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御船
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厨で一晩を明かした滝と桐は、次の日も朝からご飯を炊いた。昨日に引き続き絶え間なく何度も炊き続け、船乗りたちの食事が終わり自分達も食べ終わったのは真昼を過ぎた頃だった。厨房を片付けるとあとは九州に着くのを待つばかり。
厠へ出て行った桐が、
「ねえちゃん、着いたよ」
と滝を外へ呼んだ。二人で看板に立って見る景色は青い海ではなかった。船の前にも後ろにも陸が見える。前方は肥後の国、後方は島原。船は有明海を走っていた。
船は宇土を右手に緑川へ入った。緑川は肥後の国の中央を流れる十九里続く清流である。大地を切り開き堂々と流れていく姿は雑賀の紀ノ川に似ている。新天地九州とはどんなところかと期待をしながら不安もある二人であるから、見慣れた光景に笑みがこぼれる。そこへマサが来た。
「長崎の前に御船に寄るけんね」
御船とは肥後の国と日向の国を結ぶ街道にある町で、西に四里行けば肥後の国と薩摩の国を結ぶ薩摩街道もある。二つの街道が交わる宿場町として栄える一方、有明海へ注ぐ緑川の支流である御船川沿いであることから、長崎や南島原で行われている海外貿易の二次拠点としても機能している。
マサにとって肥後の国に横たわる緑川は阿波の国を流れる吉野川を思い出させる。阿波から吉野川を下って堺や雑賀へ物を運んでいたマサは、緑川を使って物を運ぶ御船に強く惹かれた。
御船に到着すると、市場はあるが堺のような物の売り買いの喧騒はなく、宿屋が五、六軒並んでいる。岸には平田船や馬船などの小型の船が係留している。
こじんまりとした穏やかな港の雰囲気に三人は強く惹かれた。
「ここに住みたいなあ」
マサの言葉に滝と桐もここがいいと賛成し、三人は船を降りた。
港の西の端に二階建ての空き家があった。村の人に尋ねると、その家で飯屋をやっていた夫婦がなくなり、子どもは出て行って帰って来ないそうだ。六年もの間放置されているから住みたかったら住んでいいと言われた。
一階に座敷と厨房があり、二階が住まいになっている。まるで一階で店をやって二階に住んでいたヒデの飯屋のようだ。滝と桐は目を合わせてにやりと笑った。
「ねえちゃん」
「うん。ここで飯屋をしよう」
三人はまず家を直すことから始めた。六年もの間人が住んでいなかったのだから、家の中は虫の住処になっている。天井も床も虫だらけ。そこら中に転がっている虫の死骸や、角という角にある巣を取り除いて家の中をくまなく掃除した。マサは二階の板間の破れた板を張り直し、一回の座敷の畳も直した。十日ほどで家の中は整い、次は畑。家の裏には伸び放題の草がぎっしりと生えている。それを刈って引っこ抜き、耕して畑を作った。
厨房には竈を三つ作り、ひと月ほどで飯屋を始める準備ができたと思いきや、ところがどっこい、米の調達がうまくいかない。
ここ御船では雑賀のような配給などない。米は買うか自分たちで作らなければならない。田んぼをこしらえたいが、水を引くことを考えると三人でできることではない。なんでも用意されていた雑賀とはまったく違う。知り合いもいない知らない土地で何もかも自分たちでしなければならい。雑賀の共同体としての質の高さが今更ながら身に染みる。滝は父ちゃんの言う「雑賀ほどいいところはない」の意味を早くも知る羽目になったのだった。
滝とマサは毎日村の人たちに会いに行って、村の一因として仲間に入れてもらえるように交流を心がけた。その努力は実り、若い夫婦が引っ越してきたという噂は広まり、一人また一人とマサたちに、
「足りんもんはなかと?」
「こまっとりゃせんか?」
と声をかけ手を貸すようになった。そのうちの一人が、
「うちの隣ですればよか」
と田んぼを作らせてもらえることになった。水を引いてある田んぼの隣だから、水を引くのも簡単だ。三人は必死に耕して秋の種蒔きに間に合わせた。ほどなくしてマサの乗る船もみつかり、三人はどうにか落ち着いて冬を迎えることができたのだった。
マサの乗る船は島原や天草、時に長崎まで荷を運ぶが頻度はそれほど多くはなく、月の半分ほどである。それで船に乗らない日は御船の北東に位置する朝来山へ山菜を採りに行く。それを桐が孝の母親の真似をして塩漬けにした。
冬の間、滝は竹籠を編んだ。春になったら始める予定の飯屋では、握り飯を持ち帰れるようにするつもりだ。その為の蓋つきの小さな籠と、日用品を入れられる大きな籠を編み、大きな籠は宿屋や市場で売った。
桐は壺をいくつか調達し、山菜の漬物や得意の香香を漬けた。そして畑で採れる野菜を使ってヒデの飯屋で食べた金山寺味噌も作った。
春の飯屋の開店へ向けて着々と準備を進めていくこの時間が、滝と桐にはとてつもなく楽しい。
港の人たちは東の国から来た三人を珍しがりながらも、知らない国の話を聞くのが面白いらしく、滝は雑賀と浦賀のことを、マサは阿波や堺のことを語って聞かせた。
御船の村へ来て初めての正月のこと。正月は宿屋も港も閑散としている。誰もが忙しい日々から解放されて新年を祝う時だ。村人たちは一堂に集まり餅を搗いて雑煮を食べた。そこで移り住んで来た三人が紹介をされたのだが、桐を見て驚く人が多かった。
雑賀ではいち早く村になじんだ桐であったが、御船では家の厨にこもっている。飯屋で美味しい料理を出そうと毎日献立をあれやこれやと試行錯誤している。逆に雑賀で村になじめなかった滝が毎日誰かしらと言葉を交わし、早くも村に溶け込んだ。そっくりな二人であるから、誰もが桐を見かけても滝だと勘違いしていた。若い夫婦二人だけが住んでいると思っていたから、三人なのだと知らない人が多かったのだ。
「双子か?」
「そっくりと」
目を丸くする人たちを前に滝と桐はくすくす笑い背を向けた。即座にマサが、
「棒がお滝、輪っかがお桐やけんね」
と髪型の違いを説明をするが、
「前からやとわからんと」
と村の人たちは面食らっている。ますますくすくす笑う滝と桐に、村の人たちも笑うのだった。
桐は皆に金山寺味噌を振舞った。夏に採った野菜をさいの目に切り味噌に混ぜ込む金山寺味噌は、夏野菜を冬まで保存して食べるという意味がある。女たちは、
「なるほど、これはいい」
「作ってみる」
と作り方を桐に詳しく尋ねた。
御船に来てからめっきり人と話さなくなった桐はふさぎ込んでいるようにも見えたから、桐が村の人たちと楽しそうに話をしているのを見て、マサと滝は胸をなでおろしたのだった。
つづく
厠へ出て行った桐が、
「ねえちゃん、着いたよ」
と滝を外へ呼んだ。二人で看板に立って見る景色は青い海ではなかった。船の前にも後ろにも陸が見える。前方は肥後の国、後方は島原。船は有明海を走っていた。
船は宇土を右手に緑川へ入った。緑川は肥後の国の中央を流れる十九里続く清流である。大地を切り開き堂々と流れていく姿は雑賀の紀ノ川に似ている。新天地九州とはどんなところかと期待をしながら不安もある二人であるから、見慣れた光景に笑みがこぼれる。そこへマサが来た。
「長崎の前に御船に寄るけんね」
御船とは肥後の国と日向の国を結ぶ街道にある町で、西に四里行けば肥後の国と薩摩の国を結ぶ薩摩街道もある。二つの街道が交わる宿場町として栄える一方、有明海へ注ぐ緑川の支流である御船川沿いであることから、長崎や南島原で行われている海外貿易の二次拠点としても機能している。
マサにとって肥後の国に横たわる緑川は阿波の国を流れる吉野川を思い出させる。阿波から吉野川を下って堺や雑賀へ物を運んでいたマサは、緑川を使って物を運ぶ御船に強く惹かれた。
御船に到着すると、市場はあるが堺のような物の売り買いの喧騒はなく、宿屋が五、六軒並んでいる。岸には平田船や馬船などの小型の船が係留している。
こじんまりとした穏やかな港の雰囲気に三人は強く惹かれた。
「ここに住みたいなあ」
マサの言葉に滝と桐もここがいいと賛成し、三人は船を降りた。
港の西の端に二階建ての空き家があった。村の人に尋ねると、その家で飯屋をやっていた夫婦がなくなり、子どもは出て行って帰って来ないそうだ。六年もの間放置されているから住みたかったら住んでいいと言われた。
一階に座敷と厨房があり、二階が住まいになっている。まるで一階で店をやって二階に住んでいたヒデの飯屋のようだ。滝と桐は目を合わせてにやりと笑った。
「ねえちゃん」
「うん。ここで飯屋をしよう」
三人はまず家を直すことから始めた。六年もの間人が住んでいなかったのだから、家の中は虫の住処になっている。天井も床も虫だらけ。そこら中に転がっている虫の死骸や、角という角にある巣を取り除いて家の中をくまなく掃除した。マサは二階の板間の破れた板を張り直し、一回の座敷の畳も直した。十日ほどで家の中は整い、次は畑。家の裏には伸び放題の草がぎっしりと生えている。それを刈って引っこ抜き、耕して畑を作った。
厨房には竈を三つ作り、ひと月ほどで飯屋を始める準備ができたと思いきや、ところがどっこい、米の調達がうまくいかない。
ここ御船では雑賀のような配給などない。米は買うか自分たちで作らなければならない。田んぼをこしらえたいが、水を引くことを考えると三人でできることではない。なんでも用意されていた雑賀とはまったく違う。知り合いもいない知らない土地で何もかも自分たちでしなければならい。雑賀の共同体としての質の高さが今更ながら身に染みる。滝は父ちゃんの言う「雑賀ほどいいところはない」の意味を早くも知る羽目になったのだった。
滝とマサは毎日村の人たちに会いに行って、村の一因として仲間に入れてもらえるように交流を心がけた。その努力は実り、若い夫婦が引っ越してきたという噂は広まり、一人また一人とマサたちに、
「足りんもんはなかと?」
「こまっとりゃせんか?」
と声をかけ手を貸すようになった。そのうちの一人が、
「うちの隣ですればよか」
と田んぼを作らせてもらえることになった。水を引いてある田んぼの隣だから、水を引くのも簡単だ。三人は必死に耕して秋の種蒔きに間に合わせた。ほどなくしてマサの乗る船もみつかり、三人はどうにか落ち着いて冬を迎えることができたのだった。
マサの乗る船は島原や天草、時に長崎まで荷を運ぶが頻度はそれほど多くはなく、月の半分ほどである。それで船に乗らない日は御船の北東に位置する朝来山へ山菜を採りに行く。それを桐が孝の母親の真似をして塩漬けにした。
冬の間、滝は竹籠を編んだ。春になったら始める予定の飯屋では、握り飯を持ち帰れるようにするつもりだ。その為の蓋つきの小さな籠と、日用品を入れられる大きな籠を編み、大きな籠は宿屋や市場で売った。
桐は壺をいくつか調達し、山菜の漬物や得意の香香を漬けた。そして畑で採れる野菜を使ってヒデの飯屋で食べた金山寺味噌も作った。
春の飯屋の開店へ向けて着々と準備を進めていくこの時間が、滝と桐にはとてつもなく楽しい。
港の人たちは東の国から来た三人を珍しがりながらも、知らない国の話を聞くのが面白いらしく、滝は雑賀と浦賀のことを、マサは阿波や堺のことを語って聞かせた。
御船の村へ来て初めての正月のこと。正月は宿屋も港も閑散としている。誰もが忙しい日々から解放されて新年を祝う時だ。村人たちは一堂に集まり餅を搗いて雑煮を食べた。そこで移り住んで来た三人が紹介をされたのだが、桐を見て驚く人が多かった。
雑賀ではいち早く村になじんだ桐であったが、御船では家の厨にこもっている。飯屋で美味しい料理を出そうと毎日献立をあれやこれやと試行錯誤している。逆に雑賀で村になじめなかった滝が毎日誰かしらと言葉を交わし、早くも村に溶け込んだ。そっくりな二人であるから、誰もが桐を見かけても滝だと勘違いしていた。若い夫婦二人だけが住んでいると思っていたから、三人なのだと知らない人が多かったのだ。
「双子か?」
「そっくりと」
目を丸くする人たちを前に滝と桐はくすくす笑い背を向けた。即座にマサが、
「棒がお滝、輪っかがお桐やけんね」
と髪型の違いを説明をするが、
「前からやとわからんと」
と村の人たちは面食らっている。ますますくすくす笑う滝と桐に、村の人たちも笑うのだった。
桐は皆に金山寺味噌を振舞った。夏に採った野菜をさいの目に切り味噌に混ぜ込む金山寺味噌は、夏野菜を冬まで保存して食べるという意味がある。女たちは、
「なるほど、これはいい」
「作ってみる」
と作り方を桐に詳しく尋ねた。
御船に来てからめっきり人と話さなくなった桐はふさぎ込んでいるようにも見えたから、桐が村の人たちと楽しそうに話をしているのを見て、マサと滝は胸をなでおろしたのだった。
つづく
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