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第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国

第十三話 婚約者という肩書き

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 アレクシリスは、香澄かすみと少し距離をとって座り直した。香澄は、ほっとして肩の力が抜けた。

 アレクシリスに真剣なまなざしを向けられて、本気の片鱗を見たというのに、香澄は居心地悪く感じていた。居心地悪く感じるのは、香澄がアレクシリスを意識しているからだ。
 そうなると、香澄はどうしてもアレクシリスに聞いてみたい事がある。

「アレクシリスは、わたしのどこを、いつから好きなのですか?」

 香澄は、外見だと言われると正直思っていた。現在の香澄は、ミステリアスな美少女だ。それ以外に、今の香澄に価値があるとは思えなかったし、それほど深くアレクシリスと関わっていないと思っていた。アレクシリスは、『管理者』として『落ち人香澄』に、国の制度に基づいて対応しているだけだと思っていたからだ。

「香澄が、天空を埋め尽くす魔法陣から落ちてきた時 …… 。あの時、落ちて来たものが、絶対に失ってはならない、とても大切なものだと感じたのが始まりです。気がつけば、瀕死の香澄を夢中で助けようとしていました。いつからか、何故なのか、わかりません。ただ、ひたすらに、狂おしいほど香澄を愛おしいと思うのです」

 香澄は、想像のはるか斜め上の答えに呆気にとられた。アレクシリスは、とろけそうな笑顔で香澄を見ている。海の蒼い色の瞳が、煌めきながら深く香澄を捕らえていた。

「あ、あの? ええっ!」


ーーーー 普通は、こんな外見は美少女でも、中身は残念オバサンが、赤い顔してドキドキしているのは気持ち悪いと客観的に思うよね!
 美青年に告白されて、いい歳したオバサンがこの先どうしようって言うの? 
 ああっ! どうして平常運転で対応出来ないのよ! ぎゃあーっ! と、いう具合にパニックってるの!
 中身が残念なオバサンなのは変わってないのよ! 彼は、私の中身年齢を知ってるわよね。それでもいいの? 見た目だけでも若いから守備範囲?
 ああっ! 違う! そんな問題じゃない! 問題は、アレクシリスが本気だっていう事なの! 


 香澄は、中身がオバサンの自分と若いアレクシリスの恋愛なんて体裁が悪いと思っている。しかも、アレクシリスの告白に、焦ったり、慌てたりするのは、いい年した大人の取る態度ではないと思っているのだ。
 理想としては、きちんと落ち着いてお断りするのが半世紀以上生きてきた大人の女性だと思っている。香澄は、恋に落ちるのに年齢など関係ないという真理に、改めて気づくまで、色々と断る理由を探し求めて混乱していくしかなかった。

 アレクシリスは、香澄の混乱ぶりを理解しているらしく話題を変えた。いや、更に追い討ちをかけた。

「香澄、私と結婚して下さい」
「は? 結婚?!」

 アレクシリスは、香澄の手を取り跪きながら目線を合わせて微笑んだ。香澄は、目玉がこぼれ落ちそうな間抜けづらさらしている。

「はい。とりあえず婚約いたしましょう。これを大義名分に、ハイルランデル公爵私個人の婚約者の保護を、魔術師団の『茨の塔』に依頼します。『囁きの森』から香澄を『茨の塔』で、つまり竜族からファルザルク王国側へ移して保護します。一刻も早く『囁きの森』を離れましょう」
「結婚? 婚約?」
「今はフリでもいいでしょう。でも、いずれ本当に結婚を致しましょう」
「ほ、本気ですか?」
「本気です!」
「いえ、いえ、いえ! 無理でしょう?」
「公爵夫人では、御不満ですか?」
「こ、公爵夫人なんて無理です! 婚約だってフリですよね!」
「今は、フリでも結構です」

 アレクシリスは、残念そうな顔をしてため息をついた。美青年の憂い顔に、香澄の心臓は破壊されそうな衝撃を受けていた。

「つまり、結婚するフリをして、ファルザルク王国側に保護してもらうって事ですか? でも、ここは聖樹の護りがあって『異界の悪魔族』から身を守るのに、安全な場所なのですよね?」

 香澄は、お昼にやっとたどり着いたばかりの『囁きの森』を、偽装婚約してまで、なぜ離れなければならないのかわからなかった。

「『茨の塔』を、その名の通りおおう茨は、聖なる茨です。世界樹の宿り木を、株分けしてもらい育てたものです。宿り木は、世界樹の魔力を糧に育ち、『茨の塔』の宿り木は、魔術師の魔力や実験の余剰魔力を糧に育っています。聖樹の護りと聖なる茨の力は同じ効果が期待できます。安全面に問題ありません」

 香澄は、アレクシリスとの婚約は、大義名分であって本当に結婚する訳ではないと解釈した。

「『茨の塔』の最高責任者は、遊帆ゆうほ殿です。しかも、遊帆殿は『聖なる茨の精霊』の加護を持っています。並みの攻撃で遊帆殿が棲まう『茨の塔』に、傷一つ負わせることは出来ません。契約竜をはじめとして、ファルザルク王国在住の竜族は、香澄をこちらで保護する必要があるとしか聞かされていません。香澄についての説明は、蘇芳すおうの到着を待っているようです。今なら『囁きの森』を比較的簡単に出ることが可能です」

 香澄は、話題が婚約から変わったのでホッとしていた。

「まさか、正面から出て行くのでしょうか?」
「それも、婚約を盾にすれば可能かもしれないです。ですが、今回は王族しか知らない避難通路の『裏庭』を使います。大義名分があると言っても、竜族にごねられて阻止されると厄介ですから」
「避難通路? 『裏庭』? では、こっそり抜け出すのですね」
「竜族たちは、香澄を『囁きの森』で保護すると聞いていても、竜団長の杜若かきつばたも不在の中、具体的に珊瑚さんごも事情をよく分かっていません。香澄としばらく話がしたいとお願いしても、大して警戒されませんでした」
「竜族って、意外と大雑把おおざっぱなのですね」
「細かいことは気にしないのが、彼らの長所であり、長い寿命を持つ一族の特徴なのかもしれません」


 香澄は、少し思案してから居住まいを正してアレクシリスに尋ねた。

「でも、『落ち人』は、ファルザルク王国にとって、迷惑な存在なのではありませんか? だったら、わたしはこのままの方が都合がいいのではありませんか?」
「何故、そう思われるのですか?」

 アレクシリスは、香澄のかすかに皮肉を込めた口調に驚いたようだ。

「竜族は『落ち人』を『迷い人』と呼ぶそうです。以前、アレクシリスに『落ち人』の由来を聞いたとき、忌まわしい者だって感じが込められていた気がしましたから …… 」
「すみません。『管理小屋』で話した時ですね。 …… 正直に話せば、過去の『落ち人』の中に、亜希子あきこの話していた初代の『死者の王』の様に、災いをもたらした『落ち人』や『転生者』がいます。だから、ファルザルク王国の民は『落ち人』や『転生者』をあまり歓迎しません。約百年前に、ファルザルク王国に大きな被害を与えた『落ち人』と『転生者』の事件では、死者の数は一度に三十万人を超えました」
「三十万人! 大きな都市一つ分くらいの人が亡くなったのですか?」
「『落ち人』の …… 魔力暴発に巻き込まれて、侯爵家の領都が壊滅したのです。『落ち人』を保護する為に、表向きは『転生者』の起こした事件だと公表されています」

 人災。災害。厄災。頭に次々に浮かぶ言葉で表現しようとしても足らないくらい、あまりに凄まじい被害だ。亡くなった人々の遺族が『落ち人』や『転生者』を恨み、憎み、嫌悪するだけの理由に十分なるだろう。

「もちろん、香澄を保護する事は、ファルザルク王国側に利があります。『落ち人』の魔力や知識が、新たな発展をもたらす事を、遊帆殿は証明しています。それに、いくら竜族が貴女を召喚したと主張しても、香澄はファルザルク王国側が保護した『落ち人』であり、ファルザルク王国に帰属する。竜族が盟約に反して、原則を乱すことはあってはならないのです」
「ファルザルク王国と竜族は、『落ち人』に関して盟約を結んでいるのですか?」
「はい。だから、陛下は竜族の真意を探ると同時に、貴女の保護を命じられたのです」

 香澄は、政治的な理由を含めてだと言われた方が納得がいった。

『香澄様』

 沈黙を守っていた皓輝こうきが、香澄を見上げて話しかけてきた。

『私も、それに賛成です。白トカゲからの伝言です。『自分がすぐに香澄様を追えなかった場合、『マリシリスティア姫』か『茨の塔の魔術師海野遊帆』に保護を求めて欲しい』と、言っていました』

 アレクシリスは、片方だけ眉を上げて、不満気に皓輝に尋ねる。

「何故、私ではなくてマリーなんでしょう?」

 皓輝は、興味なさげに淡々とした口調で答えた。紅い瞳が、輝きを失っていると、まるで暗い穴が開いているように見える。

『アレクシリスは、竜騎士団長の立場を考えて行動して欲しいからだと、白トカゲは悪そうな笑顔を浮かべながら言っていた …… 』
藍白あいじろ …… 。なるほど、そこまで考えを巡らせて私を牽制したいのか …… 」

 アレクシリスは、低い声でつぶやいていた。類は友を呼ぶのか? アレクシリスの黒い笑顔が怖いと香澄は思った。


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