猫のランチョンマット

七瀬美織

文字の大きさ
2 / 35

第二話 一人暮らし

しおりを挟む

 ランチョンマットの朝は早い。夜明け前の空がまだ暗いうちから起き出す。

 カサカサと何かに触れて歩きまわる音がする。カタンと何か小さな物が落ちる音。カシカシと爪が床を蹴る音。いきなり重さのある物体が、ベッドに飛び乗った。布団から出た手が、ザリザリの舌で舐められる。
 眠気に負けて無視していると、今度は顔に生暖かい鼻息がフンフン当たる。頬をザリザリと舐められると地味に痛い。たまらなくなって、ガバッと起きながら物体をキャッチする。

 その物体は、夜明けを告げる猫。その名はランチョンマット。

「ぬー。ランチョンさまー。早すぎる。新聞配達のバイトはしてないので、早朝に起こさないでー」

 なー。なー。なー。

「うもー。だから早いので二度寝にお付き合いするのだー」

 カミカミカミ

 ケリケリケリ

「ぐう。おやひゅみー」

 パタン、パタン

「きげんなおれー。ナデナデの刑じゃあー」

 ゴロゴロゴロ、ゴロゴロゴロ……

「くう。くう。くう」

 スピー、スピピー

 毎朝、至福の二度寝タイムを一緒に堪能して、スマホのアラームで起きる。

 二度寝の後のランチョンマットは、ピョコッと起きあがると、キッチンにダッシュする。キッチンの片隅に敷いたビニールマットの定位置に鎮座して私を待っている。ビニールマットの柄は色とりどりのお魚の絵柄だ。
 私は、カリカリのドライタイプの猫用フードをランチョンマット専用食器に入れて振り返る。ランチョンマットはキラキラした目で見上げながら待っている。急いでカップの目盛りで計量して器に盛り付ける。

「ほーい。お待たせ。ランチョン」

 コトンとランチョンマットの目の前に朝ごはんを置くと、サッっと腰を上げて食べ始めた。カリカリとフードを齧る音と、食器にフードが当たって出る高い音を聞きながら、新しい水を用意する。浄水器付きの蛇口で良かった。とっても便利。

「あらら? もうおしまい?」

 まだ器の三分の一くらいフードは残っている。
 だけど、ランチョンマットは口や胸元を舐めながら満足そうだ。うむ。出かける前に、少しフードを足して置いておこうかな? 誰も居ない家で、ひもじい思いはさせません。

 ニャンコは、ワンコと違って、自分が食べたい分を調整しながら食べる。ワンコは、あるだけ全部食べる。ニャンコが賢くてワンコがおバカだと云う意味じゃない。
 ニャンコは、自分で狩りをしてごはんを食べる野生を持っている。
 ワンコは群れで行動して、リーダーから分配され与えられたごはんを食べる。
 だから、食べられるうちにお腹いっぱい食べる。習性の違いだって、動物病院の診察室で知り合った猫ママが言っていた。

 ランチョンマットとは、ランチとマットを合わせた和製英語だ。だったらランチマットでもいいのに、なぜ訛ってるのか⁈ ……と、思っていたら、ランチョンはランチよりも格式高い昼食の事らしい。

 そっかー、ランチョンマットは格式高いニャンコ様なんだねー。抱き上げると胴がデローンと伸びてる姿は、格式高いとか全然皆無だねー。

 なぁーうーん。

 なぁーうーんって鳴くなんて、可愛いねぇ。スリスリしちゃうぞ♡



 私は、私立高校の近所のシャッター商店街の廃店舗二階で一人暮らしをしている。
 木造住宅、築三十年、リフォーム済み(ここ、最重要!)、バス、トイレ別(ここも、超重要!)、四畳半のダイニングキッチン、六畳洋室が二間という広めの2DK。身内枠格安料金の家賃は光熱費込み。親からの仕送りから家賃を引けば、残金で節約生活すれば、衣食住は賄える金額だ。
 だけど、生活費以外は自分で稼ぐしかない。青春時代の一人暮らしは何かと物入りだ。
 うちは私立高校だからなのか、事情や目的がある場合、会議で承認されればアルバイトを認めてくれる。
 将来の学費を稼ぐためとか、家計を支えるためとか、部費で賄えない高額品の購入のためでもありだ。
 なかには、通信教育で資格を取りたい、スマホ代を稼ぐため、カラオケ代が欲しいだったり、デートの軍資金とか、理由も目的も様々だ。
 毎月給料明細を報告するのが義務で、目標金額以上を稼ぐのは禁止という厳しい条件もある。
 だけど、申請すれば許可されると言ってもいい。バイクを買うためでも許可された。ただし、バイクの購入と免許取得は卒業後が必須条件。
 無許可でアルバイトをしているのがバレたら即停学になり、退学になった者もいるらしい。私の場合も生活費と猫費を稼ぐためと許可を取り、放課後からシャッター商店街の中の、とある店でアルバイトをしている。

 そんな一人暮らしの女子高生の部屋に、草食もやし男子だろうが侵入を許すわけにいかない。

「クリスティーナが幸せに暮らしている姿を、一度確認させて欲しい」

 即、却下である。

「環境に問題ないならクリスティーナを君に託そう」
「家に訪問するだけで問題です」
「何か不都合があるのか? 僕には、クリスティーナの幸せを確認する義務がある。それは元飼い主の権利だ」
「八木橋先輩に、そんな義務も権利もありません」

 放課後の生徒会室の片隅で、不毛な議論をしている。昨日の私は、ダッシュで帰宅したので、今日は、靴箱の前で待ち構えていた八木橋先輩達に捕まった。

「クリスティーナの仔猫の頃からの写真と動画も提供する」
「なにゅ! わかりました。先輩がそこまで主張するのなら、家は無理ですが愛猫に会わせて差し上げます」

 ランチョンマットの仔猫時代の写真に動画ですと! これは、欲しい! 仕方なく譲歩しましょう!
 それに、幸せに暮らしているかどうかなんて、会えば一発で分かるはずだ。

「…………いいだろう」

 よし、八木橋先輩も納得した。向こうの会議用の机の辺りで生徒会役員の先輩達も頷いている。丸聞こえだもんね。

「では、明日の土曜日の午後……二時に『ペコ動物病院』前で待ち合わせしましょう」
「動物病院⁈ クリスティーナは病気なのか⁈」
「定期健診です」
「そうか、わかった」

 八木橋先輩の心底ホッとした表情から、本当にランチョンマットを心配しているのだと感じた。

「ところで、クリスティーナの今の名前はなんと言うんだ?」
「……………………」
「榊原?」
「…………ランチョンマットです」
「…………は?」

 八木橋先輩が固まった。ネーミングセンスゼロの私が、悩みに悩んで付けた名前だ。後悔はない。ちょっとだけしかしていない。背後の集団が大爆笑だったとしてもだ……!

「仮でいいから、急いで名前を付ける必要があったので……」
「な、なぜ、ランチョンマット? なんだ?」
「ランチョンは、普段はテーブルの上に乗ったりしないのですが、ランチョンマットを敷いた時だけ、テーブルに乗って来るんです。そして、『私を食べるの?』って、言わんばかりにランチョンマットの上で色々ポーズを取ってくるんです! それが、超かわいくて、かわいくて、かわいいんです!」
「……そ、そうか」
「これが、証拠写真です」
「お、おおー! 本当だ。うわぁ、かわいいな」
「そうでしょ、そうでしょ! 普段は、ツンツンしてるランチョンが、ランチョンマットの上でだけ、デレまくるんです! 他のクッションや敷物じゃしないのに、何故かランチョンマットの上でだけなんです!」
「だから、ランチョンマット……?」
「動物病院の先生方が、その猫だけの特徴とか、クセを名前にするのもいいって言ってたので……」
「ランチョンマット……ランチョン……ランチョン……ランチョン……」

 八木橋先輩が、何度もランチョンと繰り返す。
 ああ、あの瞬間は、最高の名付けが出来たと思ったよ。だが、後悔はしない! 人の評価は気にしない! ランチョンマット最高! ……ぐすん。

「ランチョンマット、ランチョン……悪くないな」
「本当ですか?」
「あ、ああ。個性的で、響きは悪くないな……」
「先輩って、本当いい人ですね……。そこは、僕のクリスティーナに変な名前をつけるなー! って、怒鳴ってもいいですよ……」
「名前に関してはお互い様だ。僕も散々笑われた……」

 向こうの生徒会役員の先輩達は、まだ大爆笑してるけど、気にしない……。いい加減に笑うのヤメレ! こっちにだって、丸聞こえなんだからね!

 真っ赤になって涙目になった私を、八木橋先輩は笑わないでいてくれた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...