それを書いてどうする。彼女を引き戻したいのか。罪悪感を与えたいのか。違う。そうではない。だが、なら何がしたいのかと言われても、まだ答えはない。
ヴィルレオは眉間を押さえ、ひとつ深く息を吐いた。
そして、思い切るように書き始める。
『本日、王都では朝から急報が入り、屋敷内も少し慌ただしかった。帳簿、人員、社交の札を見返し、お前がどれだけ多くのことを整えていたか、いまになって知った。』
そこまで書いて、ペン先が止まる。
紙に落ちたインクが小さく滲む。
どれだけ多くのことを整えていたか、いまになって知った。
その一文は真実だ。だが真実であるぶん、重い。彼女はそれを読んでどう思うだろう。遅すぎると、笑うだろうか。あるいは、そんなことはいまさら知っても意味がないと、静かに目を伏せるだろうか。
しばらく迷い、結局ヴィルレオはその行を消さなかった。
続けて書く。
『北方の急ぎで午前の予定が崩れたが、お前ならどう整えたかと、何度も考えた。』
『南では、お前が少しでも息をしやすくしているなら、それが何よりだ。』
『こちらのことは気にするな、と言うべきなのだろうが、嘘になる。お前がいないことを、屋敷のどこを見ても思い知る。』
そこまで書いたところで、ヴィルレオは自分でも驚くほど長く息を止めていたことに気づく。
嘘になる。
その通りだった。本当は「気にするな」と書くべきなのだろう。療養へ出た妻へ、王都のことは任せて休めと。それが正しい。だがもう、そういう正しさだけで書きたくなかった。
少なくとも一度くらいは、自分の見ている現実を、そのまま彼女へ差し出してもいいのではないかと思ったのだ。
紙を置き、読み返す。
不格好な文面だった。愛しているとも、必要だとも、後悔しているとも書いていない。だが、そのどれよりも裸の事実だけはそこにある。
お前がいないことを、屋敷のどこを見ても思い知る。
それが遅すぎる告白の一つなのだと、ヴィルレオはようやく認めた。
封をし、クラウスを呼んでそれを託す。
「今日中に出せ」
「かしこまりました」
クラウスが下がったあと、ヴィルレオはしばらく机に手をついたまま立っていた。
遅すぎる。
何もかも。
けれど遅すぎると知ったところからしか、人は始められないのかもしれない。
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