彼岸の君との別れ方。

ねこたば(旧・和太狐太朗)

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四葉・怒り。

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「なに……これ……」

僕は思わず言葉を漏らす。
ただ、何を言おうと変わるはずはない。
僕が見たのは遺書。まさしく、遺書だった。

「……」

流石に、言葉を失った。
当然だ。
遺書なんてものを見たのは初めてだったのだから。
いや、明治漱石昭和太宰の名作の中に出てくる「遺書」くらいには目を通したこともあるが、本物のそれとはもっと形式的で実利に関する話のみが書かれるものだとばかり思っていた。
だからだろうか。実物として目の前にある文章を読んでみても、「遺書」を読んでいる気持ちにはならなかった。
それが、まさしく自ら「遺書だ」と名乗っているものであるにも関わらず。

「……」

僕は紙の束を机に投げ出す。
どうにも続きを読む気にはならなかったから。
そのまま僕は両手で顔を覆うと、机に突っ伏した。

「なんだよ……」

呟きが零れる。

なんだよ、人が怖いって。
なんだよ、僕に知ってほしいことって。

そこに記されていたことは、まさしく僕の知りたいと望んでいたことに他ならないもので。
なのに、どうしてだか、それ以上知りたいとは思えなくて。

そこにはきっと、彼の何かが遺されているのだろう。
彼が生きている間には教えてくれなかった、彼自身の何かが。
でも、それを追ったとしても、その先には果てなき喪失だけが待っているような気がして。
その予感は、一度は固まったはずの僕の覚悟をへし折るには充分だった。

そもそも僕は、彼の死に様がどのようなものだったのかを知らないことをふと思い出した。
唐突なその訃報に動転していたのか、そのことに頭は回らなくて。
でも今なら、遺書の存在やその中身から、容易に想像ができて……。

「……」

指の隙間から覗くと、百枚はありそうな分厚い原稿用紙の束が目に入る。
こんな分厚い手紙を書くくらいなら、彼自身の声で、彼自身の表情で、彼自身の言葉で、それを伝えて欲しかった。
そんな当然の想いが湧き上がった。

たしかに、彼は自分自身のことを話すような人間ではなかった。
いつも聞きたいことがたくさんあって、でも彼はそれを教えてくれるようなことは決して無くて。
どんな人生を歩んできたのか。
どんな家族に囲まれて過ごしてきたのか。
どんな食べ物が好きで、どんな景色が好きで、どんな夢を抱いてたのか。
そんな親友かれのことを、いつか親友かれ自身の言葉で語ってもらえる日が来ることを、待っていたのに。

「……」

ふと、写真が目に入ってきた。
木枠にはめ込んだツーショット写真。
それが目に入ってきて、僕は視線を落とす。

自分の感情がわからなかった。
抱えているものがどんな感情なのかが分からないのではない。
なぜ、怒りの感情がとめどなく溢れてくるのかが分からなかった。

「……」

コップを口元に持っていって、それがもう空っぽになっていることに気がつく。

「はぁ……」

良いタイミングだった。
ごちゃごちゃの心の中を整理するために、僕は机を離れた。

ティファールでお湯を沸かす間、ぼんやりと宙を眺める。
ぼんやり、ぼんやり、ぼんやり。
こうしている間も、何かを考えようと思った。
でも、何をどう考えて良いかすらも分からないまま、タイムアップの音がカチリ。

諦めて、珈琲と紅茶を一杯ずつ淹れる。
珈琲は僕の分、そしてついでに弟の分の紅茶。
それを、砂糖と付け合わせのお菓子と共にお盆に乗せ、階段を登って弟の部屋へと持ち運ぶ。

「ショーマ。入ってもいい?」

両手が塞がっているためノックの代わりに部屋の扉の前から声をかけると、弟はすぐに返事を返した。

「いいよ」

「邪魔するよー」

扉を開ける。
真っ先に目に入るのはきっちりと参考書類が並べられた棚。
その隣の、これまた整頓された綺麗な学習机に、弟は噛り付いていた。

「お疲れ様。紅茶を淹れたよ」

「おっ、ありがとう」

紅茶を机に置くと、ようやく弟は顔を上げた。

「お疲れ様。勉強はどんな感じ?」

「うん。やっぱり二次試験は難しいよ」

紅茶に口をつけて、弟は「ほぅ……」と息を吐く。
その横顔を見ていると、不意に自分の心の中のごちゃごちゃを全部ぶちまけたい衝動に駆られた。

「…………」

「……大丈夫?」

「……うん」

「そっか……」

「……」

「……」

弟の短い問いかけに小さく頷くと、それきり沈黙が降りる。

正直に言って、弟への返答は嘘だった。
ともすれば手紙を読む前よりも酷い嵐が心の中に吹き荒れていて、決して「大丈夫」にはほど遠い。
そんな胸の内を知って欲しくて、共有したくて。

でも、言えない。
合格通知を彼への手向けにすると言った弟の頑張りを目にすると、言えない。
親友から僕宛に手紙が書かれていたと言うことも、その内容が自らを死に向かわせるようなものであったと言うことも、今の弟には言えなかった。
だから--。

「僕はもう大丈夫。だから、ショーマも僕のことは気にせず存分に頑張りな」

ただ、こう言うしかなかった。
満面の笑みと出来るだけの明るい声と共に。
それに安心したのかはたまた納得を得たのか、サムズアップをする弟に僕は背を向けて部屋のドアを閉じる。

自分の部屋に向かいながら思う。

間違えた、と。
彼の死はともかく、その遺された手紙に弟は関係ない。
僕宛ての手紙だ。
彼が、僕に向けて、僕にだけに遺した言葉たちだ。
たとえ読むことが苦しくとも、受け入れ難くとも、彼がきっと僕にならと開いてくれた胸襟なのだ。
それに向き合うべきは僕であって、他の誰でもない。
これは、僕個人の責任、責務。
なのに、僕はそこから一瞬でも目を背け、逃げ出してしまった。そしてあまつさえ、佳境を迎える受験生に縋ろうと考えて……。
そんな自分が限りなく弱い存在に思えた。
そんな自分の弱さが、限りなく申し訳なく思った。

だから----。

「よし」

自室に入り、紙の束に手を伸ばす。
原稿用紙をぱらぱらとめくっていくと、そのすべてにびっしりと彼の几帳面な字が所狭しと並んでいた。

「こんなに……」

覚悟は決まった。
それでも溢れそうになる熱いものを呑み込んで、僕は写真に手を伸ばす。

「君がいなくなって、もう三日……。そろそろ、俺も一歩進まないとね」

変わらぬ笑顔に語りかけ、僕は手元に目を落とす。
凪のように静まる心。
その心のままに、僕は紙の束をトントンと机に当てて揃え、ハラリとページをめくる。

静けさを撫でるような紙の音。
時がゆっくり巻き戻り、世界は少しずつ彼の言葉に沈みゆく。
染まる世界。
僕はコーヒーを口に含む。
鼻を抜ける少し水っぽい香りのいざなう先で、やがて僕は再び親友と出会った。
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