悪役令嬢の選択

柘榴アリス

文字の大きさ
3 / 5

ヒロインの接触

しおりを挟む
それから数日後、アリアドネは同級生たちと談笑しながら廊下を歩いていた。すると、通り過ぎた女子生徒がいきなり転んだ。アリアドネは思わず立ち止まり、手を伸ばした。
「大丈…、」
「酷いです!アリアドネ様!」
助け起こそうとしたアリアドネだったが顔を上げた女子生徒の言葉によって遮られる。アリアドネは気付かなかったが転んだ生徒はシンシアだった。いきなり非難され、アリアドネは困惑した眼差しを向ける。
「いきなり、脚を引っかけて転ばすなんて!どうして、こんな事するのですか!」
周りの生徒がざわついた。アリアドネは身に覚えのない事に何と返せばいいのか分からない。
「シンシア嬢。何か誤解をなさっていらっしゃるのでは?私はあなたを転ばせてなど…、」
「どうした!シンシア!」
「シンシア!」
そこで都合よく…、アリアドネにとっては都合の悪いことにシンシアの取り巻きたちが現れた。学園で一番関わりたくない人物…、王太子ロナルドとその他の高位貴族の子息達だ。その中にはロイスもいる。一見して転んだシンシアと差し出した手を引っ込め、立ったままのアリアドネ…。状況を説明しようと口を開く前にシンシアが
「ロナルド様!」
畏れ多くも王太子の名を呼び捨てにし、その胸に縋りついた。
「助けてください…!アリアドネ様がいきなり突き飛ばしてきて…、凄い顔であたしを睨んでくるの…。」
「貴様!シンシアを泣かせるとはどういうつもりだ!」
王太子はアリアドネに指を突き付け、怒鳴りつけた。
「お待ちください。殿下。まずは話を…、」
「可哀想に…。泣いているではないか!そもそも、貴様は誰だ?名を名乗れ!」
まさか王太子ともあろう者がアルセーヌブルク家の令嬢を知らないのか。アリアドネは愕然とした。アリアドネは公爵令嬢として両親から王族や貴族の家に連なる人間の顔と名前を頭に叩き込まれ、それらを全てではないがある程度は記憶している。それなのに、将来国を担うべき立場である王太子が一貴族の名前すら知らないとは。アルセーヌブルク家は貴族でも高位の家柄。この様子では下位貴族の人間ですら覚えてないのかもしれない。アリアドネはこの国の将来は大丈夫だろうかと思った。
「殿下。彼女はアルセーヌブルク家の令嬢です。」
ロイスが王太子に耳打ちした。
「…お初にお目にかかります。アリアドネ・ド・アルセーヌブルクと申します。」
アリアドネは淑女の礼を持って挨拶を返した。その優雅なお辞儀に周りの生徒はホウ、と溜息を吐いた。
「公爵令嬢ともあろう者が身分が下の者に乱暴するとは何事だ!恥を知れ!」
王太子はアリアドネに対して、挨拶を返さず怒鳴りつけた。アリアドネは礼儀のなってない王太子に不快感を抱いた。
「アルセーヌブルク公爵令嬢…。今すぐシンシアに謝りなさい。」
「何に対しての謝罪でしょうか?」
ロイスの言葉にアリアドネは毅然と前を向いて聞き返す。
「シンシアを突き飛ばしたことに対する謝罪だ!」
「私はシンシア嬢を突き飛ばしてはおりませんから謝罪は致しません。」
王太子の言葉にきっぱりとアリアドネは拒否した。公衆の面前で男爵令嬢に頭を下げる。それがどれだけ貴族にとって屈辱的な行為なのか。彼らは分かっているのだろうか。自分だけならいい。でも、その行為は家の名や権威すらも貶めるのだ。
「何だと!?下手な嘘をつくのもいい加減に…!」
「でしたら、周りの生徒に聞いて下さい。私はそもそも、廊下を歩いている時、端の方を歩いていました。シンシア嬢はその反対側の廊下にいました。その距離でどうやって突き飛ばすというのでしょうか?それと、シンシア嬢は初めは私に足で引っかけて転ばせられたと仰いましたが殿下達が駆け付けた際には突き飛ばされたと仰いました。」
「ああ…。確かに…。」
「僕もそれは聞いた…。」
周りの生徒がアリアドネの言葉に頷いた。
「そ、それは言い間違えて…、」
「足で引っかけられたのと突き飛ばされたのでは大きな違いがあると思いますが…、果たしてそんな間違いが有り得るのでしょうか。」
「いい加減にしろ!そうやって、シンシアを虐めて何が楽しい!」
「ありもしない罪を被せられ、謝罪を要求されたから自らの無実を証明することの何がいけないのでしょう?」
「そうやって屁理屈を…!」
「そこまでにしなさい。」
アリアドネに激昂し、今にも飛び掛かろうとする殿下を制したのは一人の教師だった。
「ミカエル先生!」
女子生徒の歓声が廊下に響いた。王立学園の教師であり、聖職者でもある彼は主に宗教学や神学を担当している。この国では聖職者は妻帯を禁じられているがミカエルは教師の中でも若く、見目麗しい美貌から女子生徒に人気だった。プラチナブロンドの長髪を後ろで一本に結び、眼鏡をかけ、エメラルドグリーンの瞳を持ち、聖職者用のローブを纏った正統派な美形だ。性格も信心深く、正義感に溢れ、温厚で男女ともに平等で教育熱心。正に聖職者の鏡として評判の高い教師だった。
「殿下。か弱いレディにそのように詰問するのは紳士のすることではありませんよ。…どうやら、お互いに誤解があった様です。そこまでにしたらどうです?」
「な、たかが一教師が俺にそんな指図を…!」
「それとも、まだこの状況で詰問しますか?これ以上…、問題になさる様ならわたしも一教師として見過ごせませんが?」
スッと目を細めたミカエルの表情に彼らは息を呑んだ。彼の瞳は笑っておらず相手を黙らせる威圧感があった。が、数秒後にはにこりといつものように穏やかな微笑みを浮かべ、
「さあ、もう授業が始まりますよ。遅刻しないように注意してくださいね。」
その言葉に殿下達も他の生徒も従った。勿論、アリアドネも。
ミカエル先生の介入で事なきを得たがあれからもシンシアは事あるごとにアリアドネに絡んできた。友人と紅茶を飲んでいるアリアドネの傍に並々入った紅茶を手にして、目の前で転んで紅茶を見事に被り、それをさもアリアドネがわざと転ばせたと言いがかりをつけられた。その際、火傷をしていないか心配したが紅茶の温度は温かったので火傷はしていなかったらしい。他にも何故か机やロッカーからシンシアの私物が紛れていたり、ずたずたに引き裂かれたシンシア嬢の教科書やドレス、ハンカチ等が部屋から出てきたりしたおかげで殿下達からはお前の仕業だろうと犯人扱いされる始末。アリアドネは精神的に疲労していた。周囲から腫れ物を触れるかのような扱いを受け、他の生徒はアリアドネと距離を置くようになった。今のところ、決定的な証拠がないため、アリアドネはまだ学園に通えるがそれも時間の問題かもしれない。シンシアは自身を陥れる気でいるつもりなのだろう。
シンシアはアリアドネを悪役令嬢と呼び、断罪するとか言っていた。つまり、必ずこの先また何かしら仕掛けてくる筈。平凡に過ごそうと思っていたのに何故こうなったのかと何度目になるか分からない溜息を吐いた。
―もし、私の身に何か起これば…、あれがまた目覚めるかもしれない。そうなれば、あの時のように…、
アリアドネは胸に手を置いた。そこにはドレスの下に隠した宝石の固い感触がある。ベンチに座り、憂鬱そうにしている彼女に一人の男性が近づいた。
「隣…、よろしいですか?」
「あ、はい。どうぞ…、ミカエル先生?」
「浮かない顔ですね。アリアドネ嬢。」
隣に座ったのはミカエルだった。にこやかに微笑むミカエルにアリアドネは
「あの…、先生。この間は助けて下さりありがとうございました。先生にはずっとお礼を言いたいと思っていて…、」
「大したことはしていませんよ。殿下の行動には些か問題がありましたからね。困ったものです。」
ふう、とミカエルは溜息を吐き、
「君は大丈夫ですか?何か困ったことがあれば相談に乗りますよ。」
「ミカエル先生…。ありがとうございます。でも、大丈夫です。」
アリアドネは笑顔でそう言った。その気持ちだけで嬉しかった。
「アリアドネ嬢…。実は、シンシア嬢のことで私も気になることがあるのです。」
「気になること…?」
「学園でも警護している騎士や他の教師に聞けばシンシア嬢が何やら不審な行動をしている目撃情報があったらしく…、どうも君を嗅ぎ回っているらしいという話まで入ってきまして。危惧だといいのだけれど…。一応あなたにも伝えておこうと思って。」
アリアドネはどきりとした。やっぱり、彼女は…、
「あの…、私にもよく分からないのですがどうもシンシア嬢は私を使って何か企んでいるみたいなのです。確証もないので断言はできないのですが…、」
「アリアドネ嬢はシンシア嬢をどう思っているのですか?」
「え?いえ、別に特には…。今までかかわりもなかったですし…、けど、何だか彼女は怖いです。」
「怖い?」
「何を考えているのか分からないというか…。」
男の前ではか弱い振りをしているが実際はしたたかで意地の悪い性格なのかもしれない。それに、あの意味不明な言動…。アリアドネは気味が悪いとしか思えなかった。そんなアリアドネの頭をミカエルは優しく手を置いた。アリアドネは顔を上げる。
「もし、何かあれば…、いつでも私を頼ってきなさい。君は私の大切な生徒ですから。」
「ミカエル先生…。」
優しい言葉がアリアドネの心に染み渡る。
「そういえば、アリアドネ嬢。例の首飾りはまだお持ちなのですか?」
「え…?」
アリアドネはどくん、と心臓が嫌な音を立てた気がした。
「どういう…、意味でしょうか?」
何故、彼がその事実を知ってるのか。これは我がアルセーヌブルク家と王家、そして、一部の人間にしか知られていない秘密だ。それを何故…。
「ああ。警戒させてしまいましたね。大丈夫。わたしは君の味方です。私は聖職者。教会の人間…。だから、あの首飾りの秘密を知ってる。…元々、その為にわたしはこの学園に派遣されたのですよ。」
「え…?じゃあ、ミカエル先生は…、」
「ええ。わたしは教会からある特殊な任務を授けられました。公爵令嬢である君を守り、何かあればあれを止める。君に危害を加える人間がいればそれを制するようにとも。」
「教会が…。」
アリアドネは警戒心を解いた。彼は聖職者だとは知っていたがまさか教会が陰でそんな事をしていたとは知らなかった。昔から、アリアドネは定期的に教会に通っている。一部の聖職者にはこの首飾りの存在を知ってる者もいる。最近は静かだがいつまた目覚めるか分からない。その危険性を教会も理解している。この学園では特にその可能性が高い。だからこそ、ミカエルに極秘でこの任務が与えられたのだろう。アリアドネは納得した。
「そうだったのですね。私、全然知らなくて…、」
「学園にいる間だけでも普通の令嬢らしく過ごして欲しいと思って…、それでアリアドネ嬢には何も言わないつもりでいたのです。黙っていて申し訳ありません。」
「い、いえ!そんな…、」
アリアドネは首を振った。その心遣いが素直に嬉しい。アリアドネはミカエルに好意を持った。今までは一教師としてしか見てなかったが彼はアリアドネの秘密を知っているのだ。だからこそ、ミカエルの存在はアリアドネには心強く感じた。
「ただ最近は…、シンシア嬢が君に接近しています。そして、必然的に殿下達もあなたに敵意を抱いている。」
「先生は…、その…、私の事疑いますか?」
もし、疑われているのなら辛い。アリアドネはギュッと手を握りしめる。
「アリアドネ嬢が?まさか。学園の中でも品行方正だと評判の君があんな虐めをする訳がない。あなた程、心の綺麗な女性をわたしは今まで見たことがない。」
アリアドネは思わず顔を赤くする。
「そんな…、褒めすぎです。」
「私は嘘はつきませんよ。あなたには悪意や敵意、嫉妬や憎悪といった醜い感情は似合わない。…本当に『白薔薇』と呼ぶにふさわしい心根の持ち主だ。」
アリアドネは年頃の娘だ。おまけにあまり異性と接する機会がなく、親しい異性の友人も知人もいないので男慣れしていない。ミカエルのような見目麗しい若い紳士にそう言われ、思わず顔を伏せた。すると、スッと髪に何かが触れる。ミカエルがいつの間にか手にしていた白薔薇をアリアドネの髪に挿してくれたのだ。
「よく、似合っていますよ。」
そう言って、ミカエルは甘い微笑みを浮かべた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

良くある事でしょう。

r_1373
恋愛
テンプレートの様に良くある悪役令嬢に生まれ変っていた。 若い頃に死んだ記憶があれば早々に次の道を探したのか流行りのざまぁをしたのかもしれない。 けれど酸いも甘いも苦いも経験して産まれ変わっていた私に出来る事は・・。

【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた

22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。

【完結】元悪役令嬢は、最推しの旦那様と離縁したい

うり北 うりこ@ざまされ2巻発売中
恋愛
「アルフレッド様、離縁してください!!」  この言葉を婚約者の時から、優に100回は超えて伝えてきた。  けれど、今日も受け入れてもらえることはない。  私の夫であるアルフレッド様は、前世から大好きな私の最推しだ。 推しの幸せが私の幸せ。  本当なら私が幸せにしたかった。  けれど、残念ながら悪役令嬢だった私では、アルフレッド様を幸せにできない。  既に乙女ゲームのエンディングを迎えてしまったけれど、現実はその先も続いていて、ヒロインちゃんがまだ結婚をしていない今なら、十二分に割り込むチャンスがあるはずだ。  アルフレッド様がその気にさえなれば、逆転以外あり得ない。  その時のためにも、私と離縁する必要がある。  アルフレッド様の幸せのために、絶対に離縁してみせるんだから!!  推しである夫が大好きすぎる元悪役令嬢のカタリナと、妻を愛しているのにまったく伝わっていないアルフレッドのラブコメです。 全4話+番外編が1話となっております。 ※苦手な方は、ブラウザバックを推奨しております。

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

彼女が高級娼婦と呼ばれる理由~元悪役令嬢の戦慄の日々~

プラネットプラント
恋愛
婚約者である王子の恋人をいじめたと婚約破棄され、実家から縁を切られたライラは娼館で暮らすことになる。だが、訪れる人々のせいでライラは怯えていた。 ※完結済。

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

処理中です...