魔霧の森の魔女~オバサンに純愛や世界の救済も無理です!~

七瀬美織

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第一章 五里霧中の異世界転移

第二十五話 紅茶の香り

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 香澄かすみは、洗面所の扉を閉めると、深いため息をついた。治癒魔法が、どれ程効果的な治療法だったとしても、病み上がりの香澄の身体は、気怠く歩き回るのも辛かったのだ。藍白あいじろ皓輝こうきがいる間は、カラ元気ではしゃいでいたが、一人でお風呂も倒れてしまわないか、本当は不安だった。

『香澄、お手伝いしましょう』

 赤毛の美女が、たおやかな微笑みを浮かべて洗面所に立っていた。『誓約の精霊』のリーフレッドだ。

「リーフレッドさん。ありがとうございます」

 香澄は、突然現れたリーフレッドに驚く事なく、女性の介助があればとても助かると思った。間違っても、藍白と皓輝の助けは要らない。

『それと香澄、あの時、助けてあげられなくて、ごめんなさい。私達に許されている干渉の域を、超えてしまっていたの …… 』

 リーフレッドは、沈痛な面持ちでうなだれた。大人の事情ならぬ、精霊の事情があるのだろう。それを責めたり、追及する様な香澄ではなかった。

「いいんです。精霊さんには、精霊さんの事情が色々あるんでしょうから …… それに、助けようとして、リーフレッドさんに何かあったら、わたしが『誓約の女神』様に、叱られますよ」
『 …… ありがとう。香澄』

 香澄は、艶やかな美女の憂い顔を見て、今も昔も、自分がこんな色気を身に付けた試しがなかったと思っていた。長く生きても、目標なく過ごせば、外身も中身も残念なおばさんが出来上がるだけだ。自分の過ごしてきた時間を、思い出しながら、そちら方面の努力をしてこなかった香澄は落ち込んだ。

 香澄は、ふと横に視線を向けると、鏡に映る美少女の紫色の瞳と目が合い、ギョッとした。香澄は、まだそれが自分の姿だと、認識出来ないでいるのだ。
 香澄は、わあ、美少女だぁ! などと、感心しながら全身を鏡に映した。

「ああ、身体に傷は残っていないし、痛みも嘘みたいに無いです。クラクラするのは、貧血だからかな?」
『私には、まだ継接つぎはぎだらけに見えて、痛々しく見えるわ …… 』

 こうして、香澄はリーフレッドに手伝ってもらいながら入浴して、蘇芳すおうに会うための身仕度を整えた。

 今日の香澄の装いは、白い衿の付いた、濃紺のシンプルなロング丈のワンピースだ。レースの装飾が可愛らしい下着も全て、サイズがぴったりで、用意したのが誰なのか、追求するべきか悩んだ。

 リーフレッドは、熱心に香澄の髪の上半分だけを編み込み、下は自然に垂らし、毛先を軽くカールさせた。彼女は、ワンピースとお揃いの濃紺に白いレースをあしらったリボンを、香澄の頭の後ろで大きな蝶々結びにした。

 香澄は、髪型に一切注文を付けたりしない。リーフレッドのセンスの方が、素敵な仕上がりになる自信があった。

 香澄は、鏡に映った、上品なお嬢様風美少女をながめながら、眉をひそめた。

「彼女に似ているのかな?」

 リーフレッドは、『誰に?』とは聞くことなく、ノックもなく扉が開く前に姿を消した。

「香澄ちゃん、準備出来た?」
『香澄様、申し訳ございません。くっ、卑怯だぞ、白トカゲめ!』
「ふふん、黒モヤモヤだって甘いんだよ。ああ、香澄ちゃん、その格好も可愛いいね」
『ふっ、香澄様は可愛いくて当然だ!』
「生意気なやつだな。 もう、次は無いからな!」
『 …… わかった』

 二人の間で、なにやら和解が成立した様子だった。こそこそ、話し合う姿はまるで近所の悪ガキコンビにしか見えない。
  『黒モヤモヤ』って、皓輝のことだろうか? 妙に結託している二人を、香澄は微笑みながら見ていた。

「藍白、蘇芳さんに会えるかな?」
「うん。丁度、蘇芳と黄檗きはだが訪ねて来たところだよ。下の居間で待っているから、今から行く?」
「 …… 行こう。皓輝も一緒で大丈夫かな?」
「黒モヤモヤは、一応は香澄ちゃんの護衛になるから、いつも連れて行っていいよ」
『黙れ、白トカゲ! 貴様の許可などいらぬわ!』

 やはり、黒モヤモヤは、皓輝の事であってるらしい。そして、二人は相変わらず犬猿の仲のままだった。



 香澄達が、藍白の家の居間に入ると、挨拶もそこそこに黄檗が相変わらず暴走気味な謝罪をした。

「香澄様、お身体のお加減はいかがですか? あの時は、お守りする事が出来ず、大変申し訳ございませんでした」

 黄檗は、その場で膝をついて土下座した。そして、ピタリと床に額を付けて、微動だにしなくなった。香澄は、慌ててそれをめさせようとした。

「黄檗さん、やめて下さい! 黄檗さんが謝る事なんか何もありません。関係ないのに巻き込んでしまって、こちらこそ申し訳ありません!」
「香澄様 …… 」

 香澄は、無意識のうちに、黄檗の心をポッキリと折っていた。香澄に心酔している黄檗に、護衛の役目を果たせなかった事を責めないうえ、関係ないと言い切ったのだ。
 つまり、黄檗の想いは、何一つ香澄に届いていないという訳だった。蘇芳と藍白にうながされて立ち上がる黄檗が、更に落ち込んだ様子になったのを、香澄は不思議そうに見ていた。

 応接セットのソファーに、香澄を挟んで皓輝と藍白が座り、向かいに蘇芳と黄蘗が座っている。
 香澄は、やや復活した黄蘗が、優雅な所作で入れてくれたお茶を飲もうとして、妙な香りが鼻についた。それは、紅茶の香りとも違う、ツンとした異臭を感じたのだった。
 香澄は、紅茶のカップに軽く口を付けて、一口飲んだふりをしてからテーブルに戻した。
 隣の藍白は、ごく普通に紅茶を飲んだ後だった。前に座る蘇芳も、紅茶を用意した黄檗自身も平然と飲んでいる。皓輝だけはソファーに座ってすぐに、香澄の腰に抱きついているので飲んでいなかった。そういえば、皓輝が何か飲食をしているのを香澄は見た覚えがないと思った。

 異世界の食事は、香澄の口にも合って、とても美味しかった。世界や文化の違いから、材料や多少の味付けの違いはあっても、今まで異常と感じる食べ物はなかった。

 健康茶の様に、味や香りにクセのある種類のお茶も、きっとこの世界にだってあるだろう。黄檗がおかしな物を、入れるはずはないと香澄は思ったが、一度変だと感じた飲み物を、口にする気にはなれなかった。







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