一ノ瀬一二三の怪奇譚

田熊

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「扉のない祠」

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 「神は決して目にしてはならない」

 そんな教えを守る村があると聞いた。

 その村では、神の姿を誰も見たことがない。
 しかし、それこそが信仰の証だという。

 「神は、認識された瞬間に消える」

 神を見ることができないということは、神がそこにいる証明になる――という理屈らしい。

 馬鹿げているようにも思えるが、この村では何百年もその教えが続いている。
 そして、最も奇妙なのは、この村で神の存在を疑った者は、決して村を出ることができなくなる という言い伝えだ。

 もしそれが本当なら、神とは何なのか?
 ただの概念なのか、それとも――。

 僕は、その村を訪れることにした。



 村は、山奥にひっそりと存在していた。

 舗装もされていない山道を抜けると、古い日本家屋が並んでいるのが見える。
 入り口には鳥居が立っているが、神社ではなく、村全体の門のようなものだった。

 門をくぐると、数人の村人がこちらを見ていた。

 「お客さんかい?」

 そう声をかけてきたのは、白髪の老人だった。
 他の村人たちは無言のまま、じっとこちらを観察している。

 「この村の信仰について調べているライターです」

 そう言うと、老人は微笑んだ。

 「ようこそ。ここでは、神の御加護を受けられるだろう」



 村の中心には、大きな祠があった。

 しかし、奇妙なことに、祠には扉がなかった。

 普通、神を祀る場所には祭壇があり、その奥に本尊や御神体が置かれている。
 だが、この祠は違った。

 入り口がぽっかりと開いていて、中を覗くと――何もない。

 ただの空間だった。

 「神は、ここにいるのですか?」

 僕の問いに、老人は頷く。

 「神はそこにいる。だが、見ることはできない」

 「見えないのではなく、いないのでは?」

 そう返すと、老人は微笑みながら首を振った。

 「神を見ようとすること自体が、無意味なのだ」

 「なぜです?」

 「神は、人が認識した瞬間に消える」



 僕は村の中にある古い書物を見せてもらった。

 中には、神に関する記録が書かれていた。
 しかし、違和感があった。

 神の姿についての記述が、一切ないのだ。

 普通、信仰の対象には何かしらの形がある。
 それが動物でも、人の姿でも、抽象的な象徴でもいい。

 だが、この村の記録には「神」の概念はあっても、その姿に関する情報は欠落していた。

 ……もともと「なかった」のか?
 それとも、「意図的に消された」のか?



 夜になり、僕は村の長老の家に泊まることになった。

 床に就いたあとも、祠のことが気になっていた。

 あれは、本当にただの空の空間なのか?

 何か証拠を掴めるかもしれない――。

 僕は写真に映された祠をじっと見つめ、意識を集中させた。

 次の瞬間、視界が暗転した。



 ――僕は、写真の中にいた。

 いや、正確には「精神だけ」が写真の中に入り込んでいた。

 そこは、過去の村 だった。

 周囲を見ると、村人たちがいる。
 しかし――異変に気づく。

 村人たちの顔が、塗りつぶされている。

 いや、塗りつぶされているのではない。
 最初から存在しなかったように、空白になっている。

 さらに、神の祠を見た瞬間、息を飲んだ。

 今の時代にはないはずの扉が、そこにあった。

 つまり、過去には「扉があった」のだ。
 では、なぜ今はないのか?

 僕は祠の扉を開けようとした。

 その瞬間――村人たちが、こちらを向いた。



 「見てはならない」

 どこからともなく、声が聞こえた。

 いや、声ではない。
 村そのものが僕に訴えかけているような感覚だった。

 ――これは、まずい。

 僕はとっさに集中を解き、写真の世界から抜け出した。



 翌朝、僕は村を出ようとした。

 しかし、ある違和感を覚えた。

 村人たちが、不自然なほど親しげに話しかけてくる。
 まるで――僕がずっとここに住んでいたかのように。

 「一二三さん、今朝の祭りには来なかったのね」
 「今日は一二三が祠に祈る日だろ?」
 「どうした? 体の具合でも悪いのか?」

 僕は昨日ここに来たばかりのはずだ。
 しかし村人たちはまるで、僕が最初からここにいたかのように話す。



 出口のはずの道が、見つからない。
 いや、出口という概念そのものが、頭の中から抜け落ちているような感覚だった。

 どこに向かえばいい?
 どの道を歩けば、この村から出られる?

 考えるほど、頭が混乱する。



 再び祠の前に立つ。
 あれほど不気味に感じた空間が、今は妙に落ち着いて見えた。

 神は、認識された瞬間に消える。
 では、この村にいるのは何なのか。
 僕の目の前にあるものは、神なのか、それとも――。

 ――僕は今、どこにいる?

 ……それすら、考えることが許されていない気がした。

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