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第五章 影理の司祭
第110話 沈む森、歪む理
「……『ゼーレ』、ですって?」
リゼリアの声がわずかに震えた。
場所はフェルシアの集会所。厚い扉の向こうでは風が吹いているはずだったが、その音すら耳に届かない。森が静まり返っている。空気が妙に重たく感じられた。
テーブルの上にはカズエルが描き出した地図。理の歪みの中心が一目で分かるように魔力の流れが赤い線で示されている。そのすべてが南西、ある一点へと収束していた。
「この歪みの中心は『ゼーレ』だ。間違いない」
カズエルが確信を持って言い切る。
「理式理論が生まれた場所。……けれど今は誰も近づかぬ廃域だ」
リゼリアはカズエルに鋭い視線を向けた。
「『ゼーレ』はかつて理式魔術の暴走により時の流れが狂い、人が消えたとも言われる禁域。そんな場所に足を踏み入れるだなんて……無謀にも程があるわ」
「その無謀を承知で話している」
カズエルは静かに返した。声には揺らぎがなかった。
「もしもこのまま理の歪みが広がれば、フェルシアの森もいずれ沈む。君たちの結界も、精霊との交信すらも維持できなくなる。……そうなってからでは遅いんだ」
リゼリアは一瞬、言葉を失った。だが、その目は諦めてなどいなかった。ただ、里の命を背負う者としての慎重さが彼女を縛っていた。
「……だからこそ俺たちが行くんだろ?」
俺が口を開くと、リゼリアが視線をこちらに向けた。
不安と決意、その両方を湛えた目だった。
「この世界で俺は生きるって決めたんだ。なら、世界の根っこが壊れるのを見てるだけってわけにはいかない」
沈黙が落ちた。その中でカズエルがふっと笑う。少しだけ、昔の松尾を思い出す笑い方だった。
「……カイン。正直に言おう」
カズエルは改めて俺の方へ向き直った。リゼリアや他の仲間たちには背を向けて、俺にだけ言葉を投げてきた。
「理を修復するだなんて話は誰も信じやしない。だから、金も名誉も得られない。誰にも評価されないし、後世に名も残らない。でも、それでも——静寂が世界を飲み込む前に理を取り戻す必要があるんだ」
真っ直ぐな言葉だった。そして、それは相談でも命令でもない。——お願いだった。
俺は笑った。この世界に転生しても親友は変わりなかった。損なことに首を突っ込むお人好しだ。
「問題ない。……俺たちで理を正そうぜ」
出発はその翌朝。
リゼリアは最後まで何も言わずに見送ってくれた。ただ、その眼差しがすべてを物語っていた。
必ず、生きて帰って。そして、里を守ってほしい。——言葉にせずとも伝わった。
旅に加わったのは俺、カズエル、ルナ、エルン、セリスの五人。
ルナは「やっと冒険っぽくなってきたじゃん!」とはしゃぎ、エルンは「風の流れを読めない場所が増えているわ」と不安そうにつぶやいた。セリスは口数少なく、剣の手入れをしていた。
最初に通るのは魔力が濁る谷。草木が黒ずみ、空気がねっとりと肌に絡みついてくるような場所だった。
「うわ、ここ……すっごい重たい空気……足が引っ張られてるみたい!」
ルナが先に悲鳴をあげた。
「魔力の流れが乱れてる。断続的に反転してるわ。……下手に詠唱したら、自分に跳ね返るかもしれない」
エルンの言葉に俺たちは顔を見合わせた。カズエルが地面に手を当て眉をひそめる。
「この空間、術式の下書きみたいになってる。詠唱を実行するだけで不安定になるな。……しばらく、魔法は控えた方がいい」
けれど、それは同時に——敵が現れたとき、剣と肉体で対処するしかないということだった。
***
「前方――何かいます」
先頭を歩いていたセリスがふいに立ち止まり、警告を発した。
俺たちが身構えてから間もなく、地面が跳ねた。見えない何かが魔力の塊となって噴き出し、空間を軋ませるように震わせる。
「来るぞ!」
俺は試しに光の魔法を使ってみようとする。けれど反応が遅い。魔力がバラけていく。思わず舌打ちが出た。
「魔法は暴発する! カイン、無理に撃つな!」
カズエルの声が飛ぶ。その一方でセリスが剣を抜いた。
「接近戦でいくしかありません……ッ!」
地を蹴った彼女の剣が魔力の乱れを切り裂くように振るわれた。
頼りにしていた魔法が封じられ、俺の心は早くもざわつき始めていた。
リゼリアの声がわずかに震えた。
場所はフェルシアの集会所。厚い扉の向こうでは風が吹いているはずだったが、その音すら耳に届かない。森が静まり返っている。空気が妙に重たく感じられた。
テーブルの上にはカズエルが描き出した地図。理の歪みの中心が一目で分かるように魔力の流れが赤い線で示されている。そのすべてが南西、ある一点へと収束していた。
「この歪みの中心は『ゼーレ』だ。間違いない」
カズエルが確信を持って言い切る。
「理式理論が生まれた場所。……けれど今は誰も近づかぬ廃域だ」
リゼリアはカズエルに鋭い視線を向けた。
「『ゼーレ』はかつて理式魔術の暴走により時の流れが狂い、人が消えたとも言われる禁域。そんな場所に足を踏み入れるだなんて……無謀にも程があるわ」
「その無謀を承知で話している」
カズエルは静かに返した。声には揺らぎがなかった。
「もしもこのまま理の歪みが広がれば、フェルシアの森もいずれ沈む。君たちの結界も、精霊との交信すらも維持できなくなる。……そうなってからでは遅いんだ」
リゼリアは一瞬、言葉を失った。だが、その目は諦めてなどいなかった。ただ、里の命を背負う者としての慎重さが彼女を縛っていた。
「……だからこそ俺たちが行くんだろ?」
俺が口を開くと、リゼリアが視線をこちらに向けた。
不安と決意、その両方を湛えた目だった。
「この世界で俺は生きるって決めたんだ。なら、世界の根っこが壊れるのを見てるだけってわけにはいかない」
沈黙が落ちた。その中でカズエルがふっと笑う。少しだけ、昔の松尾を思い出す笑い方だった。
「……カイン。正直に言おう」
カズエルは改めて俺の方へ向き直った。リゼリアや他の仲間たちには背を向けて、俺にだけ言葉を投げてきた。
「理を修復するだなんて話は誰も信じやしない。だから、金も名誉も得られない。誰にも評価されないし、後世に名も残らない。でも、それでも——静寂が世界を飲み込む前に理を取り戻す必要があるんだ」
真っ直ぐな言葉だった。そして、それは相談でも命令でもない。——お願いだった。
俺は笑った。この世界に転生しても親友は変わりなかった。損なことに首を突っ込むお人好しだ。
「問題ない。……俺たちで理を正そうぜ」
出発はその翌朝。
リゼリアは最後まで何も言わずに見送ってくれた。ただ、その眼差しがすべてを物語っていた。
必ず、生きて帰って。そして、里を守ってほしい。——言葉にせずとも伝わった。
旅に加わったのは俺、カズエル、ルナ、エルン、セリスの五人。
ルナは「やっと冒険っぽくなってきたじゃん!」とはしゃぎ、エルンは「風の流れを読めない場所が増えているわ」と不安そうにつぶやいた。セリスは口数少なく、剣の手入れをしていた。
最初に通るのは魔力が濁る谷。草木が黒ずみ、空気がねっとりと肌に絡みついてくるような場所だった。
「うわ、ここ……すっごい重たい空気……足が引っ張られてるみたい!」
ルナが先に悲鳴をあげた。
「魔力の流れが乱れてる。断続的に反転してるわ。……下手に詠唱したら、自分に跳ね返るかもしれない」
エルンの言葉に俺たちは顔を見合わせた。カズエルが地面に手を当て眉をひそめる。
「この空間、術式の下書きみたいになってる。詠唱を実行するだけで不安定になるな。……しばらく、魔法は控えた方がいい」
けれど、それは同時に——敵が現れたとき、剣と肉体で対処するしかないということだった。
***
「前方――何かいます」
先頭を歩いていたセリスがふいに立ち止まり、警告を発した。
俺たちが身構えてから間もなく、地面が跳ねた。見えない何かが魔力の塊となって噴き出し、空間を軋ませるように震わせる。
「来るぞ!」
俺は試しに光の魔法を使ってみようとする。けれど反応が遅い。魔力がバラけていく。思わず舌打ちが出た。
「魔法は暴発する! カイン、無理に撃つな!」
カズエルの声が飛ぶ。その一方でセリスが剣を抜いた。
「接近戦でいくしかありません……ッ!」
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頼りにしていた魔法が封じられ、俺の心は早くもざわつき始めていた。
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