50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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第四章 双冠の英雄

第97話 闇に潜む策謀

 夜の帳が下りた黒き塔の広間。窓はない。灯火もない。ただ、紫がかった魔力の燐光りんこうが空間を浮かび上がらせている。
 その中心に座すは漆黒の衣をまとった男。銀髪を一房だけ前に垂らし、残りを緩やかに結った姿は、どこか気品すら感じさせた。
 彼の名はマルヴェス・ブラッドロック。魔族の中でも知性と統制を重んじる吸血鬼ヴァンパイアで、闇の貴族と呼ばれる存在だ。

 そのかたわら、ひとりの女が立っていた。長い耳、漆黒の肌、艶やかに波打つ白銀の髪。かつて光の森に生まれながら、闇に堕ちたエルフ――ネフィラ。

 彼女はワイン色の魔力を身にまといながら壁にもたれ、瞳だけをマルヴェスに向けていた。

「——ゼノヴィアから報せは?」

「順調だそうだよ。二人とも深く夢に落ちたまま。外からの干渉も、まだ完全には届いていない」

 マルヴェスは指先で空中に魔力を編みながら静かに語る。

「精神を侵すのは少々遠回りだが……彼に選択を迫るには丁度良い。心の礎が揺らげば、次に手を差し伸べる者が誰であろうと、しがみ付くだろう?」

「誰であろうと、ね」

 ネフィラは皮肉げに笑った。

「カイン……いや、カイランの器はそんなに脆くはないわよ。私が知る限り、彼は……根が真面目すぎるほどに愚直だった」

「それなら安心だ。愚直な者ほど誤った選択に追い込まれやすい」

 マルヴェスは指先から放った魔力で部屋の空間を切り取る。
 映し出されたのはカインが膝をつき、床に手をついている姿だった。光魔法を放った直後の映像。
 ゼノヴィアの結界が光を遮り、虚しく霧散したその一瞬。

「見たかい、この顔。守れなかったという後悔と焦り。……この亀裂を深く深くしてやればいい」

「追い詰めて何をさせるつもり?」

「交渉さ。あるいは代償と引き換えの助けを差し出してやってもいい」

「……彼を仲間に引き入れるつもり?」

 ネフィラの声にマルヴェスは笑う。

「選ばせるだけさ。最も身近な者が自分のせいで壊れそうになったとき、誰だって何かにすがりたくなる。……例えそれが闇の力であってもね」

 ネフィラは目を細めた。

「そんなこと彼が受け入れると思う?」

「思っていない。だが、断らせるのもまた価値がある」

 マルヴェスは組んだ指を解き、さらに魔力の映像を浮かべる。今度は夢の中のエルンとルナ。
 ゼノヴィアがそれぞれの記憶に潜み、ささやきを続けている場面だった。

「人の心の闇は外から植え付ける必要などない。記憶と、後悔と、恐れ。すべてはその者の中に初めからあるのだ。我々はそれを見せるだけでいい」

「ええ……だからこそ厄介」

 ネフィラは壁から身を離し、マルヴェスに背を向けた。

「けれど、覚えておくといいわ。あの男はあなたが思うほど未熟じゃない。あのカイランの意志が宿っている限り、そう簡単に折れはしないと」

「だったら、それを見せてもらおう。どちらの心が強いのか。夢に堕ちる側か、そこから手を伸ばす者か」

 その言葉に応えるように部屋の空気が揺れた。ゼノヴィアからの報せだった。

「……ほう。光がわずかに届いたか」

 マルヴェスは目を細めた。

「まだ目覚めには至らず。だが……彼の意志がほんのひとかけら、夢の底に触れたらしい」

「焦りを凌駕する意志。カイン……あなた、どこまで届くのかしらね」

 ネフィラは一度だけつぶやくと、マルヴェスに背を向けたまま部屋を後にした。

 残されたマルヴェスは指先をひと振りして空間を閉じる。

「さて、次の一手はどう動くか……」

 その目にはわずかに熱を帯びた好奇の光が宿っていた。
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