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第24話 廃墟の巡礼
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ホテルのラウンジの重苦しい空気の中で、伊東健太と渡辺恵子は、ただ、互いの顔を見つめ合っていた。三十数年ぶりの再会が、これほどまでに絶望的なものになるとは、誰が想像できただろうか。彼らは、もはや、ただの元クラスメイトではない。同じ呪いに蝕まれ、同じ地獄を共有する、運命共同体だった。
「……どうすれば、いいんでしょうか」
最初に沈黙を破ったのは渡辺だった。その声は、ウィッグのパンフレットを握りしめる指のように、か細く震えていた。
「このまま、待っているだけなんて……。次は私の子供たちの髪の毛だけでは済まないかもしれない。伊東さんの息子さんのように……」
彼女は言葉を詰まらせた。その先を口にすることは、あまりに残酷すぎた。
伊東も同じだった。息子の腐り落ちていく両手。その光景が瞼の裏に焼き付いて離れない。
「だが、相手は死んだ人間だ。警察も法律も通用しない。俺たちに何ができる?」
自嘲するような力ない声だった。
しかし、このまま座して死を待つわけにはいかない。
恐怖の淵で、伊東の脳裏に、一つの名前が再び浮かび上がった。
「佐藤……佐藤和也だ」
彼は絞り出すように言った。
「あいつは俺たちよりも先に、鈴木の呪いに気づいていた。そして助けを求めていた。あいつなら、何か俺たちの知らないことを知っているかもしれない。どうすれば、この呪いから逃れられるのか、その手がかりを……」
それは藁にもすがるような、か細い希望だった。
渡辺も、こくりと頷いた。他に道はなかった。
「でも、どうやって、佐藤くんの連絡先を……」
「俺に心当たりがある」
伊東は数年前に、一度だけ送られてきた同窓会の名簿のことを思い出していた。当時は面倒で、すぐに捨ててしまおうと思ったが、なぜか引き出しの奥にしまい込んであったのだ。
その日のうちに、伊東は自宅に戻り、埃をかぶった名簿を探し出した。そして、そこに記されていた、佐藤和也の住所を渡辺に伝えた。
翌日、彼らは佐藤が住んでいたという、郊外の住宅街に立っていた。
そこは、かつて、多くの家族の笑い声に満ちていたであろう、ありふれた、平和な街並みだった。しかし、二人の目には、その全てが不気味なハリボテのように映っていた。この平和な風景のすぐ隣で、一つの家族が地獄の苦しみを味わっていたのだ。
名簿の住所を頼りに、たどり着いた佐藤の家は、一目で、その異様さが分かった。
庭の草は伸び放題で、郵便受けには広告や手紙が、溢れんばかりに詰め込まれている。窓のカーテンは昼間だというのに、固く閉ざされたまま。家全体が、まるで呼吸を止めてしまったかのように静まり返っていた。
伊東がインターホンのボタンを押す。しかし、何の反応もない。何度か繰り返してみたが、結果は同じだった。
「……留守、のようですね」
渡辺が不安そうに言った。
その時、隣の家の玄関が、ぎい、と音を立てて開いた。一人の初老の女性が、訝しげな顔で、こちらを見ている。
「……あのう、佐藤さんのお宅に何か御用ですか?」
その声には、あからさまな警戒心と、抑えきれない好奇の色が混じっていた。
伊東は当たり障りのない、人の良さそうな笑みを浮かべて答えた。
「ええ、中学時代の友人でして。近くまで来たものですから、少し、顔を見に寄ったのですが……ご不在のようで」
その言葉を聞いた途端、隣家の女性の顔つきが変わった。警戒心が、憐れみと、そして、少しの恐怖へと。
「……まあ、佐藤さんのご友人……。それは、ご愁傷様です……」
「え?」
女性は声を潜め、まるで聞いてはいけない秘密を打ち明けるかのように、語り始めた。
「もう、ひと月ほど前になりますかねえ。ここのお宅の娘さんが……。お部屋で亡くなられたんですよ。まだ高校生だったのに……。本当に可哀想に……」
渡辺が息を呑む音が聞こえた。
伊東の背筋を冷たい汗が伝っていく。
佐藤の、あのメッセージ。娘の足が腐っていく、という、あの絶叫。
やはり、あれは妄想などではなかったのだ。
「それで……佐藤くん、本人は、どうされているんですか?」
伊東は震える声を、なんとか押し殺して、尋ねた。
女性は、さらに声を潜めた。
「それが……娘さんが亡くなられてから、ご主人、すっかり、おかしくなってしまわれて……。昼間から、お酒ばかり飲んで、何かに怯えるように、叫んだり……。そして、ある日、突然、足が動かなくなった、と、救急車を呼んで……。それだけじゃなく、目も見えなくなった、とかで……」
女性は、そこで、一度、言葉を切った。そして、恐ろしいものでも見るかのように、佐藤の家を一瞥した。
「結局、どこか遠くの病院だか、施設だかに、入られたそうですよ。奥様も、ずっと前に、ご実家に帰られたきりですし……。もう、この家には誰も……」
伊東と渡辺は言葉を失った。
彼らの頭の中で、バラバラだったパズルのピースが、一つの、おぞましい絵を完成させていた。
佐藤の娘の、自殺。
そして、佐藤自身の、肉体と精神の完全な崩壊。
それは、自分たちの身に起きている不幸と、全く同じ呪いの連鎖だった。
(次は俺たちだ……)
二人の心の中に、同じ、絶望的な言葉が木霊した。
鈴木一郎の復讐は終わらない。それはターゲットが、社会的に、そして肉体的に、完全に破壊されるまで、どこまでも、執拗に追いかけてくるのだ。
「……どうも、ありがとうございました」
伊東は、なんとか、それだけを言うと、渡辺の腕を掴み、その場を逃げるように立ち去った。
隣家の女性の訝しげな視線を背中に感じながら。
帰り道、二人の間に会話はなかった。
ただ、互いの、浅く、速い呼吸だけが、冬の冷たい空気の中で、白く、震えていた。
彼らが、今日、ここへ来たのは、希望の光を探すためだった。
しかし、彼らが見つけたのは、自分たちの未来の姿を映し出す、絶望という名の鏡だけだった。
「……どうすれば、いいんでしょうか」
最初に沈黙を破ったのは渡辺だった。その声は、ウィッグのパンフレットを握りしめる指のように、か細く震えていた。
「このまま、待っているだけなんて……。次は私の子供たちの髪の毛だけでは済まないかもしれない。伊東さんの息子さんのように……」
彼女は言葉を詰まらせた。その先を口にすることは、あまりに残酷すぎた。
伊東も同じだった。息子の腐り落ちていく両手。その光景が瞼の裏に焼き付いて離れない。
「だが、相手は死んだ人間だ。警察も法律も通用しない。俺たちに何ができる?」
自嘲するような力ない声だった。
しかし、このまま座して死を待つわけにはいかない。
恐怖の淵で、伊東の脳裏に、一つの名前が再び浮かび上がった。
「佐藤……佐藤和也だ」
彼は絞り出すように言った。
「あいつは俺たちよりも先に、鈴木の呪いに気づいていた。そして助けを求めていた。あいつなら、何か俺たちの知らないことを知っているかもしれない。どうすれば、この呪いから逃れられるのか、その手がかりを……」
それは藁にもすがるような、か細い希望だった。
渡辺も、こくりと頷いた。他に道はなかった。
「でも、どうやって、佐藤くんの連絡先を……」
「俺に心当たりがある」
伊東は数年前に、一度だけ送られてきた同窓会の名簿のことを思い出していた。当時は面倒で、すぐに捨ててしまおうと思ったが、なぜか引き出しの奥にしまい込んであったのだ。
その日のうちに、伊東は自宅に戻り、埃をかぶった名簿を探し出した。そして、そこに記されていた、佐藤和也の住所を渡辺に伝えた。
翌日、彼らは佐藤が住んでいたという、郊外の住宅街に立っていた。
そこは、かつて、多くの家族の笑い声に満ちていたであろう、ありふれた、平和な街並みだった。しかし、二人の目には、その全てが不気味なハリボテのように映っていた。この平和な風景のすぐ隣で、一つの家族が地獄の苦しみを味わっていたのだ。
名簿の住所を頼りに、たどり着いた佐藤の家は、一目で、その異様さが分かった。
庭の草は伸び放題で、郵便受けには広告や手紙が、溢れんばかりに詰め込まれている。窓のカーテンは昼間だというのに、固く閉ざされたまま。家全体が、まるで呼吸を止めてしまったかのように静まり返っていた。
伊東がインターホンのボタンを押す。しかし、何の反応もない。何度か繰り返してみたが、結果は同じだった。
「……留守、のようですね」
渡辺が不安そうに言った。
その時、隣の家の玄関が、ぎい、と音を立てて開いた。一人の初老の女性が、訝しげな顔で、こちらを見ている。
「……あのう、佐藤さんのお宅に何か御用ですか?」
その声には、あからさまな警戒心と、抑えきれない好奇の色が混じっていた。
伊東は当たり障りのない、人の良さそうな笑みを浮かべて答えた。
「ええ、中学時代の友人でして。近くまで来たものですから、少し、顔を見に寄ったのですが……ご不在のようで」
その言葉を聞いた途端、隣家の女性の顔つきが変わった。警戒心が、憐れみと、そして、少しの恐怖へと。
「……まあ、佐藤さんのご友人……。それは、ご愁傷様です……」
「え?」
女性は声を潜め、まるで聞いてはいけない秘密を打ち明けるかのように、語り始めた。
「もう、ひと月ほど前になりますかねえ。ここのお宅の娘さんが……。お部屋で亡くなられたんですよ。まだ高校生だったのに……。本当に可哀想に……」
渡辺が息を呑む音が聞こえた。
伊東の背筋を冷たい汗が伝っていく。
佐藤の、あのメッセージ。娘の足が腐っていく、という、あの絶叫。
やはり、あれは妄想などではなかったのだ。
「それで……佐藤くん、本人は、どうされているんですか?」
伊東は震える声を、なんとか押し殺して、尋ねた。
女性は、さらに声を潜めた。
「それが……娘さんが亡くなられてから、ご主人、すっかり、おかしくなってしまわれて……。昼間から、お酒ばかり飲んで、何かに怯えるように、叫んだり……。そして、ある日、突然、足が動かなくなった、と、救急車を呼んで……。それだけじゃなく、目も見えなくなった、とかで……」
女性は、そこで、一度、言葉を切った。そして、恐ろしいものでも見るかのように、佐藤の家を一瞥した。
「結局、どこか遠くの病院だか、施設だかに、入られたそうですよ。奥様も、ずっと前に、ご実家に帰られたきりですし……。もう、この家には誰も……」
伊東と渡辺は言葉を失った。
彼らの頭の中で、バラバラだったパズルのピースが、一つの、おぞましい絵を完成させていた。
佐藤の娘の、自殺。
そして、佐藤自身の、肉体と精神の完全な崩壊。
それは、自分たちの身に起きている不幸と、全く同じ呪いの連鎖だった。
(次は俺たちだ……)
二人の心の中に、同じ、絶望的な言葉が木霊した。
鈴木一郎の復讐は終わらない。それはターゲットが、社会的に、そして肉体的に、完全に破壊されるまで、どこまでも、執拗に追いかけてくるのだ。
「……どうも、ありがとうございました」
伊東は、なんとか、それだけを言うと、渡辺の腕を掴み、その場を逃げるように立ち去った。
隣家の女性の訝しげな視線を背中に感じながら。
帰り道、二人の間に会話はなかった。
ただ、互いの、浅く、速い呼吸だけが、冬の冷たい空気の中で、白く、震えていた。
彼らが、今日、ここへ来たのは、希望の光を探すためだった。
しかし、彼らが見つけたのは、自分たちの未来の姿を映し出す、絶望という名の鏡だけだった。
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