50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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第八章 落星の裂け目

第157話 静寂を裂く牙

 砕けた光の鎖の根元から漏れ出した黒い霧は意思を持つようにうごめき、鋭い爪と牙を持つ影の獣と化した。それは咆哮すらない。ただ、純粋な飢餓と無をその身に宿し、俺たちを捉えていた。

 影の獣が動いたのは俺が息を吸うよりも速かった。音もなく地を滑り、一直線に後方にいたエルンへ襲いかかる。

「させるか!」

 レオナルドが瞬時に反応し、獣の前に割り込んだ。二振りの短剣が黒い影を切り裂くが、その手応えはまるで霧を斬るかのようだった。

「くそっ、実体がない!」

「だったら、魔法で……!」

 エルンが反射的に杖を構えるが、その顔に一瞬、迷いが走った。道中での魔法の暴走、そして精霊との希薄な繋がりがトラウマになっていたのだ。

 だが、次の瞬間、彼女の表情が変わった。

「……いいえ、違う」

 エルンは目を見開き、周囲の空気を肌で感じ取るように杖を握り直した。

「感じます……この場所だけ、魔力の流れがいでいる……?」

 彼女の視線が巨木に巻き付いた黄金の鎖へと向く。

「あのアウレリウス様の封印が、強力な結界となって周囲の空間ごとことわりを固定しているのね……。ここなら精霊の声が届く。魔法が使えます!」

 エルンの確信に満ちた叫びに俺は即座に応じた。

「やってくれ、エルン!」

「はいっ!」

 エルンが深く息を吸い込む。道中では嵐の向こうにあった精霊たちの声が、ここでは封印の光に守られ、確かに彼女に応えていた。

「光の精霊ルミナよ、我が魔力を代償に聖なる矢を放て!――聖光の矢ルミナス・レイ!」

 放たれた光の矢は軌道を逸らすことなく真っ直ぐに飛び、影の獣に命中した。

 黒い体がわずかに揺らめき、獣が苦しむように身をよじった。

「効いた……!」

「でも、浅いよ!」

 ルナが叫ぶ。ダメージはあるが、光そのものが影に喰われているかのように減衰してしまっているのだ。

「えいっ!――火玉ファイアボール!」

 ルナも続いて火球を放つ。いつも通りの熱量を持った炎だったが、影の表面に触れた瞬間に勢いを失い、吸い込まれるように消えてしまった。

「ダメだ……! 魔法が通じても、喰われてる!」

 俺は戦況を冷静に分析し、指示を飛ばした。

「魔法の吸収にも限界があるはずだ! レオナルドは撹乱かくらんを続けてくれ! ルナ、小さいのでいい、火の玉を休まず撃ち続けて! エルンは、その隙に光の魔法を一点に集中させるんだ!」

 俺の指示に仲間たちが一斉に動きを変える。

 レオナルドは獣の周囲を高速で駆け巡り、その注意を引きつけ続ける。彼の剣技はダメージを与えられずとも、獣の攻撃を俺たちから逸らすには十分だった。

「カイン、あいつの胸! そこだけ影が濃い! そこが弱点だよ!」

 ルナが敵の核を正確に見抜き、叫ぶ。同時に彼女の手から小さな火の玉が連続で放たれ、獣の体に次々と着弾しては、その影に吸い込まれていく。

 一発一発は無力化される。だが、その連続攻撃が獣の影にかすかな「揺らぎ」を生み出していた。

「揺らいでいる……!」

 エルンはその一瞬の隙を見逃さなかった。彼女はルナが示した核の一点に全神経を集中させ、魔力を光の矢に束ねていく。

「光の精霊ルミナよ、我が魔力を代償に力を束ねた矢を放て!――聖光の矢ルミナス・レイ!」

 それは先ほどとは比べ物にならないほど凝縮された光の奔流だった。獣の影が飽和し、光を吸収しきれなくなる。ジュウ、と影が焼ける音と共に、光の矢がついにその胸の中心にある核を捉えた。

 パリン、と。

 まるで薄いガラスが砕けるような、乾いた音が静寂の中に響いた。
 核が砕けた瞬間、影の獣は形を保てなくなり、霧となって霧散し、裂け目の静寂の中に吸い込まれていった。

「はぁ……はぁ……」

 エルンが疲弊し、その場に膝をつく。ルナも肩で息をしていた。
 魔法が使えるとはいえ、相手は魔法を喰らう天敵。消耗は激しかった。

「……やった、のか」

「ああ。だが……」

 レオナルドが苦々しい表情で封印の古木を見上げた。

「今のは砕けた鎖の一本から漏れ出した、ほんの欠片かけらにすぎん」

 そうだ。あれはエクリプス本体ではない。
 たった一つの欠片かけらを倒すために、俺たちはこれほど消耗し、手札の一つを明かしてしまった。

(あれが全て解き放たれた時、俺たちに勝ち目はあるのか……?)

 その考えが俺の心を冷たくざわつかせた。
 ふと見ると、古木の封印の鎖は今もなお数本が弱々しく明滅している。
 次の鎖がいつ砕けてもおかしくない。

 俺たちはこの場で決断を迫られていた。このまま、さらに強力な欠片かけらが現れるのを待つのか。それとも、リスクを覚悟の上で封印そのものに干渉し、本体と決着をつけるのか。

 選択の時はすぐそこまで迫っていた。
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