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第二話 一人暮らし
しおりを挟むランチョンマットの朝は早い。夜明け前の空がまだ暗いうちから起き出す。
カサカサと何かに触れて歩きまわる音がする。カタンと何か小さな物が落ちる音。カシカシと爪が床を蹴る音。いきなり重さのある物体が、ベッドに飛び乗った。布団から出た手が、ザリザリの舌で舐められる。
眠気に負けて無視していると、今度は顔に生暖かい鼻息がフンフン当たる。頬をザリザリと舐められると地味に痛い。たまらなくなって、ガバッと起きながら物体をキャッチする。
その物体は、夜明けを告げる猫。その名はランチョンマット。
「ぬー。ランチョンさまー。早すぎる。新聞配達のバイトはしてないので、早朝に起こさないでー」
なー。なー。なー。
「うもー。だから早いので二度寝にお付き合いするのだー」
カミカミカミ
ケリケリケリ
「ぐう。おやひゅみー」
パタン、パタン
「きげんなおれー。ナデナデの刑じゃあー」
ゴロゴロゴロ、ゴロゴロゴロ……
「くう。くう。くう」
スピー、スピピー
毎朝、至福の二度寝タイムを一緒に堪能して、スマホのアラームで起きる。
二度寝の後のランチョンマットは、ピョコッと起きあがると、キッチンにダッシュする。キッチンの片隅に敷いたビニールマットの定位置に鎮座して私を待っている。ビニールマットの柄は色とりどりのお魚の絵柄だ。
私は、カリカリのドライタイプの猫用フードをランチョンマット専用食器に入れて振り返る。ランチョンマットはキラキラした目で見上げながら待っている。急いでカップの目盛りで計量して器に盛り付ける。
「ほーい。お待たせ。ランチョン」
コトンとランチョンマットの目の前に朝ごはんを置くと、サッっと腰を上げて食べ始めた。カリカリとフードを齧る音と、食器にフードが当たって出る高い音を聞きながら、新しい水を用意する。浄水器付きの蛇口で良かった。とっても便利。
「あらら? もうおしまい?」
まだ器の三分の一くらいフードは残っている。
だけど、ランチョンマットは口や胸元を舐めながら満足そうだ。うむ。出かける前に、少しフードを足して置いておこうかな? 誰も居ない家で、ひもじい思いはさせません。
ニャンコは、ワンコと違って、自分が食べたい分を調整しながら食べる。ワンコは、あるだけ全部食べる。ニャンコが賢くてワンコがおバカだと云う意味じゃない。
ニャンコは、自分で狩りをしてごはんを食べる野生を持っている。
ワンコは群れで行動して、リーダーから分配され与えられたごはんを食べる。
だから、食べられるうちにお腹いっぱい食べる。習性の違いだって、動物病院の診察室で知り合った猫ママが言っていた。
ランチョンマットとは、ランチとマットを合わせた和製英語だ。だったらランチマットでもいいのに、なぜ訛ってるのか⁈ ……と、思っていたら、ランチョンはランチよりも格式高い昼食の事らしい。
そっかー、ランチョンマットは格式高いニャンコ様なんだねー。抱き上げると胴がデローンと伸びてる姿は、格式高いとか全然皆無だねー。
なぁーうーん。
なぁーうーんって鳴くなんて、可愛いねぇ。スリスリしちゃうぞ♡
私は、私立高校の近所のシャッター商店街の廃店舗二階で一人暮らしをしている。
木造住宅、築三十年、リフォーム済み(ここ、最重要!)、バス、トイレ別(ここも、超重要!)、四畳半のダイニングキッチン、六畳洋室が二間という広めの2DK。身内枠格安料金の家賃は光熱費込み。親からの仕送りから家賃を引けば、残金で節約生活すれば、衣食住は賄える金額だ。
だけど、生活費以外は自分で稼ぐしかない。青春時代の一人暮らしは何かと物入りだ。
うちは私立高校だからなのか、事情や目的がある場合、会議で承認されればアルバイトを認めてくれる。
将来の学費を稼ぐためとか、家計を支えるためとか、部費で賄えない高額品の購入のためでもありだ。
なかには、通信教育で資格を取りたい、スマホ代を稼ぐため、カラオケ代が欲しいだったり、デートの軍資金とか、理由も目的も様々だ。
毎月給料明細を報告するのが義務で、目標金額以上を稼ぐのは禁止という厳しい条件もある。
だけど、申請すれば許可されると言ってもいい。バイクを買うためでも許可された。ただし、バイクの購入と免許取得は卒業後が必須条件。
無許可でアルバイトをしているのがバレたら即停学になり、退学になった者もいるらしい。私の場合も生活費と猫費を稼ぐためと許可を取り、放課後からシャッター商店街の中の、とある店でアルバイトをしている。
そんな一人暮らしの女子高生の部屋に、草食もやし男子だろうが侵入を許すわけにいかない。
「クリスティーナが幸せに暮らしている姿を、一度確認させて欲しい」
即、却下である。
「環境に問題ないならクリスティーナを君に託そう」
「家に訪問するだけで問題です」
「何か不都合があるのか? 僕には、クリスティーナの幸せを確認する義務がある。それは元飼い主の権利だ」
「八木橋先輩に、そんな義務も権利もありません」
放課後の生徒会室の片隅で、不毛な議論をしている。昨日の私は、ダッシュで帰宅したので、今日は、靴箱の前で待ち構えていた八木橋先輩達に捕まった。
「クリスティーナの仔猫の頃からの写真と動画も提供する」
「なにゅ! わかりました。先輩がそこまで主張するのなら、家は無理ですが愛猫に会わせて差し上げます」
ランチョンマットの仔猫時代の写真に動画ですと! これは、欲しい! 仕方なく譲歩しましょう!
それに、幸せに暮らしているかどうかなんて、会えば一発で分かるはずだ。
「…………いいだろう」
よし、八木橋先輩も納得した。向こうの会議用の机の辺りで生徒会役員の先輩達も頷いている。丸聞こえだもんね。
「では、明日の土曜日の午後……二時に『ペコ動物病院』前で待ち合わせしましょう」
「動物病院⁈ クリスティーナは病気なのか⁈」
「定期健診です」
「そうか、わかった」
八木橋先輩の心底ホッとした表情から、本当にランチョンマットを心配しているのだと感じた。
「ところで、クリスティーナの今の名前はなんと言うんだ?」
「……………………」
「榊原?」
「…………ランチョンマットです」
「…………は?」
八木橋先輩が固まった。ネーミングセンスゼロの私が、悩みに悩んで付けた名前だ。後悔はない。ちょっとだけしかしていない。背後の集団が大爆笑だったとしてもだ……!
「仮でいいから、急いで名前を付ける必要があったので……」
「な、なぜ、ランチョンマット? なんだ?」
「ランチョンは、普段はテーブルの上に乗ったりしないのですが、ランチョンマットを敷いた時だけ、テーブルに乗って来るんです。そして、『私を食べるの?』って、言わんばかりにランチョンマットの上で色々ポーズを取ってくるんです! それが、超かわいくて、かわいくて、かわいいんです!」
「……そ、そうか」
「これが、証拠写真です」
「お、おおー! 本当だ。うわぁ、かわいいな」
「そうでしょ、そうでしょ! 普段は、ツンツンしてるランチョンが、ランチョンマットの上でだけ、デレまくるんです! 他のクッションや敷物じゃしないのに、何故かランチョンマットの上でだけなんです!」
「だから、ランチョンマット……?」
「動物病院の先生方が、その猫だけの特徴とか、クセを名前にするのもいいって言ってたので……」
「ランチョンマット……ランチョン……ランチョン……ランチョン……」
八木橋先輩が、何度もランチョンと繰り返す。
ああ、あの瞬間は、最高の名付けが出来たと思ったよ。だが、後悔はしない! 人の評価は気にしない! ランチョンマット最高! ……ぐすん。
「ランチョンマット、ランチョン……悪くないな」
「本当ですか?」
「あ、ああ。個性的で、響きは悪くないな……」
「先輩って、本当いい人ですね……。そこは、僕のクリスティーナに変な名前をつけるなー! って、怒鳴ってもいいですよ……」
「名前に関してはお互い様だ。僕も散々笑われた……」
向こうの生徒会役員の先輩達は、まだ大爆笑してるけど、気にしない……。いい加減に笑うのヤメレ! こっちにだって、丸聞こえなんだからね!
真っ赤になって涙目になった私を、八木橋先輩は笑わないでいてくれた。
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