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第三十二話 実家に帰らせていただきます
しおりを挟むつくづく、私立八木橋高校の二次募集があって良かった……。
「なるほど……あの人は、私が八木橋先輩と恋愛関係になれば、夏休みはデートで忙しくて、実家へ帰って来なくなるんじゃないかとか……言ってないですか? それで、店長さんに協力させてる……とか?」
営業スマイルの拓海さんが、無言でアイスティーを勧めてきた。貢ぎ物なら常時受け付けております。いただきます。
「ふう……。冷たくて、ほんのり甘くて、あと味がさっぱりしていて美味しいです」
「うちの優秀なスタッフが、茶葉から淹れた自慢の逸品なんだよ。アイスティーは香りと透明感が命なんだそうだよ。お客様にも評判が良くてね」
「…………拓海さん」
私が名前で呼ぶと、物憂げな表情を浮かべながら拓海さんは私の向かい側に座った。男の人だけど、腰回りも脚も細くて長いから、ポスターの中のモデルさんみたいだ。
「あー、篤志のやつ……。よく分からないが、彩奈ちゃんを真希さんに近づけたくないらしい」
「お母さんに?」
「馬鹿だろう? 彩奈ちゃんと真希さんは親娘なんだから、会ったから何だって話だろう? 何か理由があるらしいけど、話してくれないんだ」
「…………理由」
「何も理由も言わない篤志に、協力出来ないって言ってあるから言うけど……真希さんと何があったの?」
「…………ん。何も無いとは言えないかも?」
「篤志があそこまで頑なに理由も言わないで、最終的に俺に土下座だよ」
「土下座⁈ まさかの篤志さんの土下座⁈」
「……うん。俺も信じられないものを見た。篤志がそこまでするのって、真希さんの為だから……かな?」
「お母さんの為だと思う……。うーん。多分、篤志さんは、お母さんが何か隠しているのを、私が知ってしまうと、傷つくのはお母さんの方だと思ったんだろうな……」
「隠してる真希さんのほうが傷つくのか?」
「私がどう思うか、この際は考えてないのかも……だから篤志さんは、私とお母さんを会わせたくないんだ。多分、お母さんが、秘密を私に話す覚悟がまだ出来てないから、あの人は時間と距離を稼いでるのかな……。そう考えると、しっくりくるよね」
「……………………まさか、高校の入学手続きしてなかったのは……」
「それは、本当に忘れてたみたい。あの頃、お母さんも緊急入院したり、篤志さんも会社が忙しくて、本当に大変だったからねー」
「そこは、篤志を信頼してるの?」
「だって、あの時はお母さんも赤ちゃんも生命の危機で、毎日精神的に大変だったから……。篤志さんが、どれだけお母さんを想っているのか嫌でもわかった。入学手続きは、じっちゃんに言われるまで、私も忘れてたし……。一瞬で真っ青になったあの顔が、もしも演技だったら……! ふははははははっ、どうしよう、か、な……?」
もしも、篤志さんがわざと入学手続きをしていなかっら…………思わず、スプラッタな復讐劇を何十通りも空想してしまった。もちろん、実行するつもりはないよ。
「……イヤイヤイヤ。きっと篤志は忘れてたんだ。間違いない! 彩奈ちゃん、その顔はヤバイから! ヤったらダメだよ!」
「…………そんな事、するわけないじゃ無いですか」
にっこり笑顔で答えたつもりだけど、拓海さんは信用してくれなかった。
「彩奈ちゃん。他の復讐方法なら協力するから、最終手段はやめようね……!」
「だから、しません!」
失礼な! そんなサイコパスな人格してませんよ!
「まあ、最悪何かあって高校受験失敗したら、高校行かずに大検受けて、大学に行く気でいたから問題なかったです」
「彩奈ちゃんって、鋼のメンタルの持ち主だね。ただポジティブなだけじゃなくて、しっかり考えてるし……」
「褒めても何も出しませんよ」
「いや、……尊敬するなぁ」
「……拓海さんに誉め殺しされると、ゾワゾワして気味が悪いです!」
「何気に彩奈ちゃんって酷いよね……。ところで……彩奈ちゃんはお母さんの隠している事に、心当たりがあるの? 別に何を隠してるかまで、知りたいわけじゃないよ」
「…………話せないけど、心当たりはあります」
「そうか……。ところで、八木橋君、あれでいいのかい……?」
「……ランチョン愛は認めますが、空回りしてますよねー」
八木橋先輩は、念願叶ってランチョンを抱きしめていた。ランチョンが離れたがっても離さないので嫌われてしまった様だ。ランチョンは、八木橋先輩のアゴをケリケリして、背中からしっぽの毛が全部逆立ってしまっている。先輩は、致命的な状況になる前に、渋々手離したようだけど、……もう手遅れかもしれない。
ランチョンは八木橋先輩が追いかけるとシャーって唸って逃げて行った。ははは、自業自得だ。
こんな八木橋先輩と、恋なんて出来ると思う? まあ、恋なんてした事ないけどね。
「ところで、実家に帰ってる間、ランチョンを預かって欲しいのですが、一週間だとおいくらになりますか?」
「猫ちゃんは、一泊これくらいからだけど、彩奈ちゃんは身内特別価格でこれくらいかな」
「おおっ! ……良いんですか?」
「スタッフのペットを預かる時も同じくらい割引きしてるからいいよ」
「榊原、ランチョンなら僕が無料で預かるから安心して任せてくれ!」
「八木橋先輩?」
「ランチョンと一週間も一緒に居られるなんて、夢みたいだ!」
身内価格で拓海さんに預かってもらうか、無料で八木橋先輩に預かってもらうか……。
八木橋先輩に預けたら、きっとランチョンは甘やかされて、セレブな猫になって、高級猫缶しか食べなくなりそうだ。
「じゃあ、店長さん! よろしくお願いします!」
「榊原、どうして⁈ 僕なら無料だし、毎日ランチョンと遊んで、ブラッシングして、食事も好きな猫缶を選び放題にするのに!」
「だからダメなんです!」
「ええっ⁈」
八木橋先輩は、ランチョンと蜜月を送るつもりだったみたいでガッカリしている。
「はっ! 毎日ここに会いに来ればいいのか! 店長さん、いいですか?」
「ランチョンがストレスでハゲないように、三日おきにしてくれる……?」
「そんな⁈」
八木橋先輩の恋の相手は、ランチョンのようだ……。
夏期休暇の初日から、一週間の予定で実家に帰る。
「ランチョン! 一週間離ればなれで寂しくても、食事と睡眠はきちんととってね! 私のこと忘れないでね! じゃあね、ランチョン! ううっ、離れたくないよ~!」
「彩奈ちゃん、電車の時間、遅れるよ?」
「ランチョンの事、お願いします!」
「……毎度、毎度、預けていく飼い主さんのこのくだりは同じだね……」
「うわぁん。ランチョン! 待っててね!」
ランチョンは、涙ながらに話しかける私を無視して、キャリーバッグから飛び出すと、振り返りもせず店員のお姉さんに甘えに行ってしまった。……ぐすん。
滝沢家から預かったお土産と着替えや色々な荷物は先に送っておいた。手荷物は、お気に入りのボディバッグだけだ。
都心から程良い距離の地方都市まで電車に揺られて一時間半、バスに乗って十五分の郊外の住宅地の中に、お母さん達は新しく一戸建ての家を借りて住んでる。
赤ちゃんの泣き声とか、以前住んでいたアパートだと周囲に気を使うから、篤志さんがお母さんたちの入院中に決めて引越ししたそうだ。
もちろん、篤志さんはお母さんに事前に相談したらしいけどね。私には、事後報告があった。前の家は、賃貸だったし何度か引越ししてるのでこだわりはないからいいけど……。
知らない場所でも、スマホの画面の中の地図を片手に歩いているので迷子にならない。便利だよね!
事前に写真を送ってもらっていたけど、到着した家に少し緊張する。表札の名前は、『滝沢』だ。実家だけど、初めまして感がハンパない。
カメラ付きのインターホンを押すと、昨日ぶりのお母さんの声がした。
「おかえり、彩奈。玄関のカギは開けてあるから入って……」
「了解です」
この一週間で何か変わると思わないし、変えようとも思っていない。女子高生の当たり前の日常を過ごすだけだ……!
「ただいま! 春希ちゃん、お姉ちゃんが帰って来たよ!」
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