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第7話 行き先は、水篝館
駅へ向かう道は、思っていたより明るかった。
家を出た時にはまだ喉の奥に冷たいものが残っていて、足元も少しだけ浮いているような心許なさがあったのに、門を離れ、通りへ出て、最寄り駅へ向かう道をまっすぐ歩き始めると、春の陽射しが肩や髪に落ちてくる。空は高く、昨日までの雨をすっかり洗い流したような青さだった。風はまだ少し冷たいが、刺すようではない。頬を撫でるたび、かえって頭の中が冴えていく。
キャリーケースの小さな車輪が、舗装の継ぎ目を越えるたびにこつり、こつりと鳴った。
その音が、澄乃にはひどく現実的に聞こえた。
自分は本当に家を出たのだ。
さっきまで暮らしていた場所から、もう背を向けているのだ。
誰かに追い出されたわけではなく、自分の足で歩いている。そこにあるのは確かなはずなのに、しばらくはその実感が感情より少し遅れてついてくる。胸が痛むより先に、歩く速度や荷物の重さや、信号の色や、駅までの距離のほうがはっきりしていた。
通りの角にある花屋の前を通ると、店先へ並べられた春の花が目に入った。ラナンキュラス、スイートピー、薄い紫のストック。水を吸い上げた花弁は朝の光を受けてやわらかく透けている。店員がホースで水を撒いたばかりなのか、地面は少し濡れていて、空気にひんやりした青い匂いが混じっていた。
この時間の町は、まだ完全には喧騒へ傾いていない。通勤のピークを少し過ぎて、通りには急ぐ人と遅い人が混ざっている。スーツ姿の男、買い物帰りらしい年配の女、保育園へ向かう親子。誰も、澄乃の顔を見ない。誰も、自分がいま結婚生活を終わらせて駅へ向かっていることなど知らない。
それが少しだけ救いだった。
知られないまま歩けることが。
説明しなくていいことが。
駅の階段を下りると、ひやりとした地下の空気が身体を包んだ。ホームへ吹き込む風には、鉄と油とコンクリートの匂いが混じっている。改札前の電子音、遠くの車内アナウンス、発車ベルの旋律。澄乃は久しぶりに、一人で切符を選ぶような気持ちになった。実際にはICカードを使うだけなのに、行き先を自分で決めて、そこへ自分のために向かうというだけで、こんなにも手つきがぎこちなくなるのかと思う。
ホームの端に立って、路線図を見上げる。
水篝館へ向かうには、途中で二度乗り換えが必要だった。都心を抜け、郊外へ出て、さらにローカル線へ乗り継ぐ。電車の本数は多くない。以前、祖母の療養に付き添って通った頃は、その接続時間まで身体で覚えていた。けれどいまはもう曖昧だ。何年も来ていなかったのだから当然だった。
澄乃はスマートフォンを取り出し、時刻を確認した。指先が少し乾いている。画面の中で文字が整然と並んでいるのを見ると、妙に安心した。
行き先は、もう決まっている。
あてもなくさまようのではない。
そのことだけが、心のどこかをまっすぐに支えていた。
水篝館。
その名前を頭の中でそっと呼ぶと、不思議なくらい懐かしい匂いまで一緒に蘇る。川の水の匂い。濡れた木の匂い。古い畳。朝いちばんの湯気。障子越しの光。祖母があの場所で見せた、少しだけ柔らかい顔。
澄乃の祖母は、晩年の短い期間を温泉地で過ごした。
大病というほどではなかったが、寒い季節になると身体の痛みが強くなり、医師の勧めでしばらく療養を兼ねて湯治に出たのだ。その行き先として知人に紹介されたのが、水篝館だった。派手さはないが静かで、食事がやさしく、湯が柔らかい。何より、騒がしくない。祖母は最初、その「騒がしくない」という一点をひどく気に入った。
当時の澄乃は、まだ結婚前で、いまよりずっと身軽だった。仕事の合間を縫って祖母のもとへ通い、何度かまとまった滞在もした。そのうち、宿の人手が足りない時には少しだけ手伝うようにもなった。客室へお茶を運ぶ。廊下の花を整える。帳場の横で電話を取る。季節のしつらえを替える。大したことではない。だがあの頃の澄乃は、そういう細かな手伝いをする時間が好きだった。
誰かに当然と思われる前に、ありがとう、と言われたからかもしれない。
それとも、そこでは自分が「誰かの妻」でも「誰かの嫁」でもなく、ただ杠澄乃として立てたからかもしれない。
ホームへ電車が滑り込んでくる。風が足元のスカートを揺らす。銀色の車体が陽を反し、ブレーキの音が長く伸びた。
澄乃はキャリーケースを引いて乗り込んだ。
平日の昼前の車内は空いていた。窓際の二人掛けに座り、荷物を足元へ寄せる。座席の布地は少し擦り切れていて、触るとざらりとした感触があった。空調は穏やかで、外の風よりわずかに温かい。発車ベルが鳴り、ドアが閉まる。がくん、と小さく揺れて、電車が動き出した。
窓の外で、見慣れた駅前の景色がゆっくり後ろへ流れていく。
チェーンのカフェ、ドラッグストア、交差点、立体駐車場、細い裏道。何度も通った景色だ。けれどそれを「戻る場所」ではなく「離れていく場所」として見るのは初めてだった。胸が痛むだろうかと思ったが、実際には、少しだけ肩の力が抜けた。背中を押しつけていた見えない板が、ようやく外れていくような感覚があった。
電車は高架へ上がり、町を見下ろす位置へ出た。細かな屋根が並び、学校の校庭が見え、その向こうに少し霞んだビル群がある。春の日差しは透明で、遠くの輪郭まできれいに見える。ところどころ、桜の木がまだ淡い色を残している。
久世家から離れていく。
その事実はもちろんある。けれどいまの澄乃の心を占めているのは、それよりも、水篝館までの距離だった。何駅先で乗り換えるか。ローカル線の本数はどうか。タクシーを使うべきか、駅から歩けるか。そういうことを考えている自分に、ふと気づく。
ああ、自分は久しぶりに、自分のためだけの移動をしているのだ。
その気づきは、思っていたより深く胸へ落ちた。
結婚してからの移動は、ほとんどが誰かのためだった。義母の通院。義父の会食の手配。親族への挨拶。会社関係の贈答。昌親の都合に合わせた予定。自分一人で電車へ乗ることがなかったわけではない。買い物もあれば外商への確認もあった。だがそれらも結局は、家へ戻るため、誰かの望む形へ整えるための移動だった。
いま自分が乗っているこの電車は違う。
この先にあるのは、自分が行きたいと思って決めた場所だ。誰にも命じられず、誰の機嫌を取るためでもなく、自分のために行く先。
たったそれだけのことが、妙に胸を熱くした。
涙ではない。もっと静かな熱だ。長いこと使っていなかった筋肉へ、ゆっくり血が巡り始めるみたいな感覚だった。
最初の乗り換え駅で人が増え、車内が少しざわついた。学生の笑い声、買い物袋の擦れる音、香水の淡い匂い、どこかの弁当の醤油の匂い。人の生活の匂いが混ざり合っている。澄乃は窓へ軽く額を寄せることはせず、ただガラス越しに流れていく景色を見ていた。
ビルが少しずつ低くなる。
空が広くなる。
線路沿いの家の庭が目立つようになる。洗濯物が揺れ、菜の花の黄色がちらりと見え、古い工場の屋根が陽に光る。町の密度がほどけていくと同時に、澄乃の呼吸も少しずつ深くなっていった。
スマートフォンを取り出し、連絡先の一覧を開く。
水篝館の番号は、まだ登録されたままだった。古いままの名前で残っている。指をその上へ置いたところで、一度止まる。
何年も連絡を取っていない。
祖母が亡くなったあと、一度、礼状を出した。その後も季節の挨拶をしようと思いながら、忙しさを言い訳に何年も経った。相手はもう自分のことを忘れているかもしれない。従業員の顔ぶれも変わっているだろう。祖母を案内してくれた女将も、もう現場には立っていないかもしれない。
それでも、行こうと思えたのはなぜだろう。
たぶん、あの場所で自分が一度だけ、肩の力を抜いて立てた記憶があったからだ。祖母の付き添いという役目はあった。手伝いもした。だが水篝館での澄乃は、誰かの妻でも嫁でもなく、ただ一人の人間として「助かるわ」「ありがとう」と呼ばれていた。あの場所へ戻れば、少なくとも久世家の名前より先に自分の顔を見てくれるかもしれない。そう思えた。
澄乃は少し迷った末、電話をかけるのをやめた。
着いてから話そうと思った。
声を聞いてしまうと、うまく言葉が選べない気がした。いま必要なのは、取り繕った説明ではなく、実際にそこへ立つことだった。自分がどういう顔でその暖簾をくぐるのか、まだ少しも想像がつかない。けれどそれでいいとも思った。うまく話せなければ、そううまく話せませんと言えばいいのだ。もう、正しい受け答えを先に用意しなくてもいい。
二度目の乗り換え駅は、小さな地方都市の終点に近い場所だった。
ホームへ降りると、空気がまるで違う。都心の駅にこびりついている排気や熱や人の密度が薄く、代わりに風の匂いがする。線路の向こうに小さな山の稜線が見え、その麓に川が光っている。駅舎の白い壁は日差しを受けて明るく、古びた案内板の文字は少し褪せていた。
ローカル線へ乗り換えるまで、十五分ほどあった。
澄乃はベンチに腰を下ろし、売店で買った温かいお茶を開けた。紙のカップ越しに伝わる熱が、手のひらをじんわり温める。ふわ、と立つ茶の香りは、家で淹れていた煎茶よりずっと簡素なのに、こういう場所では妙においしく感じた。
ホームの向こうで、小さな子どもが母親に手を引かれている。制服姿の高校生が二人、笑いながら自販機の前に立っている。年配の男が新聞を畳んでベンチへ置いた。誰も急いでいない。時間の流れ方が、少しだけ違う。
この感じを、前にも知っている。
祖母と一緒にここへ来るたび、都会の時間が少しずつ剥がれていく感覚があった。駅の売店の品揃え。電車の間隔。人の歩く速度。水篝館のある温泉町は、賑やかな観光地とは少し違う。華やかな土産物屋が並ぶわけでも、大きな歓楽街があるわけでもない。ただ、川と湯と、季節の移ろいに合わせて人が少しだけゆっくりする町だった。
祖母はそこを気に入った。
『静かなところは、人の本音がよく聞こえるのよ』
部屋の窓辺に座り、川を見ながらそう言ったことがあった。
その時の祖母の横顔が、急に鮮やかによみがえる。髪はもう白く、指先は節くれだっていたが、目だけはしっかりしていた。湯上がりで頬を少しだけ赤くした祖母は、珍しく機嫌がよくて、窓の外の川面を見ながらそんなことを言った。
『騒がしい場所ではね、みんな自分の声を大きくするでしょう。静かなところでは、ちょっとした目線とか、息のつき方とか、そういうものが目立つの』
『おばあさまは、そういうのを見るのが好きなの』
『好きというより、昔から見えてしまうのよ。澄乃も似てるわ』
その言葉に、若かった自分は少しだけ困ったように笑った気がする。
『私、そんなに人の顔色ばかり見てるかしら』
『見てるわよ』
祖母は即答した。
『だから疲れるの。見なくていいものまで見てるから』
その時は、意味がよく分からなかった。
ただ、おばあさまらしい言い方だと思っただけだ。けれどいまになって、その言葉はまるで古い手紙みたいに胸の中で開かれる。見なくていいものまで見てきたから、こんなふうに擦り減ったのかもしれない。だったら、いま自分が向かっている場所は、祖母が最後に少しだけ楽そうに息をしていた場所でもある。
ローカル線の到着を知らせるアナウンスが流れた。
短い編成の電車が、のんびりした速度でホームへ入ってくる。車体は新しくもないが清潔で、窓が大きい。乗り込むと、座席はほとんど空いていた。澄乃はまた窓際へ座る。今度の車窓は、さっきまでよりさらに開けていた。
町がゆっくり流れていく。
低い家並みが途切れ、畑が現れ、畦道が伸びる。水を張った田んぼが空を映し、ところどころにまだ残る桜が風に揺れる。川が近づき、離れ、また近づく。山の緑は若く、柔らかく、まだ春の浅い色をしている。ところどころ白い花の木が立ち、名も知らない小さな社の屋根が見えた。
こんなふうに景色がひらけていくのを、澄乃は何年ぶりに見ただろう。
都会の移動では、景色はいつも切り取られている。ビルの谷間、道路沿いの看板、窓ガラスへ反射する自分の顔。けれどいま窓の外には、目が奥まで届く距離がある。視線を遠くへ伸ばしても、途中で遮られない。電車が緩やかにカーブを曲がるたび、自分の乗っている車両の先まで見える。
その広がりに、澄乃はふと笑みを零した。
ほんの小さな、誰にも見られない笑みだった。
この数日のあいだ、笑った記憶がほとんどない。必要な場面で口元を整えることはあっても、自然に緩むことはなかった。なのに今、窓の外の開けた景色を見ているだけで、口元が少しだけ上がる。
車窓へ映る自分の顔は、少し疲れている。それでも、どこか軽い。
終点に近づくにつれ、乗客はさらに減った。澄乃のほかには、買い物袋を抱えた婦人と、釣り竿のケースを持った初老の男、それに制服姿の高校生が一人だけ。車内は静かで、時折レールの継ぎ目を拾う音と、風が車体を撫でる低い唸りだけが響く。
最寄り駅へ着いた時、澄乃は少しだけ息を詰めた。
ホームへ降りる。
空は高い。山は近い。駅舎は昔とほとんど変わっていなかった。木の梁を見せた小さな待合室、手書きのような観光案内板、温泉町までの地図。駅前にはタクシーが二台止まっていて、その先に小さな土産物屋がある。風に乗って、どこか硫黄をわずかに含んだ湯の匂いがした。
懐かしい、という感情は、ここへ来るまで想像していたよりずっと静かだった。
胸を締めつけるような懐旧ではない。ただ、忘れていた呼吸の仕方を身体が思い出す感じに近い。祖母と並んで歩いた坂道。売店で買ったあんまんの湯気。夕方になると川沿いに灯る明かり。水篝館の木の引き戸に触れた時のひやりとした手触り。
澄乃は駅前で少しだけ立ち止まったあと、タクシーには乗らず歩くことにした。
荷物は重い。けれど歩けない距離ではない。何より、着くまでの道を自分の足で確かめたかった。
駅前の通りを抜ける。
道はゆるやかな下りで、途中から川の音が聞こえ始めた。遠くで細く続いていた水音が、歩くごとに少しずつ大きくなる。店先には温泉饅頭の幟、木の看板、古びた旅館の名前。派手ではないが、手入れされた町並みだ。道端の植え込みには季節の花が少しだけ植えられ、軒先には風鈴がまだ仕舞われずにぶら下がっている家もあった。鳴るほどの風はないが、ガラスの小さな粒が光を受けて揺れている。
川沿いへ出ると、視界が開いた。
水が光っている。
春の川は、冬ほど鋭くなく、夏ほど緩んでもいない。透明な流れの中に白い石が見え、ところどころ日差しが反射して眩しい。対岸には古い旅館や民家が並び、どの建物もどこか木の匂いを残しているように見えた。澄乃は橋の上で一度立ち止まり、川を見下ろした。
祖母は、この音が好きだと言っていた。
夜に聞いても昼に聞いても、同じようで少し違うところがいいのだと。寝つけない夜は障子を少し開けて、川の音だけ聞いていたこともあるらしい。澄乃も当時、一度だけ試してみた。川の音は思ったより低く、絶えず続くのにうるさくなくて、たしかに眠りを急かさない音だった。
橋を渡る。
その先の緩やかな坂を少し上ったところに、水篝館はある。
記憶の中の道と、目の前の道はほとんど変わっていなかった。石畳の色。道端の灯籠。曲がり角の大きな柳。ほんの少し新しくなった看板や、閉じたままの店もある。時間は経っているのだと分かる。けれど、町の骨格はそのままだ。
坂を上り切る手前で、澄乃の足が少しだけ遅くなった。
見えてきたからだ。
濃い木色の門。白い壁。軒先。川に面した低い塀。入口へ続く石畳。そして、暖簾。
水篝館。
墨色に染め抜かれたその名が、揺れている。
胸の奥で、何かが静かにほどけた。
戻ってきたのだと思った。
まだ中へ入っていない。誰にも会っていない。受け入れてもらえるかどうかも分からない。何年も連絡のなかった自分が突然現れて、部屋はあるのか、迷惑ではないのか、働き口などあるのか、何一つ確かなことはない。
それでも、ここまで辿り着いたというだけで、喉の奥に詰まっていたものが少しだけ軽くなった。
澄乃はキャリーケースの持ち手を握り直す。
手のひらに食い込む感触がある。長く持っていたせいで少し汗ばんでいる。息を一つ、ゆっくり吐く。川の音がする。遠くで鳥が鳴く。どこかの客室の窓が開く乾いた音もした。
ここなら、自分を久世家の妻ではなく、杠澄乃として迎えてくれるかもしれない。
その期待を、希望と言い切るのはまだ少し怖い。けれど希望に近いものが胸にあることを、澄乃は認めた。
門の前へ立つ。
木の柱へ手を添えると、春の陽を吸った木肌は少しだけ温かかった。
暖簾の向こうに、薄く玄関の影が見える。
澄乃はそこで一度だけ目を閉じ、それから静かに顔を上げた。
そして、前へ進んだ。
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